○3月30日(日)

 本日はムスタファさんと共に芝離宮恩賜庭園、増上寺、慶應義塾大学、日暮里・舎人ライナーを訪問。
 ・・・と、その前にJR中央線豊田駅にて、長野車両センター189系によるホリデー快速河口湖号を撮影。

 そしてJR山手線、京浜東北線の浜松町駅に隣接する芝離宮恩賜庭園を久しぶりに見学。この近辺で有名なのは、浜離宮恩賜庭園で、規模もそちらの方が大きいのですが、個人的には、この芝離宮恩賜庭園の方がずっと好きです。適度な広さで、池の周りを軽く散策する雰囲気が実に素晴らしい。そして人が少ないので、じっくりと堪能できます。

 芝離宮恩賜庭園は桜の名所というわけではないですが、なかなか良い写真が撮れます。

 とにかく人が少ない(笑)ため、心行くまでお花見が出来ます。団子より花!という方には、間違いなくお勧めです。まあ我々の場合、花どころか、多少お昼寝させてもらいましたが・・・。

 さて、かなりリフレッシュしたあとで、真っ直ぐ歩いて増上寺へ。

 やはり桜が非常に美しく、背後には東京タワーも。

 引き続いて、未だに行ったことがなかった慶應義塾大学を少し訪問。歩いていると、なんとも凄い慶應義塾大学の東門が見えてきました。まさか、こんな巨大な凱旋門(?)を建造しておったとは、恐るべし!

 その東門の原型となったのは、有名な慶應義塾大学旧図書館。1912(明治45)年の建築。

 こちらは慶應義塾大学塾監局。1926(大正15)年の建築です。

 慶應義塾大学ネタでは最後に、三田演説館を御紹介。1875(明治8)年に福沢諭吉が建てさせたもので、国の重要文化財に指定されています。慶應義塾大学草創期の歴史を今に伝える貴重な建築ですね。日本最初の演説会堂としても、貴重なものです。

 さて、慶應義塾大学近くにはほかにも魅力的な近代建築があります。例えば、こちらの簡易保険事務センターは逓信省の設計で1929(昭和4)年に建てられたもの。玄関部分をちょっと窓からのぞいてみると、壮麗な雰囲気が漂っていました。

 その向かい側には綱町三井倶楽部があります。ここの特徴は、主に三井系列の大企業の会員制倶楽部で、管理職以上の役職者およびOB(元役員)が使用しているとか。1913(大正2)年、ジョサイア・コンドルの設計で建築され、曲線や装飾を駆使したバロック風の重厚な建築です。詳しくは
http://www.tsunamachimitsuiclub.co.jp/
 を参照してくださいませ。う〜ん、全景が綺麗に撮れないのが残念・・・。


 さらに綱町三井倶楽部の隣には佐土原藩藩邸の長屋が現存。というか、綱町三井倶楽部自体が佐土原藩の藩邸跡に建築されたというわけです。ちなみに、佐土原藩は薩摩の島津家の支藩的なもので、現在の宮崎県宮崎市佐土原町にありました。

 ちなみに、さらにこの隣が、オーストラリア大使館です。この界隈、かつて弊サイトで大使館めぐり特集をやろうとして、2002年12月に訪問して以来でございます。大使館めぐりの企画を再開して見たい気もしますが、既に当時でさえ、某中東の大使館から撮影禁止!と警備員に怒られているので(これが理由で大使館めぐりへの熱意が消え・・・)、色々と警備の厳しいはずの今では、写真撮影は厳しいところも多いかも・・・。

 さて、既に紹介済みですが本日開業の日暮里・舎人ライナーに乗ってまいりました。「たしか今日開業だった気がする」、という実に曖昧な所長の記憶を元に、ムスタファさんは連行されましたが、このように盛況に運転されていました。ご安心を。

○3月29日(土)

 東京・神奈川では桜(というかソメイヨシノ)が満開となりましたが、皆様お花見には出かけられましたでしょうか。
 本日は祖母を連れて、東京都小金井市の小金井公園へ行ってまいりました。まずは日野駅へ行ったところ、201系が上り、下りとも、たて続けにやってきて少し驚き。高架化工事の予備車確保の関係で2編成ほど残るような噂もネット上ではあり、どうやらまだしばらくは活躍してくれそうです。

