○5月22日(火)

 掲示板常連の「こうちゃん」さんから、5月5日に山口県の岩国基地で開催された日米親善デーの写真をたっぷりといただきました。うちの軍事・戦術研究所は航空機関連が手薄なので、これは非常にありがたい限り。とりあえず1枚ここに掲載しますが、のちほど改めて特設ページで紹介します。やること色々あるなあ(笑)。

○5月20日(日)

 先週は山口県、広島県遠征でしたが、今週は参議院が開設60周年特別参観(国会見学)をしていたので、ムスタファ所員、デューク所員の3人で参加してきました。ちなみに、参議院は平日については参観受付窓口で見学を受け付けているとか。そんなこともあって、それほど待つことなく入場することが出来ました。おまけに、平日と違って、警備の人が同行せず自由に見学できるので、写真撮り放題(笑)。

 詳細はまた掲載しますが、とにかく内部の彫刻だとか絵画などが素晴らしい。息を呑む美しさです。

 閣議を開く前に集合する大臣室。

 本会議場。良くありがちな話ですが、TVで国会中継を見ているときとは異なり、実際には意外と小さかったりします。

 一通り見学を終えた後、憲政記念館へ。1972(昭和47)年に開館したもので、議会制民主主義についての一般の認識を深めることをを目的としています。ちなみにかつては加藤清正が屋敷を構え、さらに井伊直弼も住んでいた彦根藩の上屋敷、明治時代からは参謀本部・陸軍省となり、さらに戦後は尾崎行雄を記念した尾崎記念会館となっていました。その発展形が、現在の憲政記念館です。

 さらに憲政記念館脇の公園へ。ここには日本水準原点標庫(東京都指定有形文化財)があります。
 1891(明治24)年築で、日本の標高を測量する際の「原点」となる「日本水準原点」を保護しています。標高は24.4140mに位置し、建物は小規模ながらローマ風神殿建築に倣い、 トスカナ式オーダーを持っています。

 それから東京駅でちょっとだけ東海道新幹線を撮影。こちらは700系。

 そして東海道新幹線からの引退が予定されている500系。相変わらず、外観は非常にインパクトがあり、700系やN700系よりも遥かに格好がいいのは間違いありません。あとは居住性の問題・・・。

○5月13日(日)

 さて、遅ればせながら続き。
 周南市北方の某所にある氷川雨水副所長の邸宅で、水澄所員、八十八(やそや)所員
ともども一泊し、朝食までご馳走になった上で、いざ広島に向けて出発。途中、徳山動物園近くのコンビニで副所長らが買出しをしている間に、私は動物園前に保存されているD51蒸気機関車を撮影。徳山に住んでいた頃には、大して気にもしていなかったんですがね〜。

 その隣の周南市文化会館(う〜む、個人的には徳山市文化会館なのですが・・・)は、かつての徳山藩の陣屋跡(いちおう、徳山城)。一応、この庭があるところが、かつての庭園だったらしいですが、どちらにせよ当時の遺構は残っていません。ちなみに、グーグルで「徳山城」で検索すると、うちのサイトがトップに来ることが、たった今判明。いかんいかん、リニューアルしておこう・・・。

 ちなみに、これも徳山にいた頃は気にしたことが無かったのですが、ここには江戸幕府の命令で大阪城を大修築したときに、運ぼうとして残った石垣の残石が保存されています。

 さて、久しぶりの徳山駅。いよいよ改築・・・という話も聞こえてきますが、さてさて。
 私が徳山に引っ越した頃から、空洞ビル化しており、かつての賑わいは今や全くありません。私が住んでいた頃、てこ入れを図るべく、当時の徳山市が細々と営業を続ける飲食店などを追い出したところまではよかったものの、実質的に活用策は見出せず、広大な待合室になっているのが現状です。

 商店街。私が住み始めた頃は、「徳山の商店街はほかと違ってまだ活気が残っているね」でしたが、あれよあれよと一気に空洞化。再開発の予定も全くありません。そして先日、中国新聞ネット版を読んでいたら、周南市郊外に、いよいよイオンによる巨大なショッピングセンターが誕生するとか。さすがイオン!中心市街地破壊に相変わらずまい進してくれますね。

