○8月15日(土)
 コミケ出展のために我が家に宿泊に来た桜乃所員を大井町で見送り、私といえば品川へ。「ムーンライトながら」用189系が回送されていたので撮影。そういや、もうじき成田エクスプレスの一部に新型のE259系が投入されますが、余剰となった253系が「ながら」に回ったり・・・なんてことは・・・??

 そして総武・横須賀快速線に乗り換えて千葉へ。さあ、113系をバンバン撮影するぞ・・・と意気込むも、逆光。反対側はホーム端すれすれに停車しているので、撮影しづらく・・・。それにしても、あまり千葉に行かないので気がつきませんでしたが、まだこんな長編成の113系がバンバン活躍していたんですね。

 E257系特急「あやめ」。やはりLEDのトレインマークは見づらい・・・。

 そして、本日はデュークさんと合流して木更津へ。お目当てはもちろん、国鉄色に復元されたキハ30形!! 本日は運用に就いていないようで、さてどう写真を撮るべきかと悩みましたが・・・。

 実際には公道上から車庫がよくみえるため、こちらのキハ30+37+38という久留里線オール形式の編成もバッチリ撮影。

 そして・・・う〜ん、素晴らしい!!

 往時を知る方には前面強化板が邪魔かもしれませんし、久留里線というステッカーでごまかされた(?)行先方向幕が多少残念ではありますが、ピカピカの国鉄色ツートンカラーはたまりません。

 キハ38形との並び。

 こちらは運用中のキハ37形。

 もう1両のキハ30形は、木更津駅構内の隅のほうにいました。

 君津行きの113系。

 E257系特急「さざなみ」。LEDでイラストを描いてはいますが、全く見えません。

 それから五井駅に行き、小港鉄道の車両を構内より撮影。久しぶりに乗りたい気はしますが・・・。

 本日はこちらを優先。千葉県佐倉市にある佐倉城へ。石垣を使わない城なので、このような不思議な(?)感じです。

 そして、この佐倉城内にあるのが国立歴史民俗博物館。2006年12月に訪問して以来、久しぶりです。前回は閉館1時間前に来るという無謀なことを行ったため、ものすごい超特急で見学。お陰で超絶に消化不良でした。今回は・・・デュークさんの都合上、約2時間での見学。うむ、これならしっかり見られる・・・わけは無いです。やはり、せめて午後いっぱいは必要そう。

 国立民俗歴史博物館の魅力は、日本史を通史で紹介。しかも、全国の博物館に収蔵されている文化財のレプリカを大量に展示している上に、このようにジオラマを多数展示。視覚的に当時の雰囲気を勉強することが出来ます。上写真は三内丸山遺跡。

 兵庫県神戸市で発掘された銅鐸2種類(一番左は本物)と、完成したときの銅鐸(右)。・・・と、ここでデジカメの電池残量がほぼ限界に達したため、デュークさんに撮影を任せつつ、たまに復活したときに私は撮影。

 「漢委奴国王」でお馴染み金印(デュークさん撮影)。原品は福岡市博物館で展示されています。

 卑弥呼の墓と考える研究者もいる奈良県桜井市の箸墓古墳模型。

 このように築造時の姿と、現在の姿の双方を半分ずつ再現しています。学校の授業でも、こういう教え方をしてくれないものか。ただ教科書を読ませて、黒板に語句を並べるだけでは実感が全くわかないのですが、社会化の先生たちは、それが解っているのかなあ。と、文句を言うだけでは仕方が無いので、弊サイトではこれからもビジュアルな歴史コーナーを作り続けます。

 こちらは平城京復元模型。如何せん、デジカメの電池残量が厳しい上に、だんだん滞在時間もやばいので、今回はジオラマをメインに撮影しております、スミマセン。

 鎌倉時代初期の鎌倉の全景(デュークさん撮影)。こんなに防御に優れた場所に幕府を置いたわけですが、それでも滅亡するときは滅亡してしまう、というのは歴史が示している通り。防衛の着眼点は良かったんだとは思いますが・・・。しかし、どんな政治を行ったにせよ、町がこれでは発展出来ないですね。

