○11月30日(日)

 本日は馬藤所員を連れて国立博物館と国立科学博物館へ。その収蔵品の模様は後でたっぷり紹介するとして、久しぶりにJR中央線の八王子〜東京の前面展望を撮影しようと八王子駅まで行ったところ、残り2編成しかない201系がやってきたため、予定を変更して三鷹まで乗車。久しぶりに乗ることが出来、満足満足。

 三鷹駅ではE233系による中央特快の待ち合わせ。

 で、神田駅へ先回りして再び撮影しました。では、ここからは国立博物館の収蔵品をご堪能いただきましょう。

 国立博物館の常設展は膨大な収蔵量で、いつも企画展を見て常設展へ行くと途中で疲れるか、閉館時間となってしまい退散してしまうので、今回は常設展オンリー。写真撮影も可能という、なんと太っ腹! 
 まずは、火焔土器(新潟県長岡市馬高出土/縄文時代 前3000〜2000年)。

 期間限定で展示されていた、国宝 一遍上人絵巻 巻第7 (鎌倉時代 1299年=正安元年)。
 まさか、これが見ることが出来、しかも撮影できるとは・・・。鎌倉時代の人々の風俗を知るうえでも非常に貴重な資料。


 重要文化財 阿弥陀如来立像 (永仙作 1259年=正嘉3年)。

 重要文化財 四季山水図屏風 (伝 周文作 15世紀)。

 同じく四季山水図屏風の一部分。素晴らしい、そして美しい・・・!

 こちらは茶人、千利休が1590(天正10)年に弟子の古田織部に送った書状。当時、千利休は豊臣秀吉の小田原北条攻めに従軍しており、古田織部は関東の各地で転戦していました。そんな状況下での書状です。

 国宝 太刀福岡一文字 (号 上杉太刀) (鎌倉時代=13世紀)

 浅間山図屏風 (亜欧堂田善 作 江戸時代=19世紀)。亜欧堂田善は、江戸時代後期に老中の松平定信に見出された画家で、この絵は西洋風の表現技法ながらも、細部の描写を省いた平面的な構造とすることに主眼が置かれています。

 色絵椿図大皿 (伊万里 古九谷様式 江戸時代=17世紀)。

 豊臣秀吉朱印状 (1595年=文禄4年)。

 富嶽三十六景 相州江ノ島 (葛飾北斎 作 江戸時代 19世紀)。

 五大明王像 (平安時代 11〜12世紀作)。と、このほかにも膨大な量がありますが・・・。

 如来坐像 (パキスタン/クシャーン朝 2〜3世紀)。日本以外の展示物も膨大な量です。

 古代エジプトのミイラだってあります。

 彩文土器 (エジプト 先王朝時代 前4千年紀)

 切子碗 (イラン ササン朝 6世紀)

 青銅製短剣 (イラン ルリスタン地方 前2千年紀末〜前2千年紀初頭)

 重要美術品 染付魚藻大皿 (ベトナム 15〜16世紀)。

 三彩馬 (唐時代 7〜8世紀)。
 色々とご紹介したいものは大量にありますが、とりあえずこの辺で・・・。

○11月29日(土)

 家の前を走るバスに乗れば、鎌倉に着くというのが我が家の魅力。・・・と言いながら、普段はJRか江ノ電を使うためバスで鎌倉に行くのは初めてなのですが、紅葉シーズン到来ということで、ちょっと散歩に出かけました。鎌倉駅に行くと、幕張車両センター所属の183系あずさ色が停車していたので、入場券買って中に入って撮影。先週同様、団体列車が数多く運転されています。鉄道ネタは、これで終わり。

 さて、タクシーで鶴岡八幡宮から金沢八景方向へ金沢街道を東に行き、旧華頂宮邸(国登録有形文化財)へ。これは1929(昭和4)年に元皇族の華頂博信侯爵邸として宮内省により建築されたもの。旧前田侯爵邸である鎌倉文学館と並び、鎌倉に残る戦前に建てられた洋風邸宅の中でも、特に規模が大きいもの。内部は特定の日しか公開していませんが、ハーフティンバーと呼ばれるヨーロッパの民家風の外観は自由に見学することができます。豪勢な飾りがあるわけではなく、整然とした雰囲気ですね。

