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○4月30日(月)つづき

 というわけで、無事に静岡方面へ出発した所長&デューク所員。ムスタファ顧問は小田原まで同行の上、千葉ロッテの試合を観戦するべく引き返されていかれました。というわけで、まずは熱海で乗り換え。もとJR115系の伊豆急行200系が停車していたので、まずはこれから撮影。

 そしてJR東海道線に引き続き乗車し、吉原駅で写真右手に写っている岳南鉄道に乗り換えします。この顔、京王井の頭線でおなじみの奴ですね。もと京王3000系の、岳南鉄道7000形です。

 さて、岳南鉄道は、東海道線の吉原駅(かつては鈴川駅)が中心部から離れていたため、戦後になって敷設された私鉄で、吉原駅〜岳南江尾駅の9.2kmを結ぶ比較的距離の短い鉄道。運賃も吉原駅〜岳南江尾駅で350円と安く、しかも土日祝日は1日乗車券が400円!これを買わない手は無いでしょう。

 吉原駅を発車し、しばらく行くと右手は工場ですが、正面には富士山!

 そして我々を乗せた列車は、ローカル私鉄には似合わず(?)工業地帯のど真ん中を突っ切り、吉原本町駅で、かつての東海道の宿場町の名残を残す商店街が見えたと思うと、再び工業地帯へ。そして、まずは岳南富士岡駅で下車します。

 岳南富士岡駅は、なんと現在の7000形が主力となる前の、東急の名車でもある5000系(岳南鉄道では5000形)が4編成すべて、放置されています。

 さらに次の列車まで時間が30分ほどあったので、一駅手前の比奈駅まで戻ると、今度は5000系よりも前の主力車両であるモハ1100形たちが倉庫として朽ち果てていました。

 調べてみると1両ずつ、経歴も違うようなのですが、どれがどの車両かよく解りませぬ。

 さて、そんな比奈駅はローカル色たっぷりの駅。もっとも、周辺は工場なので、田園風景とは無縁ですが。

 さて、実は乗るはずだった電車に乗り遅れたたため、さらに30分待ちを喰らいます。というわけで、7000形の2両編成バージョン8000形を撮影した後、終点へ向かいます。

 途中、岳南富士岡駅に再び差し掛かるあたりで、5000形のうち晩年に東急時代の塗装に復元された編成を発見。車内から無理やり撮影しますが、こんなところが限界でした。ともあれ、渋谷駅前のモニュメントと異なり、こちらは正統派の姿です。

 そして東海道新幹線とクロスした直後、終点の岳南江尾駅に到着。周囲はこれと言って何があるわけでもなく、さっさと引き返すことになります(笑)。

 そして、吉原本町駅で降りると、そこはかつての東海道。現在も商店街の形として残っており、アーケードの下には、いたるところに「吉原宿」の文字が掲示されています。

 吉原宿で注目すべきは、かつての旅籠屋時代から現役の、鯛屋旅館。もちろん宿泊もOKですし、内部では吉原宿時代に使っていた道具などの展示もありますし、吉原宿についての解説パンフレットも入手できます。また、昼食も食べられますので、ぜひどうぞ。我々もここで昼食をとりました。

 また、天神社の本殿は1789(寛政元)年の建築で、吉原宿時代の面影を残しています。

 そして、東海道を反対方向に、吉原本町駅から東へ歩くと、平家越という史跡が。こちら、富士川の戦いで、水鳥の音に驚いた平家の軍勢が、ここから退却したといわれております。ほんまかいな。

 続いて、今度はJR東海道線に乗り沼津駅で下車。駅前再開発が進行中で、鉄道は高架化工事が始まる模様。町の規模もかなり大きく、これからの発展に期待できます。・・・が、そんな市街地はすべて元々沼津城の敷地だったのです。残念ながら、徹底的に破却され、もはや小さな中央公園に残る、この石碑ぐらいでしか、面影をしのぶことは出来ません。