 岩徳線と山陽本線。

 そして新幹線ホームへ。700系「ひかりレールスター」に乗車します。ちなみに上写真は博多駅行きのレールスター。

 さて、本来のたびの目的は広島で急行「みよし」を撮影することなので、ここで氷川副所長たちと一時別れます。
 本来はデューク所員と合流するはずだったのですが、私が旧友を優先させたため、合流はまだまだ当分あとに。

 さて、とりあえず広島駅前に出て定番の路面電車を少しだけ撮影。本当はこれに乗って、広島に住む父方の祖父の顔でも見に行ってあげるべきなのでしょうが・・・無視してしまいました。悪い孫です。東京都日野市に住む、母方の祖母にはほぼ毎週会っているんですけどね。


 そして芸備線に乗って、安芸矢口駅へ移動。駅北側の踏切で、まずはキハ40系を撮影。

 同じ場所で・・・と思ったのですが、出来るだけ早く氷川副所長らと合流したかったので、結局は安芸矢口駅の中で、7月改正で廃止になるキハ58系急行「みよし」を撮影し、ついでにこの列車に初乗車。結構乗り心地いいですよ!

 そして広島駅から呉線に乗車し、呉駅へ。広島地区は相変わらず103系天国状態。
 そういや、左の103系と右の103系で前面ライトの形が違いますね。

 さらに衰退する徳山駅前と異なり、呉駅周辺は駅の北側も南側も、色々な商業施設や観光施設が建てられていき、実に羨ましい限りです。

 さて、氷川副所長との合流地点である大和ミュージアム。戦艦大和ゆかりの呉市ですが、この博物館誕生により、一気に観光都市へ変化してしまいました。それまでは、あまり呉で観光を考える人はいなかったのですが・・・。

 大和ミュージアムは既に訪問済みでしたが、今回私が呉に来たのは、この「てつのくじら館」。現役を引退したばかりの潜水艦「あきしお」を保存し、しかも公開してしまおうという、海上自衛隊の施設なのです。後ほど訪問しましょう。

 さて、なかなか氷川副所長らも大和ミュージアムは気に入られたようで、結局私も中に入ることになりました。10分の1とは言え、戦艦大和はなかなか圧巻!そして・・・上にある子供向けの科学体験施設で、我々「大きなお友達」がのめりこみ(?)バカ騒ぎしていたことは内緒です。いや、結構面白いんですよ。

 続いて、戦艦大和ブームに再び火をつけた感もある、映画「男たちの大和」のセットが近くで保存されているというので、行って見ました。・・・しかしこれは・・・。商業施設の空きスペースに、映画で使われた大和の砲塔を適当に並べただけ・・・。

 そして、「てつのくじら館」。潜水艦オンリーの施設かと思いきや、まずは海上自衛隊が戦後、日米が戦時中にまいた多くの魚雷などを撤去し続け(これを掃海と言います)、海の安全を守ってきたことをPRしているものを見て、いざ潜水艦の中に。狭いスペースを有効活用されており、ベッドは三段ベッド。

 潜水艦の中で、どういう生活をしているのか、そして操縦席はどうなっているかなどよく解ります。
 これ、非常に魅力満点の施設なので、ぜひ訪問してみてください。

 4人とも大満足の呉旅行。鉄道ファンの所長的には、最後に乗車した呉線の車両が、岡山色の103系だったこと(笑)。
 やっと撮影できました・・・。

 そして、ここでようやくデューク所員と合流。私はともかく、ほかの所員は初対面なので「こちらが氷川副所長で・・・、こちらが水澄所員で・・・」と紹介しましたが、眠そうな氷川副所長に、もっと眠そうなデューク所員。会話になりませんでした。そして、後日改めて考えると、水澄所員とデューク所員は、一緒に日光に行っていたのでした。まあ、この辺は内部の話。


 さて、名残惜しいですが氷川副所長と別れ、デューク所員と共に広島空港へ向かいます。途中、瀬野駅ではロープウェイのような新交通システムである「スカイレール」の軌道を見ます。

 そして広島空港に到着し、羽田空港へ。いや〜、やはり中学、高校を過ごした場所で旧友と会うのは実に楽しく、またぜひ行きたいものです。

 ・・・というわけで、周南市まで行くかどうかは解りませんが、来月も山口県に行ってまいります(笑)。


○5月12日(土)

