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○1月27日(土)

 まずはちょっと所長に宣伝させて(笑)。
 所長と氷川相談役(現、副所長)が以前にコラムを執筆した、宝島社から発売中の「僕たちの好きなガンダム 一年戦争徹底解析編」が増補改定されて再発売されました。今回の改訂でMSイグルーや、ガンダムイボルブなどの新作も紹介されていまして、ガンダムファンは必見。お値段も1000円と比較的お求め安いので、書店で見かけたら是非お買い求めください。

 そういや、最近は執筆の仕事は来ないなあ(苦笑)。
 写真はいろいろな媒体で使用されており、裏辺研究所の名前がCS放送ながらも全国に流れることもあるんですけど。


 本日は東京都日野市にて、ゆるりと過ごしておりますが八王子駅までちょいとお出かけ。
 写真上の中央線用通勤型電車E233系は、デビューから1ヶ月が経過しようとしておりますが、すでにかなりの列車に投入されており、予想外のペースで201系を置き換えています。結局、本日の私は201系に乗れなかったぐらいです。それにしても、車内は明るく開放的、ドア部分まで引かれたオレンジのライン、新車のにおいも良い感じで、お気に入りの車両となりました。

 こちらが去り行く201系。この車両が中央線を走っていたことも、思い出しづらくなるんでしょうね。

 さて、本日の真の目的はJR東日本長野支社の新ジョイフルトレイン「彩(いろどり)」の撮影。早速首都圏に運転されてきました。
 デザインについては賛否両論といったところですが、カラーリングは落ち着いた雰囲気で非常に良く、液晶テレビ画面を使ったと思われる(違ったらゴメンナサイ)トレインマークは、
LED表示よりもいろいろと表現できて面白そうです。

 ところで、どうでも良い話かもしれませんが日野駅近くの信号機類が新型に。黒く引き締まった外観も合って、気のせいか、ずいぶんと表示機がスリムになったような。

 こちらもホラ、ご覧のとおり。信号機の世界も、着実に進歩を遂げているようです。


 ・・・と、ここまで書いていて今まで撮った写真から信号機を調べてみたのですが、こうしたスリムタイプの信号機って、かなり普及しているんですね。灰色に塗られたゴッツイ信号機は、ずいぶんと数を減らしつつあり、もう少しスリムになった茶色い信号機に、今回のさらにスリムな信号機が道路の安全を守る新主役となりつつあります。


○1月23日(火)

 当サイトにおける鉄道車両を紹介について、外観の塗装バリエーションは、少なくとも国鉄・JR車両に関しては日本上のどのホームページよりも充実している自信がありましたが、車内の写真までは手が回らず、全く掲載しておりませんでした。ところが先日、うめ吉様より車内の写真を頂き、最初は「う〜ん、うちは車内は紹介しないが・・・」と思いましたが、「待てよ・・・」と発想を転換。
 
 というわけで、以前はこうした企画の提案も断っていた所長ですが、今回は試しに313系などを掲載。そうしたら、これが意外に面白いのなんのって。そこで、今後は車内の写真もガンガン載せていこうかと思います。すでに、うめ吉様やデューク所員から「どっさり」と写真が届いていますので、順次紹介していきます。ちなみに、113系と313系について、画像を追加しましたので、是非ご覧下さい。

 考えてみれば、我々は車外より車内と接する時間のほうが長く、旅行の思い出も色々とあることでしょう。
 今までは車外の写真だけで手一杯で、ここまで気が回りませんでしたが、今後はやりまっせ!

○1月21日(日)

 先週に引き続き、職場の先輩であるY氏と旅行へ。藤沢駅から東海道線の始発に乗り込み、いざ東京駅へ向かいます。

 そしてまだ暗い中、上越新幹線のE4系新幹線「MAXとき」に乗車。というわけで、いざ新潟へ向けて出陣です。

 国境の長いトンネルを抜けると・・・とはよく言ったもので、越後湯沢駅に着くとご覧のように銀世界。どう見ても例年に比べれば雪が少ないのは隠しようもありませんが、ともあれ雪じゃ、雪じゃ!

