デューク所員に招待され、デューク所員の古くからの友達グループの中に、僭越ながら混ざる形で海上自衛隊の2006自衛艦観艦式を見学してまいりました。観艦式というのは、もちろん日本の海上防衛を担う、海上自衛隊の自衛艦の数々を一堂に展示するというものですが、日本の観艦式が海外と一味違うのは、それを海の真ん中で巡航しながら実施するということ。岸辺に艦艇を並べて、「凄いでしょ」と誇示するのとは異なります。
というわけで、我々は訓練支援艦「てんりゅう」(写真上)に乗り込み、相模湾へ向けてクルージング開始です。
いやあ、京浜急行田浦駅に7時30分集合はきつかったなあ・・・。
なお、本当はさっさと原稿にまとめておきたいところですが、7時間ぐらい船の上にいたため、どうもまだ揺れている感じが・・・。
中途半端に、所長撮影雑記で暫定的に紹介する形で申し訳ありません。
さて、相模湾に向けて出航したわけですが、さすが観艦式。色々な船が参加します。
例えば、こういうセメントを運ぶ船や・・・。
天然ガスを運ぶタンカーなど・・・。
・・・スミマセン、ウソです。参加するはず無いですね。
冗談はともかく、様々な船が行きかいます。いわゆる「働く船」の観察も結構楽しかったですね。
さて、こちらが正しい画像(笑)。これら、観艦式の会場に向かって巡航中の艦艇の数々です。
これだけでも圧巻なのですが、まだほんの一部です。
見てください。実に、これだけの艦艇が揃っています。呉や長崎などからも多数が参加しています。
ちなみに、この写真はデューク所員の撮影。
んで、今から観艦式が開始されるのですが、右側に並んでいるのが受閲艦艇部隊。
左側に並んでいるのが・・・と言っても、写真では我々の船を含めて2隻しか映っていませんが、観閲艦艇部隊です。
観閲艦艇部隊は、前から2隻目に安倍首相が乗艦している護衛艦「くらま」がいます。
というわけで、今から受閲艦艇部隊は1隻ずつ反転し、安倍首相の観閲を受けながら、我々の脇を通り過ぎて行きます。
ちなみに我々が乗艦している、訓練支援艦「てんりゅう」は、観閲艦艇部隊の最後尾についています。
まず旗艦として、先陣を切ってすれ違うことになるのが、護衛艦たちかぜ。
次々と通り過ぎていく受閲艦艇部隊。
上写真は、護衛艦「さわかぜ」です。
護衛艦「ゆうばり」。
このほかにも山ほど通過していきますが、今日のところはこの程度にさせてください。
で、受閲艦艇部隊が全て脇を通過すると、観閲艦艇部隊も反転していくため、その際に我々の脇を通過。
上写真が、安倍首相が乗る護衛艦「くらま」。ブリッジの前が、なにやら豪華になっていますね。
それから、艦艇による様々なデモンストレーションが。
安倍首相が堪能するのを、後ろで「おこぼれにあずかる」のような形でしたが、それでも迫力満点。
上写真は護衛艦「やまゆき」が、赤外線誘導弾ミサイルを回避するための、IRフレアーを発射するところ。
(デューク所員撮影)
あと、潜水艦が浮上する姿なんか、なかなか見られるものじゃありません。
いい物を見させていただきました〜。
こちらは、補給艦と護衛艦が燃料、物品等を授受する洋上補給。テロ対策特別措置法に基づき、インド洋に派遣された部隊は、こんな感じで各国の艦船に補給をしているんですよ、というデモンストレーションです。
このほかにも山ほどの写真を撮影しましたが、そちらはまた追々。
ちなみに、早起きは三文の徳か。早朝の横浜駅に現れた、183系「あずさ」色を撮影・・・。
先週の写真でございますが、Zenigata所員から北陸本線の敦賀駅まで直流電化されたことに伴う、223系新快速敦賀行きの写真をいただきましたので、ここで披露いたします。敦賀〜新疋田での撮影で、この前までは223系が入線できなかった区間です。
一方、こちらは敦賀〜南今庄での撮影。JR東日本のジョイフルトレイン「浪漫」と牽引機のEF81。
ジョイフルトレインは、本当に広域で運用されるなあと思わせる1枚です。
当研究所のムスタファ顧問が貸してくれたALWAYS三丁目の夕日のDVDを祖母と観ました。
笑いあり、涙あり・・・とまさに表現できる作品で、ストーリー的には多少ベタなシーンも多い気もしますが、CGの素晴らしさと、本当の家族のように人情味あふれる役者さんたちの演技に最後まで魅了されました。たしかにこれは、大ヒットしたのも当然といったところですね。
それにしても、昭和30年代の街並みと今の街並み、ビックリするほど変わったんだなあと思います。
地方に行っても、目に付くのは昭和50年ぐらいからの建物ですからね。
・・・と、少し話がずれましたが、ドラマ的にも、昭和30年代の雰囲気を堪能するという観点からも、実に素晴らしい作品。
未見の人は、ぜひ!!(・・・今頃見た人間が言うことか!)