 それは今週の木曜日の夜のことでした。
 所長「(広島県を走る)急行「みよし」が7月のダイヤ改正で廃止になるそうですね」
 デューク「この日曜日に早速撮影にいきます。一緒にど〜ですか?」
 所長「日帰りはきつい。・・・そうだ、たまには裏辺研究所発祥の地である、山口県に一人で前日から行くか」
 と、いうわけで所長、何の前ふりもなく、いきなり約3年ぶりの山口県上陸でございます。

 山口宇部空港で久々に水澄所員、八十八所員と再会し
、車で新山口駅へ。久しぶりにSLやまぐち号を撮影します。土曜日ということもあり、車内は満員状態でした。

 福知山線から実質的に転属してきた山陽本線117系(左)と、113系(先頭)+115系(中間)の編成。
 う〜ん、やはり113系や115系の瀬戸内色は、(個人的に)懐かしくて良いですな。


 山陽本線の115系。先頭車両は、いよいよ残りわずかになった大型ライト装備車。

 それから東へ移動し、さらに高校時代の社会科のF教師とも合流して、防府市の防府天満宮へ。
 私と水澄所員は、「(女性と)良い御縁に恵まれますように」とお願いしたものの、私の場合は既に何度どこで御願いしても、殆ど御利益が無いし、今回の水澄所員に至っては、賽銭玉として投げた5円が、賽銭箱から跳ね返ってくる始末。おみくじを引けば、「大吉」なのに悪いことしか書いていないときた。

 さらに徒歩で周防国分寺へ。
 こちらの国分寺はなかなか見ごたえがあるもので、まずは楼門(県指定有形文化財)は毛利輝元が1596(文禄五)年に再建したもの。高さは約12mで、なかなか威圧感があります。

 周防国分寺金堂(国指定重要文化財)。
 1788(天明8)年に造営されたもので、これもまた実に壮大で立派な建築です。奈良の東大寺を縮小したような気も、一瞬しました。

 さらに国指定名勝である毛利氏庭園で小休止。ここは、旧長州藩主である毛利氏が造営したもの。邸宅は1916(大正5)年に建てられた物です。お客さんも少なかったので、縁側に座ってしばらく楽しいトーキング状態の所長一行。もしかすると水澄所員が東京に戻ってくるかも?という話になり、ちょっと楽しみです。

 防府天満宮近くの宮市本陣(兄部家)。このあたりは昔、山陽道の宿場町「宮市」という場所であり、上写真がかつての本陣を務めた家です。本陣当時の建物を、現在も改修しながら使用しており、必見です。

 我々は教師とは別れ、いざ周南市へ。かつての徳山市は、私が高校時代を過ごした場所なので、車であちこち回ると、非常に懐かしい。まあ、3年程度ではあまり変わってませんでしたが、見慣れない店なども出来ていたり、細かい変化はあります。で、今回は、かつて住んでいた頃には一度も行かなかった遠石(といし)八幡宮へ。

 なんでも、宇佐八幡宮、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮と並ぶ四大八幡宮の1つであるらしいですが、友人は皆「知らない」上に、そもそも日本って、「三大」は好きだけど、四という数字は好まれないわけで。しかも、福岡市の箱崎八幡宮も三大(四大?)八幡宮に名乗りを上げている。さあ、正しいのはどれ?(笑)。

 という疑問を抱きつつ、さらに氷川副所長と合流。温泉に入り、そして氷川副所長の邸宅で、PS用ゲームである、99年の実況パワフルプロ野球で大盛り上がりしたとさ。「懐かしい〜!こんな選手いたなあ」「全然今とメンバーが違うじゃん」などなど。広島カープも、まだ江藤も金本もいましたね。

 さて、翌日に続きますが、今日はこの程度で。

○5月4日(金)

 本日は喜多見枝幸氏と房総半島の旅へ。JR久留里線、小湊鉄道、いすみ鉄道を乗り継いでまいりました。
 まずは東京駅から京葉線〜外房線の特急「さざなみ」に乗車し、木更津駅で下車。ここで久留里線に乗り換えますが、ちょっとだけ時間があったので、駅前散策。

