○2月28日(土)〜3月1日(日)

 というわけで実質的な旅行は1日の、北京弾丸旅行へ出かけてきました。詳細は後ほど、旅行記にまとめますので、まずここでは備忘録も兼ねたダイジェスト版を。まずはホテルからタクシーで目的地へ向かいます。途中、北京オリンピックのメインスタジアムである北京国家体育場(愛称:鳥の巣)の脇を通ったので、大喜びで撮影。

 そして向かった先は、盧溝橋。ここで1937(昭和12)年に起きた発砲事件(盧溝橋事件)を契機に、全面的な日中戦争へと突入していきました。もっとも、そればかりが注目されますが、盧溝橋はそれ以外にも歴史的価値が高い場所。1192(明昌3)年、金の時代に完成したもので(幾度か修築されていますが)、北京の中でも非常に古い建造物の1つ。

 また盧溝河(現在は永定河)に架かるこの橋は、かつては南から北京へ入る数少ないルートであり、盧溝橋事件が起きたのも決して偶然ではない、非常に重要な交通の拠点だったのです。

 さて、盧溝橋を渡ると目の前には明末に建設された城郭都市・宛平古城(宛平県城)があり、その中に中国人民抗日戦争記念館があります。少し考えましたが、ネタとして行っておくことにしました。さすがは愛国主義の中国、パスポートを見せるとタダで入館できました。

 ・・・さて、どんなに日本が悪く書かれているのかな?と期待して入って行ったのですが、まあ南京大虐殺の数字はもちろん、細かく見れば突っ込むところはあるとは言え、全体的には淡々とした雰囲気。人民解放軍は頑張って戦ったんだぞ!と、当時の道具の展示がメインで、最後には現在の日中は非常に友好的であると、わざわざ1コーナーを設置。

 ていうか、展示物自体がそれほど多くありませんでしたとさ。

 展示物の多さでは、次に訪問した軍事博物館が凄まじい量でした。それこそ、中国の古代である商(殷)の時代から、第2次世界大戦以降の軍事兵器の大量展示、そして現在の中国における国土防衛について、それはそれはすごい展示量でした。

 同行の孟保世氏、途中ですっかりお疲れになり、そして次の目的地にも早く行かなければ行かない。しかし、弊サイトの歴史研究所的には、ここの展示物はサイトを充実させる上では撮影は必須。・・・というわけで、とにかくバシバシ撮影に次ぐ撮影・・・を敢行したところ、「あれは何をやっているんだ?日本人か?」と、周りから噂されていたよ、と孟保世氏。

 何はともあれ、おそらく日本で最も詳しい軍事博物館解説コーナーが、そのうち弊サイト内に出来るはずです。


 続いて故宮に向かうべく、地下鉄で前門駅へ。私の目に飛び込んできたのは、北京鉄路博物館の建物。北京にある中国鉄道博物館は、空港の方ですが・・・はて、これは何でしょう。激しく行きたかったのですが、時間が無いので今回はカット。もっとも、雰囲気的にまだ開館していないような様子。ネットで調べても、全然載っていませんでした。

 そして天安門のさらに前、正陽門に北京オリンピックに合わせて1920年代の町並みを再現した前門大街へ。路面電車が観光用に半世紀ぶりに復活して走行しており、実はバッテリー式、正しくはウルトラコンデンサ(電気二重層コンデンサ)という最新式の設備により、架線無しで走行しています。

 ちなみに、人はたくさん歩いていますが、沿道のビルには殆ど店が入居していません。ゴーストタウンのようです。
 まあこれも、来年に訪問すれば風景が一変しているかもしれませんね。


 そして中国のシンボル的な存在、天安門へ。

 さらに故宮(紫禁城)を見学しますが、とにかく広い広い・・・。全部を見ていると、たしかに1日はかかりそうです。めぼしい物は蒋介石が台湾に持っていったと言っても、まだ様々な貴重な文物が、建物のあちこちで展示されています。