 そして、沼津も宿場町なので、旧東海道を歩こう・・・と思ったのですが、沼津は見事なぐらい、東海道の「と」の字も案内板に表記されていません。

 とりあえず、それらしいところにデューク所員が目星をつけ(元はといえば、ガイドブックを忘れた所長が間抜けなのですが)、鯉のぼりを見ながら移動。

 偶然見つけた旧東海道沿いの乗運寺。若山牧水の墓などがある寺で、ご覧のとおり京都の寺のような素晴らしい風格でした。んで、旧東海道も少しは歩きましたが、結局どこが本陣跡なのかもさっぱりわからず。私が見つけられなかっただけなのかもしれませんが、沼津市ももう少し、旧東海道についてPRされては如何でしょうか。

○4月30日(月)

 早起きは三文の徳・・・と言うほどの事ではないですが、デューク所員、ムスタファ顧問と共に藤沢〜大船の某撮影ポイントで早朝から撮影。まずはE217系(東海道線)。

 そして御目当ての、寝台急行「銀河」。
 ・・・さて、今から静岡県方面へ散歩なのですが、デューク所員、ムスタファ顧問共に徹夜で語り合った影響でダウンしております(昨日寝たのは私だけ)。
果たして出発できるのか、目的地変更はあるのか。ううむ、どないしよう・・・。

○4月28日(土)

 いよいよ始まったゴールデンウィーク。海外へ出かけられる方も多い中、私は少々地味に(?)近所へ散歩。というわけで今回は、東京都調布市の深大寺(天台宗)へ散歩してきました。まずは、我らが東京都日野市の玄関口のひとつ、京王電鉄の高幡不動駅から出発です。上写真は2003年に撮影したもので、改築前の姿。まずは、改築後の姿を見ようではありませんか。

 というわけで、ほぼ同じ場所から撮影してみましたが、こちらが改築後の姿。ショッピングセンター共々改築が行われ、駅舎と一体化。また南北の連絡通路の設置による町の一体化や、多摩都市モノレールの高幡不動駅もショッピングセンター経由で直結し、利便性が飛躍的に向上しました。いやはや、随分と変化したものです。駅舎の外観もただのガラス張りかと思いきや列柱があったりと面白く、内装も非常に明るく非常に好感が持てます。

 さて、調布駅に到着しタクシーで深大寺へ(バスでも問題なく行けます)。名物の「深大寺そば」を中心とした料理屋、土産物屋が出迎えますが、山門への参道自体は非常に短いものです。ちなみに、写真左手は鬼太郎茶屋。ゲゲゲの鬼太郎の店だったりします。はて、深大寺と何か関係があるのでしょうか。

 こちらが深大寺山門。1695(元禄8)年の建築で、幕末の大火災で焼失を免れた建築の1つで、薬医門形式。

 そしてこちらが本堂。2003(平成15)年に大屋根修理が行われた建築ですが、基本は大正時代の建築。唐破風屋根の重厚な建築で、これも見ごたえがあります。

 さて、もちろん深大寺に来たからには、深大寺そばを食しましょう。深大寺周辺にリーズナブルな店から、超高級な店まで色々並んでおり、どこで食べるか悩みどころですが、あまり遠くには行きたくなかったので、値段が高い安い以前に、山門の近くで済ませました。天ぷらそば1050円で、なかなか美味でございました。

 続いて、深大寺のすぐ南側にある神代水生植物園へ。こちら、植物園に隣接する丘陵部分が、かつての深大寺城。1537(天文)年、上杉(扇谷)朝定(うえすぎともさだ)が北条氏康の北上を阻止するために修築した城。しかし、修築が終わったと思いきや、北条氏康はこの城を無視して北上し、川越城に向けて侵攻。上杉朝定は敗北し、この城も早速お役御免となった、という無念な歴史を持つ城です。

 現在、土塁や上写真の空掘が残っており、戦国時代の姿に思いを馳せてみるのもいいかもしれません。


 続いて、今度は深大寺の北側にある神代植物公園へ。5月中旬になるとバラが咲き誇るなど、四季折々に植物が美しいですが、現在はちょっとどれも時期はずれで残念な状態。ただし、「ぼたん」だけは別格で、今がまさに見ごろ。上写真は「花王」と呼ばれる品種です。

