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○12月30日(土)

 というわけで岡山滞在中の所長。明日は広島の祖父の家へさらに帰省し、新年を迎えるわけでございますが、本日は「鉄道三昧」と称し、久しぶりに岡山の鉄道を撮りまくり・・・していたら、いつの間にか総社市へ出かけ、寺社仏閣・古墳見学三昧へと変化していましたが、とにかく密度の濃い一日となりました。というわけで、今年最後の所長撮影雑記は30枚の写真でお届けいたします。まずは、岡山駅にて、これから塗装変更される「やくも」塗装。

 「スーパーやくも」が「やくも」に統合され、両列車の塗装が混ざって運用されていますが(そのため、新塗装に移行するわけですが)、この列車も例外では無く、先頭付近は旧「スーパーやくも」塗装。ロゴは簡略化されています。

 さて、噂には聞いていましたが山陽本線の運用に就く103系スカイブルー塗装。偶然に見かけることが出来たため、新駅である北長瀬駅まで乗車しました。方向幕もきちんと取り付けられ、当面使用されそうですね。

 さて、この北長瀬駅がなかなか撮影しやすい環境にあるため、少し腰を落ち着けて撮影。まずは、岡山行きの115系。

 それから赤穂線直通の、播州赤穂行きの213系。6両編成で運転されており、かつてのマリンライナー運用を彷彿とさせます。

 この他色々と撮影した上で、今度は岡山電気軌道に乗車し、終点の東山で下車。
 そこへ、後続の列車として超低床車両である9200形「MOMO」がやってきたので、早速撮影。未だに1編成しかいないのが勿体無い車両ですね。JR九州の車両デザインでおなじみ、水戸岡鋭治氏のデザインです。


 別角度にて撮影。一足早く、新年のお祝いを掲出しております。

 さて、事務所に許可をいただいた上で、車庫内にある元・東武日光線の車両である3000形を撮影。こちら、現存する3両のうちの1両で、ピアノ電車塗装。車体に鍵盤が描かれています。

 それからこちら、東武日光線時代の塗装に復元された3000形。・・・と言っても、良く見ると車体真ん中下部に岡山電気軌道の文字が書かれていますが、かつての姿を見事に再現しています。第1土曜日を除けば、滅多に動いていませんので撮影させていただき、大変感謝〜!

 そして最後の1両が、以前にも紹介したKURO(くろ)。誰がデザインしたか、よく解る車両ですね。こちらもMOMOと同じく、水戸岡鋭治氏によるデザインです。

 さて、KUROに乗車し県庁通で下車。1922(大正11)年に建築された旧日本銀行を見ます。2005年9月からは多目的ホールなどを備えたルネスホールとして再生し、芸術・文化の場として親しまれています。

 円柱部をアップ。銀行建築らしい、美しい装飾です。

 続きまして岡山城まで歩き、まずは月見櫓(重要文化財)を撮影。付近の樹木が伐採されたようで、ようやく外観が見られるようになりました。こうやって見ると、小さいながらも迫力が・・・。

 天気が良かったので、続いて岡山城天守閣も撮影。

 こちらも岡山城の風景。

 さて、岡山駅に戻りますが、珍しくバスを撮影。こちら、岡電バスで・・・、例の人のデザインです(笑)。

 岡山駅にて、特急スーパーいなば。

 JR四国の高知行き特急「南風」(2000系)。意外にも、この2000系後期型の車両は初の撮影だったりします。

 さて、岡山駅から吉備線に乗車し備中高松駅で下車。

 備中高松と聞いてピンと来る方もいると思いますが、豊臣秀吉の水攻めでお馴染みの備中高松城跡。城跡はよく整備されており、平城であった頃の雰囲気をつかむことが出来ます。これでは、水攻めされてはひとたまりも無いですね。

 こんな感じで水攻めにされたそうです。イラスト左に流れる足守川の上流をせきとめ、一気に決壊。

 さて、備中高松城に戻りタクシーに乗って造山古墳へ。全長350メートル、全国第4位の規模を誇る前方後円墳で、周囲にも多数の小規模な古墳があります。いかに当時、この吉備地方に強大な勢力があったかがよく解ります。古墳好きのタクシーの運転手さんが、その魅力について色々と語ってくれました。さて、ここまでが岡山市で、続いて総社(そうじゃ)市へ移ります。

