第8回 アッシリアと新バビロニア・リディア

○今回の年表

前745年 アッシリアが全オリエントを統一し、アッシリア帝国として強大になる。
前722年 アッシリア帝国がイスラエル王国を滅ぼす。
前715年 メソポタミア(イラン高原)でメディア王国が成立。
前663年 アッシリア帝国のアッシュールパニパル王が、エジプトの首都テーベを占領。
前625年 メソポタミアで新バビロニア王国が成立。
前609年 アッシリア帝国が完全に滅亡。
前598年 新バビロニア王国が、ユダ王国を滅ぼし住民を強制移住&奴隷化(バビロン捕囚)。
前550年 アケメネス朝ペルシアによって、メディア王国が滅亡。前539年には新バビロニアが滅亡。
前525年 アケメネス朝ペルシアのカンビュセス、エジプトを征服。全オリエントの統一。
●アッシリアの栄光は続かず

 さて、前2500年頃から一定の勢力があった、イラク北部のアッシリアですが、それ以上には拡大されず、一時はバビロニアに服従、その後はミタンニ王国に服属するなど、イマイチぱっとしませんでした。

 その後、アッシュールウバリト1世(位、前1365〜前1330)が、ミタンニの支配を脱し、次のアダドニラリ1世(位 前1307〜前1275年)などによって、強大な国家になりますが、それでも一時的な場合が多く長くは続かない。なぜなら、王の個人的な能力に頼りきりで、征服地を力で支配。これでは、長続きするはずがありません。


 大英博物館に展示されている、新アッシリア王国のアッシュールナツィルパル2世(在位 紀元前883〜紀元前859年)がニムルドに造ったノースウェスト宮殿の遺構。これは、王の私室に続く門を守ったレリーフではないかと考えられています。頭は人間、翼を持った雄牛なのが特徴です。
 ところが、アッシュールナシルパル2世(位 前884〜前858年)は、騎兵隊を組織し軍事力を強化。都も古来からのアッシュールから、新しく築いたカルフ(現・ニルムド)に遷都(その後、アッシュールは宗教的な中心地に)。戦争では見せしめに住民を虐殺する一方で、重要な拠点にはきちんと要塞を築き、守備隊を置くなど、支配権を強化します。

 次のシャネマネセル3世・5世や、サルゴン2世(位 前722〜前705年)などの下でアッシリアは、オリエントの大半を統一。サルゴン2世政治の中央集権化や、国内を州に分けて総督を派遣、駅伝制で交通の便を図るなど、国家体制を整えます。


 大英博物館に展示されている、シャルマネセル3世の黒オベリスク。イスラエル王イエフがシャルマネセル3世に平伏し、貢物を献上する様子とそのリストが刻まれているそうです。
 さらに、アッシュールバニパル(位 前669〜前626年)はエジプトを征服し、服属させます(しかし、20年後には独立される)。また、都をニネヴェに移し、大きな図書館を作りました。この図書館は1850年に発見され、収蔵されていた大量の粘土製の文書が、この時代の研究に大きく役立ちます。



 大英博物館の展示から。古代のアッシリアでは、ライオン狩りが王のスポーツであると考えられていました。この展示は、アッシリア最後の偉大な征服者であるアッシュールバニパル(在位 紀元前668年〜紀元前627年頃)の狩りの様子を、宮殿に刻んだものです。
 矢が当たったライオンや、戦車(チャリオット)に喰らいつくライオンと抵抗する兵士などが描かれています。
 このように強勢を誇ったアッシリアでしたが、やはり相変わらずの圧政で、反乱が発生します。前612年に遊牧民カルデア人が、バニロニアの地に新バビロニアを建国されたのが痛恨の一撃となり、新バビロニアとイラン高原で勃興したメディア人のメディア王国との連合軍の前に、滅びました。残存勢力はエジプトと提携しますが、前609年には完全に歴史上から姿を消します。

 こうして、新バビロニア王国、メディア王国、エジプト(新王国)、さらに小アジアのリディア王国というのが、この時代の4強となりました。この中で、新バビロニアはアッシリアの領土の大半を掌握したため大きく栄えます。

●新バビロニア&リディア
 前述のように、新バビロニアのネブカドネザル2世(位604〜562年)は、ユダ王国を滅ぼし、メソポタミア、シリア、パレスティナを支配します。また、有名なバベルの塔イシュタル門などの建築をしたことでも有名ですね。有名なだけでなく、バビロニアの星占術や天文学、数学などは後世に大きな影響を与え、今でも部分的に影響は残っているそうです。

 で、バベル(バビロンのヘブライ語)の塔。旧約聖書によれば、大洪水ののち、ノアの子孫によってバビロニアのシンアルの平野にたてられた。ノアの子孫は天までとどく塔をたてるつもりだったが、神の怒りにふれて建築を中断。神は彼らを世界各地においやり、それぞれことなる言葉を話す民族とした(「創世記」11章1〜9節 マイクロソフト エンサイクロペディア2001より抜粋)。

 と言った伝承に現れる物です。実際には無かった・・・のではなく、これは本当にあった物で、正しくはジッグラトといいます。神殿塔と言った意味です。古代メソポタミアの日干し煉瓦を使った宗教建築で、1つではありません。古代からいくつも造られています。その中で、ネブカドネザル2世が建築した物が、バベルの塔と言われています。きっと特に立派だったのでしょう。

 一方、イシュタルというのはゲームやファンタジー小説でちらほら見かける名前ですが、アッカドの中心的な女神。ローマで言うヴィーナスです。このイシュタルは、アッカド滅亡後も各民族で崇拝されますが、アッシリアはこれを狩猟と戦争の神としてとらえ、シュメールは愛の女神(ただし、自分の恋人に破滅をもたらす)神イアンナとしてとらえるなど、他にも豊穣の神だとか解釈は様々。ともあれ、アッシリアで言うイシュタルをイメージしたのが、イシュタル門。現在、ベルリンの国立美術館に復元された物があります

 また、リディア(リュディア)王国は世界で初めて鋳造した貨幣を造り、物流に大きな変化をもたらしました。早速ギリシャなどに普及します。国家がきちんと鋳造した貨幣によって、貨幣を使った経済に信頼が置かれるようになったのです。ちなみに当時のリディアは、小アジアのギリシア人植民地などもあり、貿易の中心地的存在でした。

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