 そして新潟駅に到着。雪はもはや長岡付近で全く積もっていませんが、観光にはむしろ好都合。心置きなく、まずは新潟駅で電車の撮影タイム。まずは485系特急「いなほ」。

 続きまして、磐越西線へ直通するキハ110系快速会津若松行き。

 そして一旦改札を出て、駅舎を撮影。在来線の高架化工事に伴い、この駅舎もそう遠くない将来に取り壊されることが予想されますので、今のうちに記録、記録・・・。

 そしてホームに戻ると、なんとキハ52形国鉄色とキハ47形による快速「べにばな」(米坂線経由米沢行き)。

 こちら側は反対側のキハ47形。さて、この列車はまず、白新線を経由しますので次の目的地である新発田駅まで乗車することにしました。

 ・・・と思っていたら583系急行「きたぐに」が停車していたので、大喜びかつ大慌てで階段を駆け上り、駆け下り撮影。そして、また階段を駆け上り、駆け下り快速「べにばな」に乗車します。やれやれ、朝から忙しいことで・・・。

 さあ、そして今でも防御機能のために折れ曲がっている道路を進みながら、新発田城へ到着。もと中学校の先生だという観光ガイドさんが、新発田城の見所をはじめ、少年兵として参加した戦争経験だの、「全世界の殆どの国の人にこの城を案内した」思い出だの、色々語ってくださり、1時間30分もとどまることに。

 戦争で目の前で死んでいったり、広島に原爆が落とされたとき、その惨状を調査に生かされ、広島に行く道ですれ違うときに、瀕死の状態の人たちとすれ違い、水をせがまれたにもかかわらず、肝心の水を持っていなかったことに対する悔やみなど、今でも忘れられない思い出が沢山あるようです。「戦争はしてはいけない」との言葉は、さすがに感じるものがありました。まあ、それとサヨクが大好きな非武装宣言や、盲目的に憲法9条を守ることとは別問題ですが。

 さて、こちらは新たに復元された三階櫓。天守代用とのことですが、名称を櫓にするか天守にするかなんて、幕府に遠慮するしないなどの問題も絡んでいますので、実質的な昨日としてはまぎれも無い天守でしょう。ちなみに、屋根がT字なのが特徴で、これは城郭建築では唯一の事例。

 それから、新発田藩主溝口家下屋敷に付随した庭園である清水園を見学。

 こちらの資料室ではなんと、明治維新で太政官が出した、五榜の掲示が保存。こちらは1つめの掲示で、五倫を勧め、人を殺したり物を盗んだらいかんぞ、というお触れが書かれた高札。

 一方、こちらは向かい側に建つ、重要文化財の足軽長屋。1つ1つの間取りが狭い・・・。その辺のワンルームマンションよりもかなりせまく、ここに家族で住むとなると・・・。

 一方、こちらは新発田藩武家屋敷石黒家住宅。70石の武士ともなると、このぐらいの規模の住宅に住めました。

 続いて、今度は北上して村上市へ。村上も城下町で、未だに数多くの武家屋敷が残存。
 こちらは若林家住宅。先ほどの石黒家と異なり、300石というかなり上級でして、それだけ部屋数も多く、玄関も真ん中のお客さん用
の式台玄関、その左に主人を中心とした男性用の内玄関、さらに女性と使用人用の勝手口の3つが存在。ちなみに、冬支度ということで、かような姿になっております。

 と言うわけで内部。左側が内玄関、右側が勝手口。ちなみに、観光客は勝手口から入ることになりまして、どうやら格下との扱いみたいですナ(笑)。

 その隣にある三の丸記念館は、明治40年に旧村上銀行本店として建てられたもの。内部は改装されていますが、昭和57年まで現役だったようで、木造の銀行建築として非常に貴重。

 そして村上城を見学しようと・・・う、う〜ん・・・これを登るんですか・・・。
 やれないことはないですが、さすがに翌日仕事もありますし、疲れた足には辛く断念。


 かつてはこんな感じだったそうで、石垣などの遺構は山頂付近に主として残っております。

 さて、村上市は商店街に古い町屋が残っているのが特徴で、数年前から有志一同によって急速に復元整備が進められています。ただ、土日の商店街は見事にシャッターが下りていまして、活気は全然なく寂しい状態でした。

 村上駅へ戻ってきました。写真の車両は、羽越本線(キハ40系)の酒田行き。酒田に行く途中に、電化の方式が直流から交流に変わるのですが、両対応の電車を作るのは高価なので、普通列車についてはディーゼルカーを使っています。

 そして485系による特急「いなほ」に乗車し、いざ新潟駅へ戻りましょう。

 新潟駅では引き続き少しだけ電車を撮影。こちらは485系快速「くびきの」(新井行き)。特急「みのり」時代は利用客が不振で、快速に格下げされたところ、今度は利用率が良いため、最近になって4両編成から6両編成に増強。さてさて、本日の乗車率は・・・と見ると超満員。帰省ラッシュか?と思うぐらいでした。

 こちらはE127系。どうやらJAの宣伝のようですが、JR四国の車両のごとく、アンパンマン列車です。

 さて、そんなわけで日帰り新潟強行旅行も終了。翌日が仕事じゃなければ・・・と思うのですが、止むを得ません。そして、深夜まで撮影雑記を書いているので睡眠時間もどんどん削られます。良い子は、さっさと寝るとしましょう。

