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○7月30日(日)
 職場のバドミントン部の合宿に伴い、伊豆市の修善寺地区へ。
 まあ、帰ってきてから激しい筋肉痛に悩まされているわけですが、ありがたいことに多少観光もさせていただきました。というわけで、上写真はまさにそのまんまの「修善寺」。807(大同2)年に弘法大師が開基した由緒ある寺ですが、鎌倉時代には鎌倉幕府2代将軍の源頼家が非業の最期を迎えたり、南北朝時代には畠山国清と足利基氏が激しいバトルをこの辺で繰り広げて燃えたり、その後も火災で全焼と不幸に見舞われます。そして、北条早雲が再興してから再び勢いを取り戻し、現在に至っています。

 修善寺の川向には源頼家の墓が(ちなみに、修善寺の西側には頼朝の弟である源範頼の墓も)。
 惜しいかな、母方の実家である北条家にとうとう勝てず、殺されてしまうという運命をたどった人物です。

 そして、源頼家の墓の横には、彼の母親である北条政子が頼家を弔うために作った指月殿があり、伊豆最古の木造建築といわれています。本尊の釈迦如来坐像は鎌倉時代の作で、約2mの大きさ。なかなか迫力があります。それにしても、実質的に息子を見殺しにする結果になりながら、「息子を弔う」とこの施設を造った北条政子。実家と息子の間で悩み苦しんだのか、ただの政治的パフォーマンスだったのか、気になるところです。

 帰路は修善寺駅より特急「踊り子」で藤沢へ帰還。
 実は1時間40分ほどしかかからないため、
ちょっとした小旅行に最適であることを発見しました。また行くとしましょう。

○7月28日(金)
 え〜、更新遅れていてごめんなさい。日本の旅・鉄道見聞録で壁紙コーナーを再びボリュームアップさせてスタートするため、1週間にわたって寝不足になりながら作業を進めているのですが、意外にやることが多く時間がかかっております。裏辺研究所もあんまり更新していませんが、もうしばらくお待ちください。
 写真は28日夜に運転された、小田原発、山形行きという快速「奥の細道」号。東海道線藤沢駅で撮影。
 東海道線の583系というのは珍しい。

○7月24日(月)
 鉄道車両(JR近郊型電車一覧)の全ページをリニューアルしていた関係で(これ疲れました・・・)、こちらの更新はすっぽかしていましたが、さがみ(小田急3000系)様より、日曜日まで開催されていた黒崎祇園(福岡県北九州市)の模様を投稿いただきましたので、こちらにて掲載します。う〜ん、まさに祭りといった感じで勇壮ですね!写真も素晴らしい・・・。

 ところかわって、今度はデューク所員が日曜日に撮影された高知城。
 
こうやって見ると、小ぶりながらかなりの迫力があることがわかります。一度は是非行っておきたいですね。
 私は高知には高校生の頃に行きましたが、残念ながら諸般の事情で、ホテルの窓から見ただけです。
 観光の時間を取らせてもらえなかった・・・。


 高知と言えば路面電車があることでも有名。今度は、ちゃけ様の撮影ですが、最近になって元、岐阜の路面電車が転入してきて、塗装そのままに活躍しているのが印象的です。前面方向幕がLED方式に改造されてしまいましたが、車社会の中で窮屈に走っていた頃とは異なり、芝生軌道など比較的恵まれた環境で活躍。末永い活躍を期待しています。

○7月19日(木)
 16日の花巻旅行についてちょっとだけ。
 宿泊した鉛温泉 藤三旅館(自炊部)ってのがこんな感じの建物で・・・え〜、正直ついた瞬間は唖然としました。建物は昭和30年代のような雰囲気で(ちなみに、旅館部の方は昭和16年築)、内部もレトロ・・・というよりそのまんまでした。

 とは言え、慣れてしまえばむしろ面白い体験ですし、なにより前に書いたとおり温泉は最高。
 トイレは普通の、むしろ綺麗な水洗便所にリニューアルされていますので、その辺りの心配はありません。

 ちなみに、自炊部というのはもちろん、共同炊事場を使って自分で料理を作る場所。湯治のため、長逗留する人なんかもいるわけで、売店で材料を買って料理、なんて人もいるわけです。