 戦国時代の京都の町並みを復元した模型(デュークさん撮影)。当時は瓦葺ではなくて、板葺きの町屋が多かったんですね。

 江戸時代後期の輸出品。ですから、こうやって現物を見ると、何を輸出したのか直ぐに覚えられます。

 そして、今でも赤レンガ倉庫が残っている横浜の様子。写真中央、今は基礎部分だけが残っているレンガ造りの洋館が見えます。・・・というわけで、これにてタイムアップ。二人揃って消化不良。も、もう一度行かないと・・・。よくよく考えれば、ホリデーパスを使えば2300円で行って帰ってこれるんですから、ちょくちょく行けば良いわけです。アレだけ前回、消化不良な気分を味わったというのに、どうして2年以上行かなかったのか・・・。

 さて、東京駅前に出ると東京中央郵便局が絶賛工事中。デジカメが何とか復活したので現況を撮影します。ご覧のとおり、コーナー部分が見事にぶっ壊されて、内部へ工事用車両が入りやすいようになっています。このビル、マスコミや文化人も含めて、今度は逆に「鳩山憎し」と言わんばかりに、鳩山総務大臣(当時)の保存命令への対応を批判しましたが、戦前、1931(昭和6) 年に吉田鉄郎の設計で建てられた貴重な文化財。

 そして、現代的なビルの先駆けといえる物件であり、当初は大半をぶっ壊して一部をレプリカで再現しようとした日本郵政の方こそ、個人的には信じられない見解でした。とは言え、黒ずんでボロボロになった建築を興味の無い方が見ても、ただの汚いビルにしか見えないのは、仕方の無いことなのでしょうか。いずれにせよ、この件に関しては鳩山総務大臣(当時)のお陰で、保存箇所が大きく広がってよかったです。

 一方、その直ぐ近くでも戦前に建てられたビルがありました。1928(昭和3)年に建てられた丸の内八重洲ビル。再開発で取り壊されてしまい、なんとも残念でしたが・・・。

 また微妙な形ではございますが、下層部の石造りの部分はおそらくそのまま移築でしょうか。特徴的な尖塔の部分は再び再現が行われておりました。こちらは全く復元を期待していなかっただけに、ちょっと嬉しい。

 そして再開発の目玉であった、三菱1号館の復元。美術館としてこれから活用するそうですが、これは想像以上に美しい。惜しむらくは、ちょっと木が邪魔なような・・・。いずれにせよ、これから復元される東京駅、三菱1号館、それから旧司法省と共に、東京駅周辺の赤レンガ建築として、良い観光名所になりそうです。

 ・・・これにて、完全にデジカメの電池がダウン。意外と最後まで活躍してくれたことに感謝!


○8月12日(水)
 神出鬼没の、中央線201系モックアップ。今度は八王子駅にて鎮座していました。それにしても、殆どダンボール工作(?)に近いレプリカであるにもかかわらず、近くまで寄らないと、方向幕、種別幕以外は偽物とわからない精巧な出来。素晴らしすぎます・・・。

 さて次はどこに出没するのか。ていうか、いつまで展示してくれるのでしょうか。出来れば恒久的に、中央線沿線のどこかの駅に設置して欲しい・・・あと、次は103系も・・・。

○8月8日(土)〜10日(月)
 予告どおり、またまた旅行に出かけて疲労を増幅させてまいりました。なお、途中同行したグロッグフロッグ所員は引き続き旅行中で、ブログをリアルタイムに更新していますので、要チェック!!
http://yatume.blog64.fc2.com/
 では、超ダイジェスト版で・・・。まず今回は、2008年10月にできたばかりの東海道本線桂川駅にて撮影。京都方面の列車が、このようにホーム先端から綺麗に撮影できます。もちろん、お目当ては485系特急「雷鳥」。金沢方先頭車がクハ489形のA7編成でした。


 大阪方面の列車も、この程度の雰囲気なら撮影可能。寝台特急「日本海」・・・いつまで走ってくれるでしょうか。

 山崎駅のホーム先端より、有名な島本〜山崎のカーブの風景を撮影。意外と難しい・・・。

 さらに島本駅でも撮影してみます。ハイ、雷鳥三昧ですね。満足です。

 中学校の修学旅行以来、久しぶりに降り立った二条駅。気がつけば山陰本線の普通列車も221系が大半・・・。

 そして京都市営地下鉄東西線で三条京阪へ。京阪電鉄に乗り換え、東福寺駅に行きグロッグフロッグ所員と合流。出町柳駅まで3000系に乗ります。

 そして京橋駅へ、8000系旧塗装による特急に乗車。

 京橋駅から大阪環状線で鶴橋駅へ。大阪環状線では意外と貴重になってしまった103系低運転台と遭遇。

 さらに鶴嘴駅で近鉄・・・いや、阪神1000系に乗車。阪神なんば線に初乗車です。殆ど地下駅でしたね。
 以前は「『もぐれ阪神』街づくりを見直す会」なんて市民(?)運動もあったぐらいなので、高架線なのかと思いきや、十分に「もぐって」おり、これ以上何をしたかったのか。雰囲気だけの正義感で、多くの人たちの利便性を台無しにするのはやめていただきたい。