 そして、引き続きタクシーに乗って備中国分寺へ。ここは、元々は聖武天皇が全国に建立させた国分寺の1つですが、中世に廃寺となり、江戸時代に再興されたもの。岡山県で唯一の五重塔(重要文化財/江戸時代末築)は、京都などで見られる五重塔と異なり、周りに何も大きな建物が無いため、実に迫力のある姿を見せてくれています。

 さて、備中国分寺の南には旧山陽道があります。これもタクシーの運転手さんから教えていただいたものですが、JR山陽本線を思い浮かべていたら、岡山県下の山陽道って結構内陸の方を通っていたんですね。現在もこのように、古い建物が数多く残っており、歩くと非常に面白い。

 特にこの辺は、古墳街道と言ってもいいほど様々な古墳が沿道にあります。こちらは寺山古墳。

 こちらは角力取山古墳。全国でも珍しい方墳なのが特徴で、戦前にこの古墳の西側で、御崎神社の秋祭り最終日に奉納相撲が行われていたことから、この名前がつきました。

 さらに、この古墳の脇にはギリギリ山古墳が。と言っても、昔からあったわけではなく、道路建設の際にここに移築保存したそうです。

 さらに、北へ歩くと全国第9位の規模を持つ、作山古墳という前方後円墳が(全長285m)。

 そして北に1時間ほど歩いて、東総社駅近くにある旧総社警察署(現、まちかど郷土館)へ。明治43年の建築らしく、入り口付近の多角形の構造が特徴的。総社に洋風の建築をと意気込んだ職人さんたちのこだわりが感じられます。

 そして最後になりますが、この旧総社警察署に隣接して備中総社宮へ。ここは、吉備国府が開かれたときに設置された時に創建された、この地方の主な寺社を総括する場所。総社市の市名は、ここから由来しているんですね〜。

○12月29日(金)

 親父の転勤先である岡山に帰ってきました。まあ、帰ってきたといっても故郷でもありませんので、ぶっちゃけた話、旅行先に近い存在ではありますが・・・(それでも、大学4年の時は、長期休暇を過ごしていますけど)。ともあれ、色々な土地を知ることが出来るという点で、やはり何年も訪問するというのは面白い。町名もだいぶ覚えましたし、細かい変化を見るのも楽しいです。

 さて、以前にも私の親が撮影した写真で紹介しましたが、今度は私の撮影で橋上駅舎となった岡山駅を。
 ずいぶん開放的なデザインで、好感が持てます。この部分は東西連絡通路であり、右側が駅舎部分、そして左側が商業ゾーンであり、大いににぎわっていました。

 こちらが改札口。問題は、津山線・吉備線のホームが取り壊し予定のホームにあるので、新駅舎と接続しておらず、暫定通路みたいなのを長い距離歩かないといけないこと・・・。これは厄介です。地下にある改札口なら、今までと同様のままなので、そうした問題は無いのですが。

 引き続き工事が進められており、将来的にはここにロータリーが出来て、送迎などが出来るようになります。

○12月24日(日)

 メリークリスマス!
 というわけで、ちょっとした記念写真。昨日、デューク所員と河口湖に出かけた際、ローソンで販売されていたスヌーピーのフィギュア+
クリスマスツリーのセットを購入したものです。いやあ、ウッドストックを抱くスヌーピーが可愛いですね。

 さて、本日は相模大野→藤沢まで小田急ロマンスカー「ホームウェイ」に乗車。江ノ島線では非常に珍しい7000形による運用。まあ、7000形だろうが何だろうが、とにかく便利です。結局、祖母の家のある日野から、この藤沢まで、普段は中央線・横浜線・小田急線経由で1時間30分以上はかかるところが、接続も良くて1時間10分ぐらいで着いてしまった。これからお世話になりそうです。

○12月23日(土)

