12回 スターリンの大粛清と第2次世界大戦

●粛清劇
 ロシア共産党の人々も馬鹿ではありません。当然、何とかしてスターリンを押さえ込もうとします。しかし、32年後半、33年1月に逮捕処刑が相次いだのが前哨戦で、さらに34年12月、党指導部のキーロフ(スターリン派)が何者かに暗殺されたのを口実に、反対派に対する大粛清を開始。まず、キーロフ暗殺の日のうちにスターリンは、刑法を改正。政治的暗殺事件を、10日間以内に、弁護人なしの秘密軍事法廷による裁判に付し、時を移さずに処刑させるものとします。

 そして暗殺の疑いというわけで、カーメネフジノヴィエフといった、ボリシェヴィキ時代からの古参幹部を中心に1108名の逮捕とシベリア送り、うち848名の銃殺が行われます。また、36年〜38年には日本のスパイ、ドイツの手先などの口実とで、ブハーリンを始め、数多くの人々が処刑。司法手続きを経た者だけでも137万2393名が逮捕。68万1692名が銃殺。共産党、軍、企業など問わず、最終的には、犠牲者は数百万人に者にもなるとも言われています。

 果たして、このレーニン時代からスターリン時代に到るまで、餓死した人も含め、何千万人が命を落としたことでしょう。

 ちなみに、この粛清劇の一方で古参の党員が消えていったため、若手が台頭することが出来ました。フルシチョフブレジネフといった次世代のリーダー達もこの頃に登場しています。

●ソ連=モロトフ外交
 こうして、反対派を粛清する一方で、スターリンは憲法を改定し、平等・秘密投票を定めた普通選挙を行うことにします。名目上は、階級闘争が無くなったからですが、つまりスターリンは、普通選挙を行うことで海外に対し「ソ連は普通の国である。安心してください」とアピールしたかったわけ。事実、粛清劇は知らされていませんでしたから、これは世界各国にあったスターリン脅威論の緩和に役立ちました。ま、スターリンはこれを自分で定めておきながら、改正憲法を無視していますが。

 さて、元々外交はあまり重視されてこなかったソ連。
 なぜならば第1次世界大戦にロシアが巻き込まれたのは、外交のせいであり、また近いうちにヨーロッパは共産主義化し、ソヴィエトに統一されると考えていたからです。言い忘れましたが、こうした考えを世界革命論と言って、トロツキーの考え方。一方、これに反対し、主流になったのがスターリンの一国革命論。つまりソ連単独でゴーというわけです。

 で、日本が中国東北部の満州地方、ドイツではアドルフ・ヒトラーが台頭してくると、そんな外交無視なんて悠長なことも言っていられない。そこで、まずは先ほどのイメージアップ作戦を実施。そして、日本を牽制するためにアメリカのルーズヴェルト政権と国交回復。そしてフランスとも関係を改善し、国際連盟加盟を果たします。トロツキーは海外の亡命先から革命への裏切りだと激しく非難。

 もっとも・・・ソ連はスペイン内戦(1936〜39年)に介入し、左派勢力を指導、完全に共産色にして、反対勢力を一掃するという行為を行い、ボロを出します。

 一方、アメリカと国交回復しただけでなく、日本が中国でノモンハン事件(日中戦争の引き金となった事件)を起こし、ソ連との国境も伺い始めていたことから、ドイツにも接近を始めます。日本とドイツに東西から攻められてはかなわないと考えたからです。その結果、協定でドイツはポーランドのワルシャワを占領し、ソ連は西ウクライナ、白ロシア(現ベラルーシ)を占領しました。

●カチンの森事件
 ホントにスターリンは血なまぐさいですね、と言いたくなる事件です。
 この占領の中で、ソ連には2万5000人のポーランド軍人が抑留されていたのですが、スターリンとモロトフの命令で銃殺されます。さらに、内務人民委員ベリヤの要請で、収容所にいたポーランド将校・官僚など1万4700名、その他反革命などで逮捕されていた1万1000人を銃殺します。

 それからこの事件とは関係ないですが、敵は内にあるとの信念を持つスターリンは、1937年8月21日、ソ連領の極東に住む朝鮮人を、日本のスパイになるのを防止するとして中央アジアに強制移住させ、今もカザフスタンなどにいます。

●独ソ戦と第2次世界大戦
 ソ連はしかし、この次にフィンランドに攻め込み、親ソ政権樹立を目指すのですが、当時わずか400万人の小国相手に失敗。スウェーデンの仲介で停戦しますが、これが大きくソ連の威信を失墜させます。さらに、権益を巡りヒトラーとの対立も深まり、遅かれ早かれ独ソ戦があるだろうと、考えられるようになりました。