 さて、花巻については近いうちに原稿にするので、今回はそれ以外から。
 面白かったのは、花巻城近くのイトーヨーカドーで行われていたパフォーマンス。なんと、チェーンソーで木の彫刻を作っておりました。観客が少ないのが可哀相でしたが、なかなか技術のいる作業で、いい物を見させていただきました。

○7月17日(月)

JR一ノ関駅

中尊寺参道
 この三連休を利用し、今度は行き先を北に変えて15日に岩手県平泉町、16日に岩手県花巻市へ行ってまいりました。
 気の合う職場の友人や上司と行かせていただきましたぜ。
 個人的には、東北は2004年の正月に行って以来なので久しぶりです(これを久しぶりというかどうかは、人それぞれでしょうが)。

 まずは東北新幹線でJR一ノ関駅で下車。
 本当はここから在来線に乗り換え、JR平泉駅下車が理想的なのですが、なんと新幹線が到着する2分前に出発するという、JRお得意の接続をまったく考慮しないダイヤ(どうせ列車の本数なんて少ないのに)のため、バスで向かうことにします。バスも350円ぐらいだったか、たいした値段ではないのがありがたいです。というわけで、そのバスに乗ったまま中尊寺へ直行し、参道へ。目指す金色堂まではかなりの距離があります。



弁慶堂

中尊寺本堂
 さて、参道を歩いていると脇に色々な建物が見えてきますが、実は結構な古建築ばかり。
 写真上左の弁慶堂は、1826(文政9)年の建築で、鎌倉彫で作られた義経像と弁慶像を安置しています。
 そして、写真上右の中尊寺本堂は1909(明治42)年の建築。堂々たる構えで、戦後に造られた寺院建築とはえらい違いです。 

 そして到着しました、中尊寺金色堂。よく宣伝などで使われる構図も、このとおり簡単に撮影できます。しかも、三連休だというのに、最初雨が降っていたためでしょうか。観光客が非常に少なく、内部で保存されている金色堂もじ〜っくりと観察することが出来ました。本当にすべてが金ぴか。よくまあ、こんな建築を考えたものだと思います。ちなみに撮影禁止なので、撮っていません。今にして思えば、入り口から少し離れたところからズームで・・・いや、何でもありません。

 こちらは、かつて金色堂を覆っていた覆堂(重要文化財)。
 1288(正応元)年に鎌倉幕府が建立し、歴代の有力者たちが補修を加えながら金色堂を保護するために使ってきました。
 しかし、1963(昭和38)年に現在の覆堂が完成し、こちらはお役御免。移築されて、これはこれで文化財として保存されています。

 それから、歩きましてJR平泉近くの毛越寺(もうつうじ)へ。
 毛越寺は、奥州藤原氏二代の藤原基衡(もとひら)が造営した寺で、それはそれは壮大な規模を持つ寺でした。しかし、奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされて以降、鎌倉幕府の保護は一応受けるものの衰退し、致命的なのは戦国時代に豪族たちのバトルに巻き込まれて大半が焼失してしまったことです。

 それでも、現在でもごらんのようにすばらしい庭園が残されており、見るものに奥州藤原氏の栄華の跡を偲ばせてくれます。

 さらに、1732(享保17)年に建築された常行堂が残されています。

 そして、この毛越寺の最大ともいえる見所は、純粋な平安時代の庭園として日本唯一にして最大のもの。
 ここでかつては、貴族たちが宴を開いていたことでしょう。貴重な歴史的資料です。

 さて、名残惜しいですが平泉を後にし、花巻へ向かいます。
 一ノ関駅で乗り換えですが、ジョイフルトレイン「こがね」が偶然停車していたので、思わず撮影。仙台と平泉、気仙沼を結ぶ臨時観光列車として活躍しています。


 本日の花巻では、あまり観光をする時間は無かったのですが、新花巻駅から車で数分の宮沢賢治記念館へ。
 ご存知、日本を代表する文学者、詩人ですが、この宮沢賢治記念館へ行けば意識が一変することでしょう。
 彼は優れた科学者であり、農業改善に尽力した人でした。ですから、この記念館では彼に関係する、様々な科学や天体の話がビデオで紹介されており、むしろ理系の人には飽きることの無い場所です。んで、その視点から宮沢賢治の作品を読み直すと、新たな発見があります。

