○9月29日・30日(土・日)

 職場の人たちと伊豆方面へ。デューク所員と昨年のほぼ同じ時期に訪問して以来、久しぶりに三島大社に行ってきました。本殿・拝殿は1866(慶応二)年築で、やはり彫刻等に見ごたえがあります。 

 続いて清水町の柿田川湧水群へ。ここは富士山から由来する、なんと1日100万トンの水量を誇る東洋一の湧水。
 現在は飲料用、工業用、農業用として非常に多くの人に利用される水ですが、実は明治以降、工場廃水等によって汚染されていたものを、戦後になって住民の方々がナショナルトラスト運動を展開して用地の買収と、水質浄化に長年にわたって取り組んだ結果、現在の美しい状態を取り戻しています。現在も用地取得は続いているとか。

 この通り、次々と水が湧いて来ます。

 また、様々な動植物の宝庫となっており、これからも守り続けて生きたい自然遺産ですね。

 さて、翌日は家で法事があったために一人でわざわざ修善寺から東京都日野市に向けて帰還。・・・遠い。
 上写真は伊豆箱根鉄道7000系。


 伊豆箱根鉄道7000系の車内の様子。

 こちらはJR三島駅。三島大社の玄関口としてふさわしいデザインで、1934(昭和9)年築です。

 熱海駅で偶然撮影した、伊豆急行2100系「黒船電車」。

○9月24日(月)

 「野球観に行かない?」
 というムスタファ顧問の誘いを「疲れているから嫌だ」というわけで断っておきながら、結局は叔母から「散歩に行かない?」と言われて祖母も連れて、国立市を散歩。特に目的はありませんでしたが、久しぶりに一橋大学を見学。とにかく重厚な近代建築が多数残っており、改めて観ると感動的でした。

 上写真は兼松講堂。1927(昭和2)年築で設計は伊東忠太。


 伊東忠太らしいのか、それとも全然関係無いのかもしれませんが、兼松講堂には動物等をかたどった独特な彫刻が多数。
 こうした彫刻は、やはり戦前の建築ならでは、ですね。

 こちらは附属図書館。1930(昭和5)年築で、設計は伊東忠太。このほかにも多数、見ごたえのある、そして奥行きのある、重厚な建築が多数残っています。

 JR国立駅から一橋大学を経て南に伸びる、大学どおりの風景。景観論議に一石を投じた国立マンション訴訟(最高裁で住民側敗訴)の舞台となったマンションも見てきました(写真の方向とは反対側で、大学通りの南端に位置します)。景観を守ること自体は私も大賛成ではあるのですが・・・。

 このケースの場合、大学どおりの南端のマンション云々以前に、JR国立駅の裏側がこんな状態で、既に景観ぶち壊し・・・(苦笑)。そして、美しい景観の中心的存在であったJR国立駅の駅舎すら、現在は無いのが現状だったりします。それはともかく、景観の問題自体と、それに伴う法的な問題について色々と考えさせられる事例ですので、興味がある方はぜひ調べてみてください。

 さて、なんとなくJR南武線209系を撮影。

 そしてデューク所員、さらに野球観戦後のムスタファ顧問と合流し、某所でシンガポール料理に舌鼓。

 料理名も覚えていませんし、調理の特徴等もよく解らなかったですが、程よい甘辛さはなかなか美味しい。
 ご馳走様でございました。

○9月23日(日)

 本日は味野源次氏、ほか1名を連れて福島県会津若松市へ。2003年9月30日に訪問して以来、ほぼ4年ぶりです。
 前回は猪苗代とセットで日帰りという超強行軍だったため(・・・しかも祖母を連れて)、会津若松城(鶴ヶ城)しか見ることが出来ませんでしたが、今回は色々と見て回ってきました。もっとも、やはり日帰りですが。

 では、まずは郡山駅より磐越西線の快速で出発。719系による4両編成でしたが満員。残念ながら座れず、失礼ながらローカル線で1時間以上立ちっぱなし(笑)。ちなみに、本日はSLが旧型客車を率いて運転されていたため、沿線には多くの鉄道ファンが詰め掛けまくっていました。

 しかし、線路ギリギリの場所で撮影する人が非常に多く、危険極まりない! 1人2人どころの話ではなかったので、この場を借りて警告しておきますが、その程度で「次回からは自粛」するような人はいないでしょう。大事に至る前に、列車の運行妨害ということで警察に逮捕されていただきたい。


