○1月31日(土)

 毎週旅行に出かけている状況ですが、今日は遠出はせずに品川へ。

 経営破たんと従業員の自主営業、そしてその立ち退き問題に関する報道で大きく取り上げられた京浜ホテル。品川駅高輪口の目の前でした。跡地は再開発されて高層ビルにでもなるのでしょうか。

 さて、ここで久しぶりに大学時代からの友人である味野源次氏と合流。品川プリンスホテル内にあるエプソン品川アクアスタジアムへ、男2人で見学してきました。入場料1800円には驚きましたが、それだけ飼育費や人件費、さらに場所代もかかるわけで、これは仕方がありますまい。んで入るや否や、カマイルカとバンドウイルカによるショーが行われていたので見学。

 ご覧のとおり、ものすごいジャンプ力です。これには驚きました。


 男2人でイルカのショー見学だなんて半ば自虐的に見に行ったのですが(笑)、非常にダイナミックな動きで純粋に感動。演技をするイルカも大したものですし、そしてこれを教えるトレーナーさんたちの指導法も恐れ入りました。御褒美のエサをあげながら勉強させるのでしょうが、これだけの大ジャンプ、どうやって教え込むのでしょうか。

 水族館そのものは、例えば新江ノ島水族館などと比較すると小さなもの。それでも約300種類の大小さまざまな海の生き物たちに出会うことが出来ます。惜しむらくは、館内に個々の生態の解説が殆ど無く、パンフレットで簡単に触れられている程度だったこと。その一方で、公式ホームページ内に掲載されている
「みうらっちのおさかなコラム」 http://www.princehotels.co.jp/shinagawa/aquastadium/aqua/column/backnumbers.php
 これは非常に見ごたえがあります。

 さて、そのコラム内でも触れられていますが、エプソン品川アクアスタジアムの「売り」となる動物が、このドワーフ・ソーフィッシュ。世界中でも、ここでしか見られないそうで、捕獲例も非常に少ないレアな魚です。ドワーフとは小さいという意味で、ドワーフ・ソーフィッシュとは「小さなノコギリエイ」という意味。小さいといいますけど、他のエイに比べれば・・・程度の話で、2m以上もある巨体でした。

 大きさという面では、こっちの方が実感しやすいかも。とにかく立派な魚でした。ちなみに、ここではグリーン・ソーフィッシュも飼育しており、これもまた巨大で必見です。写真を撮りたかったのですが、これにて痛恨の電池切れ。ぐあああ。

 さて、この後さらに大学時代の先輩で、かつては弊サイトにも「千葉人」というお名前で投稿されていた方と約4年ぶりに再会。何の理由も無く連絡を取り合わないうちに、いつの間にか時間だけがどんどん流れてしまったのですが(弊サイトは欠かさずチェックされてくださったそうです)、年賀状がきっかけで再会した千葉人さんは、私がよくお会いしていた頃よりも、さらに「鉄分」豊富になっておられ(笑)、上写真の和歌山電鉄を始め、多数の写真を見せてくださいました。

 掲載して良いよ〜ということなので、これから「日本の鉄道風景」コーナーで沢山お名前が登場するはずです。

 こちらは千葉人さん撮影、岐阜県の白川郷。これを見た味野源次さんが、「行きたいなあ」という趣旨の発言をされたので、新緑の美しい季節(5月のゴールデンウィーク明けかな)に私が強制連行することにしました。ふふふ、失言だったな!(笑)

 こんどは場所変わって千葉人さん撮影のシンガポール。私も一度は行ってみたい場所で、味野源次さんも「行きたい」とのこと。せっかくなら、シンガポール→マレーシア経由で帰国と、あれよあれよとプランがまとまり、これは10月か11月に千葉人さん含めて3人で行くことになりそうです。私は行くと言ったら、それは社交儀礼的な言葉じゃなくて、本当に行きますからね。

 ここをご覧の味野さん、絶対にパスポートの更新を忘れないように〜(笑)。

 さらに香港もいいなあという話になり、これはシンガポールの後に時間を置いて行くことに。10月にシンガポールなら、香港は12月ぐらいでしょうか。こうして、1年間の予定が次々と埋まっていきそうです。いやあ、楽しかった! 先輩、有難うございました。