 以上、お読み頂き有難うございました。


○1月13日(土)

 職場の先輩らとともに今日はお出かけ。なぜか、お台場に出かけようという話になりまして・・・。
 というわけで、全然お台場行きとは関係ないですが、久しぶりに撮影した小田急通勤型電車の写真を。

 さて、今回は初めてフジテレビを見学。あの、特徴的な球体の展望室に行くと、こんな感じで六本木ヒルズだとか、東京タワーなどが見えます。手前は、品川台場の1つ第六台場。幕末、異国船から江戸を守るために造られた要塞の名残で、「お台場」の名称の起源となったのは、ここで何度か書いているとおりです。

 ズームすると、ここまで東京タワーがはっきりと見えます。高層ビルが次々と建ち並んではいますが、東京タワーのあの色彩は、今でも目立ちますね。

 続いて、「ゆりかもめ」船の科学館前駅より徒歩5分の場所にある、宇宙飛行士、毛利衛氏が館長を勤める科学未来館へ。
 私はこれで2回目の来訪ですが、新たな発見はいろいろとあります。2段燃焼サイクル方式を採用したエンジンで、HU−Aロケットの第1段メインエンジンとして使用されています。


 こちらは、中学生や高校生の人ならピンと来るはず。細胞のモデルですよ! ミトコンドリアとか、ゴルジ体とか・・・。

 一方でこちらの展示物は、新たに開発されて実際に野口宇宙飛行士が宇宙で食べた宇宙食「ラーメン」。
 もちろん、このままの状態で食べるわけではなく、70℃のお湯で湯戻しが可能になっています。美味しいらしいですよ。
 これから本格的に、日本の宇宙飛行士も宇宙ステーションなどで長期滞在することが確実な中、日本で食べなれた味の宇宙食の開発が進んでいくことでしょう。ああ、宇宙食とはいえ、ラーメンを見ていたらラーメンが食べたくなってきた。ラーメンって不思議ですね。


 ちなみにこちらでは、ホンダのASIMOが決まった時間にパフォーマンスをしてくれます。
 気がつけばワタクシ、このASIMOを見るのは4回目ぐらいだったり・・・。それにしても、階段を上るなどのスムーズな動作はさすが。もちろん、たまにはバランスを崩して倒れることもあるそうですけど、すごい技術です。


 こちらはお解りになるでしょうか、古代中国の文字である甲骨文字です。
 われらが漢字の発祥的存在?


 さて、船の科学館に展示されている羊蹄丸。かつては青函連絡船として、青森と函館を結んでいました。

 今回初めて、「ゆりかもめ」の新たな終点となった豊洲まで乗車。まだまだ再開発が進められおり、これからどう変貌するのでしょうか。

 最後に「ららぽーと豊洲」とやらを見学。イギリスでかつて使われていた巨大なパイプオルガンを置いてあり、私は興奮。
 それにしても、とにかく面積が広く、店の数も膨大。まあ、男には関係ないような店ばかりでしたが、本当にスケールがでかいですね。

○1月7日(日)

 素晴らしいですね、正月明けで直ぐに三連休。
 1日ぐらいはどこかに行きたかったので、かねてから計画していたとおり、デューク所員と奥多摩に向けて出陣。私は日野駅から出発しますが、ちょうどやってきたEF64電気機関車を撮影。

 そして、合流地点であるJR中央線立川駅に着きますと、新型車両E233系がやってきました。これからはコイツが、中央線、青梅線の主として君臨していくことになります。

 さて、デューク所員は189系快速「ホリデー快速河口湖」で立川にやってきます。

 そして我々が乗車したのが、201系「ホリデー快速おくたま号」。観光的要素の強い列車ですが、こちらは昔から201系通勤型電車で運転されていますね。ちなみに、乗客はかなり多かったのですが、終点の奥多摩まで行くのかと思いきや、95%ぐらいが御嶽駅で降りていき、この写真を撮ったあとの車内はガラガラでした。

 さて、終点の奥多摩駅に到着。意外にも私は青梅以西に行くのは初めてで、当然のことながら奥多摩駅も初めて。今まで雑誌などの写真で見ているばかりでしたが・・・ついに青梅線の終点に到達です。

 奥多摩駅前の様子。奥多摩駅は写真奥の右手に建っています。

 先ほどの写真から左手に行くと直ぐにあるのが、奥氷川神社。結局、これが私の初詣になってしまいました。
 さいたま市の氷川神社、所沢市の中氷川神社と共に、武蔵三氷川の1社なのだとか。
 我が裏辺研究所の副所長、氷川雨水氏に敬意を払いつつ参拝しました。ちなみに、写真左に映っている3本の杉は、
氷川三本スギという、東京都天然記念物。鎌倉時代に植えられたと伝えられ、都内最大級のスギです。

