2.大連〜旧ロシア人街〜

 さて、それでは本格的に大連の観光を始めます。まずは、大連駅の北東にある旧ロシア人街から。・・・と、その前に、大連の歴史について少し語らせてください。

 大連(ターリエン)は19世紀前半まで、青泥窪(チンニーワー)と呼ばれる小さな漁村でした。そんな青泥窪が突如として発展するようになったのは、1898年に帝政ロシアが、中国を支配していた清朝に対して、大連と旅順を租借する条約を結んだことに始まります。翌年、ロシアは青泥窪を「ダーリニー」(ロシア語で遠いの意味)と命名し、今回紹介するロシア人街を形成したのです。

 ロシアとしては太平洋艦隊を配属させる港として、冬季に凍って使えなくなってしまう危険性があるウラジオストクに代わる、一年中使える場所を欲していたわけで、まさに大連は魅力的な場所だったんですね。というわけで、まずは近代大連の歴史、その1ページ目を散策していきましょう。
 *地図:外務省ホームページより

旧、日本橋(現、勝利橋)
 1908年築。鉄道の線路をまたぐ橋で、現在の橋は大連を占領した日本(関東都督府)が建設したもの。ロシア時代には木造で、日露戦争のときにロシア軍が破壊。さらに木造の仮設橋として復旧していたものを、鉄筋コンクリート製に変わりました。

旧、東清鉄道汽船会社社屋(現、大連芸術展覧館)
 1902年築(ただし、現在の建物は1996年にレプリカに建替え)。東清鉄道汽船とは、帝政ロシアが満洲里〜綏芬河間に敷設した東清鉄道の子会社で、ダーリニーから北京などに定期航路を有していました。なお、この建物は北九州市門司港の門司港レトロ地区にもレプリカとして建てられています。
ロシア人街
 2000年に古い建物なども活用して復元整備された町並みで、まるでテーマパークのような雰囲気です。というか、実際にテーマパークみたいな施設もありますが。
ロシア人街
 古いのかレプリカなのか、まったくの新規建造物なのか、よく解らない建物が並んでいます。
ロシア人街
ロシア人街
ロシア人街
 メインストリートから奥に入ると、これは間違いなく昔からの住宅も数多く残っています。本来は、こっちをメインに散策すべきだったか。
旧ダーリニー市役所/旧満鉄本社/旧大連自然博物館
 ロシア人街の最も奥に現在も残っている帝政ロシアが造ったダーリニー市役所。その後、南満州鉄道(満鉄)の最初の本社となり、さらに大連ヤマトホテル、満蒙資源館に転用。
 戦後は大連自然博物館となりましたが、1998年に博物館は移転。現在、この建物は使われていないようで、やや廃墟と化しつつあります。
ロシア人街
 旧大連自然博物館からみた風景。
勝利橋より
 線路を眺めると、機関車が停車中。
勝利橋より
 
勝利橋付近にて