 また、温室も見ごたえがあります。上写真は古代エジプトではおなじみのパピルス。こういう形状の植物なんですね。

 また、ベゴニアも見事に咲いており、美しい姿をたっぷりと堪能できます。

 さて、高幡不動駅に戻ると、動物園線の専用である6000系がいたので、今回初めて撮影。車体側面に様々な動物のイラストがラッピングされていて、ほのぼのとした雰囲気です。

○4月21日(土)

 今週は久しぶりに旧東海道の宿場町をめぐります。前回は藤沢、戸塚、保土ヶ谷だったので、今回は引き続き日本橋に向かって、神奈川、川崎、品川を歩きます。まずは、京浜急行神奈川駅で下車。早速見えてくるのが、神奈川が開港したときにアメリカ領事館が設置された、本覚寺です。

 駅前に設置されている看板。解説もわかりやすく、前知識があまりなくとも、宿場町歩きを楽しむことが出来ます。
 古絵図と現在の姿を比べるのも、なかなか楽しいですよ!


 さて、その解説板にもありましたが、京急神奈川駅は平成4年の改築の際に、和風テイストで建築されたのが特徴。

 その神奈川駅から、宮の前商店街へ。かつての宿場町・・・の賑わいは殆どなく、今や低層マンションや住宅が建ち並んでいます。賑わいはバイパスとしてすぐ隣に開通している第一京浜。まあ、そっちも基本的には住宅街ですが。

 しかし、旧東海道沿いには幕末に各国の領事館が置かれた寺などが多数現存。上写真は日蓮宗の浄瀧寺で、幕末にはイギリス領事館が設置されました。

 さて、本当は街道ウォーキングも楽しみたいところではありますが、京急仲木戸駅まで神奈川宿を歩き、川崎へ向かいます。

 川崎宿は現在の京急川崎駅の南に位置しています。現在、1本北側の道路が商店街、1本・・・だったか2本だったかは忘れましたが、南側に第1京浜があり、肝心の旧東海道は衰退してしまっています。ちなみに右手が「中の本陣」。左手(セブン・イレブン)が宿泊業務を担当する問屋場跡です。

 続いて品川宿へ。品川宿は、現在の京浜急行北品川駅から西へ向かって栄えていた場所で、こちらは現在も商店街が、そこそこ繁盛しています。活気にあふれているとはちょっと言いがたいですが、八百屋や魚屋など多くの店があり、地元の人に愛用されているようで、歩いていて楽しくなる街道です。また、品川宿は東西に非常に長く、その繁栄ぶりがしのばれます。ちなみに、左手のファミリーマートが、かつての相模屋という旅籠があったところ。

 土蔵のような「なまこ壁」から、土蔵相模として親しまれたもので、幕末の1862(文久2)年には、イギリス公使館建設に際して、長州藩の高杉晋作と久坂玄端がここで密談をこらし、イギリス公使館の焼き討ちを実行しました。


 さて、このほかにも品川神社など色々と撮影しましたが、それはまもなくスタートさせる予定の「東海道宿場町めぐり」コーナーで紹介するとしましょう。終わりに、偶然品川〜北品川間で撮影した京浜急行の青い600形をどうぞ。2010年の上海万博のPRをしています。

○4月15日(日)

 今日の中央線は、新宿駅の線路切り替え工事に伴い、午前中を中心に快速運転を休止。早朝と晩にしか見られない、オレンジ色の201系による各駅停車が運転されました。というわけで、もちろん撮影へ。上写真は日野駅にて。

 少数ですが、中央・総武線各駅停車も立川駅を発着。通常でも早朝などのわずかな本数しかない、E231系による運用が日中でも見られました。

 特急列車は新宿駅へは乗り入れず、手前の中野駅を発着。それにしても、E351系の退色が激しい・・・。

 201系@東中野駅。

 さて、本日の外出の目的は、建築設計をやっている友人に誘われ、現代建築の見所を紹介してもらうこと。
 上写真は国立博物館の法隆寺宝物館。1999年の建築で、設計は谷口吉生。コンクリートと金属的な部材を用いながらも、ご覧のとおり日本建築に良く見られる格子を表現し、またエントランス部分はこのように吹き抜け構造とするなど、様々な意匠が施されています。

