裏辺研究所 週刊?裏辺研究所 > 小説:バイオハザードin Japan棒

第20話:無駄足はお好き?

 手塚をさらに驚かせたのは、壊死の起こったその箇所である。それは、特に大脳新皮質の前頭部に集中し、しかもまるで虫に食われたかのように、所々がえぐれたような状態になっていたのだ。そのえぐれた箇所にも規則性があるようなないような…。

 新皮質といえば、『うまく』とか、『よく』とか、適応行動や創造行為など、いわば『人間としての叡智』を司る部分だ。それを失った人間は…、どうなるのだろう。
予想される結果は、…死。それが一番妥当だろう。しかし、正解は目の前にある。ゾンビ化…。それが正解だ。全身的な症状は、脳組織の損傷による自律神経系の暴走で説明できなくもない(あくまでも、かなり強引に、だが)。

 たった1体だけのサンプル、しかもほとんど素人に毛の生えた程度の知識しかない上での判断だが、一つだけ、はっきりしたことがある。それは、このゾンビたちに人間としての意識はなく、意識を取り戻す可能性もゼロに等しい、ということだ。

 それが分かれば、今まで自分が冒してきた暴虐の限りも、殺人ではないと自分の中では納得できる。厳密に法に照らし合わせればそうではないかもしれないが、この際、自分が納得できればいいのだ。これで引き金もほんの少しばかり軽くなるだろう。

 残る気掛かりは自分の母親を含めた女性に現れた症状のこと。外見上、意識の喪失以外の症状はなく、何らかの治療法があると信じたいものだが…。
ともあれ、この死体から得られる情報はこれ以上ないだろう。そうなれば、もうこの部屋にいる必要はない。手塚たちは、もう一度部屋の全体を見回し、片手で最略式の仏礼を死体に投げかけ、解剖室を後にした。

 さて、3階では桜庭たちによる情報収集と電子ロックの解除が行われているはずだ。解剖で少し時間も取ってしまったし、もう大体の作業は終わっているかもしれない。そろそろ、そっちのほうへ向かってもいいのだが…。そう思って、階段を昇りかけたとき、ふとポケットに手を入れると、指先に金属片が触った。…カギだ。そういえば、薬剤部のカギを手に入れたんだったっけ…。ここまで来て見逃す理由は無いな…。
「藤田、予定変更だ。まだ行っていない部屋があった。薬を見に行こう。」
 すでに階段を数歩昇っていた藤田を呼び戻し、手塚たちは薬剤部に向かった。

 薬剤部の扉を開けると、機械室の機械油の臭いとは、また違った臭気が立ち込めた。俗に言う『病院の匂い』だ。その原因のほとんどは、一昔前、消毒剤の主流であったヨードホルムの匂いである。しかしながら、現在この薬品を使う医師は少ない。このことからも、この病院も、医師たちの頭も、あまり新しくないことが分かる。
「とりあえず、止血剤とか鎮痛剤の類を探してくれ。あと、濃硫酸とか可燃性の薬品もあったらキープしておこう。」
「そんなこと言われても、どれが何の薬だか、判断つきませんよ。僕は専門家じゃないんだから…。」
「大抵は、ラベルとか箱とかに用途も書いてある。それらしいのを片っ端から集めてくれればそれでいい。俺だって、全部の薬の判断がつくわけじゃないんだから、気休め程度だよ。できれば使わないほうがいい。」

 そうして、10分ばかり部屋を荒らしまわった結果、かなりの薬品を確保できた。さすがは古いながらも総合病院である。
 その中でも大きいのが、地下の倉庫でも見つけた「救急スプレー」だろう。これの3個セットが、2セットもあったのはかなりの収穫だ。素人が、勝手な判断でわけのわからない薬を使うより、既製品を使う方がよほど安全、かつ効果的だ。さらに、何に使うのか分からないが、濃硫酸のビンが2本に、消毒用エタノールのビンが3本。そして、藤田には秘密でヒロポン(覚醒剤)が入った注射器をポケットに忍ばせた。

