○5月24日(日)

 グロッグフロッグ所員と京急久里浜駅近くにある京急ファインテック久里浜事業所内にて開催された「京急ファミリー鉄道フェスタ2009」へ。まずは自宅のある藤沢駅を出て、大船駅でJR横須賀線に乗り換え。向かい側のホームにはE233系と209系500番台が。209系500番台は1編成しかありませんが、14日に引き続き、また出会うことに。

 ・・・な〜んて場合ではなく、猛烈な強雨に先が思いやられる状態。

 もっとも、小雨になって心に余裕の出た所長。逗子駅では横須賀線開業120周年ヘッドマークを付けたE217系を撮影。

 そして久里浜駅では209系訓練車を撮影。

 実は約10年ぶりに見たJR久里浜駅。実は、目の前が京急久里浜駅であることを、行く直前に知ったり・・・。京急とJRの駅では全然規模も駅前の雰囲気も違いますね。

 そしてグロッグフロッグ所員と合流して「京急ファミリー鉄道フェスタ2009」会場へ。・・・突然、猛烈な雨がまたも所長たちを襲う。やむを得ず、いったん会場内で雨宿りをした後、雨が上がったので車両展示コーナーへ。こうやって、車両が整然と並んでいる姿は素晴らしいですね。

 どれも普段見かける馴染みの車両ばかりですが、やはり青い車両が2つ入っているのは良いアクセントに。

 そんな中、一際注目を集めていたのが、工場内での1500形前面方向幕&種別・運行番号の幕回しコーナー。エアポート快特「横浜」など、有り得ない組み合わせにファンたちは拍手喝さい。それよりも印象的だったのが、あまり京急の行先に詳しくない所長が「これがどのぐらい面白い表示なのか?」と解りかねている横で、この珍幕の面白さに興奮しあう若い女性の集団が・・・。

 時代は確実に変わってきているようで、実に素晴らしい。

 引き続き、グロッグフロッグ所員オススメの野毛山動物園へ。京急日ノ出町駅から徒歩10分程度の場所にあり、規模はさほど大きくはなく、後日に職場の課長に話すと「まだあったんだ!」と驚かれる始末ですが、これが中々バカに出来ない内容。

 まず、さっそくレッサーパンダを至近距離で見られる上に、食事の風景まで”魅せて”くれたのには、所長のハートは完全に撃ち抜かれました。か、可愛いじゃないか・・・。そんなわけで、お昼に行くのがオススメですよ、皆様。

 鉄道ファンとしては、横浜市電1500形1518号が残されているのも見逃せないポイント。しかも、最近塗装がされたのか、えらく美しい状態で驚きました。

 車内に入ることも出来、こちらも文句無しの保存状態。スタッフの方々の整備に心から感謝します。

 野毛山動物園で面白いのが、カメに関する展示が非常に充実していること。こちらはエミスムツアシガメ。主にマレーシアやインドネシアの熱帯雨林に棲んでいます。やはり、こちらも食事中。

 こちらはインドホシガメ。このほか多数が展示されていましたので、そろそろ動物図鑑の更新と共に掲載します。

 そして野毛山動物園最大の見所は、なんとクジャクの放し飼い。普通、檻の向こう側でしか見る事の出来ないクジャクが、ここでは触れ合うことさえ出来るぐらい。しかも、一部はこのように白いクジャク!! これには驚きました。

 ド派手なカラーリング(?)のクジャクもいいですが、こちらの純白のクジャクも気品があって素敵ですね。

 こちら、ホッキョクグマに食われる寸前の所長。
 ・・・実際には、今の野毛山動物園にはホッキョクグマはおらず、こうした人形が、かつての飼育&展示場所に設置されているだけ。その代わり、このように中に入ることが出来て、動物の飼育室の雰囲気と、逆に動物たちの視線で動物園を見ることが出来るのが面白いものでした。


 引き続き京急で金沢文庫駅へ戻り、日本を代表する鉄道車両製造工場の1つである東急車輛へ。まさか、京急の線路の真横にあるとは思いませんでした。そしてグロッグフロッグさんオススメ、三線軌条です。標準軌、狭軌双方の車両の出場に対応しているわけでして・・・。