 一方、日本との関係は、1940年からモロトフ・東郷茂徳会談で日ソ不可侵条約交渉を開始。1941年に、松岡洋右とスターリンの間で調印にこぎ着け、好転します。

 そして同年、ドイツがいよいよ550万人の兵力で、モスクワ、レニングラード、ウクライナ方面へ侵攻を開始。いわゆる独ソ戦です。準備の出来ていなかったソ連軍は、ドイツのバルバロッサ作戦で、大敗を喫しました。なんと、2割の飛行機がドイツの爆撃で撃破され、そのうちの大半が飛び立つ前に破壊されています。

 いったい何故このような事態になったのでしょう?
 日本に送り込んだソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲやドイツ大使シューレンベルクから、スターリンは警告を受けていました。また、この時スターリンの息子まで捕虜になっています。*ゾルゲに関しては、近年、あまり大きな役割(報告)を果たしていなかったという説も有力になってきています。

 しかし、彼は独ソ戦が起こることは考えていたものの、この時期にはないと考えます。「きっと、これはドイツとソ連を戦わせて両方とも勢力を弱めようと考えた英米の罠だ」と断定したのです。ゾルゲについては、ドイツの2重スパイではないかと疑っていました。一説には、スターリンが唯一信用した人物がヒトラーだったとも言われていますが、さすがにこれはどうか。

 ともあれ、いくら恐怖政治のスターリンでも、これは大きな失策です。ドイツ軍はどんどん攻めてきます。さすがのスターリン、これはクーデターが起こるかもしれないと思い、開戦から13日間、別荘に引きこもり脱力状態だったと言われています。そこにモロトフが訪問してきます。後に、このモロトフの訪問時のスターリンを、共産党幹部のミコヤンは、スターリンはあの時、「逮捕されるのか!」という表情だったと回想しています。

 でまあ、スターリンはいつまでも脱力しているわけにはいかないので、7月に現場復帰します。しかし、粛清で多くの有能な人材が失われたこともあり、ドイツ軍に惨敗を重ね、レニングラード(現サンクトペテルブルク)は包囲されるわ、10月にはモスクワも陥落寸前になり、首都機能をクイビシエフ(現サマラ)に移転します。この時スターリンは地下鉄の中で、過去のロシア軍人を賞賛し始め、ついにナショナリズムの高揚を行います。そして、大祖国戦争と名付けます。

 結局、イギリス・アメリカと大連合を結成。アメリカに軍事支援を受け、また多くの犠牲を払いながら、自分の名前を冠したスターリングラード(現ボルゴグラード)攻略戦に勝利し、ドイツ軍を後退させ、ソ連軍はベルリンに進撃。これを占領し、ドイツは戦争に負け、ヒトラーは自殺します。


 この間、英米陣営(連合国)についたスターリンは、テヘラン(1943)、ヤルタ(1945)、ポツダム(1945)での連合国の首脳会談に出席して、東ヨーロッパにおけるソ連の勢力圏をみとめさせ、アメリカの要請で対日参戦。日本降伏後も進撃を続け、今も千島列島を占領しているのは、ご存じのことかと思います。また、満州にいた日本人50万人を労働力としてくシベリアに移送させました。

 また、この時にアメリカのトルーマン大統領は開発したばかりの原爆を日本に投下。ソ連に日本を攻め込ませておきながら、ソ連に日本に占領させるわけにはいかないと考えたのです。もちろん、この原爆で日本政府は完全に沈黙しました。一方、スターリンも核兵器の開発に乗り出します。このように、アメリカとソ連は手を組んだものの仲が悪い。

 100歳でまだご存命中の、アメリカのケナン氏は、これより前に外交官としてソ連をつとめ、ソ連は信用できないと確信。47年、国務省の初代政策企画委員会の部長につき、封じ込め政策をとなえて対ソ政策で大きな影響を与えました。ちなみにこの人、まだ頭の方も未だ元気で、今のブッシュ政権の政策についても色々評論を書いています。

●戦後
 まあ、すったもんだですが、結局戦後、ソ連は国際連合(正しくは連合)が出来ると加盟し、常任理事国に。また、ソ連軍が解放した国々の大部分に共産主義支配を拡大していきます。唯一、ユーゴスラヴィアだけがティトーによって、独自に革命を起こし、ソ連の言うことを聞かなかったのが苦々しかったようです。もちろん、ソ連陣営=コミンフォルムから追放します。

 ちなみに、蒋介石の国民党と毛沢東の共産党で内戦を続ける中国に関して、実は蒋介石政権を支持します。
 しかし、中国共産党が勝利すると、ここで承認せざるを得なくなります。

 次いで勃発した朝鮮戦争では、新ソ連政権を樹立すべく、アメリカと戦い、子飼いの金日成(キムイルソン)を送り込み北側の指導者にする下地を作ります。そして朝鮮半島の南北分断を認め、妥協しようとしたところ、なんと中国人民解放軍が参戦し、事態が悪化。主導権を中国に持って行かれたことになり、スターリンのアジア政策は失敗に終わったと言えます。

 1953年。
 痴呆が入ってきて、疑い深さもさらに爆発だったスターリンは、新たな粛清を行おうとした矢先に、ついに死去しました。

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