3月に突入してしまいましたが、東北旅行の続き・・・。
青森市の浅虫温泉にあるホテルをチェックアウトすると、外は雪が舞っていました。この時期としては明らかに少ないとは言え、さすがに東北に来たと実感。
浅虫温泉は津軽海峡に接しており、ご覧のとおりの風景。
さて、それでは特急「つがる」に乗車し、青森駅へ向かいます。
もちろん、青森駅では写真撮影タイム(笑)。久しぶりに485系特急「白鳥」を撮影〜。
しかし、先を急ぐ今回の旅。早々に撮影は切り上げ、タクシーに乗って縄文時代の遺跡としてあまりに有名な、三内丸山遺跡へ。
三内丸山遺跡は、様々な形の竪穴式住居を復元しており、縄文時代の住宅展示場(笑)。さて、違いにお気づきでしょうか?
こちらは高床式倉庫など。
一方、こちらは何かの実験に供されているようです。
こちらが、この三内丸山遺跡の特徴である大型の建物。発掘調査の結果、推定復元されたもので、縄文時代の建築としてはかなり巨大な建造物です。
内部の様子です。中に入ってもかなり広々とした空間。果たして、何を行っていたのでしょうか。まあ、集会所みたいなものだと思うのですが。
出土した遺物の一部です。写真撮影可能ということで、資料調査も兼ねて・・・。
こちらも出土した遺物の一部です。石は様々な道具へと変化・・・。
さて、青森駅に戻りますと、駅前にある、元・青函連絡船「八甲田丸」が目に付きますが、その手前にキハ58系3両が放置・・・されたような状態。どうやら待合室として、活用されている模様。ただし、冬季は閉鎖されているようです。
さて、こちらは八甲田丸のブリッジ。
船内には、かつて車両を運んでいた名残を再現すべく、キハ82特急型気動車が保管。特急シンボルマークが(盗まれたのか)未整備なのだけが残念!
さて、八甲田丸を見学した後、現代のピラミッド(?)な青森県観光物産館アスパムで食事。
いやはや、すごいデザインです。造られたのは、青函トンネル開業を見越したころ、すなわち20年前。箱モノ行政最盛期だったころ・・・(笑)。ただ、お客さんはかなりいたし、みやげ物の品揃えは随一。あとは、会議室などの稼働状況がどうかで、無駄な建物かどうか。ちなみに、個人的にはこういう建物、意外に好きだったりします。墓石みたいな高層ビルよりいいじゃないですか。
青森駅の様子。
こちらは青森駅で撮影した、485系特急「かもしか」。この列車は秋田へ向かいます。
そして、次なる目的地は青森県弘前市です!
弘前はこのように洋館などが数多く眠っており・・・。
そして、弘前城へ突撃〜。
こちらは弘前城天守閣。桜の季節は一段と美しい事でしょうね。
ここのところ旅行三昧で、疲れが取れないまま出勤する日々ですが・・・。
懲りずに、東北各県を適当に回る旅行へ行ってまいりました。始発の東海道線→東北新幹線に乗り、まずは福島県の郡山へ。
駅西口にそびえ立つ、地上24階、地下1階の超高層ビル「ビッグアイ」が圧巻です。郡山市が再開発ビルとして造ったもので、商業施設はもちろん、郡山市ふれあい科学館、福島県立郡山萌世高等学校、オフィスなど、様々な種類の施設が入居しているのが特徴。とりあえず学校として使ってしまえば、当面はビル空洞化の心配はないわけで・・・。なかなか考えましたな。
さて実は本日、基本的に「鉄」活動重視のため観光は行わず、郡山駅で色々と撮影。
まずは水郡線の新ディーゼルカーであるキハE130系。その配色には賛否両論ですが、もはやディーゼルカーとは全く感じさせないデザインで、電車と言われても違和感が無い・・・。
それから、いよいよ運転を開始した東北本線のE721系と、突如として引退することになった感もある、磐越西線の455系。