 もちろん中国でもマンホールの蓋撮影は欠かせません。故宮の消火栓用マンホールの蓋。こんなのを掲載しているのは、うちのサイトだけ・・・とまでは言いませんが、珍しいでしょう(笑)。

 展示されていた故宮の模型。この広さですから・・・、中央部を見ていくだけで精一杯です。また行きたいですねえ。

 続いて故宮の北西にある北海公園へ。美しい姿はもちろん見所ですが、遼、金、そして元の時代に整備され、清の時代まで使われた皇室の御苑。北京の歴史と共に歩んできた非常に重要な史跡です。

 ちなみに北京は連接バス、そしてトロリーバスが数多く走っているのが特徴的でした。トロリーバスはかなり静かで好印象。また連接バスは多くの乗客を運ぶのに非常に便利そうでした。

 最後に世界遺産、天壇へ。明清代の皇帝が天に対して祭祀を行った場所で、残念ながら行った時間が遅かったため中に入るのは時間切れ。とは言え、これだけ見られれば大満足です。この頃には、随分歩いて足が棒のようでございました(笑)。

 そして翌日、北京首都国際空港(第2ターミナル)へ。朝早い便のため、北京観光もなく帰国です。

 第2ターミナルはスカイチーム加盟各社を中心に利用されているため、日本航空や全日空の姿は見えません。

 そして成田空港経由で帰国。途中、静岡に行くという韓国の方を東海道新幹線までご案内。E233系による快速「アクティー」にて自宅へ帰還いたしました。さて、膨大な写真をどう編集したものか・・・。

○2月27日(金)

 日曜日まで、孟保世所員に連れられて、ちょっくら北京へ散歩に行ってまいります。飛行機の都合で、実質的に観光できるのが土曜日だけですので、それほど大量の場所は見られないと思いますが・・・。さあ、例のごとくニイハオ、シェーシェーだけで乗り切りますぞ!(自慢することか、情けない)。
 *写真はイメージです。

○2月21日(土)/22日(日)

 果たして私は、どこにお住まいの所長さんなのでしょうか。
 というわけで今回は仕事終了後、新幹線に乗車し広島にある実家へ。そして翌日、1月の所長撮影雑記で紹介した、正月にも会った山口県に住む中学校以来の友人(まあ・・・そんな情報は読者の皆様にはどうでもいい話ですが)と広島を散歩します。「鉄」活動については、合流前に済ませておきます。

 まずは5100形グリーンムーバー。

 そして呉線を爆走(?)する103系快速「安芸路ライナー」。

 山陽本線の115系(左)と呉線の115系(右)。え〜、幾らでも103系と105系を堪能できます。

 出発を待つキハ40系芸備線。

 そして、なんだか前面の塗装が微妙にパッチワークになっているEF200。

 続きまして、友人と合流して広島県立美術館で開催中の「よみがえる黄金文明展〜ブルガリアに眠る古代トラキアの秘宝〜」を見学。今日が開催初日でしたが、東京と異なり広島では見に来る人は少なく(人口の問題と考えるべき・・・なのかなぁ)、1つ1つをゆっくりと堪能できます。

 そして隣にある縮景園へ。


 御覧のように、園内の梅がだいたい見頃を迎えています。

 桜も綺麗ですが、梅もなかなか美しい。今年は植物関係にも色々と興味の対象を広げられると、さらに時間が無くなって素敵なことになりそうですね!。・・・冗談はともかく(そうか?)、本当に色鮮やかで感動しました。

 もちろん、縮景園そのものも相変わらず素晴らしい。その名前の通り、日本庭園の美を凝縮したかのようです。

 正面は原爆にも耐えた虹跨橋で、園内でも随一の貴重な文化財です。ちなみに、この上を渡ることも出来ます。ところが実は石段が斜めで、もちろん手すりも無いので意外とスリリングでした。