 先週の京都・大阪・神戸旅行で今年の旅行は帰省を除けば終わり・・・にする予定が、つい出来心でデューク所員を前日の真夜中に「明日行きましょう」と呼び出し、あげくに1時間遅刻するという超極悪な裏辺所長。中央線から引退する201系を高尾以西で撮影することを目的とし、今回は鳥沢駅と大月駅で撮影することにしました。というわけで、まずは鳥沢駅にて。

 それから鳥沢駅を出て、少し西へ向けて歩き出します。国道20号線沿いは、かつての鳥沢宿であり、かつてを偲ばせる雰囲気が残っています。今年は宿場町巡りばかりですな・・・。

 さて、10分弱歩いたところで有名な撮影ポイントである鳥沢〜猿橋間の梓川橋梁へ到着。我々が鳥沢まで乗車した201系が、大月から折り返しの中央特快東京行きとしてやってきました。風光明媚な景色を背景にして走る通勤型電車(笑)。それにしても、初めてここには行きましたが、素晴らしい情景ですね。

 一方、こちらは甲府方面へ向かう中央本線の115系。

 さて、鳥沢駅に戻ります。良く見ると木造のこじんまりとした駅舎で、昔ながらの雰囲気が残っています。

 そして、またまた201系に乗車し、いざ大月へ。

 7分ほどで大月駅に到着し、我々の乗った電車は直ぐに東京行きとして出発していきます。

 さて、この後の計画は何もありませんでしたが、意外にもデューク所員は「未だ乗っていない」とのことでしたので、突如として富士急行に乗車。運よく富士急行ご自慢のフジサン特急(もとJR165系パノラマエクスプレスアルプス)があったので、乗車。先頭の展望車を占拠させていただきました。

 残念ながら窓ガラスが汚れていたので、多少興ざめでしたが、まるで電車でGOのごとく前面展望が楽しめるのは非常に面白い。写真は富士急行・マッターホルン鉄道姉妹鉄道15周年を記念した、1000形特別塗装車両です。

 こんな感じで前面展望が楽しめます。

 こちらがその展望車。途中駅で大月方面へ向かう列車と行き違ったときに撮影したものです。大月行きの列車、ガラガラですね・・・。前面展望を楽しみたい方は、昼ごろに大月へ向かうフジサン特急がお勧めみたいですね。これ、本当に不思議な感覚で面白かったです。

 さて、富士吉田駅でまずは下車。駅の周りをウロウロすると、富士急行唯一のオリジナル車両5000形がやってきたので撮影。

 そしてこちらは、どうやら物置として使用されている、もとJR169系三鷹色。河口湖行きの電車の車内から撮影しました。

 河口湖駅に到着。まずは、新宿へ向かうべく待機中の189系ホリデー快速河口湖を撮影。

 それから大月へ行く富士急行1000形を撮影。

 さて今年7月に行ったときには整備中でしたが、この河口湖駅前に富士急行の前身、富士山麓電気鉄道モ1形(1929年製造)が保存・公開されるようになりました。長らく駅に隣接する電車区で、肩身が狭そうに保管されていましたが、これでようやく安住の地を見つけたようです。ただ、長く美麗な状態を保つためには、出来れば屋根が欲しいところです。このままの方が、見る分にはいいんですけどね。

 車内に入ることも出来ます。暖かいレトロな雰囲気が最高ですね。

 整備が完了し、河口湖や富士山への玄関口としてイメージを一新した河口湖駅とその駅前ロータリー。観光拠点としてのますますの発展が期待されます。

 さて、せっかくなので河口湖まで歩いてみました。湖の風景もまた美しいですね。

 ちなみに、河口湖駅と河口湖の間にある円通寺。何となく古そうだったので、今回初めて訪問してみたところ、本堂が1786(天明6)年築、庫裏が1771(明和8)年築という、富士河口湖町指定有形文化財だそうです。

 さて、あわただしく河口湖の観光を終え、帰路に着きます。

 乗車したのは、先ほど停車していた189系ホリデー快速河口湖。特別料金不要で、新宿まで直通してくれるのは非常に有難い。ところが、元々は特急「あずさ」で使用されていた車両のために特別料金が必要と勘違いされるのか、中央線に入っても、多くの人が乗車を敬遠しておりました。

○12月16日・17日(土/日)

