第48回 寛永文化・元禄文化

○日光東照宮など見所満載の寛永文化

 それでは今回は、徳川家光の時代を中心とした寛永年間など江戸時代初期の文化と、徳川綱吉の時代を中心とした元禄年間の文化について見ていきましょう。まずは、寛永文化から。

 寛永文化は、桃山時代の文化のイメージを受け継ぐと共に、ようやく戦乱の世も終わって、武家と公家、上流階級の町人たちによる新たな傾向が誕生してきたのが特徴です。次第に民衆に普及する文化が芽生える、その前段階といったところでしょうか。・・・な〜んて、もっともらしいことを書きましたが、あんまり難しいことは考えないで、ちょいと見ていきましょう。

 まずは建築の分野から。我々が気軽に見ることが出来るもので、代表的な傑作のうちの3点を写真で御紹介。


清水寺本堂  清水の舞台として非常に有名な清水寺の本堂は、1633(寛永10)年に徳川家光の寄進により建築。屋根は総檜皮葺(ひわだぶき)で、その形状は寄棟造(よせむねづくり)。寄棟造って何?というかたは、第33回をご覧ください。また、急な崖の上のポニョ・・・じゃない、崖の上に突き出して建つ懸造(かけづくり)という、なんとも大胆な建築様式です。前面の舞台が丘の外にせり出し、木の骨組みが支える、なんとも大胆な建築ですね。

日光東照宮陽明門  徳川家光が祖父、家康のために大々的に改築を行った日光東照宮。現在も多くが当時の建物で、いずれも素晴らしいものですが、特に1635(寛永12)年に建築された陽明門は、日光東照宮で代表的な門。高さ11.1m、正面の長さは7m、奥行きが4.4mと、規模も壮大。また、四方に軒唐破風(のきからはふ)がついた入母屋造。

日光東照宮陽明門  500を超える彫刻や、魔除けの逆柱、両端が反り返った曲線の唐破風など、終日見ていても飽きないということから日暮門の別名もあるほど、彫刻や彩色が精巧な門。宮中(現在は京都御所)十二門のうちの東の正門が陽明門であることから、名づけられました。江戸時代初期の美をここに結集したような感じですね。

崇福寺大雄宝殿  一方、こちらは長崎市にある黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院、崇福寺(そうふくじ)。その本殿である大雄宝殿(だいゆうほうでん)は、1646(正保3)年の建築で、中国の明末期から清初期にかけての建築様式で建てられています。窓の形や特に下層部の雰囲気は、なんとなく異国情緒漂っていますね。

崇福寺第一峰門  中国的という意味では、(文化的な区分では元禄文化にあたりますが)こちらの第一峰門の方がより雰囲気があるかも。1694(元禄7)年、中国の寧波(ニンポー)で各パーツを作って輸入したものだそうです。軒下には極彩色の装飾を施し、一方で雨があたる他の部分は朱丹一色という合理的な雰囲気。

 建築の分野ではこのほか、京都の桂離宮修学院離宮が代表例として挙げられます。見学には事前申し込みが必要なのが、ちょっと大変ですが・・・。桂離宮は数寄屋造(すきやづくり)という茶室風の質素な建築様式と、池の周りを歩いて散策する構造の回遊式の庭園が特徴。また、修学院離宮は後水尾上皇のために江戸幕府が建てさせたもので、比叡山を借景とした雄大な庭園が特徴です。

 それから絵画の分野。
 ・俵屋宗達(たわらやそうたつ)の風神雷神図屏風
 ・狩野探幽(かのうたんゆう)の大徳寺方丈襖絵・・・狩野探幽は幕府御用絵師となり、江戸狩野派を確立。
 ・久隅守景夕顔棚納涼図屏風・・・農民の親子が夕顔の棚の下で涼んでいる姿を描いたもの
 ・作者不明、彦根藩井伊家に伝わる彦根屏風・・・双六など娯楽に興じる人々の姿を描いた貴重な作品
 この4点は特に有名。

 残念ながら、絵そのものを掲載することは出来ませんので、是非日本史の資料集や美術館などで企画展が行われたときに確認してみてください。特に風神雷神図屏風は金屏風に迫力ある風神・雷神という豪勢なもので必見。

