○12月31日(水)

 JR広島駅前にある福屋百貨店の屋上より、新たな広島市の球場であるMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島を拝見。いよいよ来年から稼動開始で、非常に楽しみです。しかし、広島駅からは意外と遠く、しかも道は整備されていない雰囲気。開幕早々、早速問題点が山ほど指摘されるような気がします。

 あと、Zoom-Zoomはマツダの企業スローガンですが、英語で自動車の走る音「ブーブー」を意味する子供の言葉だそうで、何とも情けない・・・。単純にマツダスタジアム広島ではダメだったのでしょうか。


 球場の名前の通り、ズームして撮影(笑)。

 ちなみにこの場所、ガラス越しながらも山陽新幹線が良く見えます。

 特に意味はありませんが、5100形グリーンムーバーmax

 広島電鉄白島線の1900形。
 ん〜、広電三昧ですなあ。


○12月30日(火)

 長期休暇って最高ですね。就職してから、その有難さが特によく解ります。というわけで冬休み4日目、午前中に少し散歩してきました。というわけで、まずは広島城二の丸。

 そして広島城天守閣。小天守2基を従えた本来の姿を、いつか復元してくれないかと思っているのですが・・・。まあ、少なくとも今の市長が変わらない限りは無理でしょうね。

 それから紙屋町西、紙屋町東電停で広島電鉄の路面電車を撮影。まずは750形(もと大阪市電)。

 1900形(もと京都市電)。

 3000形(もと西日本鉄道福岡市内線)。

 5000形グリーンムーバー。

 3800形ぐりーんらいなー。*誤植じゃないですよ、3800形の愛称は平仮名で「ぐりーんらいなー」です。

 それから新交通システムであるアストラムラインに久しぶりに乗車。駅はホームドアだし、路線は地下か高架なので、どうすれば車両を撮影できるか昔から悩んでいましたが、運転席の後ろから撮影することで問題をクリアしました。ただ、駅付近を除けば上下線の間に分離帯兼通路が設置されており、これも撮影ポイントは非常に限られます。

 アストラムラインの車内。いやあ、お客さんが殆どいない・・・。

 大町駅で可部線に乗り換え。105系2両編成がやってきました。考えてみれば、105系は前面の方向幕を使用するんですね。

 ・・・と思っていたら、反対側は使用していませんでした。JRグループの中で、意地でも前面方向幕(もしくは種別幕)を嫌う北陸と広島。どのような素晴らしい合理的な理由があるのでしょうか。

 横川駅で一度下車。綺麗な横川駅電停に、5100形グリーンムーバーmax が停車中でした。

 こちらはJR横川駅。

 そして山陽本線(115系3000番台)に乗り換え、西へ・・・。

 向かった先はこちら、大竹市玖波(くば)です。

 西国街道の古い町並みが現在でも残っているとネットで見つけたので、見てまいりました。

 諸手を挙げて感動するほどでもありませんが、しかし思いのほか古い家が数多く残存していました。

 玖波駅がまた、何とも昭和40年代ぐらいの雰囲気でいい味を出しています。

 ・・・で、玖波から乗った103系が戸袋窓付きの編成でした。う〜ん、珍しい。東京で103系に乗っていた頃を思い出します。

 ここではまだまだ現役。103系同士の並びもあります。

 最後に白島線の広島電鉄900形(もと大阪市電)と・・・。

 その車内に設置されている、ICカードPASPY読み取り機です。カードの名前を、安易に「〜〜カ」にしなかったことに好感が持てますね。

○12月29日(月)

 やはり広島に帰ると、この路面電車が走る光景が本当に落ち着きます。最近は、あと何分でどこ行きの列車が到着するかの表示も電停で行われるようになり、より便利になりました。さて、上写真は800形。

 そして5000形グリーンムーバー第1編成。

 こちらは第2編成とのすれ違い。

○12月27日(土)