 これ以後、ひたすら市内でウインドウショッピング。男同士だと、絶対にそういうことはしないので、女性を連れて行くと非常にいい勉強になります。

 ・・・ただ、化粧品売り場で「どういうものをお探しですか?」と”私に”店員さんが声をかけてきたのは、どう解釈すべきか。男もこれからは化粧品を使えということか、彼女に何をプレゼントするのか?という意味か、それとも私の方が彼女より女性らしいと思われたか。一番最後の意味だと嬉しいですね、ウッフン☆


 そして日曜日は単独行動。慌しく福岡県へ向かうべく朝の広島駅へ。500系「こだま」が停車中でした。8両編成は明らかに輸送力過剰で、まして不況で乗客が急減した中、赤字を垂れ流しているような雰囲気でした。でも、500系は少しでも長い方が、「のぞみ」時代の雰囲気を感じられますので、このまま頑張って欲しいのがファンとしての気持ち。

 皆さん、ぜひ500系「こだま」に乗って山陽新幹線の沿線を観光しましょう。


 小倉駅へ到着。JR九州ブランドの車両が次々とやってくるのは、気分が高揚します。上写真は883系特急「ソニック」。

 国鉄型ですが、キハ40系日田彦山線。

 811系鹿児島本線。

 415系鹿児島本線(下関直通)。

 こちらも415系で、日豊本線。それにしても、今日は天気が悪いのが撮影には最悪。

 そして本日の目当て、寝台特急「はやぶさ」。少しばかり遅れてやってまいりました。

 小倉駅で見られる姿も、あと少し。

 熊本駅に向けて出発していきます。

 そして、それから程なく寝台特急「富士」も到着。う〜ん、天気が悪い・・・。雨が降らないだけましですけど。

 夕方から自宅に訪問客があるため、福岡県滞在時間は短く設定。885系特急「ソニック」(かもめ色)に乗車し、博多駅に向かいます。相変わらず内装は立派。ただ、車内の側面の壁には汚れも多少目立ち始め、そして何より「かもめ」の「ソニック」というのは、非常に紛らわしい。何のために列車名を車体に描いているのやら・・・。

 博多駅に到着。左が乗車してきた特急「ソニック」。右は長崎本線の特急「かもめ」。ちなみに、この後入線してきた特急「かもめ」はソニック色でした。だから、紛らわしいの!

 1時間ぐらいの余裕はあったので、ちょっと千早駅へ。

 偶然にも香椎線キハ40系のアクアライナー色が停車していたので、これを撮影しました。

 そして、殆どトンボ帰りですが811系に乗り込み博多駅へ。

 まだ多少は時間に余裕があるので、続いて783系特急「かもめ」「ハウステンボス」「みどり」併結列車を撮影。

 側面を良く見ると、かつての485系時代のトレインマークをイメージしたステッカーが貼られていました。

 さて、「かもめ」「ハウステンボス」連結部分。

 「ハウステンボス」「みどり」連結部分。・・・と、ここでよく見ると、この「みどり」。MIDORI EXPRESS色ではなく、先頭車化改造された部分を除けば、あくまで783系汎用タイプの塗装。783系が「みどり」に転用されてから、随分経ちますけど、この編成は引き続きこのままでしょうか。

 他にも多少気がついた点が。こちらは字幕式の方向幕ですが・・・。

 「かもめ」編成はLED方式でした。783系も、色々な違いがあるんですね。

 と、そこへ先ほどのキハ40系が通過していきました。

 787系特急「リレーーつばめ」。

 そして地下鉄の博多駅へ。福岡市交通局の1000形。

 そして、こちらも第一線で活躍中の103系@福岡空港。

 ところで、ここのところ旅客機、軍用機問わずに飛行機の写真を見ることになると、さすがに多少は興味も湧いてきます。出発まで少し時間があったので、とうとう雨も降ってきて悪天候なのは残念ですが、堪能します。

 まあ・・なんという形式の飛行機かはわかりませんけどね!(自分のサイトで調べろって?)

