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○6月24日(土)
 本日は松戸副所長、馬藤所員と東京都府中市の「府中市郷土の森」へ行くため、いざ出発。
 私は藤沢駅より東海道線に乗車し、まずは川崎駅へ行きます。乗車するのは、JR南武線。
 205系通勤型電車の改造先頭車が停車していました。


 隣へ目を転じれば、京浜東北線の209系試作車(元901系)が停車中。窓の形などが209系量産型と異なるので、見ると意外と違和感を感じます。また、6ドア車を組み込んでいないため、先頭車に6ドアのステッカーは添付されていません。

 いよいよ廃車に向けてカウントダウンが始まっているとの声もありますが、さて後どれだけ活躍するのやら。
 JR西日本に譲渡すれば、30年ぐらいは大事に使ってくれるんじゃないですか?(笑)


 さて、JR南武線と京王線が接続する分倍河原駅で下車。馬藤所員、しっかりと大幅に遅刻してくださいました。
 それはともかく、以前にも紹介した駅前の新田義貞公の銅像。
 躍動感あふれる銅像ですので、馬藤所員に紹介してあげましょう。
 裏辺所長「皆様右手をご覧ください。これが、分倍河原合戦で鎌倉幕府軍とたった新田義貞公でございます」
 松戸副所長「のちの、鈴木宗男でございます」

 ・・・ええええ〜っ!

 今回は早速、日本の旅コーナーで紹介しています「府中市郷土の森博物館」。
 プラネタリウムなんかにも行きましたが、実に広くて癒される空間が広がっています。

 多摩地方なんて、20年前にはこうした建物が数多く残っていたのですが、あっという間に次々と解体されていきました。
 それでも、散歩していると、まだこういう建物に出会うことができます。
 いずれ解体されるのでしょうが、少しでも長く、現地にて継続使用して欲しいなあ、なんて思います。

 移築保存は非常にうれしいですけど、こうした建物に博物館でしか出会えない、なんてのはちょっと悲しいですね。

 最後にオマケ。
 歩いてJR府中本町駅へ向かったところ、途中にある交通遊園で都電6000形を発見!
 しかも、かなりきれいな姿で鎮座しているじゃございませんか。
 調べたところ、どうやら今年の春にボロボロだった車体を再塗装したそうです。すばらしい!!!!

○6月18日(日)
 本日は189系「彩野」編成を使用した、ホリデー快速河口湖号3号・4号を撮影。
 河口湖3号を撮影した際、ガードレールに足をぶつけて怪我するなど、実にアホな行動を取っていた所長ですが、それはさておき。
 そろそろ、河口湖のラベンダーが見ごろのようです。富士山との組み合わせは絶景でしょうから、ぜひとも行ってみたいですね。

○6月17日(土)
 家族でちょいと、葛飾区亀有へ。
 その道中、日本紙業工場跡地にオープンした、イトーヨーカドーを核店舗とするアリオ亀有へ行きましたところ・・・。

 水泳界のスーパースター、イアン・ソープ氏がヤクルトの新製品の宣伝に来ているではありませんか!
 なにゆえ、スーパーに登場? 恐るべし、イアン・ソープ!
 いやあ、背が高いですねえ・・・。長身のほうが、よりゴールへのタッチも早いでしょうか(笑)。
 さて,亀有と言えばイアン・ソープではなく両津勘吉。
 ・・・知らない人のために、念のため書いておきますと、現在150巻のコミックスが発売されている「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(秋元治 著)の主人公です。彼が亀有をはじめとする、下町を全国に知らしめた宣伝広告等であることは疑いもないことで、2006年2月、JR亀有駅北口に銅像が設置されました。
まさに、「おいでよ亀有」的な雰囲気が漂う、素晴らしい銅像ですね。政治家の銅像や、ヌード彫刻の像、意味不明な幾何学模様の像より数百倍いい。

 さらに、先ほどのアリオ亀有の中では亀有公園前派出所が再現されています。
 ちなみに、交番の正式名称としての「派出所」という区分は
1994年まで用いられてきました。ですので、現在基準から言えば、「亀有公園前交番」というのが正しい(警察派出所というのは今もありますが)。なお、漫画の中でも「いまさら変えられない」と、この件について触れられております。