 1年の仕事も終わり、実家のある広島に向けて帰省。
 早朝6時9分に、我が最寄り駅である藤沢駅を発車する東海道本線の列車は、「ムーンライトながら」折り返しの列車でJR東海の373系特急形電車を使用するという、ちょっと「お得」な列車です。これに乗って小田原へ行き、東海道新幹線「ひかり」に乗り込みます。

 東海道新幹線から眺める富士山は相変わらず絶景。この時期は雪化粧していて、特に綺麗ですね。

 そして名古屋で「のぞみ」に乗り換えます。右は300系「こだま」ですが、これもいつまで見られることでしょうか。

 さて、舞台は一気に岡山へ。広島には真っ直ぐ帰らず、ちょっと寄り道を行います。
 まずは瀬戸大橋線で運用されるJR四国の113系を撮影・・・。


 113系湘南色。今となっては非常に貴重な車両と塗装の組み合わせになってまいりました。

 こちらは115系湘南色どうしの並び。

 そのほか色々撮影しましたが、話は先に進めましょう。
 さて、来年3月改正で現存最後の昼間の時間帯に走る急行である「つやま」が廃止されるということもあり、しかも岡山で1時間ほど撮影タイムを設定すると、ちょうどいい時間に発車してくれるので、乗ってみることにしました。一般形気動車であるキハ40系で運行されています。


 そして津山に到着。以前から一度行って見たかった場所でしたが、ついに実現。森氏、松平氏の城下町として栄えた場所で、現在もご覧のように出雲街道沿いを中心として古い町並みが非常に広範囲にわたって残っています。駅前でレンタサイクルを貸しだしていたので、自転車で城下町めぐりです。見所があちこち多すぎて、徒歩だと大変・・・。

 その中でも特に面白いのが、こちらの津山洋学資料館。レンガ造りの塀の中に、千鳥破風入母屋造り天然ストレート葦の大屋根が特徴の、寺社仏閣のような建築という組み合わせ。大正9年に妹尾(せのお)銀行として建てられたもので、第一合同銀行、さらに中国銀行津山東支店として昭和48年まで使用されていました。

 こちらは県立津山高校に残る国重要文化財の旧津山尋常中学校本館。明治33年、岡山県津山中学校の新校舎として建てられたもので、木造2階建て寄棟造,桟瓦葺の洋風建築。う〜ん、素敵。

 そして津山城へ。石垣が非常に美しい城で、まずは城の北側にて撮影しました。多少ですが、雪が積もっています。

 今度は城の南側から。復元された備中櫓が往時の雰囲気を想像させてくれます。それにしても、立派なお城です。

 近くにて撮影。ご覧のとおり、2階部分が少し変わった形状です。

 外が外なら中も中。櫓と名乗ってはいますが、どうも御殿の一部だったらしく、このように全て畳敷きという極めて珍しいものです。

 在りし日の津山城復元想像図。全国的に見てもかなりの規模であり、もしこの建物群が現存していれば、姫路城と並んで世界遺産になったかもしれません。

 先ほどの古い町並みは城の東側でしたが、今度は西側。こちらもかなり魅力的です。

 旧土居銀行(現、作州民芸館)。大正9年の建築で、これも優美で素晴らしい!

  さらに西へ行くと、いわゆる寺町エリアへ。写真の愛染寺の鐘楼兼仁王門は、大正9年の建築。軒唐破風付き入母屋造り・桧皮葺の変形四脚門で、ものすごい迫力です。このほか、魅力的な風景や建築物が数多くあります。

  そして津山駅へ戻り、岡山に向けて出発。

  岡山へ行くと、宇野線の列車は奈良線・関西本線から転属してきた103系。

  さらに赤穂線の列車は、広島から転属してきた103系瀬戸内色。広島地区では前面方向幕を使用していませんが、こちらは利用しているようです。この塗装で前面方向幕というのは、実はかなり面白い・・・。

○12月23日(火)

 祖母と伯母と3人でクリスマスケーキを食べる。
 ・・・そんだけ。ええ、明日のクリスマスイブも何もありませんよ。普通に夕食作るだけです。さばの味噌煮にするか、中華に走ってギョーザでも作るか、迷うなあ。・・・おいそこ! 手ぇつないで歩いているんじゃない!