続きまして、今度は福島駅へ移動・・・。こんなところまで、武田信玄の威光がとどろいているようです(笑)。
こちらは県庁所在地とは思えないほど本数が少ない、奥羽本線(山形線)の普通列車(719系)。
駅前に出ると、雪がちらついてきました。
福島駅の様子。
こちらは、飯坂温泉へ向かう福島交通の電車。これに乗りたい気もしますが・・・。
今回は阿武隈急行に乗車し、JR東北本線と合流する槻木駅へ向かうことにします。
福島近郊では1時間に2本程度確保されており、全線でも1時間に1本程度は確保。利便性は比較的良く、沿線にそこそこの規模の駅が点在しているため、全体を通じて閑散とした雰囲気にはなりませんでした。結構、乗客が多かったですぞ。
阿武隈急行の車内より。阿武隈川に沿って北に向かいます。
そして槻木駅でJR東北本線に乗り換え、仙台駅へ。写真は仙山線の快速電車。
さらに仙石線ホームへ行き、仙台→あおば通の1駅だけ、何の意味もなく乗車します。
そして歩いて仙台駅へ戻ります。いやあ、無駄だ〜。
そして、再び仙台駅の中で撮影。こちらは、3月改正で引退する東北本線と常磐線の455系。
4両目は、グリーン車から改造された先頭車でした。
見慣れていた光景も、この数年で全国的に次々と消えていく感が・・・。
こちらは東北本線の417系。これも、3月改正か、もう少しあとで引退だったはず。
さらに、今度は東北新幹線で古川駅へ。陸羽東線に乗り換えます。
ちなみにホームに着くと、キハ58系ジョイフルトレイン「こがね」が停車中。
そして、専用塗装に塗られたキハ110系に乗車。
西大崎駅で下車し、また古川駅へ戻るという無駄っぷりを発揮します。というわけで、降りたと思ったら、また乗車です。
そして盛岡駅へ行きます。写真は、東北本線の普通列車(701系)。
盛岡駅の様子。駅前で冷麺と、その店のオリジナルメニューでしょうか。冷麺と同じ麺を使った温麺を食べます。
意外にも、個人的には野菜もたっぷり入った温麺の方がGOOD!
続きまして、JRから移管されたIGRいわて銀河鉄道に乗車。改札はJRと離れた場所へと追いやられ、不便になったような感じも(もっとも、改札はJRと異なり1階なので、乗り換えのことを考えなければ、それはそれで乗りやすい気もしますが)。ちなみに、乗車する車両は、JR花輪線に直通するキハ52形+キハ58形の2両編成。
こちらはキハ58形。いずれも、やはり3月改正で引退の見込み。
キハ58形の運転台。
そして、花輪線が分岐する好摩駅で一度下車します。
花輪線へ向かうキハ52形。
そして、いわて銀河鉄道のIGR7000系普通列車に乗り、いざ八戸へ〜。
八戸では、首都圏色にリバイバルされたキハ40系八戸線が停車していました。
そして、JR北海道の789系特急「スーパー白鳥」に乗車。浅虫温泉で下車します。
浅虫温泉で宿泊した某宿にて。夕食は、物凄い量が登場・・・。
地鶏を使った鍋料理は絶品。ああ、見ているだけでおなかが空いてくる・・・。
そして、文字通り「とろける様な」触感の、倉石牛のステーキ。
乗っているばかりで、まるで歩かなかった1日の最後に、こんなに食べて大丈夫か?と思いつつ、堪能しました。
とりあえず、1日目についてはここまで〜。2日目は、きちっと観光していきます。
今度は松江に行ってきました・・・というのは私ではなく、デューク所員。先週は私とムスタファ所員の大連旅行の裏側で、大阪や高知などに行っていたデューク所員は、また今週も・・・というか、毎週お出かけ・・・。まあ、毎週出かけている意味では私もここの所似ていますが、彼は松江から一度、千葉県の自宅に戻った後、日曜日も岡山に出かけるんですって! ワオ!