 我ながらよく行くと思いながら、またまた大阪へ。当研究所の桜乃顧問など、友人が何人かいることもあって、ついつい・・・。
 今回は桜乃顧問と、ちょっと難波宮跡を見学してまいりました。ご覧のように、復元された大極殿基壇の北側に大坂城が見えます。


 今回は私の旅は珍しく博物館へ。難波宮跡や大坂城大手門から近い、大阪歴史博物館へ。NHK大阪放送局に隣接する博物館で、10回ではご覧のように難波宮大極殿を原寸大で推定復元! しかも写真撮影OK!(笑) そして、左にある窓ガラスから下を眺めますと・・・。

 こんな感じになります。これは上手く考えた展示方法ですね。

 さて、翌日は京都方面へ移動し、初めて山科駅で撮影。湖西線の113系(写真)や117系が次々とやってきます。
 JR東海で113系、115系の引退が進む中、まさか最後の湘南色113系は、湖西線と山陰線(嵯峨野線)になったりして。

 それから、485系特急「雷鳥」を撮影。こいつは未だ紅葉が美しい背景が素晴らしいので、特に良い感じに仕上がりました。
 今回の旅行の中で、最もお気に入りの1枚です。


 今回はここから友人と合流して、なんとまた大阪を経由して、今度は神戸へ。
 異人館は久しぶりでしたが、特に写真の旧トーマス邸など、天井が高いこと高いこと・・・。
改めて観ると、また色々と驚くこと多数でした。

 有名な「うろこの館」ではサンタクロースが侵入しようとしています! 
 これはやばい、今すぐ警察に住居不法侵入の疑いで通報だ!!(←バカ)


 このあとは、神戸の中華街である南京町で色々と美味しく頂いた後、帰路につきます。新幹線は、何の問題も無いのですが・・・。新横浜で乗り換えた横浜線が超満員。サッカーFIFAクラブワールドカップ決勝戦が終わったところだったようで、とにかく人がどんどん乗って来る&乗って来る・・・。珍しい、小机駅行きの臨時列車も運転されていました。

○12月10日(日)

 今年は紅葉が長く楽しめて、しかも美しくて最高ですね。というわけで、井の頭恩賜公園(東京都武蔵野市・三鷹市)を散歩してきました。JRと京王電鉄の吉祥寺駅から歩いて直ぐの場所にある広大な公園で、四季折々の美しい風景を見せてくれます。

 帰りは京王電鉄井の頭公園駅へ行き、一駅だけ京王電鉄に乗車。この車両(京王3000系)の写真を撮るのも久しぶりです。

 せっかくなので、吉祥寺行きの京王1000系の写真も掲載しておきましょう。

 ちなみに、本日の裏の目的(笑)は、ようやく本格的にスタートする201系徹底特集のネタ集め。意外と撮影する機会のなかった西荻窪駅(上写真)などで少しばかり撮影いたしました。12月は宇宙・航空研究所のスタートに始まり、軍事・戦術研究所、動植物・古生物研究所、113・115系徹底特集(デューク所員の誤植チェックの後で正式公開します)、201系徹底特集と力入れまくってます(笑)。ぜひお楽しみください。

 ・・・しかし、台湾旅行の続きと日本史も書かないと・・・。

○12月6日(水)

 本日は仕事を休んで、ひたすら軍事・戦術研究所と、恐竜&地球研究所を改組して誕生する動植物・古生物研究所の完成に向けて作業。・・・だけでは幾らなんでもHPに情熱をかけ過ぎなので、久しぶりに東海道宿場町ウォーキングを実施。わが地元である、藤沢宿を皮切りに、戸塚宿、保土ヶ谷宿を歩きました。・・・って、走破したわけじゃなくて、近くまで鉄道で行く、相変わらずの適当ぶりです。そこら中で、東海道を歩く年配の方々を見かけましたので、安易な私がちょっと恥ずかしい。