 標準軌の京浜急行ですが、東急車輛の工場から金沢八景駅〜神武寺駅までも三線軌条となっています。


 ちなみに東急車輛といえば、東急5200系デハ5201号を保存していますが、残念ながら外部からはこのぐらいの撮影が限界。「工場内撮影禁止」とデカデカと書いてありましたので、露骨に敷地内に近づいて撮影することも厳禁でした(この写真も、念のため道路を隔てて反対側から、新車が映らないようにズームで撮影したもの)。工場の一般公開という話も聞いたことがありませんので、よほどのことが無い限り、一般人がこの車両を撮影できるのは不可能でしょう。

 残念な話ではありますが、その代わり大事に後世に伝えてもらいたいものです。気が変わって途中でスクラップはやめてね。

 一方、金沢八景駅近くの京急の車庫には黄色い不思議な車両が。京急デチ15・16形電車というらしく、1000形の廃車発生品を流用した資材運搬用の事業用電動無蓋貨車だそうです。

 そして金沢八景駅へ向かうと、駅の裏手に茅葺屋根の民家が。4代将軍徳川家綱の頃に建立された円通寺の遺構で、その客殿とのこと。この辺り、横浜市が開発を考えているらしく、ゆったりとした風景が一変しそうです。ただ、横浜市の計画によるとこの建物は保存活用を行うと共に、周辺の雰囲気もできる限り保存を行う意向の模様です。

 この金沢八景駅周辺の開発を考える上で、新交通システムであるシーサイドラインの金沢八景駅が、京浜急行の金沢八景駅と離れたまま、長らく暫定開業状態になっているのは改善すべき問題の1つ。当時は区画整理の折り合いがつかなかったそうですが、今度は果たしてどうなることでしょうか。

 それから、この金沢八景駅近くには瀬戸神社というのがあり、社殿は1800(寛政12)年の建築。神社の創建自体も古く、源頼朝が現在の三島大社を勧請したのが始まりです。

 さて・・・真っ直ぐ京急で戻るのも鉄道ファンとしては微妙なので、ここはシーサイドラインに乗車します。個人的には20年ぶりぐらいに乗るはず。そしてやってきた車両の先頭は、1111という見事な車両番号でした。

 お客さんは少なく、先頭にかぶりついて色々と写真を撮影。遊園地のアトラクションみたいで、結構面白い(笑)。・・・なんて思っていたら、次第に乗客が増えてきて満員状態。末端部はともかく、JR根岸線と接続する新杉田駅に近づくにつれ、利用客は日中でもかなりいることが実感できました。

○5月16日(土)

 本日は珍しく(?)近所で普通に鉄活動。まずはJR中央線豊田駅にて、189系ホリデー快速河口湖号を撮影。

 続きまして臨時列車の、183系・189系快速「富士芝桜まつり」号を撮影。そのまんま芝桜を見に行きたいのは山々でしたが、さすがに節約モード・・・。それに、天気もあまり良く無かったですしね。

 久しぶりに中央線高架化工事の現状を確認しに行ったところ、武蔵小金井駅ではついに上りホームの建設が本格化してました。

 それからJR南武線西国立駅へ移動し、臨時特急「リゾート踊り子」号を撮影。伊豆急行の車両が南武線を走るとは・・・。

 さらに西武多摩湖線一橋学園駅へ。ここで落成当時の塗装に戻された新101系を撮影。

 折角なので久しぶりに西武鉄道の車両を撮影することにし、まずは萩山駅で新101系+2000系。

 そして西武新宿線の花小金井駅にてしばらく撮影。やってくる列車は初期型、後期型含めて2000系ばかり。

 こちらも2000系。

 やっぱり2000系。

 

 またまた2000系。


 ようやく西武10000系ニューレッドアローによる特急「小江戸」に・・・。

 

 続いて新101系が登場。


 小平駅へ戻ると、ようやく新型の30000系に遭遇。西武新宿線は、まだまだ黄色い電車が圧倒的な主力のようです。


○5月14日(木)

 東京で博物館に行くなら(空いている)平日だよね、ということで仕事を休ませていただき、馬藤所員と共に上野の国立科学博物館へ。ようやく現在開催中の大恐竜展を見てくることが出来ました。開催されてからしばらく経っていることもあり、予想通り「ここ」は空いていましたが、他の博物館は平日なんて何のその、年配の女性の方々を中心に満員御礼状態でした。

