日本の旅 第32回
広島城・不動院と可部の街並み〜広島県広島市〜
     A trip of Japan No.32 Hiroshima City
○広島市の概要
3.縮景園
 広島城から真っ直ぐ東に歩くと、縮景園という庭園があります。
 そう大きくもなく、狭くもなくと言った庭園ですが、これが結構歩いているとリラックスできる日本庭園です。

 縮景園は、広島藩主浅野長晟(ながあきら)が、1620(元和6)年から別邸の庭園として築成させたもの。作庭者は茶人として知られる家老の上田宗箇と言われています。

 園の名称の由来は、幾多の景勝を聚め縮めて表現したことによるが、特に中国杭州の西湖を模して縮景したとも伝えられています。

 特徴は以下の通り。
 ・園の中央に濯纓池(たくえいち)を掘って大小10余の島。
 ・その島の周囲に山を築き、渓谷、橋、茶室、四阿(あずまや)などが巧妙に配置され、それをつなぐ園路によって回遊できるようになっている(こういうタイプを回遊式庭園と言います)。
 ・池の中央にかけられた跨虹橋(ここうきょう)は、七代藩主重晟(しげあきら)が京都の名工に二度も築きなおさせたもの。東京小石川後楽園の円月橋や京都修学院離宮の千歳橋にも似た大胆奇抜な手法が駆使されている。
 などなど。
*参考:縮景園公式サイト
 http://www.manabi.pref.hiroshima.jp/shukkeien/

 とまあ、こんなに素晴らしい庭園で、戦争中の1940(昭和15)年には浅野家から広島県に寄付され、国の名勝にも指定されたのですが、残念ながら原爆で壊滅状態に。のみならず、ここには多くの被爆者が逃げてきたのですが、治療も受けられず亡くなっていきました。 
 
 そして終戦後、県教育委員会は、戦災前の景観に復すべく整備をすすめ、清風館、明月亭などの亭館も復元し、広島市を代表する観光名所となっています。ちなみに広島県立美術館が併設されており、そこから縮景園をちょっと眺めることも出来ます。

 ところが残念ながら、周囲に超高層マンション(広島では最大の高さ)が建設され、雰囲気ぶち壊し状態になりつつあります。非常に残念で、ここで罵倒の一言でも述べたいところですが、そう言うコーナーではないのでぐっとこらえることにしておきます(笑)。
 
4.頼山陽資料館
 広島市中心部には、また、幕末を代表する思想家・頼山陽が育った家が復元されています。正確には、その家の建物のうち、広島藩を脱藩し京都へ行ったため、すぐに連れ戻され、彼が幽閉された邸内の離れの居室です。そして彼は5年の幽閉生活で、代表作である晩年に完成する「日本外史」の草稿をまとめたと言われております。

 頼山陽死後も居室残っていたのですが、原爆で焼失。
 1958(昭和33年)に復元され、資料館も併設されて頼山陽の生涯・業績を見ることが出来ます。