 木更津駅から徒歩10分のところには、證誠寺の狸ばやしでお馴染みの、證誠寺が。なるほど、ここがその舞台だったとは。證誠寺の狸ばやしは、野口雨情作詞、中山晋平作曲の童謡で全国的にヒットし、なぜか山口県で高校生活をしていたときの所長も、高校の運動会で変な振り付けで踊らされ、そのときは何のことかわかりませんでしたが・・・。

 童謡の元になった伝説はこうです。
 ある秋の夜、證誠寺の和尚さんが目を覚ますと、庭のほうが明るく騒がしい。見てみると、大小10匹の狸が
 
證誠寺山のペンペコペン
 俺等の友達やドンドコドン
 と、輪になり、腹を叩いて踊っていました。和尚さんも楽しくなって、それから毎晩踊っていたのですが、ある日狸たちが姿を消してしまいました。探してみると、狸たちが腹を叩き破ってしまい亡くなっていたのでした。

 それを可哀想に思った和尚さんは、塚を作って手厚く葬ってあげた、というわけです。
 さて、童謡の元ネタにすっかり感動していたら、肝心の久留里線に間に合わなくなりそうです。あわてて駅へ引き返しました。

 さて、それではいよいよ久留里線へ乗車します。

 久留里線は単線のため、まず横田駅で反対方向から来る列車と待ち合わせ。その間に、写真を1枚。
 いやあ、それにしても実に天気がいい。


 小櫃駅で途中下車。蒸気機関車C12が保存されている以外には、とくに見所はありませんが、ボケ〜っとしているのも気持ちが良いもので、そのC12を撮影するのを忘れた所長でした。

 そして、今まで乗ってきた列車とは反対方向、すなわち木更津行きの列車に乗って、馬来田駅に戻って下車。
 こちらは木造駅舎が実に良い味を出してくれています。

 ところが、実は馬来田駅は久留里線一番のハイテク駅に変化しつつあります。
 駅舎内には、液晶ディスプレイによる運行案内が設置。

 さらに、駅ホームにもLED表示による列車の位置案内装置が設置されていました。


 そして、久留里駅方面の列車に乗り、再び終点に向けて移動開始。
 田植えの終わったばかりの水田風景を見ながら進みます。


 木更津を除けば、沿線でもっともにぎわっている久留里駅で下車。駅は、昔ながらのこじんまりとしたものです。

 かつては城下町であった久留里。商店街には久留里城模擬天守閣をイメージした、こんなものが・・・。

 また、昔ながらの建物もいくつか残っています。

 さあ、それではいよいよ終点の上総亀山へ。(写真は久留里駅にて)

 久留里を出ると、沿線は益々ローカル色たっぷりの山間の風景に。

 そして旅情を誘う終点の上総亀山駅へ到着。本来は外房線の大原駅まで延長するはずだったのですが、実現せず、上総亀山駅から延びるレールは、ここまで・・・。

 ここから木更津駅に向けて折り返しますが、ちょっと時間があったので、足を伸ばして亀山ダムによる人造湖、亀山湖を見てきました。

 そして外房線の五井駅へ行き、ここから小湊鉄道に乗車。
 旧型のディーゼルカー・・・なれど、一見すると綺麗な車両の久留里線と異なり、運転本数は格段に多く、またしっかり冷房も入ってます。しかも、GWということもあって終点近くの養老渓谷へ行く乗客が多く、この日は4両編成もバンバン運転。それでも、乗客は減少の一途をたどっているようです。

 沿線のちょっとした難読名駅、海士有木駅。言われてみれば、「あまありき」でもいいような気もしますが、すぐには読めませんし、覚えられません。

 久留里線と異なり、小湊鉄道は意外と沿線がにぎわい、多くの車が行きかう道路を横目にしながら進みます。

 そして、上総牛久駅で途中下車します。これもまた良い駅舎!!