 到着するJAL機に、出発していくANA機。

 で・・・これは何だったか・・・??

 15時前には横浜駅へ到着。お、209系だと撮影していたら、職場の先輩に会うもんですから、少し気まずい。
「何やってきたの?」
「福岡行ってました」
「・・・。」

 そんな所長さん、今週末は北京ですよ。何やっているんでしょうね。

○2月15日(日)

 さすがに今週は遠出はせず。・・・まあ、本来は某スタッフと横浜だの鉄道博物館だの・・・という計画もあったのですが、体調不良だそうで今朝になって予定がキャンセル。それならそれで、と八王子で買い物。何となく八王子駅にいたEH200と・・・。

 こちらは八高線の205系。201系の置き換えが完全終了した後は、いよいよ手が付けられるかもしれませんね。

 その後、乗り込んだ中央特快は201系での運転。そりゃ撮影しないと!と、いうわけで日野駅で撮影。

 やはり中央線は201系! 奇跡的に生き延びたお陰で、今年の桜との組み合わせも撮影したいものです。

○2月11日(水)

 毎度お馴染み、小田急の藤沢駅行きの特急「ホームウェイ」。本日は10000形Hiseでの運転。
 長野で見たばっかり。何だか不思議な気分です(笑)。

○2月9日(月)

 藤沢にある自宅アパートのガス点検に伴い、やむを得ず(いい口実に?)仕事を休み。ついでに午後から、運転免許の更新をすべく横浜市旭区にある運転免許試験場へ。そうです、この私も運転免許を取ってから3年弱が経過したんですね。

 最寄り駅は相模鉄道の二俣川駅なので、まずは小田急江ノ島線に乗車。5000形による急行真珠区域・・・いえ、新宿行きでした。

 隣のホームには、やはり5000形による各駅停車片瀬江ノ島行き。5000形も、まだまだ活躍していますね。

 そして相模鉄道二俣川駅で、ちょっと撮影してから行きます。まずは7000系。

 10000系(新塗装)。

 8000系(新塗装)。

 そして更新の手続きを終え(IC免許カードとやらになりました)、再び二俣川駅へ。今度は10000系旧塗装。

 そのまま帰るのも勿体無いので、相模鉄道かしわ台車両センターへ散歩。フェンス越しですが、事業用車両モハ700形が撮影できました。7000系を改造したものですが、また随分と思い切ったデザインに・・・。

 こちらは営業運転待ち遠しい11000系。フェンスのおかげで、大した写真になりませんでしたが・・・。

 相模鉄道の歴代車両を保存している「かしわ台車両センター」ですが、こんなのがいました。相模鉄道の前身、神中鉄道の3形蒸気機関車・ハ24号客車だそうです。

 さて、ひそかに狙っていた引退寸前の5000系の姿は見えず、家に帰るか・・・と帰路に着きます。・・・と、その前にかしわ台駅で8000系旧塗装を撮影。

 新7000系(新塗装)を撮影し、これで家に帰ろう・・・としました。

 ところが、どうも駅ホームにカメラを持った人がちらほら。もしかすると・・・と思い、相模大塚駅で下車すると5000系がやってまいりました。ええぃ、折角だから海老名駅まで戻ってしまえ!

 というわけで、海老名駅で反対側の車両を撮影。そして、今度こそ小田急との乗換駅である大和駅に向かいます。5000系の車内には、かなりの数の鉄道ファンが・・・。皆さん、どこで運用情報を仕入れてくるのやら。

 もちろん大和駅でも最後に撮影。

 最後に小田急8000系を撮影し帰還しました。運転免許の更新に行っただけのはずが、(多少は狙っていたとは言え)すっかり相模鉄道を堪能させていただきました。首都圏にいる方でも、特別に沿線の施設に用事が無い限りは、なかなか相模鉄道に乗る機会は無いと思いますが、新塗装と旧塗装が適度に入り混じった現在の状態は、なかなか撮影のしがいがありますよ〜。