家の中でゴロゴロしているのも魅力的ではありますが、「今何してる?」「太ってる〜」なんてわけにはいけないので、とりあえず外出。こういうとき、なかなか鉄道の撮影というのは外出のきっかけとしては魅力的。後ほど、またまた青梅市を散歩することにしますが、とりあえず、JR中央線豊田駅へ向かいます。まずは回送されてきた115系を撮影。
続きまして、とりあえず本日の目的である189系あさま色による、ホリデー快速河口湖号を撮影。
や〜れやれ、ようやく満足できる1枚が撮影できました・・・。
もうちょっと豊田駅のホームで粘り、201系中央特快。
こちらはE257系特急「あずさ」。
そしてこちらは、大宮始発の183/189系ホリデー快速河口湖。
これにて豊田駅での撮影は終了し、恒例の(?)散歩に出かけます。
今回は青梅駅より、旧青梅街道の奥多摩方向に向かって歩きます。今まで歩いたことがない場所で、さてどんな感じかなと思いきや、このように昔ながらの家々が未だに数多く残っていました。青梅駅より立川方向のエリアでは、昭和レトロとして数多くの映画看板を建てたり、化と思いきや高層マンションが次々と建設されるという、ちぐはぐな空間が形成されていますが、こちらこそ、まさに歴史を感じさせる雰囲気があります。ちなみに、上写真は柳屋米店。明治9年築と紹介しているホームページもありました。
特筆されるのが、こちらの旧稲葉家住宅(東京都指定有形民俗文化財)。
青梅街道の青梅宿で豪商だった家柄で、元々は材木問屋として発展。いつの頃か青梅縞(おうめじま)の仲買問屋となり、最盛期には江戸にも支店を出したほど。現在、内部が一般公開されており、無料で見学することが出来ます。
こちらは、旧稲葉家住宅の近くにある金剛寺。平将門が創建したと伝えられており、「青梅」の名前の由来となった梅ノ木が残されています。また、写真の表門は、江戸初期の建築と推定されており、質素な構造ではありますが、なかなか歴史ある建築。さらに、金剛寺の外郭は、すべて板塀で囲まれており、なかなか引き締まった美しい姿です。
さて、青梅駅に戻ると奥多摩行きの普通列車に201系の特別仕様車である四季彩が停車中。
これに乗って、奥多摩まで行きたい気にもなりましたが、満員だったこともあり断念。当初の予定通り、今度は東青梅駅へ向かいます。
次なる目的地は、東青梅駅を成木街道沿い、北へ15分ほど歩いたところにある天寧寺。
境内のほとんどの建物が江戸時代に造られたままという、曹洞宗の寺院。写真の山門は1759(宝暦9)年の建築です。
ところどころに彩色が施されており、ちょっと豪華ですね。
境内はこんな感じ。本堂は1707(宝永)年築、禅堂は江戸中期築、鐘楼は1853年築・・・などなど。
物凄く重要な建築群だと思うのですが、あまり注目されていないのはどうして?(笑)。
ちなみに、この付近は室町時代から戦国時代にかけて、三田氏という豪族が治めた場所。
先ほどの天寧寺も三田氏が創建したもので、ここと東青梅駅との中間地点には、三田氏の根拠地である勝沼城跡があります。
今でも何となく、山城の雰囲気が残っていますね。
妹から「JR岡山駅が新しくなった」と写真が送られてきたので、勝手に掲載をしてしまうとんでもない兄です。こんばんは。
さて、今までホーム上へ橋上駅舎を設置する工事が行われてきた岡山県の中心駅、岡山駅ですが、10月15日に第1期工事が完了し、新しい改札口と、大規模な商業施設「さんすて」(サンステーションテラス岡山)がオープン。正直、まさかここまで変わるとは思いませんでした。また、意外と重要なのが東西連絡通路の開通だったりします。