 まあ、そういう毎年恒例の寂しいクリスマスイブはさておき、街中がクリスマス商戦で赤い飾りに包まれていたり、赤い帽子をかぶった店員さんが大声で販売促進に従事しているわけですが、クリスマスイブが終わった途端に、正月商戦モードにガラリとイメージチェンジするのが、毎年面白いなあと見ております。

○12月22日(月)

 横浜線の電車に乗ったところ、横浜線開業100周年記念ヘッドマークがついていたので撮影。
 それはそれとして、いつの間にか前面方向幕がどの車両もLEDタイプに変更されていました。幕式の車両を見かけることが全然ありません。しかし・・・夜間は見やすいですが、昼間は非常に見にくいことこの上ない。ちょいと残念です。

 フルカラーLEDなら多少見やすいんですけどね。

○12月14日(日)

 弊サイトのスタッフであるリンさんと共に、本日は伊豆急行へ。まずは藤沢よりJR東海道線で熱海駅にいると、JR伊東線のホームには、伊豆急行2100系黒船電車が停車していました。普通列車として伊豆急下田へ向かうようです。なんとも豪華な普通列車・・・。

 深い意味はありませんが、あまりこのコーナーで登場することがないので、熱海駅にて撮影のJR東海の313系を・・・。

 それから寝台特急「富士・はやぶさ」を撮影。

 そして伊東線のホームに行くと、伊豆急行2100系「リゾート21」が停車中。やはり普通列車として伊豆急下田へ行く御様子。・・・これは乗るしかありませぬ。

 一部座席は海側を向いており、本日は天候が悪くて残念な限りでしたが、それ以外の時には素晴らしい眺望。それにしても、この2100系は特急車両とばかり思っていましたが、別に特急に限定するわけでもなく、普通列車でバンバン使われていました。

 伊東駅では後からやってきた、183系・189系特急「あまぎ」を撮影。

 さらに本日は、伊豆急行の200系電車(もとJR115系)の「さよなら運転」も実施されており、伊豆急下田駅まで乗車。3両編成だったこともあり、見事なまでの満員電車。都内でも立川以西、さらに新潟や広島に行けば同型車はバンバン走っていますので、注目度は低いと思っていたのですが・・・予想外でした。

 さて、伊豆急下田駅を降りて周辺を散策します。下田は幕末の激動の舞台となった場所の1つで、1854年3月に日米和親条約が結ばれると、箱館(現、函館市)と共に開港されました。上写真の了仙寺は上陸したペリー提督一行の応接所となりました。

 そしてアメリカとの間で下田条約がここで結ばれるのですが、当時を描いた絵と現在を比較してわかるとおり、本堂はペリーがやってきた当時のままで現存しています。う〜ん、これは感動。

 近くの山というか丘には、下田城跡(鵜島城跡)があります。室町時代初期に造られたのが最初と考えられ、戦国時代には小田原を本拠とした北条氏が北条水軍の拠点として整備しました。しかし、豊臣秀吉の小田原攻めの際に脇坂安治、長曽我部元親の攻撃に遭い、清水康英は約50日も抵抗しますが、ついに落城。

 その後、徳川家康配下の戸田忠次が入城しますが、江戸幕府が成立すると下田には奉行が置かれ、廃城となりました。


 ここからは下田の町並みが一望できます。この小さな町に、かつて意気揚々と黒船がここに集まってきたことでしょう。

 というわけで、ペリー艦隊来航記念碑。

 ペリー提督をアップ。

 お供え物がありました。・・・が、意味の解らないものも少々。私が不勉強なだけで、何か重要な意味があるのでしょうか。

 なお、ジョージ・ブッシュ大統領もメッセージを寄せています。でも、下田の場所なんて知らないだろうなあ・・・と思ったり。

 ところで、下田は幕末から大正にかけての民家が非常に数多く残っており、NPO法人によって紹介が進められています。その多くは「なまこ壁」が特徴的。写真の松本旅館は明治40年ごろの建築です。