○1月30日(金)

 藤沢から毎度のごとく、小田急線、横浜線、中央線経由で日野に戻ろうとしたところ、漫画に夢中で日野駅を通過してしまうという、私には前代未聞の珍事が発生。ガックリして立川駅で降りたところ、おやおや青梅線ホームに201系「四季彩」がいるではありませんか。転んでもタダではおきない、というわけで撮影させていただきました。

 通勤電車を観光対応にした「四季彩」。他の201系が全滅寸前の中、いつまで稼動してくれるのかが気になりますが、非常に魅力的な車両ですので、少しでも長く青梅線で運用して欲しいですね。

○1月25日(日)

 珍しく藤沢の自宅に1日いることにしたので、ちょっと撮影へ。
 どこにしようか考えてみたところ、ちょっとしたウォーキングも兼ねて藤沢駅から西へ歩いてみました。するとまあ、富士山も見える場所を発見。よしよし、ここで撮影タイムとしましょう。まずは185系回送列車。

 続きましてE231系東海道線。

 EF210牽引の貨物列車。

 そして寝台特急「富士・はやぶさ」。富士山との組み合わせを実現することが出ました。フフフフフ・・・。
 これからの定番撮影ポイントになりそうです。

○1月24日(土)

 さあ今日も出かけますよ、ということで職場の先輩の車に揺られて静岡県へ。私はただ座っているだけ(スミマセン。
 まずは東名高速道路の袋井インターチェンジを降りて、油山寺(ゆさんじ)へ。その途中、久野(くの)城址があったので遠景を撮影。1494(明応3)年、今川家の重臣である久野宗隆が築城したといわれる平山城です。ここから見ても解るとおり、よく整備されているのがいいですね。

 久野氏は桶狭間の戦い以後、久野宗能が徳川家康に仕え、家康の関東移封により下総佐倉へ。代わりに久野城は松下之綱、松下重綱が領有し、さらに関が原の戦い後に久野宗能が城主として復帰。そして、久野宗成、北条氏重と続いて1644(正保元)年に廃城となりました。


 続いて袋井市内の油山寺へ。行基が開いたとも伝わる由緒ある寺院で、 孝謙天皇が眼病平癒を祈願して、この寺にある「るりの滝」で洗顔したところ全快。このため、眼病平癒のお寺として名高い寺院です。また古建築が非常に多く、写真右手の三重塔は1611(慶長16)年築の国指定重要文化財。

 ちなみに山門は掛川城の大手二之門を移築したもので、1659(万治2)年、掛川藩主の井伊直好が創建したものです。

 続いて同じく袋井市内にある曹洞宗の寺院、可睡斎(かすいさい)へ。幼い頃の徳川家康が、戦乱のさなかに仙麟等膳和尚によって保護されたことがある寺院。後に仙麟等膳和尚は、浜松城主となった家康に「恩を返したい」と招かれますが、ここで居眠りをしてしまいます。普通なら無礼者!というところでしょうが、家康は和尚の安らかな顔を見て、むしろ親愛の念を抱き、「和尚、和尚 、眠る可(べ)し」と居眠りを許可。これ以後和尚さんは、「可睡和尚」と呼ばれ、さらに寺の名前も本来は東陽軒であったのが、現在の可睡斎に変わりました。

 こちらも見るべき建築は色々あり、上写真の本堂は享保年間(1716〜36年)の建築です。


 さらに今度は車を南に、横須賀城址(静岡県掛川市横須賀)へ。これは徳川家康が大須賀康高に命じて築城させたもので、武田勝頼が手に入れた高天神城へ対抗するのが目的でした。関が原の戦い後は近世城郭として整備され、様々な大名家が城主となりますが、1682年に西尾忠成が城主となってからは西尾氏が幕末まで領有しました。

