第33回 2000〜09年(1):アメリカ同時多発テロからイラク戦争まで

○2000年代総論

 2000〜2009年ごろの大きな出来事は、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ、同年10月〜12月のアフガニスタン戦争、2003年3月〜5月のイラク戦争。さらに、経済面では2008年に発生したリーマン・ショックによる世界経済の危機が挙げられます。

 また、我々の生活では携帯電話、パソコンが急速に普及を始め、インターネットやデジタルカメラが身近な存在となりました。

 インターネットについて日本を例にとりますと、2000年の時点では音声電話回線を使って通信を行う「ダイヤルアップ接続」が主流で高額かつ非常に遅い速度だったのが、1999年から商用利用が開始されたADSLの登場で一般に広く普及していきます。ADSLは、電話回線の中でも通話とは別の帯域をデータ通信用に使用するため、通話とインターネット接続を同時に行うことが可能となり、定額料金・常時接続を可能にしたブロードバンドサービスを展開する事業者が数多く登場します。

 2000年代後半になると、光ファイバーを活用した、より高速のFTTHサービスやCATVインターネットの普及が進み、現在はこれらが主流となっています。

 こうしたインターネット社会で急成長を遂げたのが、1998年にアメリカで設立されたGoogle。2000年代に入りインターネット上のウェブサイトの検索エンジンの1つとしてサービスを開始していきます。また、2006年にはオブビアス社(現:Twitter社)がソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)として、Twitter(ツイッター)の提供を開始。半角280文字(全角140文字)のメッセージや画像、動画、URLを投稿が可能で、その手軽さから現在に至るまで多くのユーザーが利用しているほか、同時期に登場したFacebook等と共に、SNSが政治経済にも影響を与えるようになっています。

 携帯電話の分野では、日本を例にすれば、2000年にJ-PHONE が世界に先駆けて携帯電話端末にカメラを搭載し、撮影した画像を電子メールに添付して送信する機能を開始。撮影した写真や動画を瞬時に共有するというサービスは革新的なものでした。

 さらに、2007年にアメリカではAppleがスマートフォン「iPhone」を発売。タッチパネルで操作する革新的な端末で、2009年にはGoogleが提供するAndroid対応のスマートフォンも発売され、従来の携帯電話を一気に置き換えていくことになります。

 こうして人々がPCやスマートフォンなどでインターネットに誰もが繋ぐようになると、インターネットを介した商取引も盛んになり、中でもアメリカのAmazon.comは世界各地で様々な商品を販売。これまで商品は店舗で買うのが当たり前だったのが、ネットで注文すると、物流施設から瞬時に配送が開始されるようになります。

 なお、ツイッターを除いたこれらの企業をまとめて、GAFAと呼ばれることもあり、特定の私企業に全世界の莫大な個人情報が集まることに対する批判や懸念も指摘されています。


 Blu-ray Discが本格的に普及したのも2000年代。DVDの5倍以上の記録容量(1層25GB、2層式ディスクの場合は50GB)を実現しています。上写真はソニーが2003年4月10日、世界で初めて発売したBSデジタルチューナー内蔵のブルーレイディスクレコーダー「BDZ-S77」です。こんなに分厚い機械だったんですね。


 液晶テレビも2000年代に入って急速に普及しました。上写真は2005年に発売された、ソニーのBRAVIAブランド第1号機であるKDL-46X1000。昔は画面サイズが大きなテレビを持つ家庭はそう多くなかったと思いますが、液晶テレビは大型テレビも急速に価格が低下し、背面もスッキリしているため、それほど珍しい存在ではなくなりました。


 携帯音楽プレーヤーの世界では、スマートフォンに先駆けて 2001年11月17日にAppleがi5GBのハードディスクドライブを搭載した、iPodを発売。カセットテープ、CD、MDなどに代わり、音楽はデータを入れて持ち歩く時代が到来しました。


 科学技術の分野では、2005年11月26日に日本の惑星探査機「はやぶさ」が小惑星イトカワへの着陸と岩石の採取に成功。しています。月以外の天体からの岩石等の試料採取は世界初の出来事でした。

 その他、 2000年11月にはイチロー選手がシアトル・マリナーズと契約を結び、日本人野手初のメジャーリーガーが誕生しています。

 次に各国の大統領や首相などを見ていきますと、2000年から少しさかのぼりまして1995年5月17日にジャック・シラク(1932〜2019年)が第22代大統領に就任。シラク大統領といえば親日家としても有名で、人生で必要なことは全て相撲で学んだと公言するほどの筋金入りの大相撲の大ファン。2005年の大阪場所を観戦し、会場を後にする際には観客総立ちで「シラク!シラク!」と連呼と拍手が送られるほど、相撲ファンの間でも愛された人物でした。(2019年9月8日付 AFP通信より) そして、2007年5月16日から2012年5月15日までニコラ・サルコジ(1955年〜 )が第23代大統領を務めます。

 続いてイギリスでは、1997年5月2日に労働党のトニー・ブレア(1953年〜)が首相に就任。2007年6月27日まで在任しました。その後はゴードン・ブラウンが2010年5月11日まで首相を務めます。