 また、連載当初は消滅していた葛飾署が、2002年より本田署を改称して実在することになったことから、作品中の葛飾署は「改築した」ということで新葛飾署になるなど、実在する地域を舞台にしながらも、色々と配慮されているようですね。以上、「こち亀」豆知識でした。

 作品中にもしばしば登場するJR亀有駅(左)。両さんとボーナス争奪戦を繰り広げる(?)商店街(右)
 町中に「両さん」をイラストにした旗が掲げられており、すっかり町の顔として定着しております。


○6月15日(金)
 蒸し暑い日が続いていますので、まずは涼しい画像を。
 さて、この写真のJR中央線 国立駅(大正15年築)。
 以前、国立市議会の反対で保存に関する予算拠出が否決と伝えましたが、国立市はそれでもめげずに13日に再び「4500万円の予算を認めて欲しい」と議会に提案した模様。ところが、もちろん議会はNO! 「4500万円で済むはずが無い。保存は賛成だが、もっと金がかかるはずだから反対」と、要は「保存に反対」(苦笑)とのたまってくれました。

 詳しく書けば、中央線高架化工事を行うに当たって、JR東日本としては駅舎があるスペースを工事作業を行う場所として使いたいわけ。で、国立駅についても特に文化的価値があるとは考えていないので、さっさと撤去したいわけです。そこで国立市は、「ならば、一度別の場所に曳き家して移動させて欲しい。だから保存に協力を」「まあ、それならば・・・」ということでした。

 ところが、国立市議会の野党(=自民党、公明党)は
 「そのままの場所で、そのまま保存するのが筋だ。金を出すなんてとんでもない。市が努力しろ」
 ということ。だから、JRが反対してるってのに、何を言ってるんでしょうか。バカ議員たちは。

 JR東日本も「高架化工事の邪魔。撤去したい。保存は反対」との姿勢を崩しておらず、これにていよいよ絶望的な状況に。
 とりあえず、4500万円ぐらい、無能な地方議会の議員達を何人かクビにして拠出しましょうよ。
 JRも、4500万円ぐらい、通勤電車1両を製造するより安いんですから、全額とはいわないにしろ、少しは考えましょうよ。

 ・・・とまあ、人の金だから好き勝手言えますが。
 とは言え、ようやく日本でも古い文化財を大切にしよう、という意識が高まってきているわけですけど、まだこういう事態は起こりますね。とりあえず、近いうちに国立駅は、ごくフツーの駅舎に変わりそうです(高層マンションにでもなって、議員さんの親戚が儲かるかもね)。さて、解体される前にもう少し写真を撮っておこう。
 http://mytown.asahi.com/tama/news.php?k_id=14000000606140001

 ていうか、地方議会の議員って本当に必要なのか、この件に限らず考える今日この頃です。
 あ、ちなみに国立市議会の場合。
 市長が、やや革新系なもんで、自民党としては意地でもケチをつけたいようですね。
 そりゃ、私もあまり革新系は好きではないですけど・・・。

 ・・・と書いておいて最後に。
 小田原駅に引き続いて、ここも解体かよJR東日本! 新橋の汐留停車場は復元しても、本当の古い駅舎は残さないんですね。本当は、中央線の高架化工事を進める東京都と、JR東日本が保存に前向きあって欲しかったですね。あまり国立市議会ばかりを責めるのも、ちょっと酷かなと、ここまで書きながら思わないでもありません。


○6月14日(水)
 水曜日の更新ですが、こちら月曜日の画像。
 週の初めは、東京から藤沢へ向けて出勤することも多いので、中央線→横浜線→小田急小田原線→小田急江ノ島線というルートを使うことになります。と、いうことで上写真は横浜線と乗り換える八王子駅にて。JR貨物のディーゼル機関車DE10が、最近登場した新塗装になっておりました。JR貨物は、昔から色々な色に塗り替えるが好きですね。


 ・・・なんか、運転台の周りだけ、国鉄色を塗り残しちゃった、という雰囲気ですが。


 それから小田急町田駅では、乗る列車が来るまで少し時間があるので撮影。
 いよいよ次なる置き換え対象になっている5000系も、まだ当たり前にみられるうちに撮影しておきます。