 さて、この大恐竜展の見所は南半球の恐竜たちの特集。最近は中国の恐竜と鳥類の進化過程を絡めた展示が主流のような気がしますが、南半球に焦点を当てたのは少し面白い試みだと思います。また後日特集いたしますが、ここでも少しだけ。上写真は南極大陸で最初に命名された、クリオロフォサウルス。ジュラ紀前期の肉食恐竜としては最大で、頭のトサカが特徴。んで、これと近縁の種類が北アメリカやアフリカでも発見されていることから、当時は南極大陸とこれらが陸続きであったと考えられています。

 こちらはニジェールサウルス。白亜紀前期の小型の竜脚類で、軽快な造りの骨格と横一直線に並んだ歯が特徴。

 頭部の復元模型。ちょっと面白い顔つきですね。

 アルゼンチンで発掘された、白亜紀後期に棲息したマプサウルスの成体と幼体。

 こちらはインドで発掘された白亜紀後期に棲息したラジャサウルスの頭骨。

 ラジャサウルス復元模型。今回はこのように、頭骨部分の復元模型がいくつか展示されていたのは有難かったです。素人には骨だけではなかなかイメージしづらいわけでして・・・。

 翼竜の展示も少数ながらありました。こちらはブラジルに棲息した白亜紀前期の翼竜タラソドロメウス。

 こちらがその頭骨の復元模型。巨大なトサカが印象的です。もちろん、色はこんなのだったかは不明ですけど。

 ついでに久しぶりに地球館に常設展示されている恐竜の化石も見学。数は少数ですが、いわゆる有名どころの巨大恐竜たちの全身骨格が展示されているのが最大の特徴。有名=発掘数が多いというわけではないので、ある意味で日本ならではの贅沢かも。こちらはアメリカで発掘されたトリケラトプス・ホリッドス(白亜紀前期)。

 なんとトリケラトプスの全身骨格は2つしか見つかっていないそうで、ここにあるのはその1つ。しかも、世界で最も保存が良いとか。

 こちらはティラノサウルス・レックス。おなじみ、白亜紀後期の肉食恐竜ですが、意外にも全身骨格が見つかっているのは少数。国立科学博物館では、骨格の大部分が見つかっているスタンと名づけられた個体をレプリカで展示しています。

 こちらはアパトサウルス・アジャックス。北アメリカに棲息したジュラ紀後期の竜脚類で、国立科学博物館では世界でも十本の指に入るほど保存状態が良好な全身骨格の標本を展示しています。

 もちろん恐竜以外にも色々と面白い展示が多数あります。太陽の断面模型とか・・・。

 1990年に中国で発見された南丹隕石や・・・。

 アポロ11号が採集した月の石。

 それから現在は、企画展として「琉球の植物」も開催中。開発や気候変動によって、数多くの貴重な独自種の植物たちが危機に瀕していることを感じさせられます。

 国立科学博物館へ行くと、何度行っても何時間でも堪能できるわけですが、適当なところで切り上げ。何となく西郷さんの銅像を見た後、アメ横で食事。

 そして渋谷駅へ行き、すっかりハチ公と共に駅の顔となった東急旧5000系の現状を視察(笑)。「こんな危険なところに、しかも車体を短縮して設置するなんて!」とネットでは非難の嵐だった展示ですが、2006(平成18)年10月に展示されてから今まで、何とか美麗な状態を保っているのは、関係者の努力の成果ということでしょう。ただ、前面窓ガラスには少しですが意味不明な傷が付けられていました。

 個人的にはカットモデルでもいいので、その駅にゆかりのある車両たちを多くの人の目に付く場所に展示して、長く利用客の記憶にとどめて欲しいものだと思います。

 さて、東京メトロ副都心線との直通運転が始まれば役割を終える、東急東横線の渋谷駅へ行き・・・。

 そして代官山駅から徒歩で直ぐの場所にあるのが、国重要文化財の朝倉家住宅。ヒルサイドテラスのそばにある、この立派な日本家屋は東京府議会議長や渋谷区議会議長を歴任した朝倉虎治郎氏によって、1919(大正8)年に建てられたものです。都心のド真ん中に、こんな立派な重要文化財が公開されていたっけ?と思いましたところ、2008(平成20)年6月から一般公開を開始したようです。