 さて、会津若松駅に到着。会津若松駅構内では、輸送力確保ために復活した455系が待機していました。さすがに、引退イベントまでやった「あかべえ」編成では無かったですが。いつまで運用されるのかは解りませんが、まだしばらくは455系の活躍を見られそうです。

 そして会津鉄道の車両に乗車し、隣駅の七日町駅(只見線)で下車。この不思議なデザインの車両、味野氏らには少なからぬインパクトがあったようです。車内は明るく綺麗で内装の雰囲気も良く、なかなか好感が持てました。

 では、七日町駅から城の方向に向かって歩きます。

 早速見えてくるのが御三階(ごさんかい)。会津若松城唯一の遺構で、元々は本丸にあったものを明治3年に移築。外観は3階ですが、中は4層になっているのが特徴です。2階と3階の間に、天井の低い部屋があるのだとか。

 また、七日町駅周辺は古い町並みが残っており、町歩きに最適です。

 会津若松市役所。威風堂々とした構えで、会津地方の中心としての威厳が感じられます。

 そして久しぶりの会津若松城(鶴ヶ城)。

 さらに循環バスに乗車し、会津武家屋敷へ。ここは会津藩家老、西郷頼母の屋敷が復元されており、会津藩の上級武士の暮らしぶりを見ることが出来ます。屋敷全体が復元されているため、その生活の雰囲気を非常に良く感じることが出来るのが素晴らしい。

 さらにタクシーで約3000円払って(泣)、会津藩の学校である藩校「日新館」へ(交通の便が悪い・・・)。現在の建物は復元されたものですが、ここも学校全体が復元されたおかげで、藩校の全体像が非常に良くわかります。日本最古といわれるプールや、天文台など独特な施設を持っているのが特徴。

 「日新館」からの眺め。

 イベントで使用された馬が戻ってきました。

 そして快速「あいづライナー」で郡山へ帰還。商店街にある某ラーメン店で夕食にしたのですが、これが非常に美味しい。醤油豚骨好きの私には大ヒットの味付けで、濃いはずなのに、強すぎない味付けで、口の中で嫌味のない味わいが堪能できます。郡山で途中下車する際には必ず行くことになりそうです。

○9月22日(土)

 本日はデューク所員と江ノ島電鉄・極楽寺検車区へ。江ノ電を代表する旧型車両300形の現存2編成のうち、303+353号(右側)の編成が引退することに伴い、撮影会が開催されたので見学に行った次第。長らく運転されていなかったので、大丈夫かなと思っていたところ・・やはり再起は無理だったようです。故障等を起こしたときの、部品確保が難しいのでしょうか。ともあれ、寂しい限りです。

 それから本当に久しぶりに東京モノレールを撮影。JR田町駅から少し歩くと、こんな風景に出会えます。

 東京モノレール1000形。

 東京モノレール2000形。

 こちらは1000形ポケットモンスターラッピング車両。

 こちらは東京モノレール1000形リバイバル塗装。モノレール開業39周年を記念し、開業時の車両の塗装を施したものですが、塗装変更ら3年程が経過しても運行されているとは思いませんでした。

 ちなみに、1000形の旧塗装って何でしたっけ?とデューク所員から質問があったので、今では見られない、少し懐かしい塗装を掲載しておきます。

 ところで、最近はこうした街中の案内板で「デザイン的に面白い」と思ったものを撮影しています。今は原稿にまでして掲載する余裕はありませんが、マンホールのコーナーがひと段落着いたら、ちょっとまとめてみたいと思います。

 ここまで来たからには、モノレールに乗車して羽田空港へ。

 展望デッキで、私だってたまには飛行機をいくつか撮影。解説を書くと墓穴を掘りそうなので、写真だけ載せておきます。


○9月20日(木)

 タイトルだけ表示して、一体いつになったら載せるんかいな、と伝言板で指摘を受けた鉄道コーナーの原稿3つを、ようやく一念発起して掲載しました。おそらく4年ほど放置していたと思います、スミマセン。まず1つは、2000年8月に運転された485系「はと」リバイバル運転の模様。先日は「はくたか」で盛り上がりましたが、本格的な国鉄特急リバイバル運転第1号は、これだったような感じもします。