というわけで、撮れたての一畑電車3000系の写真を。
それから、こちらは2000系。こういう写真を見ていると、また私も旅行に行きたくなってしまうではないですか。
・・・仕事やめて、一年中旅行していたい・・・(おいおい。
さて、本日の所長こと私は、さすがに遠出はせず、午後にちょっとだけ恒例の中央線高架化工事の進捗状況を見てまいりました。
まずはJR国立駅と、201系トップナンバー編成。
国立駅は完全に新たな仮設ホームに移転し、なんだか別の駅に来てしまったような感覚さえ受けます。
歴史ある旧駅舎は解体され、現在は左手の仮設駅で営業中。本当に高架化終了後、旧部材を使って駅舎が復元されるのか、それとも再び復元費用をめぐって市長と議会が対立し、いつまでも宙に浮いた形になるのか・・・気になるなります。
さて、こちらはいよいよ高架化後の新ホームが姿を現した武蔵境駅。
そして、一足早く高架化された西武多摩川線に初乗車して、終点の是政(これまさ)駅まで行ってみることにしました。
武蔵境駅の現風景。
というわけで、終点の是政駅に到着(展開早っ!)。スミマセン、途中駅の風景などはまるで撮らなかったので・・・。
え〜、周りは住宅街で、何も見るべきものは無かったので、また引き返します。
こちらは武蔵境〜新小金井間にて。
そして再び武蔵境駅。
一方、こちらも新ホームが着々と完成する東小金井駅。
同じく東小金井駅。
そして、こちらは武蔵小金井駅。
武蔵小金井駅はホームの位置がやや東京寄りになるようで、踏切部分から東京方にもホームが建設されていました。
こちらは立川駅にて、E233系と201系の並び。
そして最後に、地元の日野駅でE233系を撮影し、ちょっとした散歩は終了。
中央線の高架化については、本当は2003年から撮っているので、特集としてやりたいんですが、なかなかページを作成する時間がとれず・・・。まあ、2月中に何とかしたいと思っておりますので、お楽しみに〜。
ムスタファ顧問に連れられ、2度目の海外旅行へ行ってまいりました。目的地は、中国東北地方の大連および瀋陽。
大連はご覧の通り開発ラッシュで、次々と(不思議な形の)高層ビルが建っていたのが驚き。上写真は大連駅前ですが、今やこんな雰囲気になっているんですね。古い民家や雑居ビルも、現在進行形で次々と壊されていました。
もっとも、それでも日本とは異なり、昔の建築も出来る限り保存していこうと考えられているようで、未だに南満州鉄道の本社(上写真)が残るなど、戦前の面影を随所に感じることが出来るのは有難い限り。とは言え、かつて日本人が住んでいた住宅街などは先行きが非常に不透明なため、早めに記録されることをお勧めします。
見所たっぷりの大連については、詳しく近日中にまとめます。
一方、こちらは大連から列車で5時間ほど北にいった場所にある瀋陽(かつての奉天)にて。
我々は戦前に建てられた旧奉天ヤマトホテル(現、遼寧賓館)に宿泊したのですが、これら戦前の建築たちが数多く面している中山広場にて、毛沢東像が朝日に輝いております。いかにも社会主義国といった感じの彫像・・・。
それから満州事変(中国では九一八事変)の発端である、柳条湖事件の現場となった場所を訪問。ただし、隣接して建てられている九・一八歴史博物館については時間の都合もあり、訪問しませんでした。
また、かつての後金(→清)の都であった瀋陽故宮なども訪問してきました。
ちなみに、短い時間でしたが鉄道の撮影もしっかりと行っております。特に、大連は3つの路面電車があり、このうち203系統の路面電車は、戦前に製造された日本製の路面電車が未だに現役で、多くの乗客を乗せて運行されています。
一方、202系統は路盤も大改良された上で、新型の低床車両が投入されており、どうやら全車両が置き換えられているようです。ところが、最新版の「地球の歩き方」にも載っている201系統の路面電車は、現在は架線がなく、ただレールが残っているだけ・・・の状態。ムスタファ顧問は「廃止になったんじゃないのか?」とのことですが、インターネット上で調べてみると、「バス代行中」とのこと。どうやら、こちらも上写真のような車輌が走るようで、そうすると、次は203系統が改良されることでしょう、やはり、こちらも早めの撮影が大切なようです。
ちなみに、こちらはムスタファ顧問が1993年に撮影した大連の路面電車。定点対比が出来たら、もっと面白かったですね。
最後に、大連駅と経済発展が著しい、郊外の開発区、金石灘を結ぶ「快速軌道」にも乗車。中国では珍しい、都市型の鉄道路線で(というか、通常の鉄道車両で通勤輸送をするのも世界的に見て日本など少数ですけど)、なかなか素敵なデザインの流線型の車両が走っています。その割りには、行先の前面表示にやる気がない気がするのは、ワタシの気のせいでしょうか(笑)。
職場の先輩に誘われ、車で愛知県の名所旧跡を旅行してまいりました。さすがは車と言うべきか、こまめに色々なところに足を伸ばせるのは本当に有難い。まずは早朝から小牧・長久手の戦い(羽柴秀吉VS徳川家康)関連の跡地を巡ります。こちらは、羽柴方の池田勝入斎(恒興)が戦死した場所。