 華族や財閥の屋敷ではないので、洋館が無いのが特徴。あくまでこのように上品な和室で家屋が構成されているのも特徴の1つ。

 庭園も見事なもので、そして主屋との組み合わせも見事。

 さて・・・、中途半端に時間が余ったので、何となく「噂に聞く自由が丘とは何ぞや?」と、野郎2人で見学。喫茶店でもセレブな気分で入ってみようか?と言ってはみたものの、結局は駅の近くにあったブックオフが意外と大きく、そして破格の安さで魅力的な専門書が売られていたので、そっちの購入に予算を割き、何も飲まず・食べずに自由が丘を後にしました・・・。

 ちなみに自由が丘駅は東急東横線と東急大井町線が立体交差しているのが特徴。なかなか面白い光景です。

 自由が丘駅の様子。

 東横線直通の東京メトロ03系5扉車。今や終日、菊名まで乗り入れています。

 さて馬藤所員と別れ、横浜駅へ。東海道線で藤沢まで帰ろうとしたところ、隣の京浜東北線に209系500番台が。京葉線への再転属が進み、残り1編成となっているだけに貴重な記録になりました。

 こちらは京浜東北線・根岸線の新たな主となったE233系。

 置き換えの進む209系0番台ですが、まだ苦労することなく見かけることが出来ます。とは言え、夏を過ぎれば目にする機会もかなり減ってくるのではないでしょうか。

 さらに京浜東北線の隣、京浜急行では旧1000形の置き換えが急ピッチで進んでいます。しかしまあ、先ほどの209系と一緒に引退が進むというのは面白い話ですね。車両の年齢だけで言えば、旧1000形の方が圧倒的に上のはずですが・・・。

 根岸線直通、磯子行きの205系。まだ直ぐには置き換えが始まらないでしょうが、今のうちに記録しておくのがベストかも。
 それにしても、首都圏の車両の移り変わりの激しいこと・・・。

 

○5月10日(日)

 友人の味野源次氏と共に新宿で劇場版「交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい」を鑑賞した後、上野駅へ。お金の都合で寝台特急「北陸」は見送り・・・。

 夜行急行「能登」で、いざ富山県へ出発します。それにしても489系ボンネットは相変わらず素敵ですね。

 そして高岡駅で城端線に乗り換え、終点の城端駅へ。

 昨年6月以来の訪問・・・と思い、所長撮影雑記を見返してみたら、よほど疲れていたのか「後で書きます」と旅行全体の記述をバッサリ切り捨てていることを発見。

 前回は城端の善徳寺という立派な建造物が残る寺と、古い町並みを見学しましたが(上写真はそのときに撮影した善徳寺山門)、今回は城端は通過します。しかし、列車はここが終点。ということで、タクシーで世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」に指定されている3つの集落(富山県南砺市菅沼地区、相倉地区、岐阜県白川村白川郷)のうち、まずは菅沼地区へ向かいます。

 バスもあるのですが、来るのがまだ当分先なので、どうしてもタクシーを使わざるを得ません。

 最近は便利なもので、高速道路であっという間に行けちゃうんですね。タクシーの運転手さんが「高速使いましょうか?」と言って下さったので、気軽な気持ちでYESと答えたところ、本当に直ぐでした。

 ・・・タクシーのメーターが上がっていくのも。
 自分、あれだけ早くタクシー料金が加算されていく様子を見たのは初めてであります。結局、8000円かかりました。道連れの味野氏がいたおかげで、1人あたりの料金は4000円とは言え、これならレンタカーを借りても良かったかも・・・・。ま、まあタクシーのおかげで、誰も観光客のいない、早朝の菅沼地区を、心行くまで堪能させていただきました。

 現在、9棟の合掌造りの家屋が残る菅沼地区。高速道路のおかげで、他の地域へ行きやすくなったとは言え、まさに秘境といった感じの空間です。

 水面に映った合掌造りの家が最高ですね〜。


 それから40分ほど岐阜県方面に歩きまして、国指定重要文化財の岩瀬家へ。江戸時代後期、加賀藩の塩硝上煮役の藤井長右エ門により8年間の歳月をかけ建てられた、現存最大級の大きさを誇る合掌造りの家です。準5階建ての家で、加賀藩の役人が毎年巡視に訪れることから、書院、奥書院などがあるのが特徴。

 なんで加賀藩の役人が来るかと言うと、この辺りの村々では塩硝(えんしょう)、すなわち硝石(しょうせき)=火薬の原料を作っていたわけ。つまり合掌造りの家々は、加賀藩にとって重要な軍事施設でもあったわけです。岩瀬家、というか藤井家はその上役であり、この家は役人の接待にふさわしい立派な構造だったのです。