 さて、多くの花見客で賑わう小金井公園の風景です。

 同じく小金井公園にて。

 小金井公園に来たからには、園内にある「江戸東京たてもの園」へ行かない手はありません。これで3回目の訪問ですが、相変わらず日本の旅本編に掲載しておりませぬ・・・スミマセン。写真は三井八郎衛門邸。

 こちらは高橋是清邸。

 いつ見ても美しく整備されている、都電7514号。

 本日は多くの人で賑わっており、それがまた、あたかも現役の街並みのような雰囲気を出しています。
 それにしても、新銀行東京に400億円出す羽目になるなら、資金不足で復元出来ずに部材だけ保管されているものに、合いの手を差し伸べて欲しかった・・・。

 さて、小金井公園に戻り、カンヒザクラも鑑賞。こちらも美しい色合いですね。

 ちなみに、C57蒸気機関車とスハフ32形が保存されています。これもまた、ものすごく美しい状態で・・・。

 C57は子どもたちの格好の遊び場&親たちによる記念撮影会会場となっており、人が途切れることはありませんでした。ほほえましい光景・・とみるか、危ないから乗ってはダメ、と言うべきか・・・。

○3月28日(金)

 地下鉄直通のロマンスカーばかりが話題の中心を占めている小田急ですが、実は3月改正で新ロゴマークが各車両に添付されるようになりました。これがなかなかセンスが良く、個人的にはお気に入り。車両図鑑の写真を、また撮り直す必要が出てきそうですが(笑)。上写真は8000形(藤沢駅)

 こちらは1000形。

 3000形の前面は、単純に白一色のロゴマークです。

○3月21日(土)

 大阪で氷川雨水副所長、桜乃明日華氏という、要するに弊サイトの創立メンバーで遊ぼうということになり、先週に引き続いて東海道新幹線に乗車。敢えて集合時刻を13時として、大阪に行く前に名古屋で途中下車してきました。撮っていそうで、意外と撮っていない名古屋周辺の鉄道車両撮影が目的。そろそろ、名古屋鉄道車両図鑑も書き始めないといけませんしね。

 というわけで、上写真は主にセントラルライナーで使用されるJR東海の313系8000番台。


 さてJRの車両を色々撮影した後、名古屋鉄道の車両を撮るとは思いついたものの、どこに行くかはノープラン。そこで駅の運賃表を見ながら、名鉄モンキーパークモノレール線(犬山モノレール)が2008年末に廃止されることを思い出し、騒がれる前に乗車してまいりました。犬山遊園駅で接続しています。

 御覧のように車内は閑散としており・・・と書きたかったのですが、実は犬山遊園−成田山ー動物園 という3つの駅のうち、成田山ー動物園で物凄い人が利用しておりました。平日はガラガラなのでしょうが、休日は決して人が少ないわけではなさそうです。

 犬山遊園駅にて。パノラマスーパーとの並び。

 そして名鉄名古屋駅近くの栄生(さこう)駅で30分ほど色々と撮影。これから激変が予想される名古屋鉄道の車両たちですが、まだ古豪の7000系も次から次へとやってくれました。

 名古屋鉄道2200系。

 ところ変わって、今度は氷川、桜乃両名と合流してJR阪和線に乗車し百舌鳥(もず)駅で下車。

 このあたりは古墳のメッカで、伝仁徳天皇陵をはじめ大小さまざまな古墳があります。ただ・・・上から見ないと、良く解らないですね。この伝仁徳天皇陵が物凄くでかいものであることだけは解りましたけど。

 それから近くの自転車博物館を見学。規模こそ小さいですが、自転車の歴史と貴重な車両たちが数多く展示されており、驚きと発見のオンパレード。上写真は1880年ごろにイギリスで登場したオーディナリーと呼ばれるタイプ。自転車レースでの性能UPを目的に開発されたものです。

 こんな自転車も・・・。

 そして通天閣近くで、串揚げを堪能しました。この後、色々なビルを見ながら「10年後には裏辺研究所も、このぐらいの大きさの独自ビルを建設し・・・」と無謀な言葉を所長が言い続けたとか。