○2月7日(土)

 数年前は、長野県といえば個人的に遠くて(・・・という思い込みにより)縁のない場所でしたが、最近は何だか手ごろな旅行先になりつつあります。・・・というわけで、本日は長野市にやってまいりました。お目当ては169系急行「ちくま」と、意外にも初となる善光寺参拝。

 上田駅まで満員御礼の長野新幹線「あさま」に、やむを得ず東京から立ちっぱなしで乗車し長野駅に着くと、しなの鉄道169系快速列車がいたので、早速撮影。この塗装も良いですよねえ〜。


 特に意味はありませんがJR東海の383系特急「しなの」。

 そして本日のお目当て、急行「ちくま」がやってまいりました。しっかりとJR東日本のイベント列車戦略に乗せられ、長野まで交通費を払った所長でございました。急行「ちくま」、他の写真については日本の旅・鉄道見聞録で御紹介します。

 ちなみに急行「ちくま」の隣には、しなの鉄道115系による団体列車「超人気テレビヒーロースペシャル号」が停車中。色々なイベントを考えるものです。

 続きまして長野電鉄へ。普段、小田急の特急「ホームウェイ」でお世話になっている車両が、こちらでは1000系特急「ゆけむり」として活躍中。赤色の色合いは少し変わっていますが、紛れもない小田急ロマンスカーです。

 左は東急8500系を導入したもの。車両のイメージは東急時代と殆ど変わっていないため、渋谷駅の田園都市線ホームに、東急8500系と小田急10000形が並んでいるような感じです。

 そして信濃吉田駅で少々撮影。

 お目当てはこちら、長野電鉄オリジナル車両の2000系でした。未撮影の塗装がやってきたので大満足。

 非常に古い車両ですが、塗装も綺麗な状態ですし、車体もガッチリした感じで、未だに光り輝いていますね。

 そして目の前・・・と言ったら大げさですけど、至近距離の場所にあるJR北長野駅へ。ここで189系普通「妙高」号に乗車し長野駅へ向かいます。う〜ん、何と理想的な接続。

 途中、長野総合車両センターには疎開留置中の209系京浜東北線と廃車回送されてきた201系京葉線が並んでいました。同じスカイブルーの車両ですが、東京では見られない並びですね。

 さて、長野駅から善光寺まで歩いていきます。参道は今でも門前町としての雰囲気をいくらか残しており・・・。

 マンションもこのように、低層部を和風にしてあります。

 もっと近づいてみると、こんな感じ。良く考えられたデザインで、このマンションの場合は第3回長野市都市景観賞(平成2年度)を受賞していました。

 また、随所にこのように「まちかどミニ博物館」が設置されており、こちらの文房具店では昭和初期のレジスターなどが展示。

 また、このように昔のカメラを多数展示している店もありました。1つ2つじゃなくて、様々なところにミニ博物館が設置されており、こういうのって、町歩きが本当に楽しいですね。商店街活性化の1つの方法として、ぜひ他の地域でも考えてみてはいかがでしょうか。

 こちらは中澤時計本店(国登録有形文化財)。1924(大正13)年築で、善光寺表参道(中央通り)の拡幅に際して建てられた木造2階建て、鉄網コンクリートの洗出仕上げ。設計は長野市嘱託建築技師の本田政蔵だそうです。

 八十二銀行大門町支店。立派な近代建築・・・と思いきや、どうもネットで調べていると最近の建築のようです(1997年と記しているサイトも)。仮にそうだとすると、今でもこういう重厚な建築は造れるわけですね。

 そして八十二銀行の奥、善光寺大門前に位置するこの立派な建物は「御本陣 藤屋旅館」という近代建築。この場所、江戸時代には北国街道善光寺宿の本陣として、加賀藩前田家が参勤交代で常用。明治になってからも伊藤博文や福沢諭吉などが愛用し、現在の建物は1924(大正13)年築に建てられた立派な建築。