 こちらは小田急2000系。

○6月10日(土)
 鉄道掲示板で中央線201系の話題で盛り上がっていたので、私も撮影に出撃。
 同時に、中央線高架化工事の進行状況も見るべく、最も撮影しやすい武蔵小金井駅へ行ってきました。
 武蔵小金井駅では、このように仮駅舎裏側で新駅舎建設工事がいよいよ本格化しています。


 中央線上に設置された歩道橋では、このように高架化工事の進行状況がよく解ります。
 いよいよ軌道の設置工事に入るみたいですね。


 高架化工事が進行する中でも、未だに残存する旧駅舎(左)。88周年を祈念した装飾が施されています。
 一方、いよいよ新駅のホーム部分が見えてきた状況(右)。
 さて、この区間の高架化後、最後に201系通勤型電車は走ることがあるのでしょうか。


 続いて、引退が迫る201系通勤型電車を西国分寺駅で撮影。
 まだ後継車両が登場していないこともあり、他に撮影者は誰もいませんでした。引退前は絶対に大フィーバー状態になるんですから、飽きるほどやってくる今、撮影するのが無難ですね。

 ついでにE257系特急「あずさ」も撮影。
 西国分寺駅は、撮影が苦手な私でも綺麗に写真が撮れますのう。ほっほっほ。

○6月4日(日)
 今日の撮影雑記は、特急「日光」で行く日光東照宮の旅 です。
 同行するのはデューク所員と水澄所員。このうち水澄所員、仕事の都合で明日から山口県で勤務とのこと。さっさと帰らないといけないというのに、日光にまで連れ出すという裏辺所長はなんという極悪人なんだ。ええ、ですから日光東照宮で罪を悔い改めてまいります。

 さて、まずは「せっかくの休日」だというのに、今日も・・・ていうか昨日よりさらに早く、午前5時起床。
 藤沢駅より湘南新宿ラインに乗車し、新宿駅で上写真の特急「日光」に乗車します(午前7時12分発)。この列車、御存じない方のために紹介しますと、2006年3月に誕生した新しい特急列車。注目すべきは、途中から東武鉄道に乗り入れて、東武日光駅へ行くのです。

 それまで、日光に行くには基本的に浅草まで行って、そこから東武鉄道の特急「けごん」で行くか、東北新幹線で宇都宮へ行き、そこからJR日光線で日光駅へ行くかどちらかだったので、非常に便利な選択肢が1つ増えたことになります。もっとも、これまで東武鉄道と熾烈な日光輸送を繰り広げてきた国鉄(→JR)にもプライドがあるのか、今のところ1往復だけの運転と、ちょいと不便。その代わり、日光ではなく鬼怒川温泉へ向かう特急「きぬがわ」「スペーシアきぬがわ」は、東武鉄道との共同運行で計3往復あります。

特急「日光」方向幕

(大宮駅)

これから乗り入れていく東武鉄道線を横に臨む。
(栗橋駅)

JRの車両が、東武鉄道のホームからJRの車両を臨む。
(東武鉄道 栃木駅)
 新宿駅を発車した特急「日光」は、池袋、大宮と停車し東北本線(宇都宮線)を走行。
 そして栗橋駅で運転停車(客扱いはしない)。ここで東武鉄道の運転手、車掌にバトンタッチし、新設された連絡線から東武鉄道へ入っていきます。そして、栃木、新鹿沼、下今市と停車していくのですが、栃木駅はJR栃木駅と併設されているため、JRの特急列車がJRのホームではなく、東武鉄道のホームに止まっているという、不思議な経験が出来ます。え、どうでもいい?

撮影場所不明

(東武日光駅付近)

(東武日光駅付近)

(東武日光駅)
 そしていよいよ東武日光駅へ到着。直前にはJR日光線と並走の上、さらにオーバークロスするという芸当まで見せてくれます。なるほど、こういう位置関係だったのかと、来て見て初めて知る新事実。というわけで、9時8分に到着した特急「日光」。新宿駅から約2時間の旅でした。

 続いて、こちらはJR日光駅。1912(大正元)年の建築ですので必見。
 帰りはJRで帰るので、荷物をJR日光駅コインロッカーに入れておきます。

(日光市役所日光総合支所)

(神橋)
 さて、ここから日光東照宮方面へ歩いていきます。だいたい20〜30分ぐらいで着くみたいですね。
 途中、城郭風の建物が見えてきたので、これは何だと調べたら日光市役所の日光総合支所とのこと(大合併により、こちらは本庁から支所になりました)。1919(大正8)年築の4階建ての建築で、なんと当初は大名ホテル、というホテルだったとか。戦後になって日光市に寄付されて、このように市役所として使われているそうです。