 さて、このあとは花巻市街で冷麺、塩ラーメン、ジンギスカン、刺身の盛り合わせなど色々なものをたらふく食べ・・・ていうか食いすぎで翌日の朝が苦しかったのですが、花巻市郊外にある温泉郷のひとつ、鉛温泉で一泊します。白猿の湯では、なんと立って入浴するという、深い温泉。実に不思議な感覚で、すっかり気に入ってしまった所長でした。

 ちなみに混浴ですが、女性専用の入浴時間帯もあるので、女性の方も安心してどうぞ。
 問答無用で混浴に挑む若い女性もいましたが・・・。

○7月13日(木)
 所用がありまして、鎌倉へ行ってまいりました。京都とは違った魅力にある古都。
 鶴岡八幡宮への参道など、実に趣が深くて歩いていて楽しい場所です。特に、既に幣サイトでも幾つか紹介していますが、最近になってから鎌倉市が景観重要建築物を選定し始めているため、随所に残る和風建築に建物の由来などが書かれた看板が設置されています。


 行くたびに色々と発見していますが、今回見つけたのは参道の脇にある三河屋本店。1900(明治33)年創業の酒屋で、1927(昭和2)年築。昔は良く見られた商店建築で、まだ現役であるというのは非常に嬉しい限りです。

 一方、未だに「?」なのがこの建物。
 JR鎌倉駅ホーム先端にある踏み切り近くにあるものですが、修復をすればなかなか立派な洋館になりそう。朽ち果てかけていますが、さりとて解体するような雰囲気でもなく、さて、いかなる建物なのでしょうか。

 最後に一件。と言っても、今日は色々と収穫があったので、また「日本の旅」で追加しますが・・・。
 こちら、鎌倉駅の東にある東身延本覚寺。本堂は1923(大正12)年築と80年以上前の建物で、さらに写真の仁王門は江戸時代の建築。特に文化財に指定されているわけでもなく、寺でパンフレットを要求しないと建物の由来も解らず。鎌倉は細かく調べてみると、そこら中に江戸時代の建築が残っているようですが、イマイチその辺のPRが不足しているような気がします。

 近代建築の景観重要建築物選定は大いに結構。
 しかし同時に、そろそろ市内にある江戸時代以来の建築物にも光を当てるべきじゃないかなと思います。ていうか、殆どの人が鶴岡八幡宮と建長寺、円覚寺、鎌倉大仏と長谷寺ぐらいしか行きませんから。私自身、今日色々歩いて初めて、「なんだ、鎌倉ってまだ色々あるんだ!」と認識を新たにした次第で・・・。

 なんて偉そうな事を書きつつ、改めて鎌倉市観光協会のHP http://www.kcn-net.org/kamakura/を見ていると、本堂は〜年築など、細かい1つ1つの見所まで紹介しているようで。う〜ん、やはり私がただ無知だっただけかな? アハハハ。ともあれ、これから仕事帰りなんかも含めて、しばしば鎌倉見物と行きたいと思います。

○7月12日(水)
 カレーだ、カレーだ!!
 1食99円のレトルトカレーも美味しいし、なにより5分で出来るのが魅力的ではありますが、本日も花婿修行(?)のため、わざわざ食材を購入し、じっくりと煮込ませていただきました。まあ、時間がかかるだけで材料を切ってぶち込むだけ。何度か作っていますが、カレールウさえぶち込めば、カレーの味になるんですから、日本のカレーは偉大です。

 さて、とうとうパスポートを取得するために横浜へ。
 神奈川県の場合、横浜や川崎、厚木、小田原などで申請することが出来ますが、私が住む藤沢では申請できない上に、横浜などでも申請時間は9時〜16時45分と限られ、平日しか受け付けていないので仕事を休んでいく他はありませぬ。ちなみに、平成18年3月20日からIC旅券になったとか。よく解らんですけど、楽しみです。

 え、外国に行くんですかって?
 う〜ん、そんな話もあったけど・・・。あれ?財布にお金が無いなあ。アハハハハ。
 写真上は、横浜市開港記念会館。1917(大正6)年築です。とりあえず、洋風建築の撮影でごまかします。