 さらに別の友人とも合流し、私はその友人宅で一泊。デスティニーガンダムのプラモがあったので、原稿用に撮影させていただきました。こうやって見ると、意外と格好良いですねえ・・・。

 こちらはストライクフリーダム。そろそろ、ガンダムのページも書かないと・・・。

 さて、続いてみんなで姫路へ行くことに。大阪で485系「雷鳥」をちょいと撮影。

 ちょっと雨模様でございましたが、姫路城に到着。私は3回目ですが、他の3人は今回が初めてとのこと。あまり古建築に興味のない氷川副所長でさえ、「これは半端な存在ではない・・・」と独特の言い回しで圧倒されておりました。

 力強さ、美しさ、その両方を兼ね備えているというのが、姫路城の魅力ですね。これでもかなりの数の建物が失われているので、是非完全復元を・・・。

 というわけで、往時を再現した模型。城下町も含めて完全復・・・い、いえ、何でも無いです。

 最後に、姫路駅で播但線の車両などを撮影し解散。氷川副所長、今度は5月に東京に来るそうで・・・歓迎してやらねばなりませんな。フフフフ。それにしても、離れ離れになっても中学、高校時代と気軽にこうやって連絡が取り合えるのも、メールやチャットなど、個人と個人が直ぐに連絡が取り合える環境にあるからですね。有難い社会になったものです。

○3月21日(金)

 ようやく鉄道車両図鑑もひと段落してきたこともありますので、いよいよ駅舎紀行の本格掲載を開始しました。
 ・・・となると、色々投稿を考えられている方も多いと思うのですが、なんでも前任者のデュークさんが700種類ぐらい撮影済とのことで、まずはこれから手をつけていかなければなりませぬ。もちろん、私が撮影したものも多数。そんなわけで、解説無しで駅舎の写真だけを送られても、とても処理しきれませんので、あらかじめご了承くださいまし。

 鉄道のコーナーだけを管理しているのなら良いのですが、他のコーナーも色々やら無いといけないし、もちろん現実の仕事も抱えてますので、どうしても処理能力の限界が・・・。体が2つ欲しい・・・。

○3月15日(土)

 本日はムスタファ氏と共に、「お伊勢参り」こと伊勢神宮を参拝へ。
 14(土)の夜に東京駅を出発する夜行快速「ムーンライトながら」で名古屋まで行くため、東京駅で合流。間もなく解体される、東京駅八重洲口の駅舎夜景を撮影します。ちなみに今回の旅行で初めて知りましたが、伊勢神宮って伊勢市駅近くの外宮(げくう)と、宇治山田駅からバス15分の場所にある内宮(ないくう)の2つから成り立っているんですね。


 ところで、別に狙っていたわけではないのですが、本日は戦後間もなくから現在に至るまでの長い歴史を持つ、寝台急行「銀河」の大阪行きの最終運転でした。御覧ください、この人出! 幸いにも「どけ!」のような罵声もなく、列車は出発していきました。「寝台急行銀河、万歳!」と何度も叫んでいる人はいましたけど。静かに見送ってあげましょうよ・・・。

 さて、我々は「ムーンライトながら」で東海道線を行きます。通勤電車では爆睡しているはずなのに、なぜかこの列車は、私は毎度のことながら眠れないのが難点。写真は長時間停車する浜松駅にて。

 そして名古屋で近鉄名古屋線に乗り換えます。青春18切符+「ながら」という節約をしておきながら、時間の都合もあって、ここで近鉄特急に浮気(笑)。乗車したのは12220系でした。

 ちなみに個人的には、今回が初めてとなる近鉄特急だったのですが、まさか入り口に洗面台があるとは思いもしませんでした。なるほど神社ではありませんが、まずは手を洗ってから乗車しろということですね(笑)。意外とこれ、スペースの有効活用となっている雰囲気です。

 12220系は1969(昭和44)年に登場した車両で、近鉄の中では古参の部類に入りますが、車内は徹底的に修繕を受けているようで、新車並みの雰囲気。全く古さを感じさせません。