 もちろん、多くの家ではこのほか自宅の上部を利用して、養蚕などを行っていました。岩瀬家も例外ではなく、3階から上は養蚕を行う作業場でした。

 内部の見学も可能なので見せていただきましたが、結構怖い・・・。1階の囲炉裏で暖を取るのですが、その煙の風通しをよくするため、床はどの階も隙間があるんですね。

 そして今度はバスで白川郷へ。こちらは2005年11月に訪問済ですが、前回は職場で所属している部活のメンバーの皆さんと、金沢から高山に行く途中で少々見た程度、しかも雨模様だったので・・・今回は最高の天気に、たっぷりと設定した見学時間。心行くまで堪能させていただきます。

 そもそもこの旅行、今年の1月に大学の先輩である千葉人さんの白川郷の写真を見た味野氏が「行きたい」と言ったのが発端でした。私の前でそういう言葉を出すのが大間違いと言うもので、本当に連れてきてしまったわけで・・・。

 何と言っても荻町城跡にある展望台から見た、白川郷の全景の撮影も目的の1つ。歩いて登ったので、少々疲れました。

 もう1枚〜。また秋の風景も最高なのではないでしょうか。3回目の訪問もしてみたいですね〜。

 さて、登るのはいいですが下りのルートを険しいコースを選んでしまったため、意外と降りるのが大変でした。荻町城跡は南北朝時代〜戦国時代の山城ですが、これもその名残だったりするのでしょうか?

 また今回は白川郷の中でも、南端の部分まで歩いてみました。この辺になると観光客も少なく、美しい風景をより堪能することが出来ます。

 そして路線バスでJR高岡駅まで直通。ダム湖が作り出す風景も、なかなかの美しさ。

 再び菅沼地区を通り過ぎ、先へ進むと見えてくるのが村上家。16世紀後半築で、こちらも見学したかったのですが、バスが1日に4本しかないため断念。さらに、この先の相倉地区も世界遺産に登録された場所で必見なのですが、やはりバスの都合で断念することに。・・・不便すぎます。しかし、乗客は我々2人と中国人観光客4人のまま、終点近くで数人が乗った程度。

 廃止にならないだけ、有難いと思うべきなのか。

 城端駅を過ぎると、JR城端線の東西を行ったり来たり・・・段々乗っているほうもイラっとしてくる状態(何しろ、あれだけ様々な公共施設を経由しながら、誰も乗らないと言う恐ろしさ)で、ようやくJR高岡駅へ到着します。白川郷を13時に出て、こっちに着いたのが16時。味野氏いわく
「バスの運賃箱に、お札を入れたのは初めて」
 と言わしめた運賃は2350円でした。それでもタクシーで城端から菅沼へ行った料金を考えれば破格の値段。
 もう少し、JR城端駅でJR城端線とバスの接続ダイヤがしっかりしていれば良かったのですが・・・。

 と愚痴っても仕方がありません。高岡駅前では、今や完全に主力車両となった万葉線のアイトラムを撮影。旧型車両のほうが姿を見なくなってきました。

 そして高岡駅では413系を撮影。この色を見ると、個人的には北陸に来た感じが凄くします。

 特急「はくたか」に乗り、越後湯沢駅へ。途中の直江津駅では京浜東北線から引退した209系が数本留置されていました。本当に千葉県方面への転属が始まりそうで、その改造待ちといったところでしょう。

 さて、自分から行ったり誘われて行ったりしているうちに、4月からアホみたいに本州各地を旅行していましたが、とりあえず予定されている旅行は全て終了。引き続き首都圏各地には出没するでしょうが、さすがに貯蓄も考えねば・・・。


○5月5日(火)

 楽しい時間というのは、あっという間に過ぎ去るもので、氷川副所長たちも本日で山口県へ帰還。夕方までは時間があるので、ちょっと横浜を散歩してみました。戦前からの近代建築が数多く残る横浜ですが、それでも確実に取り壊しは進んでいるわけで、こんな場所も・・・。

 さて、4月28日より9月27日まで横浜市の「みなとみらい21地区」では、横浜開港150周年記念テーマイベントとして「開国博Y150」が開催中。写真は会場の1つである「はじまりの森」の全景。

 注目は高さ約12mの巨大な「クモ」。フランスのアートパフォーマンス集団「ラ・マシン」の作品だそうです。・・・時期が時期だけに人が非常に多く(それでも長蛇の列では無かったですけど)、近くの歩道橋から撮影するにとどめ、会場内には入りませんでした。