横浜都市発展記念館&横浜ユーラシア文化館
(旧横浜市外電話局) 1929(昭和4)年築&
横浜情報文化センター (旧横浜商工奨励館) 1929(昭和4)年

神奈川県庁 1928(昭和3)年築

○7月8日・9日(土・日)
 実質的に1泊2日で大阪、京都へ行ってまいりました。2日目は珍しく夜に勤務があったため、京都から直接、神奈川県某所へ出勤するという暴挙を犯したり・・・。いやあ、どこかで交通が狂ったら、どうするつもりだったんでしょうね、この馬鹿は。ともあれ、金曜の夜に寝台急行「銀河」に乗車し、新大阪駅で下車。8日はこのまま、意外にも私としては珍しく4時間と言う長時間にわたって、ひたすら鉄道の撮影、それから友人と食事したり、買い物したり・・・というスケジュール。

 9日は、京都をひたすら一人で歩く、歩く、歩く。
 火曜日ぐらいまでに紹介しますが、近代建築など、普通ではあまり見ないような建築もチェックし、前述のように午後からは出勤でございました。とりあえず、今回撮影した撮影の中から何枚か。京都タワーも初めて行ってみましたよ。東京タワーにも、未だに登っていないというのに。それにしても、相変わらず京都は見るところが多すぎて、とても回りきれない。地元に住んでいて、毎週どこかへ行ったとしても、何年かかることやら。


まだ普通に遭遇しますが、さすがに減少中の東海道・山陽線の201系。
(東海道線=JR京都線 新大阪駅)

意外とまだ山ほどやってくる、大阪環状線の103系。
(大阪環状線 桜ノ宮駅)

まだブルーの201系@大阪環状線も残存。
(大阪環状線 大阪駅)

(東海道線=JR京都線 新大阪駅)

京都タワーより。手前は東本願寺ですが、ご覧のように大修復工事中。西本願寺共々、あと数年は観光に不向きな状態です。

大河ドラマ「新撰組!」で一躍有名になった、壬生の八木家。前川邸と共に、新撰組ゆかりのただ住まいを、今も伝えています。

前回、写真のど真ん中に、随分と「ふくよかな」体型で、ピンクの服を着た女性が映ってしまったため、わざわざ撮りなおしに行った二条城。今度は開門と同時に入ったので、大満足の1枚となりました。

誰の設計かバレバレの旧第一銀行。近代建築としては珍しく、現在も現役の銀行で、「みずほ銀行」が使用しています。もっとも、2003年に改修されたおかげで、実質的にレプリカとの説もありますが・・・。

○7月7日(金)
 本日は七夕。
 というわけで、私が住む藤沢市からJR東海道線で西へ約15分ほどの場所にある神奈川県平塚市では、第56回目となる湘南ひらつか七夕まつりを開催中です。所用があったので、まずはまだ人が集まらない朝のうちに1枚撮影。

 こちらは夕方撮影ですが、物凄い人出になっております。
 ・・・といっても、平日の夕方なんて序の口でございまして、今日も夜は人、人、人で殆ど身動きが取れない状態。土日ともなると殺人的な人の数となり、ロマンチックな気分を味わう・・・のは少々難しいかもしれません。

 ところで、この湘南ひらつか七夕まつりというのは非常に興味深いイベントです。
 と言うのも、平塚市というのは神奈川県西部の工業、農業都市で、人口26万人。それなりに発展はしていますが、空襲で大きな被害を受けたこともあり、見事なぐらい観光資源がありません。それどころか、戦前に建てられた建物も殆ど無いぐらいです。自然風景の方も、これと言ってみるべきものもありません(冬には富士山が田んぼから良く見えますが)。

 そんなわけで、普段の観光は閑古鳥が泣いている状態ですが
、この七夕まつりのときだけは違う。
 バックに横浜市、川崎市、そして東京23区を抱えているおかげで、なんと300万人弱もの人出があります。七夕まつりの規模としては、仙台を抜いて日本一なのです。

 これもひとえに、長年継続してイベントを続けてきた人達の努力の賜物で、無から観光資源を生み出したアイディアには心から脱帽です。こう言っては失礼ですが、きらきらのヒラヒラな飾り(費用はかかりますが)で人をこれだけ呼ぶのですから・・・。まさに、継続は力なり、です。マンネリ化や、商店街の衰退などで、イベント運営も大変なようですけれども、これからも継続していただきたいですね。


○7月6日(木)
 ちょっとだけマニアックな車両ですが、神奈川県藤沢市辻堂の辻堂海浜公園にある交通公園では、小田急電鉄の通勤型電車2600系(クハ2658号)が保存されています。2600系といえば、2004年に旧塗装に戻されて引退したのが記憶に新しいですが、こちらは1994(平成6)年から保存されているようです。