 ドイツでは1998年10月27日にドイツ社会民主党(SPD)のゲアハルト・シュレーダーが第7代首相に就任。2005年11月22日からはアンゲラ・メルケル(1954年〜)が第8代首相に就任し(※ドイツ初の女性首相)、2020年時点でも在任中という長期政権を継続中。

 ロシアでは2000年5月7日、ウラジミール・プーチン(1952年〜)が第2代大統領に就任します。ソ連国家保安委員会(KGB)の出身で、サンクトペテルブルク市副市長、ロシア連邦保安庁(FSB)長官などを経て、1999年にはエリツィン政権で首相に就任という経歴を持ちます。その後も、一時的に首相職に移りますが権力を保持し続け、2020年時点でもロシア大統領なのは周知のとおり。

 アメリカでは2001年1月20日、第43代大統領にジョージ・W・ブッシュ(1946年〜)が就任。第41代大統領のジョージ・H・Wブッシュを父親にもち、1995年1月から2000年までテキサス州知事を務めた人物です。ちなみに弟のジェブ・ブッシュはフロリダ州知事を務めています。

 ブッシュ政権はネオコン(新保守主義)勢力の影響を受けた政権運営が特徴で、地球環境問題では京都議定書から離脱し、イラク戦争の強行するなどタカ派の外交姿勢を見せます。これは単独行動主義として批判も多く受けています。

 日本では2001(平成13)年4月26日に小泉純一郎(1942年〜)が首相に就任。2006年9月26日まで在任し、以後は安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫…と2010年まで約1年ごとに首相がコロコロ変わりました。

 中国では2003年3月15日に、江沢民に代わって、胡錦涛(フー・チンタオ 1942年〜)が第6代国家主席に就任。2013年3月14日まで務めました。2008年には北京オリンピック、2010年には上海万博を開催したほか、高速鉄道の整備が急ピッチで進むなど、中国は急速な経済発展が進みます。

 就任とは逆に、2000年11月19日にはペルーのアルベルト・フジモリ(1938年〜)大統領が辞任。日系人の大統領で、1996年〜97年のペルー日本大使公邸人質事件などで日本でも名の知られた大統領でしたが、強権的な手法や汚職等が批判を受けており、最後は大統領側近による汚職の光景をとらえた映像が野党議員によって公開されて政権は窮地に陥いるなか、ブルネイで開催されたAPEC首脳会議に出席した帰りに東京へ立ち寄り、そのまま辞任が発表されました。

 他にも紹介すべき人物は多数いると思いますが、文中で追々触れていくとしまして話を先に進めたいと思います。

○9.11―全世界に衝撃を与えたアメリカ同時多発テロ―

 まずはアメリカ同時多発テロから見ていきましょう。 2001年9月11日、アメリカで東海岸のボストン、ダレス、ニューアークを飛び立った4機の飛行機がアラブ系のテロリストによりハイジャックされ、コックピットが乗っ取られます。

 そして午前8時46分にアメリカン航空11便がニューヨークのワールド・トレード・センタービルの北棟に激突。
 さらに午前9時2分にユナイテッド航空175便が世界貿易センタービルの南棟に激突し、激しく損傷を受けた両建物は崩落し、ビル内にいた人々の多くに犠牲者が出ます。
 午前9時59分、アメリカン航空77便がアメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突し、こちらも人的・物的に大きな損傷を受けます。
 一方、ユナイテッド航空93便は乗客乗員がハイジャッカーに抵抗した結果、午前10時3分にペンシルバニア州ピッツバーグ郊外のシャシャンクスヴィルに墜落しています。

 一連のテロによって乗客乗員が全員死亡したのをはじめ、テロ実行犯19名を含む2996人が犠牲となっています。


▲東武ワールドスクウェアでは、ワールド・トレード・センタービルを模型で見ることができます。


 この事態を受けてアメリカのブッシュ大統領は、ウサーマ・ビン・ラーディン(1957年〜2011年)率いるテロ組織「アル・カーイダ」による犯行と断定。アフガニスタンに潜伏しているとみられていたため、同国を実効支配するイスラム主義組織「タリバン」(ターリバーン)に対して引き渡しを要求しますが、タリバン政権はこれを拒否したため、ブッシュ政権はアフガニスタンと戦争することを決定します。


 それでは、アフガニスタンについて少し復習をしていきましょう。

 現代史第18回で見た通り、ソ連がアフガニスタンから撤退した後、アフガニスタンが内部抗争を続ける中、1994年9月頃、、パキスタンの難民キャンプにいるアフガニスタン難民の若者が中心に、若者とイスラム神学校の教師達で 「タリバン(神学生)」が組織され、圧倒的な支持を得ます。その勢いは強力で、1996年には首都カブールを陥落させ、指導者ムハンマド・オマル(1959?〜2013年)を首長とする、アフガニスタン・イスラム首長国を建国します。