 我々は引き続いて横浜の赤レンガ倉庫へ。今やショッピングモールとなった赤レンガ倉庫にばかり目が行きますが、かつての線路跡がモニュメントとして整備されており、この地区の歴史を次の世代へ伝える上で非常に重要なものです。かつてはこのあたりを多数の貨物列車が行き交ったことでしょう。

 また、現存しない赤レンガ倉庫の基礎も保存されています。

 ところで目を左手に転じると、なんとオランダのフェロルメ造船所で復元された観光丸という、蒸気帆船がやってきていました。元々の観光丸は、1855年にオランダ王国ウィレム3世から徳川幕府に献上され、長崎海軍伝習所の練習艦として使用されたもの。日本初の蒸気帆船で、勝海舟、榎本武場などが航海術を学びました。

 復元された観光丸は、長崎県のテーマパークであるハウステンボスが所有するもので、国立アムステルダム海事博物館所蔵の設計図と模型を元に、内装材や甲板の材料にいたるまで、かつての観光丸と同質のものとするほど往時の姿にこだわったもの。そのため、2007年11月には、復元されたものであるにもかかわらず、初代「観光丸」の功績が非常に大きいこともあり、経済産業省から国の「近代化産業遺産」認定されています。

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 一方、その近くでは、かつての北朝鮮工作船が展示されています。この辺から、いよいよ軍事に対する我々の意識も大きく変わりましたね。それまで軍事に関する議論自体がタブーのような傾向もありましたが、そんな甘ったるいことを言ってられない状況があることを、ようやく多くの人が共有するようになったと思います。なお、写真撮影は禁止でしたので、建物外観のみ紹介。

 そして我々の友人である桜ノ咲みえ(桜乃明日華)氏が、大田区産業プラザPiOにてM3という音楽サークルの同人イベントで、自主制作のCD販売で参加されているので、ちょいと顔を出してきました。ここのところ、めっきり私も曲を作っていないので、なんとか時間を作って作曲活動に打ち込みたい・・・。

 さて、写真は立体交差化事業が進む京急蒲田駅。数年後には風景が一変することでしょう。
 変わり行く姿を撮影してみました。


○5月3日(日)

 本当はかなり金欠状態だったりしますが・・・後先考えずに、氷川副所長を初の東北地方に立たせてみたい、というだけの理由で宮城県へ。まずは日本三景の一つ、松島へ行きます。個人的には3回目の訪問ですが、前2回は海岸から松島の島々を見ただけ。そこで今回は初めて遊覧船に乗ることにしました。天気が微妙だったのが、ちょっと残念。

 船が出港すると、「待ってました!」とばかりにカモメの大群が船にむけて襲撃をかけてきます。

 お目当ては観光客から頂く「かっぱえびせん」。船の中で「カモメのえさ」として販売しており、多くの人たちが景色を眺めるより、エサやりに夢中になっています。もちろん、楽しみ方は人それぞれですけど、不必要な餌付けには個人的に反対です。

 さて、この松島クルージングは大小さまざまある、松島の島々のうち、比較的小さめのものを中心に見ていく感じ。1つ1つが変わった形をしているのが特徴で、見るものを驚かせます。ただ、全体の景色としては壮観かと言われれば難しいところで、氷川副所長には「(地元の)瀬戸内海にもこんなのあるぞ」と言われてしまいました(笑)。

 とは言え、観光客でごった返していた船より、家で写真を眺めると、中々の風景であることに気づかされます。
 上写真は鐘島で、島に4つも穴が開いているのが本当に不思議。名前の由来は島に空いた4つの穴に打ち寄せる波の音が、まるで鐘を打つ様に聞こえたことから、だそうです。

 こちらは材木島。

 この辺は・・・スミマセン、失念しました。

 先ほどの写真の続き。

 船を下船した後、朱塗りの橋を渡って福浦島へ。

 ここからの風景も中々のもので、もちろん島自体も自然豊かな風景が素晴らしい。島は比較的大きく、ちょっとした散歩に最適です。

 このような場所もあります。

 さて駅の方向に戻ろうとすると、自称「松島城天守閣」という展望台が。実はこれ、元々は1927年に建てられた松島城観光ホテルの一部で、写真手前の駐車場にも城郭風のホテルが建っていました。