 さて、私の気まぐれで魚崎駅より六甲ライナーにも初乗車。住吉駅でJR東海道本線に接続しています。

 そして再び三宮駅で阪神に乗り換え、さらに山陽電鉄に直通。初めて山陽電鉄で姫路市へやってまいりました。

 さらに・・・JR播但線に乗車し、寺前駅まで。キハ41形と初対面します。

 そしてキハ181系特急「はまかぜ」で姫路まで折り返し。力強いディーゼル特急の雰囲気に大満足。今度は大阪から浜坂まで乗ってみたいものです。で、山陽本線をガタゴトゆられて岡山駅へ。そして瀬戸大橋線で高松へ行き、1泊します。

 翌日は午前10時まで爆睡中だったグロッグフロッグ所員を放置して、まずは高松城と高松琴平電鉄の組み合わせを撮影・・・と、写真では何てことない雰囲気ですが、実は大雨と格闘しながらの撮影。

 そして特急「うずしお」で徳島駅へ。所長撮影雑記初登場のJR四国1500形気動車。いつの間にか大増殖してました。

 なかなか格好いいデザインだと思うJR徳島駅。まあ、内部は普通の駅ビルでしたけど・・・。

 本来乗るはずだったキハ185系特急「むろと」。誰かさんが寝坊したため、とりあえず乗るのはやめておきました。
 ・・・結果的に、これが正解になろうとは。

 徳島駅でボ〜ッとしていても仕方が無いので、いい機会とばかりに鳴門線に初乗車。しかし、列車の本数が少ないため、行くだけで、直ぐに折り返します。

 徳島駅に戻ると、キハ185系特急「剣山」にキロハ186形「ゆうゆうアンパンマンカー 」が連結されていました。で・・・この時点で高徳線は運休。徳島駅へ向かう途中だったグロッグフロッグ所員が乗った特急「うずしお」も途中で運転打ち切り。代行バスが徳島駅へ運転されることに。

 そんなわけで合流が遅れる2人。所長は小雨になってきたので徳島城を見学。・・・が、これも甘い考えで、再び豪雨に見舞われ、何とか徳島駅に戻る羽目に。

 そしてグロッグフロッグ所員と合流し、徳島ラーメンを食べます。ええ、今度はご当地ラーメン、食べましたよ。

 ちなみに、徳島駅ではネットでも話題になった、劇場版「空の境界」というアニメによる阿波おどりPRポスターがありました。
 「空の境界」、面白いらしいですが未だに見たことがありません。

 阿佐海岸鉄道への旅が諦め切れない所長は、とりあえず徳島駅のホームへ。特急「ホームエクスプレス阿南」が運転に向けて準備中でしたが・・・。阿佐海岸鉄道はもちろん、牟岐線も一部区間が大雨により運休。とうとう、我々も旅行をここで打ち切ることにしました。しかし、鉄道は高徳線、徳島線共に運休。高速バスを使うしかありません。

 で、バス停に並んでいたら、この大雨の中、路線バスがこんなところに停車してドアを開きます。冗談かと思っていたら、これがきちんとした発着場らしい。お客さんたちは大雨に濡れながらバスの中へと消えていきました。

 そして、高速道路も通行止めのため、高速バスとは名ばかりで一般国道をノロノロ走行。どうやら通行規制がかかっていたようで、渋滞していました。そして瓦町駅で食事をし、宿が違うグロッグフロッグ所員とお別れ。私は高松琴平電鉄で高松築港へ。ただ、その前に、瓦駅では少しだけ撮影しておきます。

