石川県金沢市(1)〜兼六園とその周辺〜 
  Kanazawa City (Ishikawa Prefecture)

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JR北陸本線 金沢駅
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金沢市観光協会  兼六園ホームページ
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石川県金沢市(2)金沢城
石川県金沢市(3)ひがし茶屋街と長町武家屋敷
 金沢市は石川県中部の商工業都市で県庁所在地。加賀前田家100万石の城下町として発展し、1899(明治22年)に市制施行。現在の人口は約44万人。金沢城と兼六園、さらに加賀友禅、金沢金箔、加賀象嵌(ぞうがん)、金沢漆器、金沢仏壇などの伝統産業が江戸の香りを現在に伝えています。

イメージを一新したJR金沢駅
 まずは金沢への玄関口となるJR金沢駅から御紹介しましょう。
 北陸新幹線開通を見越して、90年代より大幅な改築工事と整備が進められてきましたが、ようやく我々の前に新たな威容を表してくれました。そのシンボル的存在が、巨大な木造建築である鼓門。金沢の観光パンフレットやポスターでも良く登場しますが、確かにこれは凄い。また金沢駅広場は、左右にバスターミナルとタクシー乗り場を配し、地下に北陸鉄道金沢駅を入れるなど、機能的にも非常に優れた構成となっています。

兼六園
 金沢を代表する観光スポットである兼六園。これは元々、金沢城の外郭の中にあった庭で、1676(延宝4)年、5代加賀藩主前田綱紀が蓮池御亭(れんちおちん)を建て、周辺を作庭したのが始まりです。これは、1759年にこの地を襲った金沢大火により消失してしまったものの、11代藩主前田治脩(はるなが)が再建。園内に残る最も古い建物「夕顔亭」はこの時建築されました。

 そして「兼六園」という名前が付いたのは12代藩主前田斉広(なりなが)の時。奥州白河藩主・松平定信、またの名を白河楽翁に依頼して、中国・宋の時代の詩人、李格非の作である「洛陽名園記」の文中にあった6つの景勝を兼備するという意味から、この名前を名付けてもらいました。ちなみに松平定信は、寛政の改革の時の老中。庭造りが大好きだったそうです。

 兼六園が今の形に完成したのは、次の藩主前田斉泰の時です。その後、維新を迎えると一般開放され、1922(大正11)年に「史跡名勝天然記念物法」によって「名勝」の指定を受け、さらに昭和25年に現「文化財保護法」の下で、「名勝」に。さらに1985年には特別名勝となっています。
徽軫灯籠(ことじとうろう)、虹橋及び唐崎松
 兼六園の中でも特に有名な風景。
兼六園風景
 越冬に向けて、雪吊りの準備が進められています。これは、金沢地域特有の水分を多く含んだ重い雪から、樹木の枝折れを守るための、知恵だそうですね。
成巽閣 【国重要文化財】
 前田斉泰が母のためにつくった隠居所で、ギヤマンをはめ込んだ障子や、柱のない廊下などが見所です。
成巽閣 【国重要文化財】
 正面玄関。大きく突き出しています。
時雨亭
 2000(平成12)年に復元されたもの。
旧津田玄蕃邸(現、兼六園管理事務所)
 宝暦の大火(1759年)の後に再建された武家屋敷。津田氏は室町時代の名門、斯波氏の後裔で1万石を領した前田家の重臣の家柄です。1870(明治3)年には、この屋敷に金沢医学館が開設され、2年後に金沢病院、1975(明治8)年に石川県金沢病院となり、金沢大学医学部の前身となりました。
 元々は金沢城大手門前にありましたが、1923(大正12)年、兼六園に保存のために移築され、現在は管理事務所として使われています。

兼六園周辺の近代建築

石川県立博物館 【国重要文化財】
 1909(明治42年)〜1925(大正14年)にかけて順々に造られた建築。戦前は陸軍兵器庫として、戦後は金沢美術工芸大学として利用されたレンガ造りの重厚な建物です。現在は、石川県の歴史が原始から現在まで紹介されています。

旧石川県庁
 1924(大正3)年築。全国に先駆けて鉄筋コンクリートが採用されるなど、のちの建築にも影響を与えています。建築としては端整であり、絢爛豪華ではありませんが、かなりの迫力があります。しかし、県庁の移転に伴い現在は使用されておらず、これからの先行きが不安。

旧制第四高等学校校舎(現、石川近代文学館)
 【国重要文化財】

 1891(明治24)年築。金沢大学の前身である、旧制第四高等学校の校舎で、熊本大学に残る旧第五高等中学校本館と共に明治期の学校建築として特に重要。

旧陸軍金沢偕行社(現、石川県庁舎石引分室
【国登録有形文化財】
 1898(明治31)年築。旧第九師団創設に伴い、陸軍の将校クラブとして使用されていたもの。2階建ての立派なバロック風明治洋館で、マンサード風の屋根が特徴。

旧陸軍第九師団司令部
【国登録有形文化財】
 1898(明治31)年築。旧陸軍金沢偕行社の建物と隣接しているもので、こちらも県庁舎の分室として現役で使用されているようです。

陸軍第九師団長官舎(現、広坂休憩館
 1922(大正11)年の建築で、やはり軍関係の施設。陸軍第九師団長官舎として使用され、現在は一般に開放。兼六園と前田家に関する資料を展示しています。

尾山神社神門 【国重要文化財】
 尾山神社は、前田利家を祭る神社で、元々は1599(慶長4)年に2代藩主前田利長によって卯辰山に創建されたものが、歴代の藩主によって中心部に移転。神社の神門は、1875(明治8)年にオランダ人技師ホルトマンの設計で津田吉之助が建てた三層造り。神社と思えないような、イスラム風というか、非常に異国情緒漂うエキゾチックな建物です。