 さて、JR関西本線やJR参宮線と並行したり交差しながら伊勢市駅へ到着。
 JR伊勢市駅の敷地をわたって、外へ出ます。

 ちなみに07年5月に、ここの銘菓である「赤福」の会長にして伊勢商工会議所会頭(当時)が、伊勢神宮への観光は車がメインだから、20年に1度行われる伊勢神宮の式年遷宮にともなう観光客激増に備えて、JR参宮線を廃止して、伊勢市駅と車庫の跡地に駐車場を作れと、とんでもないバカな提案をしていますが、それがここ。その後、皆さんご承知の通り「赤福」が偽装で袋叩きに遭うという、参宮線からの報復(?)を受けておりますが・・・。

 伊勢市駅を出て、西へ500mの場所にある伊勢神宮外宮(豊受大神宮)の別宮である月夜見宮へ。
 小さな神社ですが、落ち着いた雰囲気でお勧めです。

 ところで、月夜見宮から伊勢神宮外宮へ行く細い道は、神様が通る道、という意味の神路通り(かみじどおり)と呼ばれ、第2次世界大戦の前までは主要な大通りでした。現在でもこのように、古い建物が残っており、往時の繁栄を偲ぶことが出来ます。

 同じく神路通りに面した古い建物で、東邸と呼ばれるもの。

 そして伊勢神宮外宮を見学。衣食住をはじめすべての産業の守り神と呼ばれる豊受大御神を祭神としています。
 20年に一度遷宮が行われることもあって、古い建物があるわけではありませんが、幹の非常に太い木が数多くあり、神社の長い歴史が感じられます。

 遷宮というのは690年、持統天皇の代に始まった行事で、20年に1回、外宮と内宮(正宮)と、先ほど紹介した月夜見宮などの別宮の全ての社殿と鳥居を建て替えるという壮大な行事。同じ頃に造られた法隆寺の建物は今でも現存するというのに、何とも「勿体無い!」という気がしますが、おそらく神様を常に清浄な建物でお迎えするために実施されているのだと思われます。

 正宮の場合、既存の建物の隣に移転先の用地が確保され、20年ごとに建物が入れ替わっていることになりますね。

 そのままバスで伊勢神宮の内宮へ行くことも出来たのですが、ちょっと時間があったため、徒歩で近鉄の宇治山田駅へ。駅舎は1931年に参宮急行電鉄(当時)が全通したときに建設されたもので、設計は浅草駅なども手がけた久野節。国の登録有形文化財に指定されています。

 改めてここからバスに乗っていこうと思ったところ、タクシーの運ちゃんに「乗ってけ」と言葉巧みに捕まる羽目に。もっとも、お蔭様でバスよりも早く目的地へ到着できました。

 ここでちょっと地図を確認しておきましょう。前述の通り私はてっきり伊勢神宮というのは、外宮のことかと思っていたのですが、御覧の通り、結構離れた2つの宮から成り立っています。外宮のほうは伊勢市駅からでも宇治山田駅からでも歩けるほど近いのですが、内宮は少し離れております。内宮周辺を見た後は、北上して神宮徴古館、さらに伊勢市駅北の河崎問屋街という古い街並みを見学します。

 さて、それでは内宮へ。五十鈴川の川上に鎮座しており、御覧の通り周りに高いビルなど何一つない自然豊かな風景。皇室の御祖神である天照大御神(あまてらすおおみかみ) を祀っています。

 宇治橋を渡ると、広い通りに出ます。電線すらなく、とにかく広々とした風景、なかなか見られるものではありませんね。

 花粉症のつらい季節でありますが、一方で梅を観賞するにはもってこいの季節です。

 伊勢神宮でも多少ですが咲いておりました。あれ?・・・梅でいいんですよね、これ? それとも桜?