 それから2002年4月に運転された、青梅線103系引退の模様。従兄弟の佐都青木氏による撮影で、肝心のワタシは大学のサークルの関係でどうしても撮影にいけず、実に残念でした。ちなみに当時、103系を追い出したのは201系ですが、あっという間にE233系へ置き換えが進められています。

 そして2003年8月に運転された113系による臨時快速「よこすか開国祭記念号」。スカ色の113系が、かつての本拠地であった横須賀線を走行するのは久しぶりの出来事でした。そして当時、まさか近くの神奈川県藤沢市に将来住むことになろうとは、思ってもおりませんでした。もっとも、まさかその後も週末は、東京都日野市にある祖母の家に帰っているとも思ってませんでしたが(笑)。

 というわけで、長らく放置してスミマセン。要はやる気の問題でした・・・。

○9月17日(月)

 上野の東京都美術館で開催中である、トルコ・イスタンブール歴史紀行「トプカプ宮殿の至宝展」を家族で見学してきました。
 これが超豪華な展示品ばかりで、もう目には「$」の文字が点滅状態(笑)。「ハエたたき」まで、きらびやかな装飾が施されていたのには、オスマン帝国の栄光時代がいかに凄かったかを思い知ることが出来ます。

 そして上野駅構内で、公園口近くにあるスヌーピータウンKIOSKへ。スヌーピータウン自体は全国にいくつか存在していますが、KIOSKとしてやっているのは、上野、仙台、新潟の3つ。ところが、今月でスヌーピータウンKIOSKは全て店をたたむとか。特に仙台、新潟周辺にはスヌーピータウンはKIOSKしかないため、このエリアからは完全に撤退ということになります。

 ディズニーのミッキーのように、極端な商業主義路線は決して取って欲しくは無いものの、こういうちょっとした店すら無くなってしまうのは、ちょっと残念です。以上、スヌーピー好きの所長でした。

 昼食は、吉祥寺のヨドバシカメラ(旧三越百貨店跡)の北側に出来た、讃岐うどん大使 吉祥寺麺通団で、讃岐うどんを堪能。麺通団については、以前にも新宿店を紹介していますが、「麺通団って何?」「よくある讃岐うどんのチェーン店とは何が違うの?」と思った底の貴方!
 公式サイト:http://www.mentsu-dan.com/
 をよく読んで、お勉強してくださいまし。団長の日記も面白いですよ。

○9月16日(日)

 本日は所用により、アウトレットパークでおなじみの東京都八王子市南大沢へ。
 駅を降り、目の前に広がるアウトレットパーク「ラ・フェット多摩 南大沢」を通ると、元の東京都立大学である、首都大学東京です。こんなところとは知りませんでした。


 首都大学東京から南大沢駅方向を眺めた姿。

 ラ・ファイエット多摩はちょっとしたテーマパーク風で、歩いていてなかなか楽しい場所。これが答えだ、という訳ではありませんが、商店街の再開発等を行う際には、こういうデザインもいかがでしょうか。少なくとも、和風にしろ、フランス風にしろ、スペイン風にしろ、中国風にしろ、統一感のある町並みで、看板が乱立していない姿は、なかなか綺麗なものです。

 さらに本日は、丸ビルで明日(月曜日)まで公開されているモアイを見学。思ったほど大きくは無いですが、しかし小さくはありません。
 是非、三連休の最後に見られてはいかがでしょうか。滅多に無い機会ですよ!

○9月15日(土)

 9月、10月は三連休の宝庫で素晴らしいですね。というわけで、本日は埼玉県の深谷市でも観光しに行こうと考え、水澄風流所員を連行するはずだったのですが、集合時刻に現れず、電話してもメールしても音信不通。夕方に電話したところ、「今起きた」とのことで、二日酔いだったようです。わたしゃ、そんなに酒は飲まないので二日酔いになったことが無いのですが、さぞかし頭が痛いことでしょう。ただ、(酒に)お金を払って、わざわざ体調崩しては仕方ありますまい。ほどほどに。

 というわけで、予定通り深谷市に行ってもよかったのですが、久しぶりに完全に「鉄」に特化することにしました。
 まずは新宿駅で、いまやすっかり運転が定着した189系「彩野」編成による特急「日光」を撮影。