 そのすぐ近くにあるのが報国寺。1394(建武元)年に足利家時の開基で、天岸慧広(てんがんえこう)が開山した寺院で、ご覧のように孟竹林と呼ばれる立派な竹林が特徴。

 紅葉も美しいもので、竹との組み合わせも・・・。

 それから、「やぐら」と呼ばれるこの地域独特の横穴墳墓も見ることができます。

 続いて浄妙寺へ。1188(文治4)年、足利義兼の開基で退耕行勇が開山した寺院。写真の本堂は1756(宝暦6)年の建築です。

 見所の1つである枯山水の庭は1991(平成3)年に茶室と共に復元されたもの。美しいですね〜。ちなみに浄妙寺の拝観料は僅か100円。

 それから鶴岡八幡宮方向にバス停1個分歩いて、杉本寺へ。734(天平6)年、光明皇后の寄進により、行基が開いたと伝える鎌倉でも最も由緒ある寺院です。まずは石段を登って茅葺の仁王門をくぐります。

 そして、その上にある観音堂は1678(延宝)年の建築。一部は室町時代の建物の古材を使っているそうです。

 何度も行ってはいますが、せっかくなので最後に鶴岡八幡宮へ。写真のイチョウは、見ごろは来週といったところでしょうか。

 中には既に見ごろを迎えているものもありました。明日は上野近辺を馬藤所員と散歩の予定です。
 それにしても、鎌倉は細かく見ていくと江戸時代の建物が残る寺院が数多くあるようで、まだまだ見るべき場所があるようです。

○11月23日(日)

 珍しく土曜日の夜を藤沢の自宅で過ごしたため、久しぶりに藤沢〜大船間でおなじみの撮影ポイントへ。同業者がすでに何人かいましたが、まぜてもらうことが出来ました。さて、それでは185系の回送列車から。

 E231系東海道本線。

 それから撮影者全員の目当てであろう、寝台特急「富士・はやぶさ」。

 日が差したり曇ったり・・・が一定しないので、露出をどうするかが悩みどころでしたが、なんとか撮影できました。

 さて、引き続き大船経由で鎌倉へ。115系ホリデー快速鎌倉号を利用しましたが、紅葉シーズンスタートの休日に6両編成では輸送力があまりにも小さすぎました。

 それから江ノ島電鉄の極楽寺検車区で開催中の第22回タンコロまつりへ。保存車両である108号を初めて撮影。車両の前で子供さんの記念撮影をする方が多く、車両単体で撮影するのは結構一苦労。まあ、こういうイベント会場ですから仕方がないですね。ただ、みんながカメラを構えている中で、年齢問わず車両のどまん前で自分の世界に入られるのは・・・ちょっと御配慮いただきたいものです。

 鎌倉駅に戻ると、尾久車両センターで昨日撮影した485系ジョイフルトレイン「宴」が停泊中。

 さらに北鎌倉駅に行くと、485系ジョイフルトレイン「やまなみ」が団体臨時列車でやってきていました。ちなみに北鎌倉駅は改札口が小さく大混雑状態。列車は次々とやってきて、お客さんは円覚寺を目指してどんどん下車しますので、ホームが大変な混雑ぶりでした。

 ただ、紅葉(もみじ)の見ごろは来週以降といった感じです。

 さて、ホーム先端で少々撮影を。こちらはE217系横須賀線。

 それから485系による急行「ぶらり鎌倉」号。久しぶりに撮影しました。

 さらに、なんとなく相模鉄道が撮影したくなったので二俣川駅へ。こちらは新7000系。

 それから7000系。

 7000系「走れ!みんなの横浜号」。

 それから8000系。

 新塗装の8000系。こうやってみると、まだまだ新塗装の車両は少なめのようです。

 最後に小田急江ノ島線の大和駅で8000系を撮影し、日野に帰還。鉄分の濃い、土日となりました。

○11月22日(土)