 ミニ倉敷とも言える町並みもあります。手前の建物(草画房)は大正3年の建築。

 こちらの雑忠家は、1818(文政元)年の建築。

 こんな工場跡もあります。大正12年に建築された、旧南豆製氷だそうです。このほかにも数多くの古い民家があり、思わぬ収穫でした。うふふふふ。

 さて、伊豆急下田駅に戻り周りを歩いてますと、さよなら運転に使われた200系とは別に編成に、「200系デビュー」のヘッドマークがつけられていました。なかなか面白いことやってくれますね。

 そして再びリゾート21に乗車。

 今度は最後尾に乗車し、リンさんと展望席を二人占め(笑)。素晴らしい光景です。

 途中駅では特急「リゾート踊り子」と交換。

 伊豆高原駅で下車し、特に意味もなく散歩を開始したところ、吊り橋の文字が見えたので行ったところ、素晴らしい景色が!

 もちろん吊り橋も渡りました。多少ですが、やはり揺れる揺れる・・・。下見ると、さすがに怖かったです。

 伊豆高原駅から熱海駅までは、指定席が取れたので特急「あまぎ」で移動。リバイバル運転の列車ですから、きっと満席に違いない・・・と思っていたのですが、EF55のイベントがあったり、関西では0系が引退したりと、鉄道ファンも分散したようで、車内は結構空いていました。

 以上、リンさんお付き合い頂きありがとうございました。

○12月13日(土)

 中途半端な時間に仕事が入ったので、出勤前に藤沢駅で寝台特急「富士・はやぶさ」を・・・、としばらく待機。上写真はE231系湘南新宿ライン。と、E231系と211系だらけの東海道線をしばらく見ていますが、全く「富士・はやぶさ」は来る気配がありません。

 その代わり、(長い間)試験塗装機として有名なEF65 1059号機が新製されたEF210 152号機を牽引してやってきました。思わぬ収穫で、これはこれで大歓迎なのですが、結局のところ東京行きの上り「富士・はやぶさ」は定刻から40分以上経っても来ず。仕事に間に合わなくなるので、撤収しました。

 後で調べたところ、鹿と衝突して遅延していたとか。そして、下り「富士・はやぶさ」は所定のEF66ではなく、EF65にヘッドマークをつけての運転だったそうで、撮影できなかったのが多少悔やまれます。


 夜は弊サイトのスタッフであるリンさんが遊びに来るので東京駅までお出迎え。本日と翌日に運転される183系・189系特急「あまぎ」を撮影いたしました。

 で・・・横浜で食事をして、リンさんを連れて藤沢に帰ったのですが、なぜか小田急線ホームにいます。だいたい想像のついた方もいらっしゃると思いますが、多少無駄な寄り道をしました。詳細は近いうちに、リンさんが一連の旅行記としてまとめてくださると思います。

○12月6日(土)・7日(日)

 本日臨時で運転される0系「ひかり」を撮影したい、というだけの理由で大阪へ到着。もちろん、0系だけ撮影して終わり・・・という気はないものの、行くところを決めたのも殆ど出発直前、大阪にいる友人たちに「遊んでくれ」と頼むのも直前という、無鉄砲な計画でしたが、1泊2日で大阪府岸和田市の岸和田城と紀州街道沿いの古い町並みの見学、南海電鉄、阪神電鉄、近鉄、京阪電鉄の撮影、さらには奈良へ移動し広大な平城京跡の散策、唐招提寺と薬師寺の見学と、充実した2日間でした。

 というわけで、まずは写真の関西空港駅からスタート。よく解りませんが、なぜか綺麗に撮影できた・・・。

 今回は関西空港からは初めてとなる南海電鉄に乗車。50000系特急「ラピート」は相変わらず強烈なデザインです。乗ってみたい、と思いながら無駄にケチって乗らないのが所長。