 そして、大宮駅で東北・上越・長野新幹線系統の撮影。まずはE2系「はやて」。

 それから偶然やってきた、200系国鉄色リバイバル塗装の「とき」。

 同じく。1編成しかなく、特に運行ダイヤが公表されているわけではないので、これはラッキー。

 圧倒的な存在感のE4系「Maxやまびこ」+400系「つばさ」。

 400系「つばさ」は、信じられないことに順次退役が予定されており、当たり前に見られるうちに撮影・・・。デザイン的には、新登場の車両といわれても全然違和感無いんですがね。

 こちらは200系「なすの」。

 そして今度は高崎線に乗車し、熊谷へ。ちょっとだけ秩父鉄道の車両を撮影します。
 ・・・と、撮影してくださいと言わんばかりに、見事に主力3形式が並んでおりました。

 急行「秩父路」に運用される6000系。元は西武鉄道の通勤型電車、新101系。

 今回、初めて車内を見ましたが、元が通勤電車とは思えないほど変貌していますね。

 秩父鉄道でのお目当てはこちら、主力車両の1000系1編成を、元のJR101系中央線時代をイメージしたオレンジ色に復元したもの。土休日の運用がホームページ上で掲載されているのがありがたい話で、おかげさまで簡単に撮影できました。ワンマンの文字が余計ですが、まさに国鉄時代です(笑)。冗談で考えた人は多いでしょうが、まさか秩父鉄道が本当にやってしまうとは凄い。

 こちらは5000系(持田駅にて)。元々は都営三田線の6000系です。

 そして熊谷に戻り、高崎線で北本駅へ。

 既に企画特集で掲載しましたが、489系「懐かしの特急はくたか号」を撮影。運行ダイヤが始発の金沢駅と、終点の上野駅しか紹介されていないため(私の探し方が悪かったのか?)、いつ通過するのかよく解りませんでしたが、適当に見当をつけたところ、幸いにも、それほど待つことなく撮影できました。

 そして高崎線に再び乗車し、大宮駅へ。その手前では、いよいよオープンを目前に控えた鉄道博物館に、フレンドリートレイン(休憩用車両)となった455系2両が見えます。仙台地区から引退目前の455系と、この塗装。これからは大宮でずっと見られるとは、なんとも不思議なものです。

 ちなみに高崎線からはこのほかに、動態保存車となったキハ11、ラーニングゾーンで展示されている103系(京葉線のクハ103−713)カットボディ、交通博物館から移設された167系先頭車レプリカが見えます。また、相変わらず301系先頭車(クモハ300-4)は大宮工場(大宮総合さ両センター)で留置されていました。鉄道博物館へのアクセスとなるニューシャトルからは、よく見えるそうです。今後、どうするつもりなのでしょうか。

 さて、さらに中央線の立川駅へ戻ると、183系によるホリデー快速河口湖(大宮行き)が。大宮行きは、少し前までは「彩野」編成が担当していましたが、本来は予備の予備であったはずの特急「日光」で大忙し。今後、運用されることは無いのでしょうか? というか、是非国鉄色編成の方に、専用のトレインマークを・・・。

 ちなみに183系といえば、鉄道ダイヤ情報(10月号)を読んでいましたら、クハ183−30のカットボディを展示しているとのこと。写真で紹介されていなかったので、未だ半信半疑ですが、たしかにネット上でもカットボディになった同車の写真はあっただけに、期待したいですね。と、すっかり熱く語ってみましたが、来月のオープンが待ち遠しい〜。

 以上、今回は完全に鉄ヲタの趣味丸出し撮影雑記でした。
 ・・・え、いつも通りだって?

○9月8日(土)

 一部では未だに「残った」ただ一言の、うらけんラジオ出演で人気である味野源次氏が、ついに所長邸を襲撃。
 可哀想に、そのまま彼は大磯へ連行されることになりました。というわけで、藤沢から近いにもかかわらず未訪問だった、神奈川県大磯町へ散歩へ行きました。


 事前に下調べも何もしていなかったので、観光案内所で初めて知った旧島崎藤村邸。島崎藤村は亡くなるまでの2年半、ここで過ごしたそうです。良い雰囲気ですなあ。

 そして実は「吉田茂邸が大磯にあるらしい」ということで、引き続き国道1号線こと、かつての東海道をひたすら歩きます。途中、大磯中学校と滄浪閣(伊藤博文公の別荘跡)の間に広がる、旧東海道の松並木の風景は素晴らしい雰囲気。