 さて、それではホテルに1泊します。明日は一人で旅行・・・のはずでした。


 翌日は高松琴平電鉄で琴平へ・・・と思ってましたが、引き続き大雨という状態。少しでも雨が止むことを期待し、先にJRで琴平に向かうかと思って高松駅へ行くと、グロッグフロッグ所員を発見。また高徳線が運休しており、土讃線も危ない状態であったため、四国脱出を優先することにし、グロッグフロッグ所員が乗車する、快速「アンパンマントロッコ」に私も乗ることに。

 これが意外に面白い。風・・・いや、強風に当たりながら瀬戸大橋が渡れるとは面白い経験でした。

 しかし、このトロッコ。JR西日本管内である児島駅より先は、トンネル区間が長いことからトロッコへの乗車が禁じられ、その代わり隣の車両に移ることになります。その隣の車両は、キハ185系であります。考えてみれば、かつては四国の様々な特急で活躍したキハ185系も、瀬戸大橋を渡るのはこの運用だけですね。

 岡山では何を血迷ったか、路面電車に乗車。

 目的はこちら、たま電車です。

 しかし車内は・・・座席のモケットが交換されている程度で、ちょっと残念。

 そして赤穂線に初乗車。本日は大雨の影響で長船行きが西大寺行きへ変更されており、とりあえず私も下車。山陽本線直通の115系を撮影した後、後続の播州赤穂行きに乗ります。

 雨が上がっていたので、喜んで赤穂城へ向かおうとすると再び大雨。殆ど必死の思いで観光しました。

 播州赤穂駅に戻ると117系サンライナー色を発見。普段から運用に入っているのでしょうか。

 そして姫路に到着。播但線ホームでは銀の馬車道ラッピング編成が2編成、併結されていました。で、このまま姫路から新幹線で帰ることにしました。
 
 そんなわけで、ここ最近の旅行の中では特に大変だった今回の旅行。収穫は多々ありましたが・・・疲れた・・・というのが正直な感想です。それにしても、阿佐海岸鉄道へ行けなかったのは残念、無念。どうやってリトライしてみましょうか・・・。


○8月4日(火)
 本日は我が(平日の)地元である藤沢市にて、江の島花火大会が開催。元々が観光名所であるだけに、関東随一の規模を誇る花火大会であるだけに、人の数もこの通り!!

 そして始まりました花火大会。御覧のように、打ち上げの瞬間まで見えます。

 休み無く次々と上がっていくのには圧巻。

 色とりどり、大変美しいものばかりでした。

 低位置で激しく打ち上げられるものも。

 ミニ三脚を使える場所が無かったので、少々ブレておりますが・・・。

 これは上手く撮影できた1枚。今回も大変な迫力で大満足でした。

○8月1日(土)
 先週の成田撮影旅行の際、その場のノリと雰囲気で弊サイトのスタッフであるdaikitiさん親子の旅行を邪魔しに行くことにした、トンデモナイ所長&デュークのコンビ。眠い目をこすりながら上野駅に到着すると・・・なんと茶色のEF64牽引による寝台特急「あけぼの」が到着済でした。思わぬ収穫に大満足。幸先の良いスタートです。

 そして485系特急「あいづ」が入線。

 隣には185系特急「水上」が停車中。で、この風景を見ながら思ったのが・・・・。

 daikitiさんが東北・上越新幹線開業間もない頃に撮影したこの光景。こちらは485系じゃなくて583系ですが、いずれにせよ塗装が変わっても、未だに上野駅で国鉄型特急の並びが見られるのは素晴らしい話です。

 「あいづ」車内の様子。これだけ「あかべぇ」が並んでいるのは壮観。さて、当初予定ではdaikitiさん親子は赤羽から乗車してくる予定だったのですが、急きょ上野駅からの合流に変更されたそうで、4人で席を向かい合わせて上野より出発進行です。

 裏辺研究所専属モデル(?)のdaikitiさん息子。立派な親父さんから「鉄」の英才教育をバッチリ施されており、将来有望。現在、小学2年生だそうですが485系など国鉄型にもバンバン乗せてもらえるんですから、幸せな話ですよ。あと10年もすれば
「所長、それから”お父さん”。原稿の誤植2箇所発見。早く直してね。」
 と厳しいツッコミを入れてくるのでは・・・と思います。下手をすれば、裏辺研究所の実質的な運営を取り仕切っていたりして(笑)。

 そして特急「あいづ」は、決して速いわけではないものの、宇都宮線(東北本線)の多くの駅をすっ飛ばして先へ進むのは個人的には感動。それでも、全盛期を知るdaikitiさんとしては、485系特急が小山駅に停車するのは違和感があるとか・・・。