 友人と泉大津駅で合流するまで時間があったので(というか時間を作ったので)、羽衣駅で南海本線の車両を撮影。両方とも1000系ですが、minapita ラッピング車両となった左の車両は、随分と面白い雰囲気ですね。

 先ほど関西空港駅にいた特急「ラピートβ」が羽衣駅を通過。

 こちらは高師浜線の2200系。この系列は更新こそされていますが、約40年活躍するベテラン。

 さて、大学時代の友人と合流して彼が勤務する岸和田へ。岸和田は大阪府内でも大坂城と並んで立派な城郭が残る場所。残念ながら建造物は、戦後になって復興されたものとはいえ、なかなか立派です。

 ただ1954(昭和29)年に復興された大天守閣は、江戸時代を通じて5層だったものを3層にしてしまった、全くのデタラメ建造物。・・・意外と格好いいですけどね。

 なお、岸和田城は1334(建武元)年に楠木正成の一族である和田氏が、当時「岸」と呼ばれていたこの地に城を築城したのが始まり。つまり岸和田という地名の由来は、「岸」の和田という珍しい旧地名と人名の合成地名。それから室町時代から江戸時代初期にかけて信濃氏、細川氏、三好氏、松浦氏、中村氏、小出氏、松平氏と代わり、1640(寛永17)年に紀州藩のお目付け役として、岡部宣勝が入城し、幕末まで岡部氏の城下町として栄えました。


 こちらは旧岸和田城内の薬草園の跡地に、寺田利吉氏が1929(昭和4)年から約10年かけて建設した五風荘。立派な主屋に茶室、回遊式庭園が見事なものです。

 絶対所長が喜ぶ、と友人が案内してくれた岸和田市魚屋町にある近代建築。ネットで調べたところ、これは1919(大正8)年築の旧四十三銀行(現、成協信用組合岸和田支店)とのこと。赤いレンガと花崗岩のツートンカラー、そして適度な装飾に丸みを帯びた姿は実に素晴らしいですね。

 しかし、何といっても岸和田で見るべきは旧紀州街道沿い、岸和田市本町に残る古い町並み。

 ご覧のとおり、見事な町並みが広がります。

 説明板も用意されており、建物1つ1つの概要もよく解ります。

 もう1枚。岸和田はこのほかにも市内の各地に古い町並みが残っており、必見です。

 岸和田の観光を終えて友人と別れ、今度は南海電鉄の浜寺公園駅へ。4年前に1度訪問していますが、現在のデジカメで撮影したく再訪問。東京駅や日本銀行本店の設計でおなじみ、辰野金吾の設計で1907(明治40)年の建築です。南海電鉄本線で進む連続立体交差事業による取り壊しの可能性もありましたが、堺市は保存を決定。高架化後も新駅舎の正面で活躍してくれます。

 別角度より。なお、この駅舎は国の登録有形文化財に指定されています。

 保存は非常に喜ばしいことですが、高架化後の雰囲気は大きく変わってしまうでしょうから現在の姿は記録しておかなければ・・・。

 ホームの様子。

 ちなみに近くには阪堺電気軌道の浜寺駅前駅があります。こちらは、何だか昭和初期といった感じですね。

 で、停車中の車両を撮影。

 それから浜寺公園駅のお隣、南海電鉄の諏訪ノ森駅へ。小ぶりな建築で、気に留めない人も多いとは思いますが、これも1919(大正8)年に建築された歴史ある駅舎。国の登録有形文化財に指定されています。やはり南海電鉄本線で進む連続立体交差事業による取り壊しの可能性もありましたが、堺市はこれも保存を決定。高架化後も新駅舎に接続して使用されるようです。