商業施設の様子。スーパー、飲食店、衣料品店などが入居し、何かと話題の「スウィーツ」系の店も充実。
駅の魅力を大きく高めています。
改札口も、このように広々とした空間へ。橋上駅舎化により、東口、西口の機能も集約され、より便利になっています。
というわけで、これまで駅については無関心に近かったJR西日本では珍しい、大規模な開発。
郊外の田んぼの中に次々と巨大なショッピングセンターを建設する、イオンに対抗するためにも、ぜひとも人が集まる拠点として、駅の魅力を再び高めていってもらいたいですね。
本日は、ちょいと小田急電鉄が開催しているファミリー鉄道展2006へ。
ネオン所員も行かれていたようで、そちらは日本の旅・鉄道見聞録の企画特集で紹介しております。
それにしても、今回の展示内容は通勤電車1形を出してくるなど、なかなか見ごたえアリ。
数多くの撮影客の整理も手馴れたもので、好き勝手に写真を撮らせるわけではなく、約20人ずつぐらいに小分けして撮影客を車両の前に誘導し、5分程度の撮影タイムを設定。撮影ポジションの取り合いになることもなく、整然と撮影会が実施されていました。素晴らしい。
先週に引き続きまして、東海道の宿場町を巡る旅へ。
今回はデューク所員と共にJR藤沢駅を起点に出発しますが、いきなり予定していた列車に乗り遅れるというハプニングも。ともあれ、熱海駅で少し駅前を見た後、写真の伊豆急行には乗車せず・・・東海道線に再び乗って、三島駅で下車します。
三島といえば、もちろん三島大社! 駅から歩いて5分ほどで到着します。
その本殿・拝殿は1866(慶応二)年築。そのほか、周りの社殿も同時期の建築です。
さすが施されている彫刻類も素晴らしく、建築的にも非常に見ごたえがあります。
こちらは旧東海道の三島宿跡。昔はこの道を大名行列などが通り、そして多くの人々が宿泊しました。
残念ながら、今は殆ど面影はありません。ただ、先ほどの三島神社は旧東海道沿いであり、多くの参拝客で賑わっていたことでしょう。
さて、他にも色々見た後で三島駅へ戻ります。
次に、今では静岡市清水区となった場所にあるJR清水駅で下車。
もちろん、列車の撮影は欠かせませぬぞ・・・。
改築されて立派になっている清水駅。もっとも、駅の商業施設が充実しているわけでは・・・ないようです。
さて、清水駅から西へ少し歩き、清水銀座という商店街がある場所が、かつての江尻宿です。かつての繁華街は、そのまま現在の繁華街・・・にしては、ちょっと活気が失せている感はありますが、ともあれ現在も賑わっています。ただ、往時の面影が残る建物などはなく、見たところ解説板も特に設置されておらず、ただ江戸時代後期に創業したという、お茶屋さんが、歴史を感じさせてくれました。
今度は静岡鉄道に乗車。新清水駅と新静岡駅を結ぶ鉄道で、なんと数分間隔で運行されています。しかも、2両編成とはいえ、きちんとした鉄道車両にお客が次々と乗ってくる。さすがは政令指定都市というのもありますが、やはり運行間隔と適度な駅間距離が乗客獲得の成功要因でしょう。ただ、JRの駅といずれも離れているのと、もう少し清水区に活気があれば・・・。
静岡市葵区に到着。静岡鉄道新静岡駅の直ぐ前が、かつての駿府城跡(駿府公園)であり官公庁も集結。駿府城前に建つ静岡市役所は、このように実に特徴的なデザインをしていますが、これは1934(昭和9)年の建築。塔屋が実に素敵です。
