第八話 250ccスクーター未来過ぎ!!

 少年サンデーに「かってに改蔵」という漫画が連載されているのだが、ご存知だろうか? ギャグマンガでありながら、随分長く続いている漫画である(ギャグマンガって割と短命な気がするので)。マニアックなネタが多く、わからない人には全く分からないネタが多い漫画であるが、ある程度、ネタがわかってしまう私には面白い作品である。私は自分で購入しているわけではなく弟が買ってきたものを読んでいた。

 第七話で触れたB´zが好きになった時期(B´zも改蔵も弟の影響ですな・・・)だろうか、この漫画のネタに


「250ccスクーター未来過ぎ!!」


というくだりがあった。ほんの小さな一コマに書かれていた。だが、ここで私は250ccのスクーターが存在することを初めて知った。


「未来すぎるスクーター?」


小さなコマの中にその未来過ぎるスクーター(ビッグスクーター)の絵がかかれていた。確かに未来っぽい。宇宙刑事かなんかが乗っていそうなイメージのバイクだった。この時、私はピーンときた。


「これなら、乗れるんじゃないか?」


 原付スクーターに乗るのは決して好きではなかった。だが、乗れないわけではない。だとしたら、排気量が大きくなっただけのコイツなら乗れるんじゃないか? バイクに載る際に一番苦労しそうなギアチェンジも恐らくないだろうし。


 当時はネットをつないでいなかったので、ネットで調べることはできなかった。また、本屋に行って一々調べるほどバイク・・・ビッグスクーターにハマったわけではなかった。ただ、漫画で知ってから注意して路上を走るオートバイを見るようになり、ああ、あれが未来すぎるスクーターか、と改めて確認した。


 ちょうどその頃、宇多田ヒカルが新曲を作って、「ヘイヘイヘイ」というダウンタウンが司会をやっている歌番組(これも弟が見ていたので一緒に見ていた)で、プロモーションビデオの一部を放映していたのだが、ニューヨーク(?)の街中を空飛ぶビッグスクーターのようなもの(近未来的なフォルムはまさにそのものだった)で飛び回っている(街中を低空飛行していたので、走り回っているというイメージだったが)シーンだった。


 やはり、ビッグスクーターはいいくらいの事を、その時、弟に言ったような気がする。


 大学の校舎内でもビッグスクーターを見た。最初は近未来志向の変わったバイクだなあと見ていたが、横を通り過ぎて


「あ、スクーター・・・ビッグスクーターか」
と確認できた。ビッグスクーターは正面からみると普通のバイクにみえてしまうのだ。近未来志向で、スクーターといいながら普通のバイクに近いスクーター・・・。


 思い出せば、「ビッグスクーター」という呼称は友人に教えてもらった気がする。
「250ccスクーター」
と私が言ったときに
「ああ、ビッグスクーターね」と友人が言ったように思う。そのあと、友人がビッグスクーターの車種をいくつか挙げてきたが・・・全く分かりませんでした・・・(やや恥ずかしかった)。


 確かに未来過ぎるスクーター・・・ビッグスクーターは250ccのものだけではないので、250ccスクーターと限定するよりも、友人がいうように(というよりも一般的に言われるように)ビッグスクーターといって括ったほうが正解だろう。


 「かってに改造」の何巻に描いてあったのか、よく覚えていないので確認を取るのが難しいが、そこにでてきた「250ccスクーター」というのは、うっすらとした作中のイラストの記憶に頼れば、後に私が「欲しい」と思った、ホンダのフォルツアであったように思う。


 ビッグスクーター、未来志向で、スクーターというイメージではなく、かっこよくて、自分でも乗れそうだが・・・やっぱり、免許を取って、さらにバイクを買おうとまでは思わないなあ。というのが当時の自分の本音だったと思う。だが、このころから周りの人間には、


「俺はいつかビッグスクーター(バイク)に乗る」
 ようなことを言うようになっていた。原付もろくに乗れないのに・・・。ビッグスクーターにどんな車種があるのか調べようもしないのに・・・。


 いつ乗るよ? と聞かれたら、「金を貯めて免許をとったら」という風に答えて、免許をとるだけのまとまった金(12万円くらい)を貯めるのは難しいと、もっともらしい理由づけをしてさらりと流していた。


 乗ってみたいという気持ちはあった、乗れるのではないかという半端な自信もあった。だが、実際に免許をとろうという強い意志は存在していなかった。あくまで憧れであり、周囲の人間に
「自分はバイクに乗りたいという夢がある」
という志の高さをアピールするという、自己顕示欲の発露であったかのように思える。


 だが、このころ、学校内で役職が与えられたりして精神的に拘束されることが多くなり、心理的な自由を求めるようになっていった。そして、オートバイに乗るということが、自由の象徴のように思えてきて、オートバイに乗りたいという渇望がだんだんと大きくなっていたのも事実であった。



棒