 奥氷川神社本殿は、なんと元禄時代に建てられたもので、奥多摩町指定文化財。

 奥氷川神社から吊橋がかかっており、そこを渡りますが、ここからの景色もなかなか・・・。

 奥多摩駅に戻り、今度は御嶽駅で下車。特に何かあるわけではありませんが、ここからの風景も素晴らしい。これ、紅葉のシーズンだと、またさらに良かったんでしょうね。

 そして、沢井駅まで歩いて青梅線に乗車し、今度は拝島駅まで一気に戻って五日市線に初乗車。お腹がすいてきたので、秋川駅で下車します。

 駅前の喫茶店でドライカレーを食べましたが、デューク所員ともども「これは美味い!」と絶賛。ドライカレーの場合、(私にとって)異常に辛いこともあるので、敬遠していたのですが、意外にマイルドで粉チーズもかかっており美味。無料で大盛りにしてくださり、割引券までもらったので、どうやら、またデューク所員と行くことになりそうです。

 さて、今度は武蔵増戸駅で下車し、線路沿いを西に15分ほど歩きます。
 すると右手に見えてくるのが、真言宗の大悲願寺。伊達政宗の末弟が住職を勤めたこともある寺で、
写真の楼門(仁王門)は1859(安政6)年築、あきる野市有形文化財です。

 本堂はさらに古く、1659(元禄8)年築。特に内部が昔の姿を良くとどめているそうです。

 そしてまた線路沿いに歩きまして、ようやく武蔵五日市駅に到着。五日市線の終点です。
 五日市憲法草案の碑など、まだ見たいところもありましたが、ちょっと疲れたので、ここから戻ることに。しかし、このあと男2人は秋葉原に消え、路上でメイドを撮影する、少しお太り気味の方々を尻目に、古い時刻表を数冊購入。早速、デュークさんが解読にかかっていますが、名古屋始発、青森行きの急行「あおもり」(東海道、東北経由)
、京都行き特急「加越」、厚木行きの全日空の飛行機など・・・。奥が深そうです。その成果、皆様お楽しみに!!

○1月3日(水)

 本日は岡山から自宅のある藤沢(神奈川県)に帰るだけ・・・と思っていたら、親父が数年ぶりに私を旅行に誘うと言う、非常に珍しい出来事が発生。しかも親父の提案で、備中松山城のある岡山県高梁市に行ってまいりました。高速道路を使えば、岡山市から1時間程度。まあ、近いです。

 ・・・しかし、写真の備中松山城天守閣は標高約430mの位置にあるのですから、とにかく遠い。幸いにも自動車で7〜8合目ぐらいまで行けますので、下から延々と歩く必要はないですけど、それでも急な坂はそこそこのハイキングになります。


 上から高梁市街を見下ろすと、こんな感じになります。山と川に囲まれた集落といった感じですね。

 高梁市はまた、現在も武家屋敷や商家などの古い街並みがしっかりと残っており、現在も普通に住居として使われているのが特徴。城とセットで是非とも見ておきたい場所です。

 そう言えば、岡山市足守、倉敷市、津山市、総社市や矢掛町など、岡山県はとにかく古い街並みが多いですね。去年は正月以来、実家に帰りませんでしたが、今年は古い街並みめぐりを兼ねて、実家にしばしば帰ろうと思います。

○1月1日(月)・1月2日(火)

 新年は、広島市にある父方の祖父の家で過ごすのが恒例で、広島に来ると広島電鉄の車両たちを撮らないと、どうも落ち着かない。というわけで、「もう十分撮っただろう」という気もしながら、少しばかり撮影。まずは、5000形グリーンムーバー。

 そして、今や数多くが運転されるようになった5100形グリーンムーバーmax。乗り心地もいいし、加速性能が凄く良い気がするのは気のせいでしょうか。未だ、西広島駅から宮島口までの区間では、これに乗車したことがありませんが、どれだけのスピードで走るのか、ぜひ乗ってみたいですね。

 こちらは被爆電車650形(652号)。ここからは1月2日に撮影した写真ですが、この日は広島港(宇品)行きの車両に、旧型車両が数多く投入されており、撮影のしがいがありました。もう1両の被爆電車、651号も20分ぐらい後ににやってきました。

 おなじみ元、京都市電の1900形。

 広島電鉄オリジナルの350形と、元、神戸市電1150形。

 そして、実際に走っている姿は初めて撮影しました、元、神戸市電570形(左)。右は元、大阪市電750形です。神戸市電の車両は、先ほどの1150形、570形共に1両ずつしか残っていませんので、非常に貴重です。

 ・・・さてさて、そろそろ広島電鉄車両図鑑もリニューアルするとしましょう。お楽しみに!


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