 「モハようございます。」の著者でおなじみ、フリーライターの吉田一紀さんに誘われ、デュークさんとともにJR東日本の尾久車両センターで開催された「ふれあい鉄道フェスティバル」へ。事前のパンフレットでE655系「和(なごみ)」、485系ジョイフルトレイン「宴」、旧型客車の3つのみが展示車両として紹介されていたため、「う〜ん、わざわざ人ごみの中に行くまでは・・・」と期待していなかったのですが、その期待を良い意味で裏切ってくれ、上写真のように他にも素晴らしい車両たちが展示されていました。

 吉田さんが誘ってくれなければ家でゴロゴロ・・・あとでネットで写真を見て「しまった!」と後悔するところでした。
 この場を借りて御礼申し上げます。ちなみに会場では、岸田法眼のRailway Blog の運営者で、やはりフリーライターの岸田法眼さんもいらっしゃっており、久々にお会いしてご挨拶させていただきました。

 さて、その詳細は日本の旅・鉄道見聞録を見ていただくとして、引き続いて都電おもいで広場へ。デュークさんと完成間もない頃に訪問しましたが、屋根がついたというので現状を見るべくデュークさん、吉田さん共に強制連行。5501号の内部には展示物が大幅に増強されるなど、結構変化がありました。

 ちなみに去年6月2日は、このような雰囲気でした。まあ、屋根がない方が現役時代のような印象を与えてくれるのは事実ですが、それ以前に雨に打たれ、屋根や塗装が剥離してボロボロになってしまっては、元も子もありません。

 で、せっかくなので都電を撮影。こちらは荒川車庫を出庫するレトロ車両9001形。

 こちらは新型車両がまもなく登場すると、引退となる7500形。

 こちらは7000形。

○11月18日(火)

 山陰旅行の速報版。というわけで、ついに参拝してきました出雲大社。

 松江市にある国宝の神魂神社。

 月山富田城も登ってきました。写真背後の山が本丸や二の丸、三の丸がある部分。いやあ、疲れた・・・。

 もちろん松江城も忘れず登城。間近で見ると天守閣はかなりの迫力でした。

 松江城近くの小泉八雲旧居。

 城といえばもう1つ、米子城にも登城。こちらも背後の山の山頂に天守台跡などがありまして・・・疲れた。

 城も面白かったですが、今回の大収穫はなんと言っても古墳と墳丘墓。こちらは松江市内にある山代二子塚古墳。

 同じく松江市内の岡田山1号墳。

 同じく松江市内の古曽志大谷1号墳(復元)。

 出雲市内の西谷3号墓。四隅突出型墳丘墓という、独特の形が特徴です。

 もちろん「鉄」活動も忘れてはいませんが、ちょっと今回は少なめだったかも。

○11月9日(日)

 本日は地元の東京都日野市で開催されている、日野市産業まつりを見てきました。毎年恒例の地元のお祭り、それほど規模が大きいものではないですが、これが意外と盛り上がっております。乗り物好きとしても、このように消防車を公然と撮影できたり・・・。

 日野自動車の最新鋭のバスやトラックを撮影できたり。

 また、お子さんを連れた親御さんは、こういうのを体験させられたり。

 こんなものもあったり。

 なんとパトカーに子供を乗せたりと、なかなかのもの。

 動物好きには多摩動物公園のブースとか、このように農場のホルスタイン牛と触れ合ったり・・・。

 ジャージー牛と触れ合ったり・・・(なるほど、こういう違いだったのか)。

 なぜかインドネシアの民族舞踊までやっていました。もちろん、物産販売もありの、面白いお祭りでした。

○11月8日(土)

 詳細は日本の旅・鉄道見聞録の http://www.railstation.net/seiha/seiha.html でたっぷりと紹介していますが、大宮駅で列車の撮影をしたり・・・。

 熊谷から羽生まで秩父鉄道に乗ったり・・・。

 群馬県館林市で城跡や古建築(上写真は昭和13年建築の、旧二業見番組合事務所)を見たりと、小旅行。
 そこまでやる予定は無かったのですが、結果的に今週も旅行となってしまいました。来週は山陰です!