 そして見えてきたのが、日本三大奇橋の1つ、神橋(残り2つは山口県錦帯橋、山梨県猿橋)。重要文化財&世界遺産で、奈良時代に創建。現在の橋になったのは、寛永13年のこと。平成9年に大改修され、現在は特別公開中です。

 さて、日光東照宮へ。正確には、日光東照宮、日光山輪王寺、日光二荒山神社から形成されています。
 色々紹介したいですが、とにかく見るものが多すぎて直ぐには紹介しきれないので、一部だけ。

 まず、こちらは日光東照宮五重塔。元々は1650年に酒井忠勝が寄進したものですが、現在の五重塔は1818(文政元)年に再建されたものです。

 そして有名な日光東照宮陽明門。徳川家光の命により、1635(寛永12)に造られました。
 こんな独特なデザインをした文化財としての門は、全国でもここだけじゃないですか?


(唐門と拝殿)

(東照宮から日光二荒山神社への道)
 陽明門をくぐると、目の前に唐門(1635年築)と拝殿(1685年築)が見えてきます。陽明門もそうでしたけど、とにかく彫刻が物凄く細かく、そして色々なところに入れられています。とにかく贅沢!ということが嫌というほどわかりますね。

 こちらは輪王寺大猷院仁王門。1653(承応2)年築です。

 こちらは輪王寺大猷院本殿。こちらも、1653(承応2)年築です。
 とにかく色遣いが凄いですね・・・。


 このほかにも、膨大な量の文化財の写真を撮影しましたが、前述の通り掲載作業に時間がかかりすぎるため今回は省略。昼ごはんに、日光の名物らしい「湯葉(ゆば)」を入れた「ゆば蕎麦」を食し、少し歩いて日光田母沢御用邸記念公園へ。公園名の通り、現在残っている建物は、かつて御用邸として使われていたもので、明治32年に大正天皇(当時は皇太子)の御静養のため造営されたもの(重要文化財)。

 近年、老朽か著しかった部分を大改修し、一般公開をしています。これもまあ、「さすがは・・・」とため息がつくほど、ゆ〜ったりとした雰囲気の気品あふれる建物です。


 
 そしてJR日光線へ乗車し宇都宮へ。
 東北新幹線に乗り換え、東京駅へ行き、山口へ転勤する水澄所員を見送り。関東の裏辺研究所も、ちょっと寂しくなります。
 ・・・な〜んて言いながら、元気よくデューク所員と私はヨドバシカメラ秋葉原店へ行き、レストランでハンバーグを食べたとさ。


○6月3日(土)
 今日の撮影雑記は、近所の散歩ながら内容たっぷりですぜ。
 というわけで、まずはせっかくの休日だというのに朝6時に起床。というのも、デューク所員が我が家に泊まられ、藤沢で電車を撮りたいとのことだったため。もちろん、私も早速出撃し、まずは田町電車区所属の189系10両編成を撮影します。

 それから、先週も紹介した189系「彩野」を使用した快速「那須散策号」(黒磯行き)を撮影。
 先ほどの189系とすれ違うシーンを見せてくれました。考えてみれば、編成内の全ての車両が189系というのは珍しく、しかもすれ違いともなると・・・って、まあ、どうでもいい話です。

 さて、自由席もついているのでそのままデューク所員と乗り込み横浜へ。
 ちなみに、藤沢を出た時点では車内はいずれもこんな感じの空き具合。大船、横浜でそこそこの乗車はありますが、やや認知度が低かったようですね。宣伝も殆ど見たことないですし・・・。


 そして京浜急行に乗り換え、生麦駅で下車。ここで西へ向かって少し歩くと、JR線沿いに「鶴見事故」の慰霊碑(民地内)とその事故現場があります。鶴見事故というのは、恥ずかしながら私もデューク所員に教えてもらったのですが、国鉄の5大事故の1つ。昭和38年11月9日午後9時40分頃、ここ、東海道線鶴見駅と新子安駅の間で下り貨物列車が脱線転覆し、そこへ横須賀線の電車が上り、下り双方がぶつかるという3重衝突となり、死者161人、重軽傷者119人を出した悲惨な事故でした。

