さて、イングランドは百年戦争で大陸から撤退。この件について、イングランド国内では貴族を中心に不満の声が挙がっていました。加えて国王
ヘンリー六世は、敗北のショックで精神的にダメージ・・・。政治は
王妃マーガレットがとっていました。
1455年、この動きを察知し、(百年戦争を起こした)エドワード3世の孫、ヨーク公リチャードは現王家のランカスター朝に対し、決起します。そして、貴族達も二派に分かれて戦争が発生しました。そして1460年、リチャードはウェークフィールドの戦いで戦死。しかし、翌年その長男エドワードがランカスター朝を倒し、エドワード4世として即位します。
1465年、ヘンリー6世は捕まり、
ロンドン塔に幽閉。ロンドン塔は、元々は城塞でしたが、次第に政争に負けた王家の人間が幽閉され、ほとんどの場合、そのままギロチン行きです。この後も何度か登場します。なお、現在は世界遺産。これでヨーク家の勝利かと思われたところ・・・なんと、エドワード4世の即位に貢献した
、ウォリック伯リチャード・ネビルは、不満を募らせ、エドワード4世の弟、
クラレンス公ジョージと、前国王妃マーガレットと同盟をむすび、反乱をおこした。
結局、エドワード4世は国外に亡命し、ヘンリー6世が復位します。しかし、戦いはまだ終わらない。1471年、帰国したエドワード4世は弟ジョージを帰順させると、ウォリック伯リチャードを敗死させます。その後、ランカスター派の軍を打ち破り、ヘンリー6世は危険人物としてロンドン塔で処刑されます。これで、ヨーク家の勝利・・・と、思われたら・・。
ところがまだ終わらない。83年にエドワード4世が死去し、幼い息子の
エドワード5世(位1483年)が即位。ところが、エドワード4世のもう一人の弟、
グロスター公リチャードが、エドワード5世から王位をうばい、
リチャード3世として即位。エドワード5世と、弟のヨーク公はロンドン塔で処刑されたと言われています。さらに、何故か彼に味方する貴族まで、裁判無しで処刑していきます。もっとも、この辺の残虐性については、後のランカスター派の歴史家が、自らの正当性を主張するために着色したようですが・・。また、このお話は
シェークスピアの戯曲「リチャード3世」の題材となり、今も公演されています。
ともあれ、この残虐性。大義名分として利用しない手はありません、好機到来です。
巻き返しを図るランカスター派は、ランカスター家の親戚筋に当たる
リッチモンド伯ヘンリー・チューダーへの支援を決定(これにはフランス王シャルル8世の支援もある)。85年のボスワースの戦いでリチャード3世を敗死しさせ、ヘンリー・チューダーは
ヘンリー7世として即位し、エドワード4世の長女と結婚。チューダー朝の始まりです。これによってバラ戦争は終結。また、皮肉にもこの戦いに疲弊した貴族は没落し、フランスに引き続き、イングランドでも国王中心の体制が整えられていくことになります。
ちなみに、引き続きヨーク派の抵抗は続き、彼らを支援したアイルランド、スコットランドに侵攻し、支配を強化しています(注:スコットランドに対しては、王女をスコットランド王と結婚させるなど、和平工作&イングランドへの取り込みも推進)。
また、王権の強化のために
星室裁判所(の原型)を設置。これは、ウェストミンスター宮殿の、天井に星のえがかれた部屋
で裁判が行われたことに由来する名前で、枢密院のメンバーと国王裁判所の判事で構成。ここで、普通の権限では手の出しづらい、有力貴族に対する裁判を執り行いました。
ちなみに死刑の判決は出さず、手足の切断が最も重い刑。また、議事録は公表されていて、公平性を示しています。なお、1641年に国王ジェームス1世、チャールズ1世親子がこれを悪用したため、廃止されました。
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