 展望台は、ある意味で本物の天守閣らしく急な階段が特徴。

 最上階からは、意外と松島の全景を堪能することが可能。空気の澄んだ日には絶景でしょう。

 続いて瑞巌寺の参道を通り・・・。

 かつて仙台藩主伊達家の殿様が、松島を訪問する際に船(御座船)を漕ぐ役目を担っていた、水主(かこ)衆の民家のうち、最後の1棟を移築し、茶店として転用している茅葺屋根の家を見て、駅へ行きます。

 そしてJR仙石線の205系「マンガッタンライナー」編成に乗り、終点の石巻へ。

 車窓にも松島の島々が見えてきますので、まだまだ松島を堪能することが出来ます。

 そして終点の石巻に到着。この電車、漫画家の故・石ノ森章太郎さんの数々の作品をラッピングした電車です。

 編成全体の様子。

 何ゆえ先ほどのような電車が走っているのかというと、石巻市には石ノ森萬画館という施設があるから。また、マンガッタンとは、この北上川河口の中瀬を空から見た地形が、ニューヨークのマンハッタンに似ている(自称)に由来する造語です。石ノ森漫画館の館内の様子については撮影禁止だったので紹介できませんが、駅前周辺には殆ど人がいない石巻市において、数多くの人であふれる大人気の観光スポットでした。

 ちょうど現在、特別企画展『ギャグマンガの王様 赤塚不二夫展』というのが開催されており、バカボン、イヤミ、ウナギイヌ、ケムンパスなど懐かしのキャラクターを久しぶりに見ました。漫画も展示されていましたが、今見ても面白いですね。う〜ん、買いはじめそう・・・。

 個人的には石ノ森作品とは、放送された初期の仮面ライダーと、漫画「日本の歴史」シリーズぐらいしか解らないため、意外にも赤塚不二夫展の方が非常に興味深い内容でした。

 ちなみに、この石ノ森萬画館の向かい側には、旧石巻ハリストス正教会教会堂が移築保存されています。1880(明治13)年、石巻市千石町に建設されたもので、現存する日本最古の木造教会建築。また「ハリストス」とは、ロシア語で「キリスト」のことです。

 内部は無料で一般に公開されており、非常に小さな建物ながら、明治の時代が始まるや、突如として石巻に現れた、このような内装の建物に、当時の人たちは何を感じたのだろうと思わずにはいられません。

 そして駅に帰る途中で見つけた自民党の建物。詳細は不明ですが、何となく戦前の建築のニオイがしまして、撮影しました。

 商店街に置いてあった仮面ライダーの像。町全体が、漫画作品の博物館と共に商店街振興を図る例としては、「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげる作品を前面に押し出す、鳥取県境港市の例がありますが、境港市は、駅から水木しげる記念館へ続く道を「水木しげるロード」と銘打って、半ばやり過ぎとさえ感じるほど、商店街のあちこちに妖怪のオブジェに、鬼太郎グッズ店があったりと、大変にぎやか。

 それに反して、石巻市も萬画館への道を「マンガロード」として、同様の路線で行きたい雰囲気は出していますが、さほど何かがあるわけでもなく、ゴールデンウィークということもあって、商店街は完全にシャッターが下りていて沈黙状態。駅前にあった「さくら野百貨店」も、郊外に誕生したイオン石巻ショッピングセンターなどに敗北し、2008年に閉店。

 地元の方には申し訳ないですが、あまりの惨状に驚きました。ただ百貨店跡の1階にはスーパーは入居しており、さらに石巻市役所も移転して来るそうで、これは面白い動きだと思います。

 まあ、そうは言っても他にはこんなのもありましたけどね。

 また石巻駅にも、こんなのがありました。まあ、考えようによっては石ノ森作品には興味の無い地元の方も少なからずいるでしょうから、このぐらいの盛り上げ方ぐらいが、嫌味がなくて良いのかもしれません。


 こちらは石巻駅。石巻線のキハ40系気動車が並びます。

 仙台へは通常の205系で帰還。名物の牛タンを食べて帰ろうとしましたが、どの店も満員御礼状態で、ようやく牛タンオムライスを出す洋食屋を見つけるのが精一杯でした。

 ・・・で、そのまま藤沢の所長邸へみんなで帰還。
 翌日は馬藤所員を入れて、久しぶりに桃太郎電鉄三昧で過ごすという、なんとも贅沢な時間の使い方をしましたとさ。私が持っているのはPS2用の桃太郎電鉄12ですが、キングボンビーなどが強すぎて、いくら物件を買い占めても、あっという間に全部を売り払う羽目になり、全然先に進まず、大変イラっとさせていただきました(笑)。