 建築は何一つ残っていませんが、本丸とその周辺の縄張りがよく残り、整備も次第に進んでいます。


 そして、その高天神城へ。難攻不落といわれる城ですが、意外と大きい城ではありません。
 創建は諸説あって不明ですが、今川氏時代には小笠原氏が城主を務め、桶狭間の戦い後は徳川氏の家臣になります。そして1571(元亀2)年に武田信玄の攻撃を受けますが、これを撤退させます。しかし、1574(天正2)年に武田勝頼の攻撃にり落城。城は武田氏のものとなり岡部元信が城主に。

 そこで徳川家康は、先ほどの横須賀城の築城などにより奪還準備を進め、1581(天正9)年に再攻略に成功。岡部元信らは討ち死にし、高天神城は廃城となりました。

 続いて掛川市中心部へ行き、久しぶりに掛川城へ。2003年9月に訪問して以来で、しかも当時は曇り空で大した写真にならず残念でしたが、今回は見事に晴れてくれました。関が原の戦いの前には山内一豊が城主を務めて、現在見られる掛川城の基本を造ったことでも有名で、天守閣内部では18代目当主の山内豊秋氏が寄贈した鎧などが展示。山内家が未だに掛川との縁を大事にされていることに、感動しました。

 掛川はもちろん東海道の宿場町としても栄えた場所。写真左手が本陣があった場所と推定されています。
 残念ながら、今でも商店街として残ってはいるものの、衰退の一途をたどっているようです。また、周囲は区画整理が大幅に行われており、江戸時代の町割りは姿を消しています。


 掛川城の東側には、大日本報徳社という二宮尊徳の報徳思想を広める全国の報徳社の最上位組織で、1898(明治31)年に掛川市出身で二宮尊徳の弟子であった岡田佐平治が設立しました(現在でも社団法人として活動しています)。写真の大講堂は1903(明治36)年の建築で、組織が出来上がった頃の雰囲気を今に伝えています。

 さらに東へ行くと、龍華院大猷院霊屋というのがあります。これは1656(明暦2)年、掛川藩主の北条氏重が徳川家光を祀るために建てさせたものを起源とし、現在の建物は1818(文化15)年の火災による焼失後、1822(文政5)年に掛川藩主の太田資始により再建されたものです。

 ちなみに、この場所は16世紀初頭に今川氏親が、重臣の朝比奈泰煕に造らせた掛川城本曲輪があった場所だそうです。

 さて、掛川城から東へ車を走らせて事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)へ。創建年代は明らかではありませんが、坂上田村麻呂が現在地に遷座させたという歴史を持つ由緒ある神社で、「ことのまま」とは「願い事が意のままに叶う」という意味だとか。縁起がよく、そして東海道沿いにあるので古来より多くの参拝者が訪れています。

 願い事が意のままに叶う・・・そうねえ、結婚したいですね〜。こんなこと、やってられなくなりますけど。


 では次の目的地へ・・・と思いきや、何とここは東海道の日坂宿(にっさかしゅく) があった場所。難所である小夜の中山の西麓に広がる宿場町で、きっと多くの方々がここで疲れを癒したことでしょう。JR東海道本線がここを通らなかったため、全く発展しませんでしたが、そのおかげでご覧の通り古い建築がいくつか残っており、見学することが出来ます。

 上写真は日坂宿最後の問屋役を務めた商家、藤文で、建物は江戸末期に建てられました。1871(明治4)年の郵便制度開始と同時に郵便取扱所を設置。つまり、現存する最古の郵便局の1つとしても非常に貴重な建物です。また日坂宿は、建てかえられた住宅も往時の屋号を玄関に掲げており、東海道の宿場町だった頃の雰囲気を再現しています。

 日坂は1955(昭和30)年に合併で掛川市となりましたが、マンホールの蓋も日坂オリジナルデザイン。ご覧の通り、江戸時代の東海道を行く人を再現したもので、気合が入っています。日坂宿、恐るべし。

 続いて藤枝市内に入り、志太郡衙(しだぐんが)跡へ。ここは1977(昭和52)年に住宅を造成する際に発掘された、奈良時代から平安時代の郡役所。掘立柱建物10棟、門(2箇所)、板塀、井戸、道路の跡が確認され、幸いにもこれを破壊することなく整備が行われました。国府を復元整備する例は多少ありますが、郡衙をここまで大規模に復元展示するというのは非常に珍しい。当時の行政組織を知るうえで、非常に貴重な場所です。

