第六十話 しかみ像

 今日は第五十九話で下見に行った会社の会社説明会&面接の日である。

 厚い雲が空を覆っているが、朝まで降っていた雨は止んでいる。

 私はリクルートスーツに身を包み、原付に跨る。雨ならばカッパをきていかなければならないところだが、予報では天気は晴れに向かうようだ。


 先日下見した通りに環状線を北上する。朝の時間帯だけあって道は混んでいるが、片側二車線で信号も少ない環 状線はストレスなく進める。道路状況がわか らないので、勿論余裕をもって出発している。


 今回は会社説明会だけでなく面接も兼ねている。何度か会社の面接に臨んだことはあるが、こればかりは何度 やっても緊張する。全国区の大企業だと面接官は柔和な人事担当者が対応する事が多いが、地方の中小企業では取締役や社長が面接官であることも多い。原付を運転しながら、志望動機などを再確認していた。


 信号は青。道は順調にながれていた。


 ほんの一瞬のだった。


 前を走っているはずの車が青信号の交差点で停車している!?

 私は衝突を防ぐために慌ててブレーキを握った!


 次の瞬間だった、
 私の体とバイクは凄い勢いで環状線に左向きに横転していた!


 私は何が起きたか最初は理解できなかった。急ブレーキを握っただけでなく、 衝突を防ぐために無意識のうちに左に車体を倒していたようだ。また、路面が 前日からの雨で濡れていたことも災いした。 だが、幸運にも私の乗っていた原付がスクーターだったため、脚ははさまれずに済み、スーツも地面につくことなく、汚れていなかった。また、 一番の懸念であった前の車に衝突することは防げた。


 暫くの間、地面になげだされた状態であっけにとられていたが、後続のトラックが車線を変更して進むこともできるのに、様子をみているのか後ろで停車しているので、渋滞になってはいかんと思い、起き上がって路肩へ避難した。

 
 すると、脇にあるパチンコ屋の駐車場から、通りがかりのおじさんがやってきて、

「大 丈夫か? あいつにやられたのか?」

 と、 環状線を左折した道の50メートル程のところで停車している車・・・先
ほど私の前に走っていた車である・・・を見ながら私に話しかけてき た。私もその車に目をやると、運転席からドライバーのおじさんがでてきて、下を向きながらこちらにやってくるではないか。恐らく私が誰か と話しているのを見て、心配して降りてきたのだろう。


 私は怪我もしていないし、左折の為に前の車が停車した(恐らく歩行者が横断歩道を渡っていた為に停車したのだろう)のに気付かなかったのは 私の前方不注意でしかない。会社説明会も控えているし、ここで話をするのは面倒だ。私は声をかけてくれたおじさんに、

「大丈夫ですから。」

 と一言告げると、道路に叩きつけられた衝撃で90度に曲がってしまった原付のミラーを元の位置にもどし た・・・ら、ミラーは根元から外れてしまったではないか・・・。はめ込んでみたがくっつかない、完全に折れてしまったよう
だ・・・。


 とりあえず、シート下に収納し、逃げるようにして原付に跨りその場を去った。


 会社には無事到着。会社説明会、面接は昼前に終了したのだが、朝方に曇っていた空から雲はなくなり晴れ渡っていた。 我 が原付・ジョグに跨って朝の事故の事を思い出す。スクーターでなければ私の左足はただではすまなかっただろう。間違いなくこの場にはいなかった。失われた左側のミラーはジョグが身を呈して私を守ってくれたということなのだろう。ありがとう・・・。


 やはり、買うならビッグスクーターだと改めて思った。


 ちなみに、原付は左側のミラーがなくても違法ではないという。根元から綺麗に折れてしまったミラーは直しようもないので、左側のミラーはジョグのシート下に納められることになった。


 三方ヶ原の戦いで軽率に出陣したばかりに信玄に敗れた家康が、その時の無残な姿を忠実に絵師にかかせた「しかみ像」のように、自らの戒めとしたのである。 しかし、家康が「しかみ像」をかかせたのは「若い」といわれても31歳の時である。この時の私は家康より10歳若い21歳であった。


 過ちが繰り返されることを、この時の私はまだ知らない。



棒