 やはり大木があちこちに。中々圧巻な風景が続きます。

 そして参拝します。ちなみに、外宮でもそうでしたけど、ここから先は写真撮影禁止。

 てなわけで、側面に回りこみ少し離れたところから撮影。ちなみに、やはり手前側は遷宮用の土地です。

 ちなみにニワトリが多数放し飼いにされていました。その中でも引き締まった顔つきの奴をご紹介。
 最近、植物も動物も、こうやってアップして撮るのが趣味です。

 引き続いて内宮の鳥居前町である「おはらい町」を見学。江戸時代より多くの参拝客でにぎわった伊勢地域特有の切妻・入母屋・妻入り様式の商店や旅館が現在でもその姿を残しています。新しい建物でも他の建物と調和するように改築されているので、見事な街並みです。ごく一部、何を血迷ったか現代風のデザインで建築しているものもありましたが・・・。

 赤福本店。偽装問題で揺れに揺れましたが、営業再開後は再び飛ぶように売れている雰囲気でした。

 こちら百五銀行。新しい建物ですが、古い街並みに調和しています。なんだか、昔の両替商みたいですね。

 右手は五十鈴川郵便局。こちらも昔ながらの雰囲気です。どこまでの建物が新しくて、古いのか良く解りませんが(笑)。

 ちなみに、郵便制度が始まった頃の郵便ポストが再現されていました。

 さて、続いてバスに乗って神宮徴古館へ。明治20年代に日本初の私立博物館として財団法人神苑会が企画したもので、1909(明治42)年に建築されました。ルネッサンス様式風の鉄筋コンクリート造りの建物と、ヴェルサイユ宮殿を模したという、ささやかな前庭が特徴。伊勢神宮に関する展示が数多く行われています。片山東熊の設計で、国の登録有形文化財。

 直ぐ近くにある日本初の産業博物館、農業館。こちらも片山東熊の設計で、国の登録有形文化財。

 さて、宇治山田駅に戻って勢田川沿いに約1km続く古い町並みを見学。伊勢神宮参拝客への物資搬入でにぎわった問屋街で、河川改修によって近年に堤防と道路がつけられましたが、元来は川に面した倉庫に物資を直接搬入する仕組みになっていました。

 現在でも数多くの古い建物が残っていますが、これは住民の皆さんがNPO法人を設立して行政と協同で、しっかりとした街並み保存の方針と景観保存の計画を練ったことによるもの。

 伊勢河崎商人館。こちらは江戸中期から1999(平成11)年まで営業していた旧小川酒店を修復し、保存活用しているもので、NPO法人伊勢河崎まちづくり衆が運営しています。広々とした居間や茶室、それに数多くの倉庫に様々な古文書が展示されているなど見所が満載で、様々なイベントにも使われています。

 さて、この後用事のあるムスタファの都合にも合わせて、多少早めですが帰路につきます。こんどは近鉄ではなく、JR参宮線〜伊勢鉄道〜JR関西本線経由で名古屋に向かう、快速「みえ」に乗車。ディーゼルカーですが、物凄い俊足。単線なので、どうしても対向列車の待ち合わせをしないといけないのはやむをえないところですが、終点までぶっ飛ばしてくれました。

 名古屋駅の新幹線ホームより、未だ乗っていない「あおなみ線」を撮影。意外と名古屋周辺は鉄道の撮影をしていないので、う〜ん、来週大阪に行くついでに、途中下車してくるかなあ・・・・。

 ムスタファさんの提案により、今回は「こだま」グリーン車で帰還。「ぷらっとこだま」なる企画切符で安価に乗車できました。実は特急や新幹線のグリーン車は今回が初めて。広々とした座席はなかなか感動。しかし、次から次へと「のぞみ」「ひかり」に追い抜かれていくのは・・・。まあ、快速「ムーンライトながら」で名古屋に行った人間の言葉じゃないですけどね。

○3月11日(火)

 東海道本線の新型車両、E233系ですがダイヤ改正を待たずして運用されていました。どうやら、現在E217系と共通運用のようです。それにしても、なかなか格好良いですね。また、今度は前面にも「普通 東京」と種別と行先が表示されています。

○3月9日(日)

 JR青梅線昭島駅北口近くで、昭島市民図書館つつじがおか分室として利用されている0系新幹線を見学してきました。
 保存活用されているのは、JR東海で活躍した21−100という先頭車両。