 これに対し、かつてソ連に抵抗していたムジャヒーディン3派は北部同盟を結成し、国土の一割をなんとか支配。必死の抵抗を続けます。

 当初、タリバンはアフガニスタン及び中央アジアの安定に寄与すると国際社会が評価していた時期もあったのですが、タリバン政権は国内での娯楽や文化を制限・否定したり、女性の教育や勤労を禁止するなどイスラム主義を狂信的に適用していたほか、ビン・ラーディンとアル・カーイダを客人をして招き入れたことから、アメリカと激しく対立。

 さらに、アメリカ同時多発テロに先立つ2001年2月26日に世界遺産「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」を構成するバーミヤン石窟の大仏を、イスラム教の偶像崇拝禁止の規定に反しているとして、爆弾で木っ端みじんに吹き飛ばします。これにはイスラム教諸国に至るまで非難。国際的な孤立を深めていました。


▲バーミヤンの大仏跡

 さて、ブッシュ政権はアフガニスタン侵攻を不朽の自由作戦と名付け、2001年10月7日からアメリカとイギリスをはじめとした有志連合諸国による空爆を開始。これに呼応してアフガニスタン北部でタリバン政権に抵抗していた北部同盟が進撃を開始し、11月13日に首都カブールを制圧しています。

 これによってタリバン政権は崩壊し、12月22日にハーミド・カルザイ(1957年〜)を議長とする暫定政府が発足。また、国連安全保障理事会決議により多国籍軍である国際治安支援部隊(ISAF)が派遣。そして、2004年12月には大統領選挙が実施されてカルザイが大統領に就任し、疲弊した国家の再建が進められます。

 しかし、タリバン、アル・カーイダともに壊滅には至らず、アフガニスタンの複雑な民族事情や政府の汚職等に対する反発、パキスタンなど周辺国の思惑等も重なり、現在でも一定の勢力を保持し、アフガニスタン政府軍と激しい戦闘を継続。さらに、アフガニスタンではテロ組織であるイスラム教スンニ派過激組織IS(イスラム国)の分派で、2015年に結成された「ホラサン州」の活動も活発になっており、タリバンとは別にテロ活動を実施。

 このため2020年現在でもアフガニスタンの治安は安定せず、戦闘行為やテロ行為が続く状況。アフガニスタンを支援する医療従事者やNGO(非政府組織)関係者が標的になるケースも相次いでおり、2019年12月4日には、アフガニスタンで長年にわたり農業支援に取組んできた、福岡市のNGO「ペシャワール会」現地代表、中村哲医師(1946〜2019年)が銃撃されて死亡するテロ事件が発生しています。

 中村医師はアフガニスタンで貧困層への医療支援の他、2003年から干ばつに苦しむアフガニスタン東部のナンガラハル州で用水路の建設を開始し、2019年までに約1万6500ヘクタールの土地に水を供給するなど、荒廃したアフガニスタンの農地再生に取り組んでいました。2018年にはアフガニスタン政府から勲章が授与されています。

○イラク戦争

 一定の目的を達成したブッシュ政権は2002年1月の一般教書演説ではイラン、イラク、北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しして次の攻撃対象であることを示唆します。



 2003年3月20日、アメリカ軍はイラクの首都バクダードへ空爆を開始。さらにアメリカ、イギリスの陸軍が侵攻を開始します。侵攻の理由となったのがイラクによる大量破壊兵器の保有。開戦にあたってはロシア、中国、さらにはフランスも反対しますが、アメリカはこれを押し切った形です。 そして4月9日にはバクダードが陥落し、5月1日にブッシュ大統領は戦闘終結を宣言。6月には連合国暫定当局(CPA)が発足し、アメリカ主導でイラクの占領統治が開始されました。さらに、12月にはイラクのサダム=フセイン大統領の拘束に成功しています。

 しかし、イラクはイスラム教シーア派と、旧フセイン政権で中心だったスンニ派、フセイン政権打倒に協力した北部のクルド人勢力が複雑に絡み合う国家で、占領統治は困難を極めました。アメリカ軍や一般市民に対するテロ攻撃が頻発するようになったほか、2004年10月、大量破壊兵器が存在しなかったことをアメリカの調査団が報告し、イラク攻撃の大義名分が失われる事態に陥りました。

 2006年5月、シーア派のヌーリー・マーリキー(1950年〜)を首相とするイラクの正式政府が発足し、同年12月にフセイン元大統領などを処刑。マーリキー政権はシーア派を重視したことから、スンニ派との対立が激化し、こうしたイラクの混乱に乗じて2006年10月に、当時はアル・カーイダ系だったスンニ派武装組織が「イラク・イスラム国」建国を宣言し、イラク国内でテロを多数仕掛けながら急速に実効支配地域を拡大。これについては2010年代のページで見ていきます。

 冷戦が終結し、国家対国家だった世界の対立構造はテロ組織という実態が解りにくい勢力と国家の戦いという、新たな次元に入りました。アフガニスタン、イラクともに未だ平和には至っておらず、テロ組織による恐怖統治や爆弾テロ、一方これに対峙するアメリカ等の空爆によっても民間人に多くの死傷者を出しているのが現状です。

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