 屋外保存かつ、長期にわたる保存となっていますが、よく手入れがされているようで非常に美しいまま。
 そもそも通勤型電車というのは保存されにくいだけに、しかも私鉄の車両ということで、これからも大事に保存されることを期待しています。なお、JR辻堂駅から南へまっすぐ徒歩、もしくはバスでどうぞ。

 おまけで小田急8000系。
 リニューアル工事が進んでいますが、左は旧来のLED式方向表示機、右は新式のLED式方向表示器を装備した車両。
 やはり、文字が白で表示される方が見やすいですね。


○7月2日(日)
 タイトルは掲載日なので日曜日としておりますが、写真は昨日、すなわち土曜日でございます。
 予想外に雨が降らなかったので、どうしても気になっていた河口湖のラベンダー(ハーブ祭り)を見に行くべく、(本当は来週、デューク所員と軽く約束はしていたのですが、天候が不安で・・・)、いざ出発。中央本線高尾駅より普通列車に揺られて、大月駅へ行きます。
 
 大月駅からは、富士急行線に乗り換え(写真上左)。元・京王電鉄5000系が主力の会社です。
 これもゆ〜っくりとしたスピードで各駅に停車して行き、終点近くの富士吉田駅構内には、JR169系三鷹色の先頭車が部品取り用としてまだ残っておりました(写真上右)。放置されて数年が経過していますが、未だに塗装は綺麗なまま!!

 さて、終点河口湖駅へ到着。
 驚くべきことに、かなり大規模に改築がされており(というより、右側に増築か)、観光地玄関としてシンボル的存在へ脱皮しておりました。「変わったなあ〜」と感想を漏らす観光客もちらほら。

 ちなみに旧駅舎はこんな感じ。悪くは無いですが、ちょっと手狭でしたね。

 さて、鉄道見聞録でも紹介しておりますが、本日の河口湖駅は富士急行の駅でありながら、JRの車両に車庫を占拠されている状態でした。これに、元・JRのジョイフルトレインを改造した富士急行のフジサン特急も加われば・・・。

 さて、今回の目当てである河口湖ハーブ祭りへ行きます。
 2箇所会場があるようですが、とりあえず今回は八木崎公園にある主会場へ。河口湖の周りを循環するレトロ調のバスが1時間おきに出ており、
河口湖駅から乗車しました。んで、その会場の様子が右上の写真。きれいに花が咲いています・・・が、この程度で終わりなのが残念。

 というのも、肝心のハーブ(ラベンダー)が、こんな状態でして、手前側は何とか咲いていますが、他は全然まだ咲いておりませんでした。これは、デューク所員を差し置き抜け駆けした罰ということでしょうか。ただ、来週見ごろを迎えるかどうかも・・・怪しそうです。

 さて、こちらは会場が面している河口湖。3年ぶりに見ましたが、曇りでもなかなか美しい。
 ちょっくら癒されてまいりました。湖っていいなあ〜。


 さて、富士山は曇っていて見えずなど、やや消化不良な面もありましたが、撤収準備開始。
 大宮行きのホリデー快速で帰ろうと思ったのですが、例のバスが見事にギリギリ接続に間にあわないという、素晴らしいダイヤ。富士急行が運行するバスというのが理由でしょうか、次に出発するフジサン特急に乗せようとしていたみたいですぜ。よし、では乗ってやろうではないか。

 ・・・というわけで、特急券300円を払って初乗車しましたが、前のシートとの間隔が非常に広く、シートの座り心地も最高、(幸か不幸か)車内はガラガラだったため、もう素晴らしく快適でございました。


 そして、大月から特急「かいじ」に乗車し、八王子で下車。
 先行していたホリデー快速河口湖を追い抜くことになります。・・・しかし、もう少しバスが早く着いてくれていれば、特急料金が浮いたのに・・・と、ドケチな所長でした。

○7月1日(土)
 取り急ぎ〜。
 本日、河口湖へ行って見ました所、豊田電車区所属の189系による快速「ホリデー快速河口湖」号に、ついに専用のトレインマークが。どうやら、指定席導入に伴う側面方向幕交換と同時に変更になったようです。詳細はまた明日、鉄道見聞録で紹介します!

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