一方、向かい側に建つ静岡県庁本庁舎は、いわゆる帝冠様式の堅固な雰囲気の建築。1937(昭和12)年築。
ちなみに、周囲には東館(18F)・西館(10F)、新館(20F)という高層ビルに変貌した静岡県庁の庁舎群に囲まれています。県庁の建物で、これだけ高層ビルがあるというのは、ちょっと珍しい・・・。
さて、駿府城本丸へ。
駿府城といえば、この人です。徳川家康の本拠&隠居の城。老年期の家康が、鷹狩の鷹を手に持った像が建立され、シンボルとなっております。
天守閣は家康の城にふさわしく、このような形をしていたと考えられていますが、1635(寛永12)年に焼失して以降、再建されなかった上、明治になって天守台の石垣まで壊されてしまった始末。実に残念です。
こちらは駿府城下復元模型。
さて、駿府城の見所の1つは復元された二ノ丸の東御門・巽櫓です。先ほど紹介した模型も、ここで展示されています。
また、木造で復元されているため、なかなか内部の構造も見るべきところがあります。
そして新幹線に乗って小田原へ戻ります。ここでデューク所員と別れ、藤沢に向けて帰るのか・・・と思いきや、急に「そうだ、小田原の宿場町跡ってどんな感じかな?」と思い、行くことにしました。写真は、改築された小田原駅。
小田原駅から南に海岸方面に向かって歩き、現在の国道1号線に出ます。意外や意外(?)、小田原宿をテーマにした建物も発見。完全に存在が無視されている、先ほどの江尻宿(静岡市清水区)とは大きな違いです。
箱根方面を見ます。さすがに、現役バリバリの国道1号線である以上、拡幅もされています。
どうやら江戸時代には御用商人を務めた家による薬局。建物もかなりの年季が入っています。
ある意味で小田原城よりも立派な城郭風の建築は、小田原銘菓の「ういろう」の老舗。
実際にあった建物を、戦後になって鉄筋コンクリートでさらに壮大にスケールアップして建築したようです。
・・・いや、本当になかなか迫力があって素敵ですね。
と、これだけ見て、ようやく満足して(?)本当に帰路に着くのでした。
本日もちょっとお出かけ。まずは、偶然時間があったので、八王子駅で183系特急「あずさ」を撮影。
夏から秋にかけては行楽シーズンということもあり、もはや定番の臨時列車ですね。
ちなみに本日使用されたのは、幕張車両センターのC4編成のため、目の部分がクリーム色に塗装されちゃっています。
横浜線で町田まで行き、小田急線に乗り換え。
7000系特急ロマンスカー「さがみ」が停車していたので、ちょっと撮影しておきます。
こちらはJR御殿場線に乗り入れ、沼津へ行く20000系特急「あさぎり」。
こちらは相模大野で撮影した5000系。次に引退するのは5000系であるのは確実なので、まだ普通に見られるうちに撮影なり。
藤沢にて。本日の小田急江ノ島線は5000系祭り状態・・・。今のところは、まだまだ主力で活躍中のようです。
さて、東海道宿場町の1つ、平塚(現、神奈川県平塚市)へ。
昨日は青梅街道の宿場町、青梅でしたが、今度は東海道でございますぜ(笑)。
バス通りにもなっている駅前の商店街を小田原方面に、つまり西へ歩くと平塚宿の江戸見附が見えてきます。
見附というのは、入り口・見張り場所といった意味で、ここは、かつての平塚宿への入り口にして、江戸方向にあるものです。
ちなみに、京都方面からの入り口は、上方見附といいます。
平塚は軍事工場が数多くあった関係で、空襲で町の大半を焼いてしまっているため、戦前の建物はほとんどありません。