 それにしても、地方都市を回っておりますと、大体は商店街が自助努力を怠っているところへ、郊外にイオンが大型店舗をオープンし、完全にトドメを刺す例が何と多いことか。商店街が悪いのか、イオンが悪いのか、これはケースバイケースで難しいところですが、中期的に考えれば、町の顔を失った地方都市の衰退には加速がかかる。鉄道の廃線もこれから益々増えると思います。

 少子高齢化と人口の流出も加速し、近いうちにイオンも不採算店の大量増加に頭を悩ませることでしょう(既にその傾向は出ていますが)。こうしてイオンが不採算店の整理に入ったときに、それぞれの地方都市の未来はどうなるのか、凄く不安がありますね。


○5月2日(土)

 本日から5日まで、氷川副所長と飛び入り参加で水澄所員が我が家に襲撃!・・・というわけで、首都圏では定番の観光地である箱根へ強制的に連れ出しました。まずは箱根湯本駅で箱根登山鉄道1000形(リバイバルカラー)に乗車。いかにも強そうな名前の強羅駅へ向かいます。

 箱根登山鉄道は箱根の山を少しずつ大回りしながら登っていくため、車窓には先ほど通った線路が見えたり・・・。

 途中の宮ノ下駅では2000形スイス氷河急行塗色編成と行き違い。この塗装は、箱根登山鉄道とスイス・レーティッシュ鉄道との姉妹提携30周年を記念し、レーティッシュ鉄道の「氷河急行」(GLACIER EXPRESS/2006年登場)に使用されているプレミアム編成「オール・パノラミック・ワーゲン」の塗装をイメージしたもの。美しいデザインです。

 そして強羅駅では、箱根登山鉄道のケーブルカー(鋼索線)に乗り換え。さすがゴールデンウィーク、物凄い人の数で満員電車状態のまま、急勾配の山を一気に駆け上っていきます。

 終点の早雲山駅に到着。随分と高いところへ来ました。

 ケーブルカーから降りた大量の人がいなくなるのを待ってから、箱根ロープウェーに乗り換え。今度は今までの”すし詰め”状態から一転して貸切状態へ。

 一気に上へと行く気持ちよさと、意外と広々としたロープウェー内部に感動し、両手を広げながら、フリーダム!フリーダム!と3人は叫びあっていたとか。う〜ん、バカだ。

 緑の山々も、大涌谷駅付近では風景が一変。箱根火山の噴煙地とのこと。

 大涌谷駅では別のロープウェーに乗り換え、今度は多くの別の乗客たちと一緒に桃源台駅まで下っていきます。

 間もなく終点の桃源台駅。箱根ロープウェーは8年ぶりに乗りましたが、雄大な景色と不思議な乗り心地に感動。
 これはオススメです。

 そして、目の前に広がる芦ノ湖を行く、自称「海賊船」こと箱根観光船へ。ちなみに、英訳は海賊船ではなく観光船でした。

 ・・・。

 ・・・・・・。

 これだけの乗客が人質に取られているわけですね。

 そして向こうからも海賊船が。よく見ると御丁寧に大砲もついています。
 ここで氷川副所長が一言。
 「湖なのに、なんで”海”賊船なんだ?」

 向こうに見えるは箱根関所。湖から見ると、より造られた場所の地形を実感できます。

 もちろん、ここまで来たからには箱根関所も訪問します。

 史実では小田原藩が管理していた箱根関所。藩士の皆様は、ゴールデンウィークも休まず仕事中です。

 通行するものを威圧するために置かれていたという火縄銃の数々。これだけあるのは圧巻ですね。

 旧東海道杉並木。昔はもう少し杉も細かったでしょうが、こんなところを旅人たちは通行したわけです。

 箱根小涌園ユネッサンで温泉へ入り(ちなみに、偶然にも遊びに来ていた従兄弟の佐都副所長とすれ違う)、強羅駅から箱根登山鉄道2000形で帰還。

 夜の箱根湯本駅では、古豪の108号(昭和30年代カラー)と並び。箱根を十二分に堪能した1日でした。
 ・・・さて、翌日は引き続き東北へ向かいます。



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