 この駅舎の魅力は、何と言っても美しいステンドグラスですね。当時の設計者の心意気が感じられます。

 諏訪ノ森駅を発車する7100系。

 堺駅で、またまた50000系特急「ラピートβ」を撮影。でも、乗らない・・・(乗りたかったけど)。

 1000系住之江競艇ラッピング車両。なかなか上手いデザインですね。

 なんば駅に到着。こちらは泉北高速鉄道の3000系。

 特急「りんかん」で使用される11000系

 南海電鉄の新鋭8000系。これからどんどん、増えていくんでしょうね。

 さてさて、いよいよ本日最大のお目当てである0系「ひかり」を撮影しに新大阪駅へ。と、ホームを見てみると923形ドクターイエローが。この車両は初めての撮影であり、ちょっと得した気分。一方で0系「ひかり」を、この列車が停車する20番線の向かい側である21番線から撮影しようと企んだところ、回送列車が長時間停車するとのこと。必然的に20番線は大量の人が押し寄せ大混乱状態。ロクな写真が撮れそうではありません。

 そこで、まだ時間が合ったので思い切って新神戸駅へ先回り。0系「ひかり」は新神戸駅を通過するのですが、猛スピードで通過していく姿は往年の姿に相応しいもの。「こだま」運用のために、0系は遅いというイメージが脳裏についていたのですが、それを見事にかき消してくれました。

 これで私は走行する0系を見ることは無いわけで、帰省や旅行で何度と無く利用してきた0系と最後の別れとなりました。写真撮影云々以前に、高速スピードの0系が見られたのは非常に感動。新大阪でムリに粘らなくてよかったです。


 さて、何の計画も無く神戸にまで来てしまったのですから、当然神戸での予定なんてありません。とりあえず地下鉄で三宮駅まで行ったところ、目に入ってきたのが「阪神」の文字。よくよく考えてみれば、阪神電鉄の車両は殆ど撮影したことが無かったので、これを機会に乗車&撮影とします。で、まずは尼崎駅で山陽電鉄5000系を。

 新塗装になった阪神9000系。う〜ん、阪神タイガース♪

 こちらは阪神1000系。

 こちらは阪神5000系。大手私鉄で、いまどき行先表示「板」を掲げている車両があったとは・・・。

 さて、ホームから何やら城跡っぽいのが見えたので行ったところ、やはり尼崎城跡でした。復興された石垣と塀があります。

 それから、間もなく「阪神なんば線」として延伸開業する、阪神西大阪線へ。

 西九条駅ではホームの延伸を含めた大改良工事が盛んに進められていました。

 西九条駅はJR大阪環状線、JR桜島線(JRゆめ咲線)との接続駅。阪神なんば線が開業し、近鉄と直通運転が始まれば、一気に奈良と大阪を結ぶ玄関口の1つとして注目を集めそうです。さて、そんな私の前にやってきたのは大阪環状線の103系低運転台。さすがに、今や珍しい部類の車両になってしまいました。

 こちらは天王寺駅にて。一方で、阪和線は相変わらず103系低運転台の楽園。東京都内では209系も廃車される中で、未だにこれが主力というのは鉄道ファンとしては嬉しいですが、利用客としてはどうでしょう。もっとも、個人的には車両よりもトイレが綺麗だとか、エキナカが魅力的だとか、ホームに待合室があるとか、駅設備が充実していることの方が重要ではないかと思っています。

 あ〜・・・駅設備もJR西日本は・・・。
 さて、今度は難波駅で先ほど岸和田を案内してくれた友人と再び合流し、美味しい天ぷらに舌鼓を打ち、今度は近鉄に乗って奈良へ向かいました。


 というわけで翌日。新大宮駅から西へ歩いていきますと(普通はバスを使うようですが)イトーヨーカドー奈良店があります。元々は経営破たんした奈良そごうとして建設されたもので、あの長屋王邸宅跡が発見され、貴重な木簡が数多く見つかるという大発見の舞台でした。惜しげもなく、こうなってしまうとは。今や、解説板で往時を偲ぶのみです。

 一方で、向かい側にある平城京左京三条二坊宮跡庭園は保存と整備が進行中。国の特別史跡・特別名勝に指定されています。長屋王邸宅跡の現状と比べると、その扱いの差は歴然・・・。