 やはり表参道拡幅のときの建築で、先ほどの中澤時計本店と同時期の建築ですね。


 そして車道は終わり、善光寺仁王門へ。この参道の敷石、1714(称徳)年に完成したもので、安山岩の長方形の石が規則正しく並べられています。一部補修はされていますが、現在も大部分は当時のまま。凄いですね。

 そして仁王門をくぐり、さらに山門(三門)へ。

 かなりの大きさに驚きました山門(三門)。1750(寛延3)年築で、国の重要文化財に指定。2007(平成19)年に完了した修復工事により、檜皮葺きになっていた屋根を、創建当初の栩葺きに復元しています。

 その奥にあるのが、国宝の本堂。別当慶運が浄財を集め、そして大工甲良豊前入道宗賀の設計により1707(宝永4)年に建てられたもの。高さ約27m、間口約24m、奥行約54mの巨大な木造建築で東日本最大の伽藍。

 ちなみに、内々陣の「お戒壇めぐり」は全く光の入らない真っ暗な回廊を進み、中ほどにある極楽の錠前を探り当てることにより、秘仏である御本尊と結縁するというもの。善光寺は基本的に参拝料なしで本堂まで見ることが出来、「お戒壇めぐり」のみ入場料500円が必要という、ある意味で大変太っ腹な寺院だったので、気持ちよく参拝料として500円を支払い、「お戒壇めぐり」にチャレンジ。

 半端じゃなく真っ暗闇の中を、壁に手を当てながら進むというのは、前の人にぶつからないか非常に緊張しますし、迷ったらどうしようという不安も。御本尊と結縁すること以前に、視覚障害者の方の気持ちが少し理解できた気がします。非常に参考になる体験でした。

 こちらは善光寺経蔵で、1756(宝暦8)年築の国指定重要文化財。輪蔵、すなわち内部に廻転式の経棚をもつ建物です。

 善光寺にあった乳牛の善子さんと光子さん(乳牛親子像)。森永乳業の寄贈だそうです。

 こちらは1853(嘉永6)年築の鐘楼。長野オリンピックのときは、ここにある1667(寛文7)年鋳造の梵鐘が開会の合図を告げ、全世界にその響きを伝えました。

 山門と本堂。

 そして長野駅に戻ります。このまま真っ直ぐ家に帰るのか? いえいえ、そんなわけ無いじゃないですか(笑)。

 何と今度は、上田市へ。新幹線で約10分ですから、なんと速いことか。久しぶりに上田電鉄に乗車しました。前回訪問時と異なり、完全に東急1000系が主力車両になっていました。一気に現代的に・・・。

 下之郷駅で下車。ここで、東急時代とほぼ変わらぬ姿の編成と、新たに「自然と友だち2号」となった編成が出会います。

 この「自然と友だち」号は、長野県出身の画家である原田泰治さんによるデザイン。1号、2号の2編成がありますが、この2号は非常に格好良いですね。車両が新しいこともあって、とても経営難の地方ローカル私鉄の雰囲気ではなく、非常に頼もしい姿で素敵です。

 こちらは白を基調とした「自然と友だち1号」。個人的には2号の方が好きですが、もちろんこれも非常に爽やかで素晴らしいデザインです。是非とも、上田電鉄活性化のために存分にイメージアップ・広告塔として活躍してもらいたいものです。

 ちなみに、旧車両である7200系は車庫でお休みでした。
 というわけで、相変わらず放浪癖の直らない所長の長野・上田旅行でした。ちなみに、旅行から帰ってきた後で、こうやって成果をまとめておくことは、ここまで旅行に多く行っていると結構重要なこと。だんだん、数年前の旅行などは記憶が怪しくなってくることもあり、実はこのコーナー(PC内に保存してある2006年以前分も含めて)を見直して、「ああ、そうだった」と思い出すことも最近増えてきました。


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