第2回 豊かな縄文時代
また、何を理由に進歩と定義するのか・・・というのは非常に難しい。その例を示してくれるのが、日本の縄文時代かもしれません。縄文時代は安定した食料の供給が出来ずに、食生活も貧しかったと教えられた人も多いでしょうが、とんでもない間違いです。歯のエナメル質減形成を調査したレポートの中には、江戸時代の人骨ほうが、縄文時代の人骨よりも歯のエナメル質が減っていた・・・なんてものもあります。 ちなみに縄文時代と言いますけど、もちろんある日突然縄文時代が始まったわけでもなければ、ある日突然終了したわけではありません。乱暴な言い方ですが、あくまで縄文土器を使っていた時代を基準とした大まかな区分であることを承知して下さい。また、この縄文時代は土器の形の変遷によって、現在のところ6期に分類されており、すなわち 草創期(紀元前1万5000年〜前10000年) 早期(前10000年〜前5000年)、 前期(前5000年〜前3500年) 中期(前3500年〜前2500年) 後期(前2500年〜前1300年) 晩期(前1300年〜前950年) です(年代は目安。研究者によって細かいところは色々です) ところで、比較的最近まではこんな年代区分が一般的でした。 草創期(紀元前1万1000年〜前7000年) 早期(前7000年〜前5000年)、 前期(前5000年〜前3000年) 中期(前3000年〜前2000年) 後期(前2000年〜前1000年) 晩期(前1000年〜前400年) つまり、最近の研究によって縄文時代がこれまでより早く始まり、一方で弥生時代の始まりも早かったことが判明したのです。発掘が進み、さらに土器の年代の鑑定などに、より正確な分析が加えられるようになると、さらに変わるかも知れませんね。
あ、補足ですけど落葉広葉樹林ってのは別名を夏緑樹林と言って、夏の高温多湿な時期に緑葉をつけて盛んに光合成を行い、秋から冬になると葉を落とし、休眠するような木の事です。照葉樹林は逆に、ほぼ一年中葉をつけていて、その葉というのは革質で光沢があるのが特徴です。 こんな感じで周囲の環境が変化すれば、人々の生活も変化します。 なにしろ、今まで大型の動物が、のっしのっしと歩いていたのから一転し、今度は動きの早い小形動物を射止めないと獲物が確保できません。そこで、槍に加えて弓矢というのが開発されました。また、落とし穴(陥穴)も多用されます。 縄文人達は、先ほどのシカやイノシシの他、猿も狩猟しましたし、キジ、カモやガンなどの鳥も弓矢で狩猟し、食します。 そんな縄文人のお友達が、イヌ。現在の柴犬ぐらいの大きさで、彼らと一緒に一緒に出かけ、怪我をしても大事に育てていたようです。大切な仲間だったんでしょうね。しかし、弥生時代になると大陸からの文化の影響で、イヌを食べるようになってしまいました(笑)。 それから、日本の縄文時代ってのは新石器時代にほぼ該当するため、磨製石器が使われるようになります。
竪穴式住居の定義は色々ありますが、地面をある程度掘って踏み固め、そこに主柱を建て、棟木、垂木を通して骨組みを完成。それに、樹皮、カヤなどを使って屋根を葺いた住居です。地域によって異なりますが、関東では10年に1回ぐらいのペースで建て替えられたようですね。
竪穴式住居については、大黒屋所員の考古学レポート第5回をお読みください。
それから縄文時代は、動物に加えて植物も積極的に食べるようになり、貯蔵、料理に便利な土器というのが開発されます。これは、粘土をこねて形を作り、焼き上げて硬くしたものです。んで、この際に表面を平らにするために縄(=撚紐 よりひも)で粘土の表面をゴシゴシ削っていくのですが、そうすると焼きあがったら縄目の文様がついてくるんですね。しかも、どうやってゴシゴシやったかによって色々なパターンの文様が完成。おそらく、皆様色々と計算して模様制作を楽しんだと思われます。 こういう特徴のある土器は江戸時代から知られていましたが、アメリカの動物学者モース(1838〜1925年)が明治時代初期の日本で、大森貝塚(東京都品川区大井6丁目と大田区山王1丁目にまたがる)で発見し、発掘報告書の中で「縄文」との言葉を使用したことから、縄文土器と呼ばれるようになります。よって、ここから縄文時代という単語も登場。 また、貝塚=当時の人々が貝を中心に、色々なものを捨てたゴミ捨て場が、初めて日本で研究されたのも、この大森貝塚です(日本に限らず、世界各地に貝塚は存在し、出土品は貴重な研究資料になっています)。ちなみにゴミ捨て場と書きましたが、人骨も出土していることから、何らかの意味のある神聖な場所だったのかも知れません。 ・・・と、話がずれましたが、こんな歴史的な発見を行ったモース博士は、「動物学者」でした。 そもそも、東アジアに生息する腕足類シャミセンガイの採集のために来日し、文部省から「折角だから帝国大学の理学部で授業をやってくださいよ」「了解」ということだったのですが・・・日本の考古学に計り知れない影響を残すことに。人の人生ってわからないですね。その後、動物関連では東京大学生物学会(のちの日本動物学会)を設立したり、ダーウィンの進化論を紹介するなどし、歴史分野では、全国から陶器・磁器などの日本の民俗資料をアメリカに持ち帰って紹介しています。 さて、この縄文土器ですけど、どうも長崎県の福井洞穴遺跡から出土したものが、鑑定の結果1万2700年前の物らしい。これは、世界の中でも最古の部類らしく、同時代のものは日本各地や中国の黒竜江省などから発見されていることから、土器というものは東アジアで始まったのではないか?とも考えられています。 このうち、日本の縄文土器は長い時代の中で多種多様に形や模様が変化。こうした形や模様の変化を見ながら、当時の流行を追いかけることが出来ます。というわけで、その一覧を紹介。写真は全て国立歴史博物館にて(撮影可となっているのを)撮影しました。
*注:さらに最近の研究では、青森県蟹田町の大平山元 I 遺跡(おおだいやまもと いちいせき)から見つかった土器片が前1万6500年のものではないかとの研究結果が出ています(最初の縄文時代分類はこれに基づくもの)。また、この土器に合わせて弓矢で使用する鏃(やじり)も発掘されており、これらは世界史的にも注目されています。
貯蔵はもちろんのことですけど、この土器を皿にして、物を煮るという習慣が始まったんですね。 これで料理のレパートリーが増えますし、火を通しますので衛生面でもGOOD! その料理ですが、なんとハンバーグなんかも作っていたようですね。 もちろん、肉をこねて、このなかに栗や松の実などをいれ、塩で味付けると言う、今でもなんだか美味しそうなレシピ。山形県の押出遺跡でその痕跡を確認しているそうです。このほか、この遺跡ではドングリを原材料としたクッキーの跡も確認しているとか。 それから、縄文時代の人々と海の関係ですけど、ハマグリ、シジミやアサリなどの貝を食したのはもちろん、サケ、マス、カツオやクロダイなどの数多くの魚を釣って食べ、なかには外洋に出てマグロや鯨も獲ったいた人々もいるようです!これは、かなりの航海技術と人々の協力が無いと難しい。恐るべし! 恐るべしと言えば、縄文時代の人々はツキノワグマやヒグマまで狩猟していました。 これは弥生時代以降は、一部地域を除いて見られなくなった現象で・・・。 また発掘調査の結果、縄文時代の人々は「お酒」も飲んでいたと推測されています。 さすがに生ビールではありませんが(笑)、主に果実酒を飲んでいたようです。
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