 ちなみに、現地の案内板によると志太郡衙は古墳にほぼ隣接して建てられている模様。「古墳」としか書かれていませんでしたが、ネットで見ると南新屋古墳としているものも。

 それから旧東海道の藤枝宿。商店街となっており、当時を偲ばせるものは常夜灯などごく一部。商店街としては掛川よりは活気がありましたが、それでも・・・な状態でした。こういう中心市街地、活性化はどうしたものでしょうか。まあ、昨年には近くへ中堅スーパーが出来るのを行政に圧力かけてやめさせた、山口市の様な例もありますから、商店街の意識そのものが変わらない限り、郊外の大型スーパー云々以前の問題も多いと思います。

 建設的な提案が出たとしても、一部に危機意識ゼロの人がいるだけで大変な説得作業が必要になりますしね〜。

 話が変わってしまいましたが、さらにこの地域を治めた田中藩の中心である田中城へ。もともとは今川氏が築城したものですが、武田信玄が占領してから、世にも珍しい本丸を中心に、同心円状に3重に堀を巡らす、円形の縄張りを持つ城。残念ながら、宅地開発や小学校・中学校の建設で遺構の多くは失われてしまっています。

 その中で、田中城の南東隅に設けられた田中城下屋敷跡には、田中城本丸櫓、茶室、仲間部屋・厩という田中城の遺構と、長楽寺村郷蔵が移築復元されています。


 そして焼津さかなセンターで寿司を食べて、東名高速道路の富士川サービスエリアへ。富士山が絶景!
 夕方だったので、多少暗い写真にはなってしまいましたが、満足満足。元々が西日本の人間だからでしょうか、もう何度も見ているにもかかわらず、富士山を見ると興奮してしまいます。


 さて、職場の先輩は箱根在住のため、箱根湯本駅で降ろしてもらいます。
 そうです、今日の旅行は鉄分が足りないので少し補給しておく必要が・・・(笑)。というわけで、まっすぐ帰ればいいものを、箱根湯本駅で撮影タイム。まずは小田急ロマンスカー50000形VSE。


 続いて箱根登山鉄道2000系。

 そして、ひそかに期待していたのですが箱根登山鉄道1000系リバイバル塗装。登場時の塗装で、小田急ロマンスカー3000形SE、3100形NSEにイメージを合わせたものです。さあ、これで大満足。家に帰ることにしましょう。

 ・・・と思ったら、途中で「ある」車両とすれ違ったので、予定を変更して小田原駅でしばらく待機。とりあえず小田急ロマンスカー30000形EXEを撮影。

 それから小田急5000系。

 そして目当てはこちら、小田急ロマンスカー7000形LSEによる特急「はこね」です。特急「ホームウェイ」としては、日曜日に相模大野から藤沢へ行くのに、何度も遭遇しておりますが、「はこね」としては今までに1回しか遭遇したことが無く、これは嬉しい限り。それにしても、2008年3月までの期間限定だったような気がしますが、未だに運用中なんですね。

○1月17日(土)

 画像掲示板に、浦邉鐵好さんが209系訓練車の写真を投稿されていたのを見て、撮影に行きたくなり新秋津駅へ。ここから新小平駅方向に歩いていくと、こういうのがいるわけでございます。もし209系が中央線快速に投入されていたら、こんな感じだったんでしょうね。

 側面方向幕は、御丁寧に「かいじ←→むさし野 訓練線内各駅停車」と掲示。

 その隣には、配給車クモヤ143形がいました。

 さて本日の主目的は、2004年7月以来の訪問となる川越へ。祖母の家から大した距離ではないので、ちょくちょく行こうと思ってはいたものの、いつの間にか4年以上が経過していました。というわけで、東武東上線に乗り換えるべく北朝霞駅で下車。ちなみに東武鉄道の駅は隣接しているにもかかわらず、朝霞台駅という名前。ちょっと紛らわしい。