それからこちらは、徳川家康が布陣した色金山。そして、家康が腰かけたと伝わる石です。
そのほかにも色々と見ましたが、続いて名古屋市内に移動すると、ガイドウェイバスに遭遇。
名古屋でしか味わえない、新交通システムであり、これは一度見ておかなければいけません。というわけで、砂田橋駅に行き、その走行する様子をチェック。やってくるのは、外観的には普通のバスなのですが、ここはあくまで「駅」。
このように専用の補助輪によって走行します。ガイドウェイ区間を過ぎると、通常のバスとして走行するため、鉄道とバスの長所を組み合わせた優れものです。・・・ただ、これだけ大規模な施設だと建設費がかかりますし、バス1台分でOKな輸送量だと、収入も少ないわけで、これ以上普及していないところを見ると、なかなか夢の公共交通とは言い辛いようです。
それからこちらは徳川美術館。
徳川美術館の南にある、建中寺。写真の三門は1652(慶安5)年築。このほか、寺の殆どの建物が江戸時代のもの。
物凄い見ごたえがあります。
それから西に行くと、平成17年に付近から移築され、修復なった旧川上貞奴邸。
さらに少しだけ西に歩きますと、白壁・主税・榎木町町並み保存地区。
さらに少しだけ西に歩きますと、重要文化財「旧名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎」。現在は名古屋市市政資料館として活用されているもので、1922(大正11)年築。いや、これは本当に素晴らしい。
そして今度は清須市に移動し、織田信長が本拠としていた清洲城へ。現在、その跡地の対岸に復興天守閣が建っています。雰囲気は悪くはないですけど、完全なニセモノ。紛らわしいことこの上ない。
引き続き、桶狭間の戦いに関連する史跡を巡り、また名古屋市に戻ります。
こちらは鳴海城跡。今川方の岡部元信が立てこもった城ですが、桶狭間の合戦の際、織田軍は鳴海城の脇を通過しているんですねえ。一体のこの城、何をしていたのやら。守るだけで精一杯だったのでしょうか。
こちら、桶狭間古戦場跡。名古屋市緑区と豊明市の2ヶ所があるのですが、こちらは豊明市の方です(なお、両方とも行きました)。
明治9年に建てられた、今川義元の墓もあります。 ちなみに、2つの推定地は直線距離で1kmほどであり、どっちが正しいと言うよりも、戦いの舞台はそのぐらいの範囲だったのでは?とも思います。
それから、旧東海道沿いに尾張藩が造った有松の街並みを見学。これはなかなか素晴らしい。名古屋鉄道の有松駅の直ぐ南に位置しておきながら、大規模な開発も行われず、こうした古い街並みが残ったのは奇跡としか言いようがない。
この日はトドメとして沓掛城跡も見学。ここは、桶狭間の戦いの前夜に今川義元が宿泊した城。
合戦のあと、織田信長が占領し、さらに関ヶ原の戦いの後に廃城となりました。
翌日は浜松市に宿泊しておきながら、また愛知県に戻って、徳川家康が生まれた岡崎城から見学。
さらに、岡崎城の西にある八丁味噌の製造地であるカクキュウこと、合資会社「八丁味噌」の工房を見学。NHK朝のテレビ小説「純情きらり」のロケ地でもあります。
それから国道1号線沿いにある国重要文化財「岡崎市郷土館」を外から見学。1913(大正2)年に額田郡公会堂として建築されたものです。
さらに、今度は愛知県豊川市へ。まずはこちら、現在の大河ドラマ「風林火山」にも登場した、山本勘助の養父、大林勘左衛門貞次の屋敷跡。今はただの「お客様専用駐車場」となっています。
そこから東に行きますと、今川義元の胴塚が。首をとられた義元の遺体を家臣がここまで運んできて埋めたそうです。
さらに再び西に少し戻ると、山本勘助の遺髪を埋めたといわれる場所があります。
さて、豊川市に来たのであれば豊川稲荷ははずせない。豊川稲荷とは妙厳寺の境内にある、「豊川枳尼真天」の通称のこと。そして、この妙厳寺も古い建物がゴロゴロ。例えば、こちらの山門は今川義元が寄進したものだとか。
本堂は意外に新しく、1930(昭和5)年築。それでも、その大きさには圧倒されますし、完成まで5年の歳月がかかたっとか。
さらに、豊川稲荷から東、駅を挟んで反対側にあるのが三明寺。三重塔は国重要文化財です。また、本堂は愛知県指定文化財と、こちらも見所抜群。
そして今度は、有名な長篠の戦の舞台へ。
こちらは武田勝頼の猛攻を辛くも防いだ、長篠城跡。
こちらは、織田信長・徳川家康連合軍が作った柵で、ここから鉄砲を撃ちまくり、写真に見える山に陣を構え、出撃してくる武田の軍勢を打ち破ったといわれています。
別角度から・・・。というわけで、今回の旅行ダイジェスト版でした。
スンマセン、出来心で201系常磐線風味、と。
ペイント ショップ プロ フォト 11を購入し、色々遊んだ結果です。
う〜ん、使いこなせたら色々出来そうですが・・・。
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