 さらに歩いて、平城京の中心であった平城宮跡へ。その中でも、まずは東南隅にある東院庭園を見学。

 それから、「法華寺」という文字が見えたので、一度平城宮跡を後にして北へ行き法華寺へ。光明宗の寺院で、奈良時代には日本の総国分尼寺とされた由緒あるお寺。聖武天皇の皇后である光明皇后が、藤原不比等の邸宅跡に造ったのを起源とします。写真の本堂は1601(慶長6)年、豊臣秀頼と淀殿の寄進によって再建されたもので国重要文化財。このほか、鐘楼と南門も国重要文化財です。

 再び平城宮跡に戻り遺構展示館へ。もちろん保存されている遺構のほか、現在復元工事中の第一次大極殿の模型などが展示されています。完成が待ち遠しいですね〜。

 こちらは復元された宮内省の建物。

 復元中の第1次大極殿を奥に臨んで撮影。平城宮跡はとにかく広大で、遺構を見て回るだけでも一苦労です。田んぼになっていたことが、良好な遺構の保存につながり、さらに敷地の買い取りも比較的容易だったようです。ちなみに今見ている平城宮跡は、あくまで宮殿や政庁があった部分のみのことで、平城京としての市街地全体は、東大寺などはもちろん、薬師寺なども含んでいたわけでして、なんとも広大な都市だったわけです。

 こちらは平城宮のシンボルとして以前から有名な朱雀門。

 残念ながら近鉄奈良線が平城宮跡の南側を横断しており、平城京の景観を大きく阻害していますが、撮影ポイントとしてはお勧め。写真は京都市営地下鉄10系平城遷都1300年祭ラッピング車両。無機質なステンレス車体より、遥かに良いですね〜。

 同じく近鉄奈良線を撮影。こちらは近鉄30000系。

 同じく近鉄奈良線を撮影。こちらは近鉄5800系。

 さらに今度は近鉄西ノ京駅へ行き、徒歩で唐招提寺へ。鑑真が開基した、律宗の総本山です。

 建築や所蔵品等に数多くの貴重な文化財が残りますが、やはり門をくぐると見える金堂(国宝) は奈良時代に建てられたもので必見。

 唐招提寺では未だに紅葉も綺麗でした。

 こちらは薬師寺へ行く途中の骨董店で露天販売されていた古銭の数々。寛永通宝が主体で、1枚100円とのこと。これだけ並べられていると、なかなか壮観ですね。3枚購入しました。

 さて薬師寺。5年前に弊サイトのスタッフである桜乃氏と訪問しましたが、天候が悪く満足な撮影ができなかったため、今度こそ!と再挑戦。写真の東塔は奈良時代(天平年間)の建築で、もちろん国宝。未だに我々に、その優美な姿を見せてくれるというのは凄い話。

 東塔、そして1981年に復元された西塔をバックに南門側から撮影。南門は1512(永正9)年の建築です。

 南門の向かい側には休岡八幡宮があります。社殿は1596(慶長元)年に豊臣秀頼の寄進で建築されたもので、国重要文化財。

 近鉄で鶴橋駅へ戻り、JR大阪環状線へ。関東では風前の灯である201系も、ここでは心行くまで堪能できます。車内に入ると新車同然なので、その点でノスタルジーは感じられませんが・・・(でも頼もしい限りです)。

 京橋駅で京阪電鉄に乗り換え、野江駅でしばらく撮影タイム。写真は2200系旧塗装。

 こちらは新鋭の3000系。

 8000系旧塗装。

 1000系新塗装。

 8000系新塗装。

 さらに中之島線へ行き、終点の中之島まで全線完乗。残念ながら、乗客の数は非常に少ないものでした。平日朝晩のラッシュ時は混むでしょうが、そうでなければ京橋方面から中之島へ用事がある人ってのも、それほど多いわけではないでしょう。せめて、大阪駅方向から直結していないと厳しい気がします。

 このあと、桜乃氏と合流して色々と作曲談義。話していると、作曲の意欲もわいてくるのですが、こうやって旅行三昧にホームページの更新をやっていると、なかなか先に進まないのが現状だったりします。トホホ・・・。


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