 川越駅に到着。観光地は少し離れているため、ループバスに乗り換えました。

 まず向かったのが中院(正式には天台宗別格本山中院)。江戸時代初期、すぐ北にある喜多院に天海僧正が来るまでは、川越にある寺院の中心的存在だったようですが、今はひっそりとしています。ちなみに、ご覧のとおり狭山茶の発祥の地だそうで、ここから狭山茶の栽培が始まったそうです。

 ところで、中院にあったこの赤い門。くぐる際に、見事にコケてしまったのですが・・・。

 400年前の建物だ、と明治時代の埼玉県が特別保護建造物に指定したようです。しかし現地はもちろん、ネットで検索しても、この門に関する由来などの記述は見つかりませんでした。

 続いて、仙波東照宮へ。「三大東照宮」(日光、久能山、仙波)の1つだそうで、もちろん徳川家康を祀っています。建築的にも、江戸時代の古建築が色々残っており、例えば写真の拝殿は1633(寛永10)年の建築です。

 そして、これに隣接する喜多院へ。こちらも古建築好きには、たまらない寺院。写真の山門は1632(寛永9)年築。天海僧正が造らせたものです。

 多宝塔は1639(寛永16)年の建築。

 そして2004年に行った際には見落としてしまったのですが、ここを入ると江戸城紅葉山の客殿、書院などを移築した空間へ。そうです、なんと喜多院には江戸城の御殿(しかも徳川家光が使っていたもの)が現存しているのです。

 内部は撮影禁止だったので、この程度の写真しか掲載できませんが、「徳川家光誕生の間」、「春日局化粧の間」があります。造りは頑丈そうでしたが、意外と絢爛豪華というわけではありませんでした。

 そしてこれも、前回の訪問時には見落としたものですが、喜多院には五百羅漢というのがあります。

 ご覧ください、この1体ずつ異なった表情。全部で538体が鎮座されているそうです。

 なお、1782(天明2)年から1825(文政8)年にかけて造られていったそうです。

 始皇帝の兵馬俑の仏教バージョンではありませんが、これは本当にリアルにしてコミカルで凄いものでした。

 それにしても、よく造ったものです。

 表情だけでなく、姿勢はもちろん所持品なども異なっています。

 今にも声が聞こえてきそうですね。

 続いて成田山川越別院を通り・・・。

 日本聖公会川越キリスト教会礼拝堂(1921(昭和10)年築)を見て・・・。

 川越商工会議所(旧・武州銀行/1927(昭和2)年築)を見ます。川越は洋風建築も見所の1つだったりします。

 そしていよいよ、あの重厚な蔵の町並みを見学していきます。

 といった瞬間にまた洋風建築。いつ頃の建築かは私にはわかりませんでしたが、入居する店舗は時代と共に変化しながらも、大事に保存されているようです。特に右手の洋風建築、2004年に訪問したときには人力車の休憩スペースみたいになってたのですが、今は歯医者さんになっており、非常に綺麗に修復されていました。

 玄関上の飾りなども非常に美しいものです。

 まだ洋風建築が続きますが(笑)、こちらは埼玉りそな銀行川越支店(旧・八十五銀行本店本館)。1918年(大正7)年の建築で、川越の中でも代表的な建築です。

 そして、こちらも川越を代表する風景の1つ「時の鐘」。元々は寛永年間(1624年〜44年)、川越城主酒井忠勝が、城下多賀町 (いまの幸町)に建てたもので、現在のものは1893(明治26)年の川越大火による焼失後に再建されました。現在でも、1日4回(午前6時・正午・午後3時・午後6時)に鳴っています。起床、昼ご飯、おやつ、仕事終わり、という時間帯ですね。