 続いて美術工芸品の分野。
 本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)による、舟橋蒔絵硯箱
 酒井田柿右衛門(さかいたかきえもん)という有田(佐賀県)の陶工による色絵花鳥文深鉢 が代表。

 この時代、豊臣秀吉による文禄・慶長の役で朝鮮から連れて来られた朝鮮の陶工たちによって日本の焼物界に新風が起こり、現在でも有名な有田焼(もしくは伊万里焼/佐賀県)、唐津焼(佐賀県)、平戸焼(長崎県)、薩摩焼(鹿児島県)、萩焼(山口県)など特に西日本で焼物が隆盛を迎えます。さらにヨーロッパへ輸出もされはじめ、新たな日本文化を海外に伝えることになります。鎖国とは言いますが、実際にはこのころから着実に、そしてずっとヨーロッパと文化的な交流があったわけです。


色絵花卉門壷  現在の佐賀県有田町を中心に製造された伊万里焼は、1569(万治2)年よりオランダ東インド会社から大量注文を受けて、積極的に輸出用の壷を生産開始します。写真は17世紀、輸出初期のころのもので中国の景徳鎮でヨーロッパ向けに、明時代末期から清時代初期に製造された壷の形や絵の構図を模倣したもの。
(国立博物館にて)

志野茶碗 銘振袖  こちらは安土桃山時代から江戸時代初期にかけて岐阜県の美濃で作られた美濃焼の一種、志野茶碗。この形が、またいい仕事していますね〜(笑)。
(国立博物館にて)

柴垣蔦蒔絵硯箱  江戸時代は美しい蒔絵(まきえ)も特に数多く誕生した時代。写真は古満休意の手によるもの。彼は1636(寛永13)年に徳川家光に召抱えられ、以後彼の家は幕府の御蒔絵師を勤めます。
(国立博物館にて)

 それから学問の分野では朱子学を中心とした儒学が盛んに。
 藤原惺窩(ふじわらせいか)と、その弟子である林羅山(はやしらざん)がその代表。特に林羅山は徳川家光などに仕え、積極的に幕藩体制の確立に深く関わっていき、林家は幕府の学問担当として続いていきます。

○華やかなりし、元禄文化

 さあ、続いて徳川綱吉の時代を中心とする元禄文化を見ていきましょう。
 元禄文化は主に上方(かみかた/関西などを指す)を中心に、武士と上方の豪商、さらには民衆も担い手となった文化で、現実主義的な側面も強い文化。小説も多数執筆されていきます。

 というわけで文芸の分野から。
 特に重要なのが井原西鶴(いはらさいかく 1642〜93年)。彼は本名を平山藤五(とうご)という大坂の町人で、当初は俳句の前身である俳諧(はいかい)の分野で膨大な句を出し注目を集めますが、やがて浮世草子(うきよぞうし)というジャンルの小説家に転じ、人々の愛欲や金銭に執着する姿と、そして才覚でたくましく生きる姿を描いた作品を数多く執筆。好色一代男、好色五人女などの好色物、武道伝来記、武家義理物語などの武家物、日本永代蔵、世間胸算用などの町人物を世に出しています。

 それから俳諧(俳句)を文学作品として確立させたのが松尾芭蕉(まつおばしょう 1644〜94年)。もちろん、彼が俳句を創始したわけではなく、それまでも奇抜な趣向を狙った西山宗因を中心とする談林俳諧というのもありましたが、松尾芭蕉は「さび・しおり・かるみ」といった、有限閑寂な蕉風(正風)俳諧ともいわれる芸術作品へと昇華させます。1689年より江戸を出発し、東北や北陸を回り、大垣を経て伊賀にまで帰郷するという大旅行を実施し、さらに「奥の細道」という優れた紀行文を著したことでも有名ですね。

 また、人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本を多数執筆した近松門左衛門(ちかまつもんざえもん 1653〜1724年)も特筆されます。現実社会や歴史をテーマとした作品を多く手がけ、中でも曽根崎心中などの世話物、鄭成功を描いた国姓翁合戦などの時代物が特に有名。

