長崎電気軌道(長崎県長崎市) 
     Nagasaki Electric Tramway co
長崎の路面電車は1915(大正4)年11月16日、病院下(現在の大学病院前近く)〜築町(今よりも西浜町電停に近い)区間で運転が始まったのが最初。その後、路線を拡大し、車両は何と自社で生産。戦時中は社員の多くが出征したため、学徒動員で学生(女子も含む)が路面電車を運転し、もちろん8月9日の原爆では大きな被害を被ったといった歴史を持つ。戦後は、モータリゼーションの進行で乗客数が伸び悩むが、広島電鉄と共に軽快電車を開発。冷暖房装備も推進し、観光名所探索に便利なことから乗客は増加していき、現在、120円運賃という驚異的な安さで、広島電鉄に次いで乗客数が多い。また、2004年3月には超低床車両も運転を開始した。
 
●200形・211形
 1950(昭和25)年〜1951年にかけて製造。
 ドアが前後の左右に取り付けられている。

 冷房化改造、方向幕大型化が実施されて今に至る。
 ちなみに、製造メーカー別に日立製作所が201などの奇数、日本車輛が202号などの偶数になっている。

(写真:茂里町/撮影:裏辺金好)
300形
 1953(昭和28)年登場。
 基本的には211形と変わらない。

(写真:茂里町〜浦上駅前/撮影:裏辺金好)
360形・370形
 1961(昭和36)年〜1962年、老朽車両取り替えのために登場。 長崎市電初の全金属車体であり、ドア位置も前部と中央部に変更された。

 また、371号・372号は、1964年に全国初の全面広告電車として驚かせた。

(撮影:雑学の博物館 禁転載)
500形
 元大阪市電1700形の足回り、電装部品を流用し、車体を新造して登場。さらに1986(昭和61)年、501〜505号の台車は、西日本鉄道のものに取り替えられている。

(写真:茂里町〜浦上駅前/撮影:裏辺金好)
1200形
 1982(昭和57)年に登場した久しぶりの長崎市電オリジナル車両。もっとも、足回り・電装品は旧型電車のものが再利用されたため、性能は旧型とあまり変わらない。

(撮影:雑学の博物館 禁転載)
1300形
 1987(昭和62)年に登場。
 1200形と基本的には変わらず、こちらも車体だけ新造したもの。

(写真:茂里町〜浦上駅前/撮影:裏辺金好)
1500形
 1993(平成5)年登場。
 こちらもやはり、車体だけ新造した車両であるが、1200形、1300形とはパンタグラフの形状、側窓の構造が異なる。

(写真:浜口町/撮影:裏辺金好)
1700形
 1999(平成11)年登場。
 車体は1500形に準じているが、車内では降車ボタンの増加、車椅子スペースの追加など、時代の要請に合わせた変更がなされている。

(撮影:雑学の博物館 禁転載)
1800形
 2000年12月〜2001年1月にかけて3両が登場。

 従来と大きくデザインが異なる車体が特徴だが、足回りは西日本鉄道600形のものを流用している。ちなみに左写真の電車は長崎ケーブルメディアの広告車両だが、前は青色で後は黄色になると言う、なかなかカラフルで好感の持てるデザインである。

(写真:浜口町/撮影:裏辺金好)
2000形
 時代は降って、1980(昭和55)年に登場。
 日本初の軽快電車で、路面電車新時代を印象づけた。

 省エネ、低振動、低騒音、ワンハンドルによる運転のしやすさが特徴。しかしながら、2両の製造に留まった。このうち2002号は2010(平成22)年3月に廃車されてしまった。

(写真:浜口町/撮影:雑学の博物館 禁転載)
3000形
 2004(平成16)年登場。長崎市電初の超低床車両で、ある意味で2000形以来久しぶりの完全オリジナル車両と言えるものである。

 アルナ車両が開発した超低床路面電車のリトルダンサーUタイプであり、3車体2台車の連接構造の長崎電気軌道初の連接車両でもある。現在、3編成が運用に就いている。うち1編成には専用ダイヤが用意されており、確実に見たい方、乗りたい方は停留所やホームページをチェック。

(写真:出島〜築町/撮影:裏辺金好)
5000形
 2011(平成23)年登場。3000形に続いて登場した長崎電気軌道のオリジナル車両でかつ、超低床車両。

 3000形と同じくアルナ車両のリトルダンサーシリーズの車両だが、3000形のリトルダンサーUタイプを発展させた、リトルダンサーUaタイプを採用しており、定員増加が図られている。
 
(写真:長崎駅前〜八千代町/撮影:グロッグフロッグ)