 これも川越を代表する景観ですね。防火対策の結果、これだけ重厚になった建物が連なっている姿は圧巻です。

 写真左側は重要文化財の大澤家住宅。

 町並みに脇には寺院がいくつかあります。こちらは曹洞宗の養寿院。

 最後に、おびんづる様をなでてまいりました。

 そして今度は東武東上線の川越市駅へ。

 これまで、あまり東武東上線の車両を撮影していなかったので、ちょっと日も暮れてきましたが、じっくり撮影することにしました。まずは東武鉄道9000系。

 そして「何となく」和光市駅へ。こちらは西武鉄道6000系。

 試運転中の東京メトロ7000系。

 今度は朝霞台駅へ。東武鉄道50000系トップナンバー編成。50000系の中でも唯一、貫通扉を装備していません。

 東京メトロ有楽町線、副都心線乗り入れ対応の50000系(50070系)。

 こちらは通常の東上線用50000系。

 東武鉄道8000系。

 こちらは有楽町線用の東京メトロ7000系。登場時からの黄色いラインカラーが特徴ですが、10000系増備による引退や、副都心線との共通化に伴うラインカラー変更も増えており、どうもこの姿は減少傾向のようです。

 ・・・と思っていたら、反対方向からも。

 最後に、高架化されたJR中央線の国立駅下りホームを見てまいりました。・・・いい加減そろそろ、1年ぐらい放置中の高架化工事レポートを更新させていただきます。ちょっとお待ちください。

○1月12日(月)

 休日の夜に藤沢へ買える際に、よくお世話になっているのが小田急の特急「ホームウェイ」。本日私が乗車した列車は、7000形旧塗装での運用でした。まだこの塗装が見られるのは有難いですね。しかし、昼間にこれを撮影したことがゼロとは申しませんが、殆どない・・・。

○1月11日(土)

 年末年始で太った→運動した方がいい→ウォーキング20分以上で脂肪を燃焼させろ→旅行した方がいい
 という話が職場で出まして、お墨付きを頂いたワタクシは諏訪湖と高島城と諏訪大社を目指して出発。日野駅に到着すると、205系武蔵野線色が回送されてきました。長野総合車両センターで改造されていたやつでしたっけ。


 201系とE233系の並び。のんきに撮影している場合ではなく、右の列車に乗らないと、八王子で特急「スーパーあずさ」に乗り遅れてしまいます。というわけで、シャッターを押した後猛ダッシュ。客観的に見ると不気味な人間ですね。

 というわけで、舞台は一気に上諏訪駅(長野県諏訪市)へ。足湯がホーム上にあり魅力的でしたが、この寒さで湯に浸かってしまうと、この後がものすごく冷えそうなので断念。

 ・・・で、駅から歩いて丸高味噌・醤油の工場を抜けていくと・・・。

 江戸時代に諏訪地方の中心であった高島城が見えてきました。見事なまでに、お堀が凍っており、そして雪化粧。あくまで観光客の立場としては素晴らしい状態。美しい!!

 本丸にある庭園もご覧のとおり雪景色で素晴らしい光景でした。

 さて、続きまして岡谷駅に移動。いよいよ置き換えも噂されるJR東海の119系を撮影・・・。

 そして出発直前にネットで運転の存在を知った、169系急行「善知鳥」(うとう)号を撮影。

 さらに岡谷駅から歩いて諏訪湖へ行くと、昭和7年から9年まで旧釜口水門建設に伴う天竜川の土砂を運ぶトロッコ列車を牽引したディーゼル機関車が保存されていました。アメリカ・オハイオ州のヘイト・ルート・ヒース社で製造されたものだそうです。良く今まで保存されているものです。

 というわけで諏訪湖を一望。いやあ、絶景かな絶景かな。

 さらに下諏訪駅へ行き、諏訪大社下社春宮を見学・・・に行くと修復工事中でした。

 よく解りませんが、万治の石仏というのがありました。随分と変わった形で、ある意味でモアイみたいです。

 さて、ここから中山道を歩いていきます。沿道には古い楼門を持つ禅寺のほか、このように往時を偲ばせる建築も。

 さらに下諏訪宿本陣岩波家というのもありました。幕末、徳川家茂に輿入れした和宮が御宿泊され、さらに明治天皇もこの部屋に滞在されたとのこと。建物の外観は一部取り壊されるなど改変されていますが、この部屋や土蔵は当時のままでした。

 そして最後に諏訪大社下社秋宮へ。成人式シーズンのようで、和服姿の女性も。
 ・・・ところで、諏訪大社って1つじゃなかったんですね。調べてみたら、4つもありました・・・。駅から徒歩でいけるのは、今回御紹介した2つ。また、こちらは春宮と入れ替わりで9月から約2年間修復工事をするそうで、訪問される方はお早めに。