 直流、交流の切り替わる黒磯駅で4分停車。わざわざ向かい側のホームに行って撮影です。

 通過する白河駅。老中・松平定信などが領有した小峰(白河)城が車窓に見えます。久しぶりに行きたいなあ。

 4人でワイワイやっていると、あっという間に郡山駅に近づいていきます。到着直前に見えてくるのが郡山総合車両センター。房総各線用に改造待ちの209系も待機しています。

 そして良く見ると、引退したキハ58系新潟色が!(先頭はキハ40系ですよ)
 結局、新潟色のキハ58系は撮れず仕舞いで、これが私にとって唯一のものになりそう・・・。


 それから事故ったのか、途中まで解体に手をつけてみたのか415系1500番台が悲しい状態で・・・。それにしても上野口から撤退したあと、全然見る機会がないですね。

 そして郡山駅に到着。583系快速「あいづライナー」との並びにちょっと感動。なお、特急「あいづ」は会津若松まで直通しますが、郡山で墓参りの用事があるdaikitiさん親子、さらに午後から横浜で用事のあるデュークさんとは、ここでお別れします。

 もちろん撮影もしっかりと行います。

 583系は、485系が検査だったり、今回のように特急「あいづ」運用に就く際に快速「あいづライナー」の代走を務めているとか。583系で6両というのは残念ですが、専用の絵入りマークも用意されており貫禄は十分です。そして、リバイバル運転では気味が悪いぐらい人が殺到するにもかかわらず、ここでは撮影者は少数。まったりと撮影できるのが嬉しい限りです。

 方向幕もきちんと用意されており、これからも「あいづライナー」運用で485系と共に活躍してくれることでしょう。

 なんとなく東北本線の701系を撮影。6両と長めなのは素敵。でも、もう少し顔のデザインにこだわってくれれば良かったのに・・・。

 さて、夜に用事が入っていることがあり、当初予定では私も郡山で折り返すつもりだったのですが、daikitiさんが持参した時刻表を車内で見ていると・・・どうやら喜多方まで行って帰って来れそうなことを発見。実は本日、ツーデーパスを使っているため会津若松までは追加料金なしで行けますので、フル活用しないと勿体無い。

 そんなわけで、意外にも初めて583系に乗車して、会津若松に到着です。
 車内の写真は会津若松へ到着した後に撮影したので閑散とした雰囲気ですが、観光客の利用が非常に多く、立客も出るほど満員御礼状態でした。鉄道利用が多いのは嬉しい話です。


 そして若い女性にも注目される583系。やはりこういう古い車両は、ある程度は通常の運用に入れて旅情を掻き立ててくれるのが、観光客にとっても良い旅の記念になります。

 凛々しいお姿を撮影。

 隣のホームで磐越西線のキハE120形を発見。まさか遭遇するとは思わず、大喜びで撮影。
 (うむ、最新型のディーゼルカーでも十分に撮影対象になりますね)


 描かれているロゴマークが非常にかわいい。

 そして喜多方までの足は、会津鉄道から直通してくる快速AIZUマウントエクスプレス号。使用されているのは名古屋鉄道のキハ8500系を購入したもので、塗装も名鉄時代のまま。見るのも乗るのも今回が初めてです。

 こちらも大盛況の利用率で喜多方駅に到着。ご覧のとおり、窓が非常に大きいのに驚きでした。しかし、汚れが結構ありまして残念。

 そして喜多方駅でも撮影。あわただしく折り返しで快速AIZUマウントエクスプレス号は出発していきます。
 さて・・・喜多方で滞在時間が約1時間20分ほど確保できます。その間、SLばんえつ物語号を撮影して喜多方ラーメンを食べるか・・・、いやいや喜多方といえば蔵の街!古い街並みを徹底的に堪能するぜ!の2者択一に迫られた結果・・・。


 結局、こうなってしまいました。SLは新潟で撮影すればいい、ラーメンは観光が早く終われば・・・という目論見でしたが、ギリギリで駅に戻るのが精一杯でした。さて、駅から少し歩きまして、まずこちらは若喜商店。1905(明治38)年に建てられたレンガ蔵をはじめ、様々な古建築が残っています。