 それらの戦利品を持てるだけ持って、仲間がいる3階、電算室へ急ぐ。階段の昇り降りが辛くなってきたのは、年齢のせいではないだろう。手塚の疲労もかなりたまってきているのだ。
「感動の再会、ってヤツかな?藤田君も含めて。」
それでも手塚は、電算室の扉を開けると同時に軽口を叩いた。自らを含めた、全ての存在に虚勢を張るために。
「で、調子はどう?何か収穫はあった?」
桜庭が座る椅子に手を掛け、パソコンにディスプレイを覗き込みながら、聞いてみた。
「あったも何も…、何から言っていいか…。」
何かを操作して、画面を切り替える。
「とりあえず、これが、『オーロラウィルス』の形状。オルソミクソウィルス科っていうヤツの1種らしいけど…。」

 画面にはいびつな形をしたウィルスの電子顕微鏡象が表示されていた。
 オルソミクソウィルス科ということは、インフルエンザウィルス属、若しくはそれに近い属のものと考えられる。
「ってことは、感染経路は飛沫感染?」
一般にインフルエンザウィルスは飛沫感染である。オルソミクソウィルス科の中には、ダニを媒介とするものもあるが、それらのヒトに対する病原性は証明されていない。また、この感染者数から考えて、ダニ媒介性ウィルスでは説明がつきにくい。
「それについては、こっちに記述があるみたいなんですけど…。」
岩成が先ほど渡した『アンブレラからの手紙』を見ながら言った。
僕も、英語がそこまで得意ってわけじゃないし、辞書もないから、断片的にしか分からないんですけど、ウィルスが流出したのは、7月30日みたいです。って言っても、やっぱり意図的に散布されたみたいで…。何か…、その日って人が集まるような行事があります?それに乗じて、散布しろだの何だの、エアロゾルがどうのこうの、っていうようなことが、書いてあるみたいなんですけど…。よく分からなくて…。すいません…。」

 7月30日…。『白神祭』か…。
 そういえば牛田の日記にも、白神祭について、書いてあったな…。「山車からスモークだかミストだかを撒き散らした」とか、なんとか…。
 …ん?
 スモーク…、ミスト…、エアロゾル…、散布する…、撒き散らす…。
 二つの情報が、一つの事実につながる。

 だが、あえてそれは自分の胸の中だけにしまっておく。口に出すと、また要らぬ議論を招きそうだ。
「…それで、実際の症状とか、そんなのは、どこにも書いてなかった?多分、部位選択的な脳炎とか消化器系亢進とか、そんなことが書いてあると思うんだけど…。」
「…、確か、そんなのがこっち側にあったな。」
桜庭が、また違う画面を呼び出した。
「あったあった、これだ、これ。」

 桜庭が呼び出したファイルには、そのウィルスの詳細な特徴、即ち、潜伏期間、宿主となりうる生物の種類、感染様式、増殖機構、発病時の症状、その他諸々、一連の性状が記録されていた。
「はぁ…、こんなに詳しく書いてあるんなら、わざわざ気持ち悪い思いまでして解剖なんてする必要なかったな。なぁ、藤田君?」
「ええ、全くの無駄足でしたね。」
 …意外とはっきり言ってくれるじゃないか。
 ちょっと不機嫌になりながら、そのファイルを見直す。

 潜伏期間は約300時間。即ち12日間と少し。これには、温度やpHなどの外的要因による影響はほとんどないらしい。
 第一期症状は眠気。といっても不自然なほど強いものではなく、疲れによるものと自覚されることが多いそうだ。これにより睡眠すると同時に、第二期症状に移行する。

 第二期症状は昏睡。つまり、睡眠状態の長期持続。素人目にはもちろん、医療関係者でも少し見ただけでは普通の睡眠と区別がつかないらしい。
 この昏睡は、約40時間続くが、これには、性ホルモン分泌量など、宿主の状態による個体差があるらしい。子供や老人、そして女性が、第三期症状に移行しないのもこれが原因だ。約40時間というのも、数少ない理想的な条件下においての実験結果から得られた結果から算出された数値である。

 そして第三期症状。大部分は解剖の結果から手塚が考察した内容に間違いはない。
 色々あってややこしいが、総じて言えば、『ゾンビ化』だ。この状態は肉体にとって、いわば『暴走』であり、長時間の『暴走』が引き起こすものは、今度こそ完全な『死』である。
「…つまり、男性ホルモンによって活性化されるように仕組まれたウィルスってわけか…。イヤラシイねぇ…。」
そこまでの内容から自分なりに判断してみる。しかし、ツッコミはすぐに入った。
「それがそうでもないんだな。その隣りのファイル…、『女性における症状』ってファイルがあるだろ。それ、開いてみ。」
『女性における症状』…?嫌な予感がするな…。


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