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モスクワ・クレムリンの聖ワシーリー大聖堂
1555〜60年、雷帝イワン4世によって、カザン征服記念としてたてられたもの。また、クレムリン地区はソ連から現在のロシアに至るまで、ずっと政治の中心である。クレムリンとは「城」と言う意味。
写真:MONIQUE'S FREE
MATERIAL |
ソ連最後の指導者にして、最年少でトップに立ったのが、この
ゴルバチョフ。1985年に彼は54歳で書記長になります。モスクワ大学卒という、大卒という経歴も書記長では最初で最後です。
ゴルバチョフが書記長になる前から、ソ連は完全に崩壊の道を歩み始めていました。というのも、至る所にソ連型システムの弊害が噴出していましたし、先のレーガン政権の軍拡政策にも対策を取らなくてはなりません。
つまりソ連としては、このまま軍拡競争に参加するか、もしくはそちらは諦め、社会改革を行うか、この2つに1つが突きつけられていたのです。しかし、もうこれ以上軍拡をするだけの力はありません。といって、ブレジネフ政権は社会改革を行うこともなく終わり、そしてゴルバチョフに課題が回ってきたのです。
鉄の女・イギリス首相
サッチャーをして
「ゴルバチョフは気に入った。彼となら交渉できる。」
と言わせたこの男が、皮肉にもソ連に終焉をもたらすことになります。
ゴルバチョフは書記長就任演説で「
グラスノスチ(情報公開)」によってソ連を改革し、経済を立て直し、科学技術発展を行うことを宣言します。また、学校教育にコンピュータ教育を導入し、さらに農業改革のための組織改革も実施。また、レーガン政権とは、ジュネーブで首脳会談を実施します。上手くまとまったわけではありませんが、個々の問題に対して対話を続けていくことに成功します。
また、なんとゴルバチョフはブレジネフ時代をバッサリと「停滞の時代であった」と批判。つまり「今から改革をするぞ!」と意気込みをみせ、政治改革がスタートしたのです。とは言え、最初はなかなか抵抗もあれば、「停滞の時代」による官僚機構の弊害が深刻で、上手くいかない。そのような中で
チェルノブイリ原発事故という大惨事が起こります。
チェルノブイリについてちょっと見ていきましょう。
まず、場所はウクライナの首都キエフの北方およそ130kmのベラルーシとの国境に近い町で、発電所自体はさらに20kmの距離にあります。そして1986年4月25日、4基の原子炉のうち4号炉が定期検査のため運転を停止します。これに合わせて実験も行うことになっていました。
しかし、実験は電力需要の少ない夜間にやってくれ、それまでは出力50%で良いから発電してくれ、と要請されていたため深夜11時からスタート。当然、眠い、待つのも疲れる、さらに人手不足。しかも、「実験するにあたって、事故と勘違いされて安全装置が働いたら困る」と、わざわざ緊急炉心冷却装置システムを切断してしまいます。
そんな非常に危険な状態で実験をスタート・・・したところ操作ミスで出力低下。難しいことはここでは書きませんが、当然出力UPを図ったり、今度は冷却装置が作動しないものですから、日が変わって26日深夜、急激な加熱にビックリして緊急停止を図ったり・・・としているうちに、なんと中性子を吸収する制御棒が上手く奥まで入らず、一方で制御棒先端部に入れてある黒鉛が核分裂を促進し、原子炉が暴走開始。
そのような中、加熱した水蒸気から発生した水素。
そして爆発がドーン!!と起こってしまったのです。
これによって原子炉の防護壁が爆風で吹き飛んでしまい、5000万キュリーと言われる放射性物質が大気中に飛散し、ウクライナ、ベラルーシはもちろん、一部はイギリス、トルコにまで達したそうです。しかも付近の住民には、特に危険は知らされず事故が起こったあとも、彼らは「なんだ、またいつの事故か」程度の認識で釣りをしたり、メーデーの準備をしたり、子供は学校に行ったりしていました。
27日の午後になってようやく避難命令が出ましたが、避難した場所は遠くない場所だった、と言う始末。しかも、汚染された農作物は、何を血迷ったか全国に出荷されてしまいます。
「汚染農作物を捨てるのは勿体ない。みんなで少しずつ食べれば怖くない。危険な農作物の処分も出来て一石二鳥」
という意味合いの政府関係者のメモも発見されたとかで、もう開いた口がふさがりません(1986年6月4日付の「ジャーナリストに対して記者会見をする人向けの」議事録32号添付資料)。
このため、多数の人達が被爆。死者はソビエトの当初発表では31人でしたが、もちろんその程度で済むはずはなく、さらに未だに後遺症に悩む人達も多くいます。特に、子供の甲状腺癌(がん)は深刻な問題で、現在はかなり改善されては来ましたが、最初の頃は手術の技術も低い状況でした。
ちなみに、
菅谷昭(すげのや あきら)さんという医師は25年間務めていた信州大学をやめてベラルーシに渡り、手術法や治療に多大なる功績を残しています。とにかく手術の跡が残らないと評判で、さらに患者とのコミュニケーションも大事にしたことが好評だったようです。こんな感じで、世のため、人のために仕事が出来たらいいですね。もちろん、そのためには自分自身を磨かないといけませんが・・・。
なお、著作を左に紹介しておきましたので、宜しければクリック。ちなみに、購入可能です。
さあ、次のページでいよいよソ連の崩壊を見ていきます。爆笑エピソードと共に消えたソ連。どうぞ!