 歩いていると、県立城山公園の文字が。城山というからには、城があったんだろうと行って見ました。まあ、山というより丘でございますが・・・やはり城跡で、室町時代の小磯城跡らしいです。さらに、明治時代からは三井財閥の別荘地へと変貌。ところが戦後の財閥解体後は荒れて行き、県立公園化に至ります。

 なんとなく大磯の海を撮影。

 そして最終目的地の、旧吉田茂邸へ行きましたが・・・非公開でした。
 どうやら大磯町のHPから見学を申し込むようでして。仕方が無いので、銅像だけとって我慢する羽目になりましたとさ。


 ちなみに全然話は変わって、翌日に乗車した小田急電鉄の特急ホームウェイ(藤沢行き)は、7000系リバイバル塗装でした。列車待ちながら「来ないかなあ」と多少期待していたら、本当に来るとは。

○9月1日(土)つづき/2日(日)

 松山・高知旅行の続き。
 今治城を見た後、高知に向けて出発するのですが、マンホール調査を兼ねて途中下車。こちらは新居浜駅。観光名所としては別子銅山などがあり、松山に住んでいた頃には一度行った事もありますが、機会があればもう一度行ってみたい場所です。


 土讃線との乗換駅である多度津駅。香川県多度津町の駅で、「四国鉄道と少林寺拳法発祥の駅」と紹介されています。JR四国多度津工場はこちらが最寄り駅。

 また、駅横には58685号蒸気機関車が展示されています。

 さて、それでは特急「南風」に乗車し、いざ高知へむけて出発。到着後、路面電車で中心部へ出て、1泊しました。

 さて2日目。まずは高知駅からJR土讃線に乗車し、伊野駅へ向かいます。
 ちなみに、高知駅では数少なくなったキハ58系が停車していました。


 そしてJR伊野駅で下車し、今度は高知を走る路面電車である土佐電気鉄道に乗車。
 上写真は土佐電鉄伊野線終点の伊野電停。


 そして再び高知市中心部に向けて出発。様々な車両とすれ違いますが、ひときわ輝く(?)赤い車両は、岐阜で廃止になった名古屋鉄道の路面電車から移籍してきた590形。

 さらに高知城を見学。天守閣、本丸御殿の双方が江戸時代から現存する貴重な文化財です。天守閣からは高知市を一望でき、なかなか壮観!

 天守閣内に展示されていた高知城の復元模型。現在でも天守閣周辺はよく建物が残っていますが、全貌はこんな感じだったんですね。

 こちらは喜多見隊長イチオシとなった、初代土佐藩主、山内一豊の銅像。たしかに、なかなか迫力あるデザインです。

 続いて、高知城の北側にある寺田寅彦邸へ。
 寺田寅彦(1878〜1935年)は高知出身の物理学者にして、夏目漱石とも親交のあった随筆家、俳人であり、文献には残っていませんが「天災は忘れた頃にやってくる」は彼の言葉だといわれています。また、夏目漱石の『吾輩は猫である』の水島寒月は彼がモデルだとか。文学にも非常に造詣の深い、理系のトップクラスの学者で、凄い才能を持つ人物ですね。

 現在残る建物は、昭和51〜52年に復元されたものです。


 一方、こちらは旧山内家下屋敷長屋。1864(元治元)年、山内容堂が家臣7人の屋敷を召し上げて下屋敷を建てた時に、この長屋も建てられたと考えられています。国重要文化財に指定。

 さらに、土佐電鉄の桟橋車庫を眺めます。

 そして高知駅に戻り、JR土讃線に乗車。
 さらに、後免駅で土佐くろしお鉄道「ごめん・なはり」線に乗車したところ・・・阪神タイガースラッピング車両でした。車内も阪神タイガース一色。これは、沿線の安芸市営球場で阪神タイガースのキャンプが毎年行われていることに由来するもので、インパクト抜群。


 わずか1駅の乗車ですが、後免町駅で下車。

 その愛称が、漫画家の「やなせたかし」氏による「ありがとう駅」。JR四国との接続駅である、後免駅は「ごめんごめん」とひたすら謝るのをPRする一方、こちらは「ありがとう」をPR。

 ちなみに、後免町駅では土佐電鉄ごめん線の終点と接続しています。土佐電鉄は、この後免町電停を「ごめん」と通称しており、伊野線の伊野駅を「いの」を平仮名で通常は表記することで、いいの←→ごめん と洒落ています。