 ちなみにこの上総亀山駅近くで、581系食堂車の廃車体を発見(列車内からも見えます)。撮影に向かいます。
 サシ581−32だそうで、カラオケ店に転用されたものの、老朽化著しく、放置されてしまったようです。全国各地で、一時はこうした鉄道車両を利用した店が流行りましたが、長続きしませんね。特に、めくれた屋根が痛々しい・・・でも発見できたのはちょっと嬉しい(笑)。


 上総牛久駅にて。養老渓谷方面から五井駅に向かう列車。我々は、この列車と逆方向、養老渓谷経由で終点の上総中野へ向かいます。

 小湊鉄道は、起点の五井駅から上総牛久駅までは意外と住宅街の中を進むのですが、そこから終点の上総中野まではローカル色が非常に強まります。ちなみに、車両はかなりのフルパワーでぶっ飛ばしてくれます。

 そして上総中野駅で、いすみ鉄道に乗り換え。元々4両でかなりの人数を運んできた小湊鉄道に対し、こちら1両。さすがに満員でございました。ただ、残念なことに地元の利用が殆ど無く、途中の大多喜までは1人か2人乗ってきたかどうか・・・。存続か廃止か、次第に表面化してきていますが、地元が利用しないことにはどうしようもありません。

 とは言え、沿線はしばらくこんな風景が続き・・・。沿線人口もさすがに少なく、活性化もちょっと厳しいか。
 旅行者としては、なかなか魅力的な風景ですね。


 さて、大多喜でいったん下車。こちらは徳川四天王の一人、本多忠勝の城下町として発展したところで、最近では古い町並みを保存、PRしつつあるようです。駅からすぐの場所にあるので観光は非常に簡単!

 国指定重要文化財「渡辺家住宅」。

 また、学校用地となりながらも城跡は残り、模擬天守閣のほか、現在も薬医門(千葉県指定文化財)が現存しています。

 そして終点の大原駅に到着し、特急「わかしお」に乗り換え、東京へ戻りました。
 大多喜で1時間ほど観光した以外は、殆ど列車に乗ってばかりでしたが(笑)、それはそれでなかなか楽しいもの。
 ぜひ皆さんも、魅力的な房総半島の3つの鉄道路線を堪能してみてください。

○5月3日(木)

 現在の中央自動車道の様子です(笑)。家にいたら、ヘリコプターがやけにうるさかったのですが、どうやらこれを撮影していたみたいで。私も負けじと高速道路のうえにある陸橋から撮影しました。無駄だ〜。

 さて、189系あさま色による特急「あずさ」が1998年以来、久しぶりに走行するというので新宿駅でとりあえず撮影(人が多すぎでろくな写真になりませんが)。その後、中野駅に移動して、「あずさ」がやってくるのを待ちます。その合間、大増殖中のE233系をパチリ。

 そしてやってきた特急「あずさ」。長野新幹線開業後、一時的に見られたこの組み合わせも、これからしばしば見られるようになるのでしょうか。注目されます。

 続いて本日は神田の神保町にある古書街にお出かけ。とりあえず御茶ノ水駅で下車し、聖橋と201系中央線の組み合わせを撮影。

 そして古書街をぷらぷらした後、周辺を散歩して皇居周辺も少し。

 近代建築なども色々と撮影します。こちらは九段会館。1934(昭和9)年築で、元々は軍人用の施設でした。城郭を思わせる威厳のある雰囲気が印象的。愛知県庁などと同様、帝冠様式と呼ばれる部類の建築です。

 一方、こちらは崩壊寸前(?)の九段下ビル。久しぶりに見ましたが、まだ残ってくれていました。関東大震災復興事業の一環として建てられた物で、同潤会アパートの大半が消滅した今、震災復興建築として非常に貴重なものです。

 古書街周辺には、この他にも魅力的な近代建築がゴロゴロとあります。

 そして、気象・科学研究所をスタートさせたまま原稿の更新が無い、喜多見枝幸氏と御茶ノ水駅で合流し、靖国神社へ。ていうか、九段会館の近くなので、2往復した羽目に・・・。

 靖国神社まで来ましたので、やはり零戦は拝んでおくべきでしょう。

 さて、本日の購入物から。
 最大の収穫は、1万4000円近くもするジャパン・クロニック日本全史を4000円という破格の安さで購入できたことでしょう。古本ですが非常に状態もよく、これから日本史の原稿の参考文献として、大いに活躍してくれることと思います。
 
 それから三省堂書店で販売していた、古地図の復刻版を購入。
 今回購入したのは、明治12年に石川県で発売された、全国の街道&城下町、宿場町MAP。今や消えてしまった地名、合併で市の中の1地名になってしまったものなど、ゴロゴロ・・・。


 地名保存委員会第2弾として、これから時間がある時に、明治14年の日本地図みたいなものを作成できればと思いますので、こうご期待!

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