第1回 日本のあけぼの

○人類の登場と日本列島

 地球上に人類が登場したのは、今から約400万年前のアフリカと言われています。そして大雑把に区分すると、猿人(約400万年前〜80万年前)、原人(80万〜15万年前)、旧人(15万〜3万年前)、新人→現代人(3万年前〜)とまあ、こんな感じになります。

 まあ、あくまで目安ですし、ある日突然、新人が旧人に取って代わったわけではありません。それから、受験用語でもあるので押さえておきますけど、この人類登場の時代は地質学でいう第3期の終わりごろ、という区分に位置しているらしいです。次いで、第4期というのが始まるのですが、今から約1万年前を境に更新世完新世という区分けがされています。

 この更新世、という時代が別名を氷河時代ともいい、なんと今よりも海面が100mも下降していたとか。

 当然、今では海になっている場所も、当時は陸だった部分が多く、大変な苦労を伴ったでしょうに、アフリカを発祥とした人類は世界中へ大移動を始めます。そしてアジアではナウマンゾウオオツノジカなどの獲物を追って東へ西へ・・・、何万年という単位にもなれば、物凄い距離を移動したことでしょう。

 こうして、日本列島にも人が住み着くようになります。もちろん、全員が一斉に同じ場所、時期にから日本に入ったわけではなく、ある集団はシベリア方面から、ある集団は中国から、ある集団は東南アジアの島々から・・・と少しずつ入ってきたと思われます。ちなみに、アラスカとシベリアの間のベーリング海峡も陸続きになっていたようで、さらにアメリカにわたったアジア系の人々もいます。

 ところが、氷河時代が終わると色々な陸地が海面で分断。我等が日本列島もこうして形成され、人間も動物達もしばらくは他地域と、やや隔離されて歴史を歩むことになります。



猿人
 エチオピアで発掘された「ルーシー」。約320万年前の猿人(女性)の化石で、身長は約1〜1.2m。体重約20−25kgと考えられています。彼女は全身の4割の骨が見つかったため、復元もかなり正確に行えたと考えられています。

ネアンデルタール人
 フランスで発掘された「ラ・フェラシー」。ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス(いわゆるネアンデルタール人/旧人)の男性です。彼らはマンモスなどを狩猟し、そして火を使いました。また、死者を弔う宗教的な風習もあります。

オオツノジカ
 約70万年〜1万年前にいた動物で、その名の通り非常に角が大きく、首の骨が丈夫に出来ているのが特徴です。肩までの高さが2mある大きな動物でしたが、マンモスと同じく旧石器時代の人々の狩猟もあって絶滅してしまいました。
(写真はいずれも国立科学博物館にて)
 ちなみに、日本列島にはいつから人がいたのか。
 この謎を解くためには、人骨の化石が、どのぐらい昔の地層から出てきたのかを調べる必要があります。ところが、日本の土壌は酸性が強いため、基本的に骨って残りにくいんですね。早くて数十年で溶けてしまうそうです。


 今のところ、沖縄県の港川人(約2万年〜1万5000年前)という”新人”が一番古いと言われています。これは、1967(昭和42)年から1976(昭和51)年にかけて、沖縄本島南端の港川フィッシャー遺跡(沖縄県島尻郡八重瀬町)から5〜9体分の人骨が発掘されたもので、上写真は国立科学博物館展示の港川1号レプリカです(原標本は東京大学総合研究博物館)。

 湊川1号は男性で、身長は約154cm。港川人が縄文人の先祖か否かは結論が出ていませんが、最近の研究では、下あごが本来はほっそりしているなど、オーストラリア先住民やニューギニア人により近いとの説も出されています。


 こちらは国立科学博物館で展示されている港川人の復元模型。あくまで、縄文人の先祖であることを前提に復元されていますので、最新の研究成果とは異なるようです。

○旧石器時代

 さて、この更新世=氷河時代ですけど、まだ人類は金属を使うことを知らず、身近な存在である石を加工して色々なことに役立てていました。それも、ただ単に打ち欠いただけの簡便な加工です(こうした石器を打製石器といいます)。ナイフ形石器や、尖頭器(先が尖っている石)を棒の先端につけ、槍として使用し獲物を倒す。とまあ、こんな狩猟生活を行っていました。

 ところが、更新世に入ってくる前後から次第に、石を磨き、切れ味抜群に仕上げた磨製石器を使うようになってきます。この石器を基準にした区分というのもあって、打製石器中心時代を旧石器時代、磨製石器普及時代を新石器時代と言います。

 さあ、そうすると日本に旧石器時代はあったのか。
 つまり、このころ日本列島に人類はいたのか。

 戦前まで長らく論争が続いていましたが、1946年に相沢忠洋(あいざわただひろ 1926〜89年)という行商を営む考古学愛好者が群馬県新田郡笠懸村(現・笠懸町)の岩宿にある関東ローム層で2万4000年前の黒曜石の打製石器と石片を発見。関東ローム層というのは、1万年以上前の地層ですので「縄文時代より前に人がいたかもしれない」と世の中を驚かせます。

 3年後に明治大学の研究チームが発掘調査を行い、正式に認められました。これ以後、「なるほど日本にも旧石器時代はあったんだ」と調査が精力的に進められた結果、日本各地でこの頃の旧石器時代の遺跡が発見されていきます。


▲岩宿遺跡から見つかった基部加工石刀石器 【国指定重要文化財】(明治大学博物館蔵 写真はレプリカ)


▲岩宿遺跡から見つかったナイフ形石器 【国指定重要文化財】(明治大学博物館蔵 写真はレプリカ)

▲旧石器時代の槍(再現 府中市郷土の森博物館)


 それから時代は流れ、某アマチュア考古愛好者F氏が「数十万年前の石器を見つけた!」などの重要な発見を発表し、次々と受験生が覚えないといけない遺跡の名前が登場。そのF氏は「神の手」と崇められ、東北旧石器文化研究所副理事長を務めるまでになりましたが、2000年11月5日、毎日新聞にF氏が自分で石器らしき形をしたものを埋めている姿をスクープされ、考古学界を震撼。よくよく調べてみれば、F氏の発見の殆どが嘘っぱちで、さらには他の研究者の発見まで疑問符が。中には、発見を捏造と報道、糾弾され死をもって抗議する人まで出てしまったことは悲しい出来事でした。

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