ただ、江戸見附近くに残る旧平塚小学校校舎(現、崇善(そうぜん)公民館)は近代建築として、かつての学校建築としての威容を今に伝えています。
平塚宿本陣跡。案内板等は2001年に整備されたので解りやすいですが、意外と歩きます。
それにしても、脇本陣跡なども含め、何も往時をしのばせるものがないのは、ちょっと残念。
ただ、駅を北にまっすぐ行ったところにある、平塚郷土博物館には、平塚宿の復元模型がありましたので、参考になります。
平塚宿の風景。かつてはここが平塚の中心としてにぎわっていました。
ところで、平塚は囲碁の町としても有名で(多くのプロ棋士を輩出した、木谷實九段の居宅と木谷道場があったため)、毎年この時期になると「湘南ひらつか囲碁まつり」が開催されます。すごいのは商店街に、1000人分の碁盤が用意され(前後半で500人ずつ使用)、第一線で活躍する木谷門下生を中心としたプロ棋士60人以上が指導してくれます。当日の飛び入り参加も可能とあって、このとおり、多くの人でにぎわっていました。
我々、若い人間にもおなじみ「ヒカルの碁」の監修、梅沢由香里5段による初心者教室も開催されました。
さて、帰りは中央線立川駅で、189系あさま色を撮影。
ホリデー快速河口湖号として運用されたあと、ここに回送されてきたものです。
いや、これはすごい。
・・・もちろん、横浜線の逗子行きも、休日の8時55分八王子発の快速1本のみと、非常に珍しいのでここに紹介した次第ですが、そんなことよりもPaint
Shop pro9という画像編集ソフトで、あらかじめスクリプトを組んでおけば、複数の画像を一気に(例えば)600×450ピクセルにサイズ変換してくれた上に、おまけにファイル名も自分の好きなファイル名+連番で保存してくれるのですから、所長撮影雑記などでは絶大な威力を発揮してくれることが判明。教えてくれた佐都副所長、有難うございます。
というわけで、一枚一枚画像を縮小し、一枚一枚新たなファイル名をつける作業から解放された所長。
今回は大量掲載とさせていただこうじゃありませんか。
てなわけで、本日撮影した横浜線の快速逗子行き。方向幕はこんな感じで、桜木町行きや、東神奈川行きとは異なるものでございました。ちなみに、走行ルートは八王子から東神奈川までが横浜線、東神奈川から大船まで京浜東北線・根岸線、そして大船からは横須賀線へ乗り入れて鎌倉経由で逗子に行くという列車です。
・・・横浜で横須賀線に乗り換えた方が早いと思うんですが・・・。
と、思ってみて調べてみたら、横須賀線に乗り換えた方が逗子到着が6分早いだけ。こりゃ、意外。
横須賀線経由だと10時24分に逗子着。この列車に乗り続けていると10時30分に逗子着。
八王子方面から、逗子の手前にある鎌倉に行く場合でも、乗り換えなしで便利な列車だということです。覚えておきます。
一方、こちらは先週も紹介した189系旧あさま色による、快速「ホリデー快速河口湖」号。
今頃なんですけど、この色って意外と落ち着いていて好印象ですね。
方向幕は、ただの「快速」。
さて、そのまんま中央線で立川駅へ行き、何となく青梅線に乗車して青梅駅で下車。
昭和レトロを観光資源に、なつかしの映画の看板などを立てたり、こうした古い商家も活用しております。
こちらも同じく、古い商家を活用した昭和レトロ商品博物館。
もっとも、青梅自体に古い町並みが多く残っているわけではなく、どんどん高層マンションも建築中。写真右の空間も、立派なマンションが建築されるそうです。1つ上の写真にある、白木屋呉服店との間の空間ですので、雰囲気が見事にぶち壊し。開発業者に景観を・・・という方が無理な話でしょうか。
