(14)ナポリの王宮・ガッレリアなど


 2日間に渡ってローマを堪能してきましたが、この日はローマを飛び出し、ナポリ、エルコラーノ、ポンペイを強行軍で掛け持ちします。まずは、ローマ・テルミニ駅に次いで様々な列車が発着するローマ・ティブルティーナ駅へ向かいます。ちょうど、夜行列車が入線してきたところでした。

 一番端のホームに、何やら変わっている食パンのような形の普通列車が入線してきたので、撮影。トレニタニアが運用する中距離中央扉客車(MDVC)という車両です。制御車(運転台付きの客車)の形状は2タイプあるようですが、こちらは随分と中央が凹んでいるため、余計に不思議なデザインを印象付けています。

 新大阪駅のような形状のローマ・ティブルティーナ駅。駅舎は2007年10月より建築家パオロ・デジデーリのデザインに基づいて建設が開始された新しい駅舎ですが、地上からトレニタリアの列車を乗る場合でも、地下鉄からトレニタニアの列車に乗り継ぐ場合でも、全て地下通路経由で済んでしまうため、何の必要性があるのか、イマイチ解りませんでした。

 さて、ナポリに行くために我々が乗車する高速列車が入線してきました。ワインレッドの塗装が特徴なこの車両は「イタロ」。NTV社(Nuovo Trasporto Viaggiatori =新旅客輸送の意)が全世界に先駆けて導入した、フランスのアルストム社製の次世代高速鉄道車両「AGV(アジェヴェ)=Automotrice a Grande Vitesse=高速自走車両の意)」です。

 イタリアでの形式名はAGV575で、これまでトレニタニアが独占運転していた高速線上へ、2012年4月28日よりNTV社は純粋な民間鉄道会社として参入を開始しました。

 反対方向からもイタロが入線して来ました。イタロはその色彩や、NTV社がフィアットの会長ルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロ(後に子会社のフェラーリ社長)らが中心になって設立されたことから、フェラーリ特急との俗称もあります。

 先頭車を側面から。う〜む、格好いい・・・!

 車内の様子。ヨーロッパではお馴染みの集団見合い式。日本のように全ての座席が進行方向を向いているのではなく、車両の中心から半分ずつ、座席が全て前、後ろに並んでいます。進行方向によって座席を転換する手間が省けますが、それは運営者側の話。この点、日本の方が贅沢な構造になっていますね。

 現在のところ、最高速度は時速300km/h。かなりの区間をこの速度で運転するので、高速運転を心行くまで堪能。

 日本の場合、東海道新幹線にしろ、東北新幹線にしろ、かなりの区間を都市や住宅密集地を駆け抜けて行きますが、こちらは殆どの区間がこのような風景。そりゃ、高速運転もし易いですね。そもそも、ローマの次の停車駅が、ナポリでございます。

 7時57分にローマ・ティブルティーナ駅を出たイタロは、9時5分にナポリ中央駅に到着しました。

 そうそう、そもそもナポリがイタリアのどこにあるのかを御紹介しないといけないですね。ナポリはローマの南に位置しており、地中海に面した港湾都市です。12月末でも比較的温暖で、15度ぐらいありました。

 ナポリ中央駅は新しい駅舎で、エキナカ施設も充実。ローマ・テルミニ駅もそうでしたが、駅でガッツリ商売するという発想は、日本の鉄道会社とよく似ています。この点、イギリスやフランスにはあまり見られないことです。

 こちらがナポリ中央駅の駅舎です。
 さて、それでは世界遺産に指定されているナポリの歴史地区を駆け足で見て行きます。

 さて、ナポリに滞在できるのは午前中だけなので、タクシーでさっさと移動します。まず向かったのが、ヌオーヴォ城。フランス王ルイ9世の末弟、アンジュー伯シャルル(シャルル・ダンジュー)が1266年にシチリア王位に就いて、カルロ1世として即位した後、1279年に王宮の北東に建設をはじめ、1284年に完成しました。

 このアンジュー家のライバルが、現在のスペインのアラゴン州にあったアラゴン王国(アラゴン家)でした。アラゴン王国は1282年にシチリア島を占領し、カルロ1世は度々奪還を試みますが失敗します。こうして、半島側のナポリ王国、シチリア島のシチリア王国が両対峙する構図が続きます(もっとも正式には、両者ともシチリア王国の名前を称しましたが)。