 方向幕は「ひかり 博多」を表示していますが、道路側と公園側で異なっています。こちらは国鉄タイプ。

 こちらはJR東海時代の方向幕ですね。

 屋外保存ということで痛みがどうしても出てしまうのが残念ですが、現在もしっかりと使われているのはありがたい話。
 何度か補修した跡もあるようで、また近いうちに修繕が行われることを期待しています。ちなみに、車内は運転台が見られるほか、座席も一部が残っています。


○3月1日(土)・2日(日)

 喜多見隊長を引き連れ、秋田、山形旅行に出かけてまいりました。
 いきなりですが、秋田といえばネタとか洒落とか、役所の「寒い」思いつきレベルじゃなく、本当に人気な地元のヒーローで、主人公であるアキタ・ケンが変身する超神ネイガーがあちこちに登場。「海を、山を、秋田を守る。秋田発・地産地消ヒーロー」、ということでテレビで、後述するDVD発売のCMまでやってましたよん。
 公式ホームページ : http://homepage1.nifty.com/nexus/neiger/

 テーマソングを歌うはアニソンの巨匠、水木一郎氏ですし、超神ネイガーvsホジナシ怪人のDVD第一巻が3月1日より、ローソンのLOPPIにて予約開始!のようで・・・。
いいですねえ、こういう地元発の、地元で大人気のものって。

 ネイガーの名前の由来は、秋田名物「ナマハゲ」の叫び声『泣ぐ子(ご)は居ねがぁ!』から。
 敵の組織は、秋田弁で「乱暴」を意味する、「だじゃく組合」。「明日の秋田を駄目にする」をテーマに、秋田県下のすべての市町村と、なぜか台湾に支部組合があり、しかも独自のホームページを本当に持っているという・・・。
 公式ホームページ : http://www.dajax.jp/ 
 主人公側が普通のレンタルサーバーで、敵の組織が独自ドメインを取得しているんですか!

 大人が冷めた目で見てしまえば、ギャグやパロディーみたいな雰囲気もありますが、子供たちには大人気のようです。
 こういうノリ、私も大好き(笑)。


 ・・・家に帰ってから調べれば調べるほど、ネイガーが面白かったので、雑記のトップに急遽もってきましたが、改めましてここからスタートさせていただきます。行って来ました初の秋田県!

 これで残る私が未訪問の都道府県は、鳥取、島根、徳島、沖縄と4県になりました。今年中には確実に制覇してやります。というわけで、上野駅から寝台特急「あけぼの」に乗って、羽後本荘駅で由利高原鉄道に乗り換え往復し、秋田市で久保田城を見学し・・・
と、様々な場所を訪問しつつ、乗り鉄もこなしつつ、と以前の北陸旅行ほどハードではありませんが、今回は乗ったり、歩いたりと、月曜から仕事だというのに、無茶苦茶やってまいりました。上写真は、秋田内陸縦貫鉄道の上桧木内駅にて。

 この雪の量、地元の人はもちろん、北海道に住んでいる某所員が見れば「この時期なら当たり前でしょ」と仰るとは思うのですが、雪国暮らしを離れて随分と日が経つ私には、結構衝撃的でした。

 秋田駅では3月改正で引退する、秋田車両センターのキハ58系を撮影。実はこれの撮影が、秋田旅行の動機だったりして。

 とにかく乗りまくりの、1月の北陸旅行とは異なり、観光の時間はたっぷりと確保(というか、本来私の旅行は乗り鉄はメインじゃないんですけどね)。角館では武家屋敷などの古い街並みを見学しました。もっとも時期の関係で、公開していないところが多かったですが。

 それから今回は山形県酒田市を訪問。以前に樺太南半分所員が弊サイト用に撮影した写真を見ながら、ずっと自分でも行きたいと思っておりましたが、とうとう訪問が実現しました。「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」といわれる江戸時代から戦前までの大地主、本間家の屋敷は確かに凄いものでした・・・。

 こちらは酒田の観光ポスターなどでお馴染み、山居倉庫。酒田米穀取引所の付属倉庫として、舟の積み降ろしに便利な日本三急流の最上川と新井田川という川に挟まれた通称山居島(さんきょじま)建てられたものです。

 さてさて、この旅の模様は「来た、見た、乗った!鉄道見聞録」でまとめますので、ぜひお楽しみに〜。




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