 彼の人形浄瑠璃は竹本義太夫(たけもとぎだゆう)らが義太夫節ともいわれる独特な音曲によって語られ好評を博します。また歌舞伎といえば、初代市川団十郎が江戸で勇壮な演技(荒事)で好評を博し、初代坂田藤十郎が上方で恋愛劇(和事)で好評を博し、また女形として芳沢あやめなどが出ました。


農業全書  文学作品ではなくて実用書ですが、1697(元禄10)年には宮崎安貞による日本初の農業技術百科事典が刊行されました。彼は福岡藩士でしたが辞して諸国を回り、様々な農村を訪れ、その体験をベースとして農業振興のために素晴らしい本を世に出しました。この時代は農業生産力の向上が求められ、様々な便利な道具の普及や幕府の代官、次いで町人などによる新田開発も積極的に進められていきます。
(国立科学博物館にて)

 それから絵画の分野では
 ・尾形光琳(おがたこうりん)による紅白梅図屏風燕子花図屏風、それから風神雷神図屏風
 ・土佐光起による秋郊鳴鶉図(しゅうこうめいじゅんず)
 ・住吉具慶による洛中洛外図巻
 ・菱川師宣による見返美人図などの浮世絵

 などが有名。尾形光琳は絵画のほかにも蒔絵でも八橋蒔絵絵箱という優れた作品を残しています。


銹絵(さびえ)山水水差  陶磁器の分野では野々村仁清(ののむらにんせい)が重要。彼は京都の仁和寺の門前で窯を開き、仁和寺の「仁」と本名の清右衛門の「清」より仁清と称し、鮮やかな作品から水墨画チックなものまで、様々な絵を描き、そして陶磁器として仕上げました。
(国立博物館にて)

銹絵観鴎図角皿  尾形光琳が絵を描き、弟の尾形乾山が焼いた陶磁器の傑作。尾形乾山は野々村仁清に学んだ人物で、陶磁器の歴史を語る上では重要人物。兄弟そろって芸術の分野で歴史に名を残すとは、すごいですね。
(国立博物館にて)

 建築や庭園の分野では長野市の善光寺本堂のほか・・・。

東大寺大仏殿  木造では現存世界最大の、東大寺大仏殿は必見(1709年築)。これでも創建当時のものより小さいとか。


六義園  それから前回も紹介しましたが、徳川綱吉の側用人である柳沢吉保が造営した庭園、六義園(りくぎえん)は元禄時代を代表するものです。

栗林公園  1625年ごろに四国の高松藩主の生駒高俊によって造営が始まり、1642(寛永19)年に高松藩主となった松平頼重が本格的に整備に着手して、100年近くの歳月をかけて完成させた素晴らしい庭園。回遊式の庭園で、背後の山を借景として雄大な雰囲気を形成しています。

後楽園  岡山藩主池田綱政が家臣の津田永忠に命じ、1687(貞享4)年より着工させ、1700(元禄13)年に一応の完成をみた庭園。岡山城本丸の北側に川を隔てて立地しています。


 このほか儒学の分野や歴史学などの学問など、まだまだ紹介すべき内容もありますが、すべてを紹介していると、いくらページがあっても足りなくなさそうで、さりとて箇条書きしても無意味ですので、御興味のある方は自分で調べてみてください。

 ただあと一人、貝原益軒(かいばらえきけん 1630〜1714年)という本草学者は是非覚えておくべき人物。彼が記した大和本草という図鑑は、1362種類の日本と世界の動物、植物、鉱物を分類し、特徴がよくわかる絵をきちんと入れた本。つまり、陰影をつけて芸術的に絵を描いたり、抽象的に描くのではなく、きちんと分りやすい線ですべてを表現して描いたわけですね。彼は観察や経験を重視し、日本の博物学の先駆となりました。

参考文献・ホームページ
詳説日本史 (児玉幸多など編 山川出版社)
ビジュワルワイド図説日本史 (東京書籍)
日本史小事典 (山川出版社)
国立博物館、国立科学博物館 展示物解説
マイクロソフトエンカルタ百科事典2007
高松市役所ホームページ「栗林公園」 http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kankou/meisyo/ritsurin.htm
長崎県庁ホームページ 長崎の文化財 https://www.pref.nagasaki.jp/bunkaDB/bunkazai/nagasaki.html
財団法人日光観光協会「陽明門」 http://www.nikko-jp.org/perfect/toshogu/youmeimon.html
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