○11月1日(土)・2日(日)

 10月中は比較的静かだったワタクシでございますが、11月は色々行く予定ですよ〜。ということで、朝の羽田空港からスタート。

 朝も早くから次々と飛行機が飛んでいきます。さて、私も乗り込むとしましょう。

 さあ、そこで到着しました四国最大の都市、愛媛県松山市。3年連続で訪問しております、私が小学校4年〜6年、中学校1年まで住んでいた場所。それでいて、未だに年賀状をやり取りしている恩師とは一度も会っていないという、なんとも恩知らずな生徒だったりします(先生、スミマセン・・・)。というわけで、さっそく路面電車を大手町で撮影。

 見ていると、路面電車の全車両に11月8日 熊本の日ヘッドマークや側面広告を載せて運行しています。なんで松山で熊本なのか、よくわかりません。ネットで調べてみても、そもそも熊本の日が何なのか解らず。伊予鉄道ホームページでも何も載っておらず、何なのでしょうか。・・・と書いておけば、きっと誰か答えてくれるに違いない。

 というわけで、ムスタファさんの調べによると松山と熊本で活躍した夏目漱石つながり、とのこと。msnで検索したら何も出ませんでしたが、ヤフーで検索すると、確かに引っかかりました。なるほど、そういえば松山と熊本はそういうつながりがありましたね。


 数を少し減らしはしましたが、様々なタイプの旧型車両も多数活躍中。昭和30年代から変わらぬ走行音がいいですね〜。

 大手町では伊予鉄道の郊外線である高浜線と路面電車が直交。

 そしてJR松山駅に行くとEF65 1000番台がいました。これも四国で見られる、貴重な国鉄色。

 さあ、松山に来て早々ではございますが、2000系特急「宇和海」に乗車します。

 伊予大洲駅を過ぎると、左手に大洲城が見えてきます。非常に立派!

 そうして何と、終点の宇和島にまで到着しました。トレインマークを巻く回ししたので、高松〜徳島を走る「うずしお」状態でパチリ。

 駅前に出ると、なにやら小型の蒸気機関車が。宇和島で一番最初に走った蒸気機関車(宇和島鉄道のケ220形)を復元したものだそうです。宇和島鉄道は大正3年10月に宇和島〜近永17.3kmを開業させた軽便鉄道で、大正12年には近永〜吉野を延長開業。そして昭和8年8月に政府により買収されて改軌され、ほぼ現在の予土線になっています。

 ちょっと南国的な雰囲気もある宇和島駅。非常に綺麗な駅で好感が持てます。手入れされた花壇もいいですね。

 さて、駅前でレンタサイクルを借りて散策。駅の近くには江戸時代後期の蘭学者、高野長英が宇和島に潜伏していた居住地跡があります。高野長英はシーボルトの門下生で、幕府の異国船打払令を批判するなどして投獄されていましたが、火災に乗じて脱獄し、宇和島藩主の伊達宗城の庇護を受け、宇和島藩の兵備洋式化などに貢献しました。

 そしてこちら、この素晴らしい庭園は天赦園(てんしゃえん)。1672(寛文12)年に宇和島藩2代藩主の伊達宗利が海を埋め立て造成した浜御殿の南東部分を、7代藩主の伊達宗紀(むねただ)が隠居の場所として大改造を行って、1866(慶応2)年に竣工したもの。庭園の名前は、あの伊達政宗が隠居した後に家臣たちに示した
「馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し 残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん」
 という詩からとったものだそうです。
 中国・四国地方には岡山や広島、高松や丸亀など、城とともに大名庭園が多く残っていますが、ここもその1つですね。美しいだけでなく、伊達宗紀は宇和島藩の財政再建に成功させた人物で、さらに幕末において、この場所から宇和島藩の指示をあれこれ行い、賢公と称えられた8代藩主の伊達宗城の背後より明治維新へ様々な介入を行った、宇和島藩の黒幕(笑)。西郷隆盛や大村益次郎とも、ここで会見を行ったそうです。

 ちなみに伊達宗紀は、1889(明治22)年に98歳という長寿で亡くなったとか。

 そして宇和島城を見学。そこそこ高い場所にあり、路盤の悪い昔ながらの登城ルートで上ると、結構大変です。天守閣は、姫路城とか大坂城とかを想像すると、随分かわいらしいものですが、見れば見るほどどっしりとした構えで、1666(寛文6)年に建造された、全国でも貴重な現存天守閣の1つです。