 というわけで、1枚目は藤沢宿。今のJR藤沢駅周辺ではなく、小田急の藤沢本町駅の前の大きな道が東海道です。今でも、幾つか昔ながらの家が残っているのは意外でした。


 その藤沢宿は、遊行寺の門前町として発展した場所。遊行寺は一遍上人を始祖とする時宗の総本山で、正式名称は「藤沢山 清浄光寺」といいます。実は、ここから、藤沢の名前が起こりました。現在でも広々とした境内に、巨大なイチョウの木、幕末から残る写真の中雀門などが見所です。

 現在の「藤沢宿」の東海道の様子。ちなみに、写真から左手に行くと白旗(しらはた)神社で、源義経を祀っています。

 というわけで白旗神社。社殿がかなり古いなあと思い、今調べてみたら、やはり江戸時代後期(天保のころ)のもの。藤沢、かなり色々と貴重な建築があるんですね・・・。

 続きまして、こちらは現在の「戸塚宿」の様子。写真左手に、かつては渡邊本陣がありました。戸塚宿の場合、今のJR戸塚駅の目の前が東海道で、今も昔も賑わっています。駅前は現在再開発中。幕末からの古い蔵もあるのですけど、果たして残してくれるのやら・・・。

 それからJR保土ヶ谷駅前から商店街を通り、国道1号にいたるルートが保土ヶ谷宿。写真は国道1号沿いで、写真左手の木造の建物がある場所が、かつての軽部本陣。小田原北条氏家臣、刈部豊前守の子孫が代々務めていました。ちなみに明治になって、軽部に改姓したようです。

 塀の中に取り込まれてしまっていますが、かつての通用門が残されているようです。木造の住宅の方も、近代建築的には面白い建物のような気が・・・。

 国道1号沿いは住宅街になっていますが、こちらの保土ヶ谷駅近くの道は現在も商店街として賑わっています。

○12月2日/3日(土・日)

 来た、見た、撮った!
 私は北へ、デューク所員はさらに北へ!ということで、これは茨城県、千葉県の鉄道各線をひたすら乗った裏辺所長と、雪が積もった北海道を旅したデューク所員の物語であります。まず、デューク所員の写真からは、五稜郭を紹介しておきます。実に素晴らしいじゃありませんか。

 さて、私のほうは職場の先輩であるY氏と共に、昼過ぎに新橋から都営浅草線に乗車。やってきたのは、京浜急行600形で、そのまま京成電鉄へ直通し、まずは写真のユーカリが丘駅で下車します。

 そして乗車したのが、ここから”ほぼ”環状運転を行うミニ鉄道、山万ユーカリが丘線。民間の会社が自分で開発したニュータウンに自前で造ったのが特徴で、ゴムタイヤの車輪で運転されます。面白いのは駅名で、公園駅、女子大駅、中学校駅と、なんともストレートなお名前。車両もかなり異質な形状をしています。

 そして京成電鉄に再び乗車し、今度は京成佐倉駅で下車します。

 佐倉でのお目当ては、空掘がよく残り、意外と堂々たる景観を残す佐倉城の遺構を見学すること。

 そして、佐倉城跡内にある、日本の歴史系の博物館の頂点的な存在である、国立歴史民俗博物館。展示物のあまりの凄さに驚きました。特に、色々な歴史的な風景が各種のジオラマで再現されていたのは、当時の風景を知る上で大いに参考に。こういうのを、歴史の授業で使えれば・・・。

 さて、京成電鉄で成田駅へ行き、今度はJR成田線に乗り換え。最近登場した、211系も成田線の運用に就いていました。もっとも、我々が乗ったのはE231系でしたが。

 そして我孫子から常磐線に乗り、水戸駅へ。藤沢駅の80系キオスクと共に話題になっている、E653系「フレッシュひたち」を模したキオスクを見学。これは良くできていますわ・・・・。他も造ってくれないかと、期待しています。さて、これにて1泊。

 さて、翌日は常磐線に1駅だけ乗車し、まずは勝田駅で下車。このとき乗ったのは、写真のE531系。

 ここから、2008年3月で廃止の意向が示されている茨城交通湊線に乗車。
 もと留萌鉄道の車両であるキハ2000形に乗車することになりました。塗装は、最近のリバイバル塗装ブームでも再現されない、旧国鉄準急色。保存車両も含めて、ここだけしか、この色は観られないのではないでしょうか。