 そして月日は流れて1442年、アラゴン王国のアルフォンソ5世はナポリを攻略し、ヌォーヴォ城も占領されました。そしてアルフォンソ5世は、ナポリ王アルフォンソ1世としても即位し、ヌォーヴォ城を更に堅牢な城に改造。入り口部分がやけに白く鮮やかに造られていますが、これはアルフォンソ5世入城を記念して造られた凱旋門です。

 こちらは別角度から。

 ヌォーヴォ城にほぼ隣接しているのが、王宮。1600年に着工し、1602年に完成したものです。
 さて、スペインのアラゴン王国は1479年にカスティーリャ王国と合併して、スペイン王国となります。そして1504年からナポリ王国は、「ナポリ総督管轄区」としてスペインから派遣される総督(副王)が統治するようになります。この王宮は、国王が滞在するもに相応しい建物を!ということで建設されたものです。

 歴代のスペイン王がここを訪れることはなく、1707年にはオーストリアがナポリを占拠。しかし、1734年にスペイン・ブルボン家(スペイン王)フェリペ5世がオーストリアをナポリから追い出すと、彼の次男であるカルロ7世(のちスペイン王カルロス3世)がナポリ王となり、独立国家となりました。

 このカルロ7世は、王宮を使用するようになり、ようやく王のいる宮殿となったのです。


 それでは、内部を歩いてみましょう。


 内部は公開されているはずなのですが、何故かこの日は入ることが出来ませんでした。他の観光客も「?」な顔つきで建物周辺をウロウロ。


 半円アーチが連続して並んでいる姿が印象的です。


 窓越しに撮影した大理石の階段。1837年に大火災が発生した後、ガエターノ・ジュノヴェーゼの設計で新古典様式によって再建されたものです。内部にはカルロ7世が建てさせた壮大なサン・カルノ劇場などがあって、是非見たかったのですが、これ以上は見られず。


 海側に出てみますと、実はかなり高い建物であることに気がつかされます。また、写真の上の辺りに木が見えますが、こちらは屋上庭園。ナポリ湾を眺めながら庭園を散策できるようになっているのです。


 続いて御紹介するのは、ウンベルト1世のガッレリア。写真左側が王宮です。ちなみにウンベルト1世(1844〜1900年)は、イタリア王国の第2代国王で、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の息子です。


 イタリア語でアーケードを意味するガッレリアは各地にありますが、ナポリにあるウンベルト1世のガッレリアは1890年に完成しました。1884年にコレラが大流行したのをきっかけに、スラム街を一掃して建設されました。


 十字に交わる通路の天井には、高さ58mにもなるガラスと鉄による円蓋で覆われています。

 今度は縦アングルで撮影。


 このような彫刻もありました。


 床も凝っています。


 アーケードも立派ですが、建物自体も彫刻等が非常に細かく、実に立派です。ちなみに、香川県高松市の丸亀町商店街も、このようなガッレリア(ガレリア)になっています。http://www.fujitaka-arcade.jp/marugame1.htm


 ガッレリアの出口部分も、これまた見事な。


 旅行の順番としては、この後に王宮を散策しました。写真右が王宮、そして写真手前側にあるのが、これから紹介する聖堂。それは・・・。


 サン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂。まるでローマのパンテオンのようなキリスト教の聖堂で、1817年に着工し、1846年に完成しました。1846年の完成なら新しいですね、と思ってしまうのは、もはや感覚が麻痺しているのか。


 これはナポレオンによって王位を追われていたブルボン家が、ナポレオン失脚後の1816年に復権したことを神に感謝して建設したもの。ちなみにこの時、ナポリ王国とシチリア王国が正式に統合されて、両シチリア王国が誕生しています。

 しかし1860年、北イタリアのサルディーニャ王国によって両シチリア王国は倒され、統一国家としてのイタリアが誕生。以後、ナポリはイタリアの地方都市に衰退してしまいました。

 ところでイタリアは、日本でもしばしば見られるタギングと呼ばれる落書きが概して多いのが特徴ですが、ナポリ周辺は特に酷い。壁があれば落書きをしないといけない、という強迫観念でもあるかのようで、上写真の場合彫像の下の土台や、円柱にガンガン落書きされています。

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