 さて、そんな面白い現代建築が出来る一方で、相変わらず近代建築は解体される一方。ここでも何度か紹介した東京駅丸の内付近の三信ビルは、いよいよ解体に向けて準備が進みます。

 こちらは日比谷公会堂の前にある日生劇場(日本生命日比谷ビル)。1963年の建築で、設計は村野藤吾など。

 窓の形などが特徴で、また今回は内部に入りませんでしたが、劇場内のガラスモザイクを貼った壁、あこや貝に覆われたうねる天井などが特徴。現代建築も面白いですなあ。

 ちなみに日比谷公園ではチューリップが見ごろ。なにゆえ日比谷公園でチューリップ?という突っ込みはさておき、様々な品種が植えられています。花びらの形も色々ですね。

 続いて代官山へ移動。左手がヒルサイドテラス。槇文彦による設計で、旧山手通り沿いに1969年から数次にわたり建築が進められたもの。写真ではちょっとその面白さを伝えきれませんが、直線的な建築に見えますが、壁が出たり引っ込んだり、内部も単純に1階、2階・・・という構造ではなく、嫌味が無い程度に色々な階層を設定するなど、空間の使い方が面白い。

 ちなみに六本木ヒルズのテレビ朝日や、世界貿易センター跡地に建設予定のタワー4も、槇文彦による設計です。

 さて、ここで友人と別れ、藤沢へ帰るのにわざわざ東急東横線→大井町線→田園都市線→小田急江ノ島線というルートで。田園都市線の8500系が目当てだったのですが、二子玉川駅で早速やってきました。ならば、さっさと終点の中央林間へ行きましょう。

 気のせいか、時間帯のせいか、乗り入れてくる東武鉄道の車両ばかりが運用されています。写真は東武鉄道の最新鋭通勤型電車50050系。
 終点まで行こうと思ったのですが、長津田から「こどもの国線」が出ていることを思い出し、ちょいと下車。乗車はしませんでしたが、とりあえず車両だけは撮影。ちなみに、こどもの国は自然を触れ合うことを目的とした遊園地。ジェットコースターなどの遊具はありませんが、なかなか子供には良質な環境のようです。ちなみに、戦前は東京陸軍兵器補給廠・田奈部隊填薬所でした。

○4月14日(土)

 本日はデューク所員と南船橋駅、新習志野駅で京葉線を撮影。新鋭車両のE331系でも来ないか・・・と二人でひそかに期待していたのですが、残念ながら本日は幕張車両センターで昼寝してました。ともあれ、沿線に住むデューク所員は別として、私はあまり京葉線とは縁がないので、久しぶりの撮影です。というわけで、まずは205系(試作車)。

 続いて、こちら201系。中央線からは引退が進みますが、こちらではまだもうしばらくは活躍の見込み。

 そして南船橋駅に移動し、255系特急「さざなみ」を撮影。

 続きまして、201系・・・ですが、こちらは中央線から転属して来た車両。デューク所員によると、パンタグラフがシングルアーム方式で、車両間の転落防止ホロがスカイブルーに塗られて「ない」のが見分けるポイントだとか。

 さて、自宅に帰るデューク所員と別れ、私は特に意味なく千葉みなと駅で下車。千葉都市モノレールに初乗車してみることにします。上から車両がぶら下がっているというのが、やはり面白い。

 そしてJR千葉駅へ。東海道線からはJR東海からでさえ絶滅するも、まだ千葉周辺では主力車両の113系を撮影。

 こちらは113系天国の千葉へ転入した211系。総武本線、成田線では113系の運用を多く置き換えています。帯色が特急型の255系、E257系と同様の黄色+青色となっているのが特徴。千葉の地域カラーということのようですね。

○4月7日(土)