 沿線は、最初に日立の工場を見ながら進むと、あっという間に田園地帯に。典型的なローカル線で、これはたしかに、経営が苦しくなるのは無理は無い・・・けれど、鉄道ファン的には楽しい車窓です。那珂湊駅まで行き、また戻ります。

 続きまして、またまた常磐線(415系)で水戸駅へ戻ります。

 こちら、駅前で旅人を見守る水戸黄門様ご一行。

 その黄門様ゆかりの、水戸城は駅の直ぐそば。面白いのは、二の丸と本丸の間にあった堀が、今は水郡線の線路敷きとなっています。

 こちら、水戸城で残る、唯一の建造物である薬医門。水戸城は県庁や高校などの公共施設の敷地となっており、この薬医門も例外ではなく、高校の敷地内にあります。しかし、ここは見学することが可能です。

 城としての建造物はこれだけですが、しかし三の丸には水戸藩第9代藩主、徳川斉昭が造った藩校である弘道館が残っており、全国的に見ても貴重な、江戸時代の学校建築として価値があります。また、戊辰戦争で敗北し、恭順の意を示した徳川慶喜が謹慎した場所もこちら。

 さて、水戸駅にまた戻り写真の鹿島臨海鉄道に乗車・・・はしないで。

 特急「フレッシュひたち」に乗車し、常磐線の石岡駅で下車します。

 ここからは、2007年4月1日で廃止される予定の鹿島鉄道に乗車。とにかく鉄道ファンが沿線で撮影しまくり。肝心の車内も鉄道ファンばかりで、地元の人は・・・あまりいません。平日は、学生の利用が多いみたいですけどね。

 途中駅での1枚。

 こちら、終点の鉾田駅。ちなみに、写真のキハ601は1936年製造で、ディーゼルカーとしては現役最長老の車両です。前面は戦後に簡易な形に改造されていますので、誕生時の姿とは異なりますが。

 そして石岡駅に戻り、17分ほど時間があったので・・・大急ぎで、超特急で無理やり街並みを散策。石岡は古い街並みが随所に残っており、また平将門が襲撃した常陸国府が、この石岡にあるなど、歴史の舞台として重要な場所。また今度、じっくりと散策してみたいものです。

 さて、常磐線にまた乗車して友部駅へ。ここから、水戸線に乗車し西へ向かいます。

 なんと、さらに下館駅で真岡鉄道に乗り換えです。車両は2002(平成14)年に登場したモオカ14形で、車内は非常に明るく、乗り心地も快適。

 そして折本駅で、SLを撮影。旅行の計画を立てるにあたって、全く予定していなかったことで、まさにラッキー。
 可愛らしい蒸気機関車C12が、これまた貴重な存在となってしまった50系客車を牽引しています。そういや、現役の50系客車って、ここだけでは・・・?


 さて、終点まではさすがに行かず真岡駅で下車。保存されているキハ20形などを撮影。

 真岡駅と言えば、巨大なSL型の駅舎(公共施設)が有名ですが、実際に見ると確かに迫力満点。
 ただ、このハコモノに見合った使われ方をしているかというと、やや疑問符も・・・。まあ、モニュメントとして面白いですからね。観光資源としては悪くないと思います。


 さて、いよいよ旅も終盤戦。執筆もいよいよ終盤戦。
 ここから関東鉄道常総線に乗り、守谷駅へ向かいます。つくばエクスプレスとの接続に特化した快速列車で、なかなか俊足で、途中の大半の駅を飛ばしてくれます。


 そして最後は、その「つくばエクスプレス」。酷い写真になってしまいましたが、乗車の記録ということで気にしない。
 というわけで、駆け足になりましたが、北関東の様々な鉄道に乗りまくった乗車レポートのまとめを終わります。いくらなんでも、ここまで「鉄」にこだわったのは、初めて・・・。さすがに疲れますよ、これは・・・。

 ちなみにデューク所員といえば、岩見沢駅で雪が降り始めた・・・と思ったら

 あっという間にこんな状況になってしまったとか。
 こんな状況でもカメラを構えるデューク所員は本当に凄い。誠にお疲れ様でした。

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