○1月9日(金)

 弊サイトのスタッフである馬藤所員が本日仕事が休みだというので、私も仕事を休み、さらに高校時代からの友人(このサイトでも孟保世という名前でいくつか原稿を担当しています)を突然呼び出し、合計3人で神田の古書街へ。後ほど紹介しますが、古地図を色々と購入しました。復刻版じゃありませんよ、本物の古地図です。

 ・・・で、秋葉原まで歩いていこうという話になったので、その道中、JR御茶ノ水駅聖橋口近くにある湯島聖堂へ。江戸幕府第5代将軍の徳川綱吉が建てさせた孔子廟で、ここに設置された幕府の昌平坂学問所が明治時代、東京大学の礎の1つとなるなど、近代日本の教育へとつながっています。さて、写真の真っ黒な建物は大成殿。1935(昭和10)年に伊東忠太の設計で再建されたもので、規模構造は旧聖堂のものを踏襲しています。


 たびたび火災に遭ったり、致命的なのは関東大震災による倒壊で被害を受けている湯島聖堂ですが、この入徳門は1704(宝永元)年のものが残存。東京都内でも有数の古建築で、意外と必見。それにしても、こちらも真っ黒です。同じ幕府の建築でも、日光東照宮とは正反対に近い雰囲気ですね。

 さて、以前に買った江戸時代後期の日本全図や昭和初期の東京都地図に続き、今回購入したのは明治39年12月5日に東京毎日新聞が付録とした最新大日本地図。注目すべきは、樺太の南半分、千島列島全域、そして台湾が我らが日本の領地として描かれているということです。また、当然のことながら当時の中国は「清」という国ですので、それも表記されています。

 後ほど県名別に掲載していきますが、今回は埼玉県を掲載しておきます。

 それからこちら、地元ネタで恐縮ですが大正13年に発行された山口県全図。

 非常に細かく、市町村名以外も大量に掲載されています。しかも、この当時は山口県で「市」だったのは下関市だけで、都濃(つの)郡徳山町、下松町・・・という町と村しかない時代でした。

 さらにこちら、昭和9年11月15日に出版された自動車路線図という名前の鉄道マップ。一部は国鉄バス(当時は省線バスとでもいうのでしょうか?)も記載されています。

 福島県・新潟県を中心にアップ。
 いやあ、古地図は今と大きく違う様々な日本の姿を見せてくれるので最高ですね〜。

○1月4日(日)

 長い冬休みもついに終わり、いよいよ神奈川県へ帰還。先に下関へ帰る妹を300系「のぞみ」で見送りますが、反対側のホーム(東京・新大阪方面)を見てください。自由席へ殺到するこの人の数!

 そんな私も発売と同時にグリーン車の指定席を取るのが精一杯。N700系グリーン車、初の乗車です。いやあ、快適快適♪ 値段は確かに通常の指定席よりかなり高くなりますが、全然疲れません。自分が金持ちなら、たしかに常に選択したいものです。

 広島駅を出発すると、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島がよく見えます。山陽新幹線沿線の名車窓の1つになることは間違いないでしょうね。う〜ん、供用開始をする日が楽しみです。

○1月3日(土)

 本日は氷川副所長、桜乃顧問を広島に招いて新年会。迎えに行く途中、乗った路面電車は5100形グリーンムーバーmax。多少変わったデザインではありますが、5000形グリーンムーバー共々、路面電車新時代をPRする広島電鉄の看板車両。未だ妄信的に路面電車の再整備に抵抗をする方々も、例えば以前の宇都宮市長選挙で大きな争点になったとおり、大勢いらっしゃいますが、こういう路面電車にはきちんと何度か乗った上で判断されているのでしょうか。

 そこそこ広々とした車内の様子。珍しく人が少なく、撮影が容易でした。

 広島駅にて。右の750形761号は1940(昭和15)年製ですから、5100形とは70年近く年が離れています。よくもまあ、両者が仲良く走っているものです。

 さて、広島駅で氷川副所長、桜乃顧問と合流してMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島を近くから見学。もちろん、中に入ることは出来ませんが、結構近づくことが出来ます。本体はだいたい出来上がっていましたが、外壁の一部とスタジアム周辺の整備がまだまだといった感じでした。