 先々週、先週に引き続き、今週も大学時代の某友人と、今度は甲斐府中こと山梨県甲府市へ行ってまいりました。もちろん、本日開催される「信玄公祭り」が目当てです。ちなみに山梨県内の中央線沿線は桜はもちろんのこと、桃の花がまさに見ごろ。残念ながら、今回は桃の花の観賞をしにいくわけではないため見にいけませんでしたが、駅改札口に飾られている桃の木と花を撮影します。

 さて、駅の北口には3月に復元したばかりの甲府城(舞鶴城)の山手御門が!まさか、また甲府城の復元を推進しているとは思ってもいなかったので、大喜びで撮影に向かいました。甲府城は武田家滅亡後、豊臣家、徳川家の城として新たに造られたものです。有名な城主には、のちの6代将軍徳川家宣(当時は、徳川綱豊)、柳沢吉保などがいます。

 位置関係はこのような感じになっています。JR中央本線で甲府城は分断されているのが残念!
 ちなみに、私が甲府で生まれた約24年前は、そもそも甲府城について、地元でも全然関心が無く、何の城なのか謎にさえ包まれていたのですが、平成になってから、公共施設が城外へ移転するのに伴い発掘調査をしたところ、貴重な出土品が数多く出土。そこで急速に研究が進み、さらに復元工事が急ピッチで進んで、現在の姿になっています。


 時間があるので、ちょいと足を伸ばして甲府城の東、武田信玄の母である大井夫人の墓がある長禅寺へ。
 三重塔と五重塔の2つがあるのが、なんとも壮麗な姿。

 こちらが武田信玄の母である大井夫人の墓。

 それから再び甲府城に戻り、近代建築の旧山梨県庁を撮影。1930(昭和5)年築です。

 この近くでは、大河ドラマ「風林火山」の山本勘助役の内野聖陽さん(右)、武田信玄役の市川亀治郎さん(左)がオープンカーでパレード。信玄公祭りの盛り上げに一役買います。いやはや、人の数が凄い凄い・・・。

 さて、甲府城には次第に武田家の各武将たちとその軍勢が終結し、軍事パレードならぬ、甲州軍団出陣に備えます。いわゆる武田24将たちを、1つずつ地元の企業や自治体が担当し、各社の社長などを武将にして、社員が甲冑姿になっているようで・・・。ちなみに、参加企業のうちJR東日本八王子支社というのもあって、支社長は馬に乗らないといけないようです。支社長になると、鉄道についてだけでなく、乗馬訓練も必要とは。

 出陣の儀を前に、待機する諸将たち。

 そして、甲府駅前に軍団は移動し、騎馬隊を先頭にパレードが開始されます。

 一般から選ばれた風林火山のヒロイン的存在、武田信玄の側室、由布姫の行列。従来の信玄公祭りでは新田次郎氏の小説に基づき湖衣姫だったのですが、今年は井上靖氏の小説による大河ドラマに基づき、由布姫に。ちなみに、史実では諏訪御料人として登場し、本名はわかっていません。

 飯富兵部少輔虎昌の軍勢。

 馬場美濃守信春の軍勢。

 山本勘助晴幸に扮するのは、俳優の田中健さん。

 また、武田信玄に扮するのは、俳優の若林豪さんでした。
 写真は一部しか掲載していませんが、武田信玄と、24将と1600人の出陣は非常にスケールが大きく、迫力に感動でした。

○4月6日(金)

 皆様、花見のシーズン堪能されていますか?
 考えてみれば、花なんて山ほどあるのに、「お花見」といえば桜を見ることと、ほぼ同じ意味って面白いですね。ともあれ、今年は有名な桜の名所には行かず、職場の周辺とか、自宅の周辺とかで、桜を堪能させていただいています。木がピンク色に染まるって、考えてみると凄いこと。このシーズンしか味わうことが出来ません。

 忙しくて近所の桜すら見る余裕の無かった方、せめてここでWEB花見してください(笑)。

 時には、桜の花に注目してみるのも面白い。拡大すると、1つ1つがこんな形になっているんですね。

 ちなみに、カメラで普段はそれほどしげしげと見ない部分を、こうして拡大して撮影するのって結構楽しい。こちらは、ただのハトですが、目の形とか、くちばしの形、毛並みなど、その特徴がよく解りますね。

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