
さて、それでは本格的に大連の観光を始めます。まずは、大連駅の北東にある旧ロシア人街から。・・・と、その前に、大連の歴史について少し語らせてください。
大連(ターリエン)は19世紀前半まで、青泥窪(チンニーワー)と呼ばれる小さな漁村でした。そんな青泥窪が突如として発展するようになったのは、1898年に帝政ロシアが、中国を支配していた清朝に対して、大連と旅順を租借する条約を結んだことに始まります。翌年、ロシアは青泥窪を「ダーリニー」(ロシア語で遠いの意味)と命名し、今回紹介するロシア人街を形成したのです。
ロシアとしては太平洋艦隊を配属させる港として、冬季に凍って使えなくなってしまう危険性があるウラジオストクに代わる、一年中使える場所を欲していたわけで、まさに大連は魅力的な場所だったんですね。というわけで、まずは近代大連の歴史、その1ページ目を散策していきましょう。
*地図:外務省ホームページより