 こちらは1塁側。

 外野方向から撮影。それにしても、JR広島駅からは意外と遠いです。まあ、札幌ドームもそんな感じだったか・・・。千葉マリンスタジアムも駅から遠いし・・・そんなものと思えば、そんなものなのかなあ。

 今まで絵入りのマンホールの蓋が極端に少なかった広島市で、突如として大量増殖を始めた広島カープ&モミジのデザインマンホール。野球チームのマスコットキャラクターがマンホールの蓋になるなんて、ここだけですね!

 このあと某家電量販店へ行き3人で最新家電などを総チェック!
 最近の洗濯機は音が静かで水を全然使わないとか、冷蔵庫のドアが軽くなったとか、ペットボトル1本ぐらいしか入らないミニ冷蔵庫に爆笑したりとか、オーブンレンジで色々な料理が簡単に出来るようになったことに感動したりとか、外国製の掃除機にケチつけたりとか、高級オーディオのアホみたいな価格設定に笑ったりとか、やりたい放題でした。


 なぜか今日は撮影チャンスに恵まれる5100形グリーンムーバーmax。素敵よ、アナタ☆

 続いて広島城へ行き、護国神社へ。ご覧ください、この人の数! しかも写真の外には長蛇の列です。もちろん、この行列に並ぶつもりなど毛頭無く、ここでお参りを済ませました。

 そして久しぶりに広島城天守閣へ。兜の造詣美展というのをやっていて、色々な兜の種類を解説。ささやかな展示でしたが、非常に勉強になりました。

 展示されている広島城復元模型。

 かつて、天守閣周辺はこんな感じだったようです。復元してくれないですかね〜。

 こちらは広島市民球場。跡地利用は果たしてどうなるのでしょうか。平和祈念堂なんて案も優秀案として広島市が採用していますが、他にも類似施設があるというのに、幾らなんでも過剰というものでしょう。

 せっかく市民球場まで来たので、近くにある原爆ドームを見学。よくもまあ、このままの形で残しているものです。
 以後、中々美味しい居酒屋を発見し、そこで新年会♪ う〜ん、今日も最高の1日でした!

○1月2日(金)

 本日はちょっとお出かけ。
 広島駅へ行くと113系湘南色が。慌てて撮影しようとしたら発車してしまい、逆光になってしまいましたが・・・。

 そして中学時代から仲のいい友人(所長には珍しく女性だよん)に会いに徳山駅(山口県周南市)へ。中学、高校時代をすごした場所で、その後も何度も行っているのは所長撮影雑記でたびたび登場しているとおり。相変わらず駅周辺の落ち込みぶりは・・・と思ったら、吉野家とローソンがオープンしていました。なんとまあ!

 さて例年初詣は行かないのですが、車で下松市にある花岡八幡宮へ連れて行ってもらいました。相変わらず運転は人任せというのが、いかにも所長らしい(苦笑)。

 花岡八幡宮の拝殿。なかなかの建築で、いつ頃建築されたものなのかは、後ほど調査してみたいと思います。

 さて、目的はこちらの建築。国指定重要文化財の閼伽井坊塔婆(多宝塔)。室町時代中期に建てられたものです。
 小ぶりながら端正な姿で、特に上層を見てお分かりの通り、なかなか木の組み方が細かい建築で素晴らしい!

 このあと、映画を見るなど適当にプラプラ。色々と友人も増えましたが、やはり旧友と会うというのは、また格別の楽しさですね。

○1月1日(木)

 新年明けましておめでとうございます。
 今年撮り始めは広島電鉄800形(初期型)よりスタートです♪


 それからこちら、アストラムライン城北駅に保存された広島城外堀の石垣。発掘調査で出土したものを、再構築して展示したものです。

 振り向けば広島城天守閣。立派なのは良いのですが、そろそろ2つ従えていた小天守閣の復元をしてくれないでしょうか・・・。


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