 さらに宇和島駅方向に戻り自転車を西へ走らせ、海の近くへ。宇和島藩が造った樺崎灯台跡に隣接して建つのが、旧宇和島警察署。1884(明治17)年に建築された擬洋風建築で、1953(昭和28)年に当時の南宇和郡西海町(現、愛南町西海地区)に移築され、西海町役場として1990(平成2)年まで使用。役目を終えた後、当時の場所とは全然違いますが宇和島に再移築され、宇和島市立歴史資料館として使用されているものです。

 そして宇和島駅に戻り、日本の旅・鉄道見聞録コーナーで紹介しているとおり、急行「うわじま」を撮影。

 そしてカレーパンマンが描かれた特急「宇和海」に乗車し、伊予大洲駅でデュークさんと合流して松山へ戻ります。

 松山と言えば道後温泉! 未だに明治の建物が現役であり、我等2人は早速湯に浸かりに行くことにしました。実際、ここで風呂に入るのは10年ぶりぐらいかも・・・。休憩室でお茶を飲むでいると、100年前の人たちも、ここで同じことをしていたんだろうなあと、感慨深いものがあります。

 実はホテルでサービスのカレーを食べておきながら、やはり何か名物を食べたい! ということで、私の発案で鯛めしを道後温泉近くの店で注文しました。この鯛めし、愛媛県では2種類ありまして、上が南予風鯛めし。南予地方は愛媛県南部のことで、大洲市から宇和島市一体を指します。とろろや特製のダシ醤油、ゴマや海苔をかけて召し上がれ。

 一方、こちらが中予風鯛めし。もう、鯛めしの違いがわかりますね!
 中予地方とは、この松山市や伊予市などのことで(デュークさんには内子町とか大洲市のことだと、嘘教えてしまった・・・。この場を借りてお詫びいたします)、松山の名物料理と言えば、この鯛めしを挙げられます。身をほぐして、混ぜて食べましょう。両方とも美味しい!

 さて翌日。朝も早くから高松発宇和島行きの特急「いしづち」にデュークさんと乗車します。

 ・・・と、出発前に2000系特急「しおかぜ」がやってきたので撮影。こりゃまたすごい・・・。

 そして内子線の内子駅で下車。駅前ではC12形蒸気機関車が、非常に美麗な状態で保存されていました。

 さて、内子町は全国でも有数の古い町並みが残っています。この光景には圧巻。

 なまこ壁や窓の形など、いろいろと見るべきポイントがあります。

 こちらも古い町並み。

 それから、内子駅から古い町並みに行く手前にある内子座は、1916(大正5)年に地元の熱意によって竣工した木造2階建ての芝居劇場。一時は老朽化による解体も議論されましたが、ここで「古い町並みとともに地元の遺産として活用しよう」と動きが広がり、現在は内子観光の中心として再び活用。年間80日近くを、劇場としても使用しています。

 こちらが内部の様子です。

 さて、内子駅で特急「宇和海」などを撮影して松山へ戻ります。

 そして岡山空港から帰るというデュークと別れ、いよいよJR四国のキハ58系最終運転となる急行「いよ」を撮影。

 さらに、昔すんでいた鉄砲町の電停で路面電車を撮影。私が住んでいたころは、この電車しかなかったわけですが・・・。

 今やこのように、超低床車両の2100形も来るわけで、時代は変わったなあと思います。

 昔通っていた小学校や中学校、それから塾などを見ながら、やはり路面電車を撮影。

 そして大街道へ行くと、坊ちゃん列車が走っていたので撮影。蒸気機関車(中身はディーゼルですが)が路面電車の線路上を走るのが、なんとも面白い光景ですね。松山観光の見所の1つです。

 続いて松山城に行き天守閣を撮影。満足の行く1枚に仕上がりました。
 そして松山空港から帰ったわけですが、やはり愛媛県はいいですね〜。今度は伊予西条市の四国鉄道文化館を見に行くのをテーマにして、また訪問したいと思います。


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