 そしてタクシーで高知龍馬空港(日本唯一の、人名を冠した空港)へ行き、羽田へ戻ります。

 空の旅は、様々な雲の形を眺めるのは結構楽しいもの。気象好きの喜多見隊長は行きも帰りも大喜びで・・・。
 さて、ざっと紹介するだけでもこれだけになった松山・高知旅行。詳細は少しずつまた掲載していきます。

○9月1日(土)

 先週、岡山に帰省したばかりではありますが、喜多見隊長と共に、愛媛県松山市、今治市(いまばりし)、高知県高知市など四国旅行に出かけてまいりました。まずは、すっかり私の旅行のお供となっている全日空の飛行機で、松山空港へ到着。リムジンバスに乗り、松山市街へ入ります。所要時間は15分ほどなので、非常に便利。

 まずは伊予鉄道高浜線に乗車し、三津駅で下車。
 昭和初期の建築といわれ、現在でも風格ある雰囲気が漂っています。・・・まあ、駅舎内部ではICカードリーダーによる改札機に、年配の女性駅員がノートパソコン使いこなして事務をこなしているギャップがあったりしますが(笑)。

 正面玄関上のアールヌーボー風の、曲線を用いたデザインなど、建築的に非常に見所のある駅舎なのですが、残念ながら老朽化に伴い取り壊されることが決まっています。今回の旅行、実はこれを撮るのが第一の目的だったりします。

 西衣山駅では、伊予鉄道オリジナルの610系を撮影。
 松山に住んでいた中学生の頃も撮影できず、去年5月の旅行でも撮影できずと、なかなか悔しい思いをしていましたが、今回、ついに撮影完了。最近までラッピング広告がされていたようですが、どうやら外されたようです。やはり、この方がデザイン的に美しい。


 そして大手町駅で下車。
 ここは日本で唯一、線路が平面交差する場所であり、伊予鉄道高浜線と、路面電車がこのように・・・。


 続いて路面電車に乗って、松山市駅前に行き、正岡子規生誕地跡を見たあとで市役所前へ移動。
 背後の松山城との組み合わせが、なんとも素晴らしい景観です。

 それから、萬翠荘(ばんすいそう)[県指定有形文化財]へ。
 1922(大正11)年築。愛媛県庁北東に位置する松山城山麓の建物で、設計者は愛媛県庁本庁舎と同じく木下七郎。旧松山藩主の子孫である久松定謨(ひさまつさだこと 1867〜1943年)の別邸として建築されたもので、定謨が陸軍駐在武官としてフランス生活が長く、造詣が非常に深かったことからフランス風に建築したとか。また、ハワイへ特別注文したという踊場壁面のステンドグラスなどは必見。現在は愛媛県美術館分館郷土美術館として使用。
 ちなみに江戸時代は家老の屋敷がありました。・・・と、日本の旅コーナーより。

 去年の旅行では中は見なかったのですが、今年は入ってみました。
 するとまあ、なんと豪華なことでしょうか。ただただ、感動するばかりです。


 それから、開館して間もない「坂の上の雲ミュージアム」へ。司馬遼太郎の同名の小説をテーマにした博物館で、日露戦争の勝利の立役者である秋山好古、秋山真之兄弟、それから友人の正岡子規にかかわる資料が展示されています。・・・が、決して展示内容が悪いわけではないのですけど、こんな豪華な大きさの博物館の割りに、展示物は少ないのが残念でした。これから増えていくのでしょうか。なお、建物の設計は安藤忠雄氏。

 こちらは、秋山好古・真之生家。2004年に復元されたものです。

 それから松山城へ。
 去年来たときは改修工事中で大天守の外観が見られませんでしたが、現在は修復も終わり、この通り。

 引き続いて、今度はJR予讃線の特急「しおかぜ」に乗車し、今治市へ。
 城めぐり第2弾ということで、今治城へ向かいます。松山城とは違った美しさが最高。残念ながら建築物は、いずれも復興もしくは復元されたもので、しかも天守に至っては僅かな期間しか存在しなかったものを、形も位置も推定で造っただけで、本来であれば、とんだニセモノなのですが・・・素晴らしい。


 なお、藤堂高虎公が今治城を完成させ町を開いてから400年を記念して、なんと鉄御門が復元されたばかりでした。
 とりあえず、今日はここまで。

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