 さて、喜多方市街地で蔵が数多く残っているのが、田付川を挟んで東側の「おだつき通り」沿いと、西側の「ふれあい通り」。
 そこで、この
若喜商店を起点として、まずは「おだつき通り」に向かって歩きます。地図については
http://www.kitakata-kanko.jp/tour/pdf/11025879-900.pdf
 こちらを参照してみてください。


 1948(昭和23)年に建てられた田原屋菓子店。元々は純和風割烹だったそうです。

 「おだつき通り」の街並み。数多くの蔵が残っており、電線が少なければ、さらに雰囲気がいいのですが・・・。

 左の蔵は江戸〜明治初期に建てられた遠藤宗平宅で、これに1877(明治10)年に建てられた小原酒造の蔵が連なっており、その連続した風景は圧巻。ちなみに小原酒造は、仕込みの時にモーツアルトの名曲を聴かせて日本酒を醸造しているそうで・・・。

 井上合名会社・金忠。江戸末期に建てられた店蔵の座敷は、大船天井が緩い曲線を描いているのが特徴。右側の蔵もレンガが付加された面白い雰囲気で必見です。

 ・・・と、そこへ馬車が登場。面白い形の2階建ての車を引いています。そして・・馬も何をかぶらされているんだか(笑)。

 「ふれあい通り」に行く途中に見たNTTの建物。土蔵風に玄関部分を建築してありました。

 そして喜多方観光後、会津若松へ戻ります。なんと2両編成のうち1両がキハ40系首都圏色。隣の583系と合わせて、国鉄時代にタイムスリップしたかのような感じです。ここで583系目当てで郡山から会津若松までやってきたdaikitiさん親子と再合流します。

 そして撮影を断念した「ばんえつ物語号」の客車は、駅構内にて撮影できました。

 大きな曲線ガラスが特徴のオハ12 1701。

 では、こんどはdaikitiさん親子と一緒に583系に乗車。磐越西線はdaikitiさんが数多くの写真を撮影された場所であり、道中色々と解説を聞かせていただいたり、廃止になった中山宿駅のスイッチバックのホーム跡に興奮したりと、あっという間に時間は流れ郡山まで戻ります。

 郡山駅ではE2系「はやて」を撮影し・・・。

 今度は米沢方面へ向かうdaikitiさん親子が乗ったE3系「つばさ」を見送ります。400系が来ないかと期待していましたが、かなわぬ夢。後ほど、米沢駅に滞在中のdaikitiさんより「食事していたら400系を撮り逃がしてしまった」とのメールが。

 では、私が代わりに米沢駅でちょうど1年前に撮影した400系を。僅か1年で、この車両置き換えのペースは一体・・・。
 それにしても400系は格好いいですね〜。デビュー当時に衝撃を受けた覚えがあります。


 さて、夜は夜とて東京都青梅市へ。Transport Network という鉄道ホームページ管理人の「広報部長」様に誘われ、第61回青梅市納涼花火大会を青梅鉄道公園より見学。「広報部長」様の本業の方で、弊サイトが写真協力しておりまして、有難い事に成果品を直接渡してくださるとのこと。

 初めてお会いしましたが、いやあ話の話題が豊富な方で羨ましい。
 年齢も私とほぼ同じのようで、さらに幼少期は広島に住まれていたとのことで、なぜか広島ローカルトークでも盛り上がり、すっかり意気投合させていただきました。で、花火大会の話ですね。

 こういっては失礼ですが、行く前までは地元の「ささやかな」花火大会ぐらいの認識だったのですが、スミマセン、完全に侮ってました。

 たしかに隅田川花火大会のように、凝りまくったものは無いですが・・・。

 色とりどり、デカイ花火も惜しみなくバンバン打ち上げ。

 その数、規模たるや田舎の花火大会とはワケが違いまして、2人揃って写真撮りまくったり、純粋に眺めたり・・・。

 これですもの、これ。格好いい!!

 特にラストに近づくにつれ、もうバカスカ打ち上げてくれるものですから、周りも狂喜乱舞。
 これは素晴らしいイベントで、来年も行くことになろうかと思います。広報部長様、どうも有り難うございました。

 で・・・
広報部長様、引き続き仕事に戻られるそうで、青梅在住にもかかわらず都心へ消えていかれました。あわわわ・・・。
 ところで花火を撮影するのも、シャッタースピードやタイミングなど、どう設定するかが難しいですね。引き続き江ノ島花火大会にも行く予定なので、また色々と試してみたいと思います。



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