所長のソウル旅行’07(5)臨津閣


○解説

 さて、臨津江駅から少し歩いて臨津閣(イムジンカク)へ。目の前を流れる臨津江の少し先が、前ページで紹介した北朝鮮というこの場所は、分断された朝鮮を象徴的に示す場所の1つで、1972年から整備が進められました。手続き無しで誰でも行けることから、観光地となっています。ちなみに、主に朝鮮戦争で使われた戦車や、飛行機などの展示もあります。




キャノン砲
 第2次世界大戦で旧日本軍が使っていたものを北朝鮮が朝鮮戦争のときに再使用。その後は1977年12月まで、DMZ(非武装中立地帯)に放置されていましたが、観光用に寄贈されてここに展示されています。

ホークミサイル
 1960年代にアメリカのレイセオン社が開発した、主に低空域から中空域を飛行する戦闘機や爆撃機を撃墜するための対空誘導ミサイル。ホークとは、Homing All the Way Killer の略で、陸上自衛隊でも改良型が配備されています。
展示物
 
展示物
 
U-6Aビーバー
 アメリカの戦闘機
O-1 / L-19 バードドッグ
 1950年12月から配備が始まり、朝鮮戦争に投入された機体で、アメリカのセスナ社製の軽飛行機「セスナ170」の軍用型。
M4A3シャーマン戦車
 第2次世界大戦時にアメリカが開発したM4中戦車、通称「シャーマン」のバリエーションの1つ。シャーマンとはイギリスがつけた愛称で、ウィリアム・T・シャーマンという、アメリカ南北戦争時に活躍した北軍の将軍の名前に因みます。
 朝鮮戦争でも使用され、韓国陸軍も受領しています。
M47戦車
 アメリカ陸軍の戦車で、1951年に制式採用されたもの。朝鮮戦争がきっかけで開発され(実戦投入には間に合いませんでしたが)、M46戦車にT42砲塔を搭載したものです。
 展示されているこの戦車は、韓国陸軍が1952年にアメリカから譲り受けたものです。
L.V.T.
 LVTとは、Landing Vehicle Trackedの略。第2次世界大戦時にアメリカ海軍と同海軍海兵隊が運用した水陸両用トラクターで、さらに朝鮮戦争で1950年の仁川上陸作戦などで使用されています。
RF−86−F セイバー
 アメリカ空軍が1948年から運用を開始し、ノースアメリカン社が開発したジェット戦闘機F−86セイバーのバリエーション機の1つで、偵察機として使われたもの。
 F−86は朝鮮戦争では中国のMiG-15(ミグ15)相手に史上初の後退翼ジェット戦闘機同士を展開して圧倒的な強さを発揮しました。
ミカ3 244号機
 ここでは軍事関連のほか、鉄道車両も少し保存。上写真は日本統治時代に朝鮮総督府鉄道で使われた蒸気機関車ミカサ型の1両。
ハ9形客車
 1939年、田中車輌(現、近畿車輛)で製造された客車で、ミカ3の後ろに連結されています。
元ピドゥルギ号用客車
 カラフルな塗装に塗られています。なお、ピドゥルギ号は客車による鈍行列車の種別愛称で全国で見られましたが、2000年11月に使用車両の老朽化もあって愛称と共に消滅しました。
京義線の鉄橋と自由の橋
 展望台からの撮影。写真真ん中を左右に横切る、歩行者が通る自由の橋については後述。京義線の鉄橋については前回少し紹介しましたが、右側が朝鮮戦争で破壊される前までの旧路線の橋脚。左側が北朝鮮側との直通に向けて新しくかけられた橋で、前ページではこの線路を使って都羅山駅へ行きました。
自由の橋
 あとでまた紹介しますが、ここから先は民間人統制区域という、象徴的な場所。もっとも、手続きさえ踏めば都羅山へ行けるようになってからは、ちょっとその有り難味も低下していますが。
水田地帯
 民間人統制区域は水田になっています。
平和の鐘
 2000年を迎えたことを記念し、人類の平和と民族統一を願って設置されたものです。
昼食
 とりあえずここで一旦昼食へ。観光バスなどが停まるパーキングエリアのような場所があって、そこで食べることが出来ます。相変わらず何も読めない、何も話せない状態なので、注文はムスタファさん任せ。これがなかなか美味しいものでしたが、何という食べ物だったかは、その日のうちに忘れました(苦笑)。
自由の橋
 また戻ってきて、自由の橋を見学。臨津江をわたる橋で、朝鮮戦争の休戦協定が結ばれたとき、北朝鮮に捕虜となった12773名が自由を求めて帰還したことから、この名前が名づけられました。
自由の橋
 先ほども少し紹介しましたが、ここから先は民間人統制区域。なお太陽政策により、2000年1月1日に開放されたため、「ここまで来るのに50年」と記念プレートが設置されています。
噴水と臨津閣展望台
 自由の橋から今度は展望台を眺めます。
ソウル駅
 そして列車でソウル駅へ帰還。ムグンファ号、セマウル号などを撮影しました。

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