 ところで、生麦と聞くと歴史好きなら生麦事件を思い浮かべるとおもいますが、その通り。第一京浜沿いのその記念碑があります。生麦事件って何?という人がいましたら、ネットで調べてみてください。まあ、薩摩藩の島津久光の行列がここを通過したとき、イギリス人達がいたので無礼者!と殺害しちゃった事件。これがきっかけで、鹿児島でイギリスVS薩摩の戦争が行われ・・・って奴ですね。それにしても、今やこんな雰囲気になっているんですか(当時の様子も知らないけど)。

 そして生麦駅へ戻り、こんどは京急鶴見駅で下車します。もちろん、その前に少し撮影(笑)。

 次なる目的は、鶴見駅近くの曹洞宗総持寺という、ものすご〜く広大な敷地のお寺。
 石原裕次郎の墓があることで有名なようですが、私とデューク所員は(一応見ましたけど)、別目的です。


 まず左上は大正4年に建てられた紫雲台という、貴賓建造物。外観も立派ですが、内部も凄いようです。
 それから右上、こちらはやはり国鉄事故として名高い、桜木町事故の慰霊碑です。
こちらは、列車火災で木造の電車が燃え、しかも窓が固定されていたため脱出不能だったという・・・。焼死者106人、重軽傷者92人を出しました。詳しい事故の原因などは、ネットで調べましょう。

 それから、こちらにも鶴見事故の慰霊碑があります。
 さらに右写真は、日本同志援助中国革命追念碑 汪兆銘敬題 という石碑。
 もちろん、孫文を中心とした辛亥革命に協力して亡くなった日本人を評価すべく、国民党政権の重鎮だった汪兆銘らが造ったもの。しかしご承知の通り汪兆銘は、日本政府に加担しすぎたとして、現在の中国では極悪人扱いとされています。

 それから、こちらにも鶴見事故の慰霊碑があります。
 さらに右写真は、日本同志援助中国革命追念碑 汪兆銘敬題 という石碑。
 もちろん、孫文を中心とした辛亥革命に協力して亡くなった日本人を評価すべく、国民党政権の重鎮だった汪兆銘らが造ったもの。しかしご承知の通り汪兆銘は、日本政府に加担しすぎたとして、現在の中国では極悪人扱いとされています。


 まだ旅は続きます。
 今度はJR横須賀線に乗車し、逗子駅で下車。とっとこ歩き、逗子市第一運動公園で保存されている京浜急行600形を撮影しにいきます。屋外保存で、もう長年ここにあることを考えれば、かなりいい状態で保存されているのではないかと思います。

 さらに横須賀へ行き、海上自衛隊の護衛艦などを撮影。

 たまたま横須賀駅にいた183系「あずさ」色も撮影し、見事な撮影三昧を終わることにしました。
 さて、日曜日は日光へ行ってきます。

 
○6月1日(木)
 ニンテンドーDSを買ったおかげで、しばらく遠ざかっていた任天堂の世界に久しぶりに戻れるってのが嬉しいですね。
 というわけで、マリオカートDSに続き、先日発売されたニュー・スーパーマリオブラザーズを購入しました。
 やっぱり楽しいですね。例のごとく、ジャンプして狭い敷地に着地するあたりで、しっかり失敗します。

 ちなみに、基本的には昔のスーパーマリオブラザーズなどと操作は同じですが、今回は壁を蹴って上へ行くなどの新しい操作要素も加わっており、適度に新鮮で楽しゅうございます。


 金がないといいつつ、所長の物欲は止まらない。
 突然、Vダッシュガンダムのプラモが欲しくなり、1ヶ月ほど探し回っていたのですが、ヨドバシカメラとかでは売っていない。売ってないと余計欲しくなるもので、他にも色々探していたのですが、意外にも近所のプラモ店で発見。しっかり購入しました。問題は・・・作る時間があまりないこと。

 それから、ファイナルファンタジー12のサントラも購入。
 作曲担当が崎元仁氏に代わり、従来の植松伸夫氏からほぼ完全に交代したわけですが(11もあまり植松氏はやっていなかったけど)、崎元氏の曲も非常にいい。問題は・・・やはりゲームをやる時間がどんどん無くなっている事。これも全て自動車教習所通いのせいじゃ。おのれ〜!

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