さて、3年ぶりに青梅鉄道公園を訪問・・・と思いきや、なにやら神社があったので急遽、寄り道を決定。
こちら、住吉大社といいまして、1369(応安2)年に創建。5月2日、3日は住吉神社青梅大祭が行われ、12台の屋台形の山車が曳かれるなど、青梅の鎮守府といえる神社だそうです。なお、写真の拝殿は、文政年間(1818〜30年)の建築で、天井の雲龍図は、文政期の青梅の画家、小林天淵によるもの。
なかなか立派な拝殿でして、各部に施された彫刻はなかなか素晴らしいもの。
一方、本殿は1716(正徳6)年の建築です。昭和レトロをはるかに超える、素晴らしい青梅の文化財です。
さて、まもなく引退に向けて動き出す201系の、青梅線での活躍も記録するべく、青梅〜東青梅で少しばかり撮影。
そして、ようやく青梅鉄道公園に到着。少しですが山道を歩かないといけないので、なめていると思わぬ体力の消耗に驚きます。
その代わり、入館料はわずか100円!
写真は、今やほとんどが消えてしまったブルートレインのヘッドマーク(トレインマーク)集。あれ?、なぜか「さくら」が無い・・・。
数多くの蒸気機関車が屋外展示されている姿は圧巻。
0系新幹線の先頭車も保存されており、今では消えてしまった東海道新幹線0系オリジナル塗装をたっぷり堪能することが出来ます。
ちなみに、車内にも入れるようなので、ちょっと見てみましょう。
いきなり運転台から紹介(笑)。
東海道新幹線が出来た当初、乗り込んだ運転士の方々は何を思って運転されていたことでしょう。
車内の座席も良好な形で保存されています。
座ってみましたが、結構硬い。乗り心地も・・・あんまり良くない(笑)。
さて、東青梅駅へ向かって歩くことにしました。線路沿いを歩くと、もちろん201系がやってきますので撮影。
写真は6両編成の回送だったため、JR初期に「中央特快」のサボを差し込むために設置されたサボ入れが残る、先頭車を撮影することが出来ました。
さらに歩くと、まるで城郭のようなお寺が。
これは乗願寺という寺で、1300(正安2)年に、この付近にあった勝沼城主の三田下総守長綱が開山させたもの。
そのとなりにある、勝沼公会堂。
果たしていつの建築かは不明ですが、レトロな建物で、非常に周囲に合う雰囲気です。たぶん、戦前から大事に使われているのでしょうね。素晴らしい!!
東青梅駅近くになると、不思議な建築が。
洋館かな?・・・と思って近づくと、三菱のマーク。はて、これは何でしょうか・・・。
本日は朝、中央線(日野〜豊田)で撮影。近くの小学校で運動会があり、なおかつ近くが女子大という位置だったため、とても撮影に専念できる環境ではありませんでしたが、まずはE257系特急「かいじ」を撮影。
そして、本日の目当ては元、特急「あさま」用189系によるホリデー快速河口湖号。普段使用されている、元、特急「あずさ」用の車両が検査となるための措置で、しばらくの間、このような風景が土日に見られそうです。ありがたやありがたや・・・。
さて、じわじわと秋の気候が近づいておりますが、中央線の車内では一足早く紅葉を迎えました(笑)。
伊右衛門の宣伝のようですが、良くこんなの考え付きましたね。何の宣伝だろうと思わず見てしまうことから、かえって宣伝効果があるのかもしれません。それにしても、このポスターを作製している人はすごいなあ。
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