(22)12月31日:サン・ロレンツォ聖堂

 それではジョットの鐘楼から良く見えた、サン・ロレンツォ聖堂(教会)へ向かいます。

 教皇も輩出したフィレンツェの実力者、メディチ家の聖堂というだけあって、豪勢な正面・・・かと思いきや、この荒々しさ。実は、1516年にメディチ家出身の教皇レオ10世がミケランジェロに製作を依頼したものの、ミケランジェロは使用する大理石を巡ってメディチ家と対立。さらに職人達に倹約ぶりが嫌われて作業を拒否され、結局未完成のまま終わったのでした。

 それでは、内部に入っていきます。こちらは中庭ですが、写真奥にはラウレンツィアーナ図書館があります。ここは、メディチ家の蔵書1万冊が収蔵されており、1524年にメディチ家出身の教皇クレメンス7世が、ミケランジェロに設計を依頼して、建てさせました。見学が可能なので、見に行きます。
 ※一方で聖堂は写真撮影禁止、その奥にある君主の礼拝堂は本日は公開していませんでした。

 正面階段は、ミケランジェロが滝をヒントに設計したもの。

 別角度から。

 こちらは図書館の閲覧室。荘厳な雰囲気が漂っています。

 床もメディチ家の歴史を感じさせるデザインです。

 様々な貴重な蔵書や印刷に使った道具が展示されていました。

 かつての活版印刷機のようです。

 こちらは16世紀のペルシャの本のようです。

 直ぐ近くには、1460年から約100年間、メディチ家の住居として使われたメディチ・リッカルディ宮がありますが、あまりにも質素で、街に溶け込んでいるため、写真を撮影しているときには全く気がつきませんでした。

 それもそのはず、当時のメディチ家の当主でメディチ家全盛時代を築いたコジモ・デ・メディチ(1389〜1464年)は、一度フィレンツェを追われた経験があり、フィレンツェの人たちから妬まれないよう、このような外観にしたそうです。元々はブルネッレスキに設計を依頼したのですが、あまりに豪華すぎるプランだったため、お抱えの建築家であるミケロッツェオに発注しなおして、このようになったとか。

 コジモ1世(1519〜74年)の時代までメディチ家の住居として使われた後、1659年にリッカルディ家へ売却されたため、メディチ・リッカルディ宮と呼ばれています。