まさか2週連続で飛行機に乗ることになるとは・・・。ということで、11月&12月のアホみたいな旅行ラッシュもいよいよ最終章。これを持ちまして、ここのところ手が回らなかったホームページの更新も通常モードに戻るはず。
さて、先週の雑記で書いておりますけど今回の訪問先は・・・。
沖縄でございます! これにて都道府県47、その全てに上陸を達成しました。
では那覇空港より、ゆいレールに乗車しましょう。当たり前ですが初めての乗車。車内では駅に近づくと放送されるアナウンスに、必ず各駅ごとに異なる沖縄民謡のメロディーが一緒に流れまして、これが大変楽しいものでした。車窓も大変楽しく、走りも大変軽やかで、もうすっかりファンです。
那覇空港駅を出ると、すぐに目に入ってきたのが自衛隊の那覇基地。航空自衛隊で活躍した4機の飛行機(F−4EJ改、B−65、T−33、F−104J)が保存されていました。
さて、終点の首里駅で下車。まずは首里城方向に向かい、城には入らず有名な守礼門をくぐって外に出て、世界遺産の玉陵(たまうどぅん)に向かいます。
そして玉陵に入ろうとしたところ、隣に面白い門があったので撮影。安国寺という由緒ある臨済宗の寺院で、門は最近造られたものだそうですが、琉球石灰岩で造られ、阿吽の仁王像を安置した豪華な造りです。
道路をはさんだ向かい側に解説板があったので行ってみると、ここは大美御殿跡(うふみうどぅんあと)。尚清王の世子時代の別邸として建てられたもので、1547年からは首里城内の女性の休養、産所、冠婚葬祭などを行う場所となりました。
1853年5月にペリーが来航した時は、ここで宴会が催されたそうです。
残念ながら現在は学校の敷地となっており、往時の雰囲気を偲ぶことは出来ません。
さて、こちらが玉陵(たまうどぅん)。琉球王朝の第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓です。第2次世界大戦で破壊され、大きな被害を被ってしまいましたが、戦後に修復、復元されたものが現在の姿。
日本の墓とは全く異なる雰囲気。大変神聖な場所であることが肌で感じられます。
ちなみに、門は入り口の高さが低いので頭を打たないように要注意。・・・注意してください、と書いてあるにもかかわらず、ここに思い切りぶつけた男がいます。そういや、どうも頭の回転が悪いのですが、これが原因でしょうか(いつも通りですって?)
続いて見学したのが金城町の石畳道。なんと約500年にわたって、首里城から南部への重要な道路として使われてきたものだそうです。さらに、この石畳に落ちた雨水は、特別に加工された土床によって吸水、浸透、ろ過が行われて、スーフカという用水路に流れ、任意のムラの共同井戸(ムラガー)へと誘導するという、高い土木技術を誇っています。
その脇にある、こちらの古民家。NHKの連続テレビ小説「ちゅらさん」にて、古波蔵家として外観が使用されたもの。私有地につき、敷地内には入らないでください、とのことでした。
さらに地元の老人会が設置した看板に案内されて近くを移動すると、このように立派な老木が!
詳細は良く解りませんが、300年の樹齢のうちに、根元に自然の祠が出来たそうで、旧暦6月15日には神が降りてこられ、願い事を聞きあげるとのことです。ちなみに頂いた「さい銭」は清掃道具購入と赤い羽根募金に使います、と書いてありました。
というわけで、地元の願いをかなえるべく、気持ちよく「さい銭」を置いてきたのでした。
さて、これでようやく首里城に入ることにしました。
ついに対面した首里城。しかし、正殿は漆の塗り替えに伴い工事中! 天気も良かったことから、工事していなければ綺麗な写真が撮れたものですが・・・、まあ次回訪問しなおすことにしましょう。
そんな首里城は現在も復元工事が次々と進行中で、こちらは2007年に復元された書院、鎖之間(さすのま)と庭園です。
正殿の2階。中山世土の扁額は非常に有名。琉球は中山(という勢力)のものである、と示したものですね。これを左から読んで、「何の意味だろう?」と勘違いする人も多いはず。
日本の城とは結構異なる石垣の形状や、門の形に感動して首里城を後にします。
そして、首里城の麓にある龍潭(りゅうたん)を見学。1427年に造られた人工の池で、中国で庭園技術を学んだ国相懐機が造営したといわれています。
ところで、池の周りにはこんなのが沢山、のびのびと生活しておりました。捕まえて食・・・、いえ、何でもないです。冗談はともかく、可愛いので10分ほど撮影に興じてしまいました。
続きましてタクシーで識名園へ。世界遺産の1つで、1799年に造られた琉球王家最大の別邸。国王一家の保養や外国使臣の接待などに使用されました。日本の本土でもおなじみ、池の周りを歩いて楽しむ廻遊式庭園と呼ばれる形式ですが、「心」の字をくずした池の形(心字池)を中心としているのが特徴。
写真右手の六角堂も、ちょっと中国風にも感じられる特徴の1つではありますが、古写真によると、この形式になったのは少なくとも1916(大正5)年以後とのこと。明治時代までは四角形で、入母屋造の屋根を持つ建物だったそうです。
そして那覇市の繁華街である国際通り、そこから脇に行く市場中央通り&牧志公設市場を見学。今や全国を見ても数少ない活気ある商店街だったと思います。特に牧志公設市場は様々な食材が売られており、中には豚を見事にぶった切った・・・少々グロテスクなものも・・・。
この日は最後に、近くにある渡嘉敷三良(トカシキサンラー)の墓を見学。渡嘉敷三良は、16世紀末に琉球へ渡来した、中国の瓦職人で、琉球に帰化して国場村(現、那覇市国場)にて瓦を焼き、琉球で瓦葺の屋根が普及するきっかけとなったそうです。
彼の墓はフインチャーと呼ばれる、沖縄でも特に古い形態の掘抜き式墓。那覇市の文化財に指定されています。
さて、翌日(日曜日)は那覇航空祭(エアー・フェスタ2009)がメイン。その前にも色々と撮影しましたが、ここでは那覇空港駅で撮影した「ゆいレール」からスタートしましょう。会場では、カジボーさん、鉄の鳥さん、SAJIさんと合流します。
そして赤嶺駅より徒歩で会場へ。門から展示会場まで、基地の中を結構歩きます。そして、私の目の前にはRF−4Eや・・・。
おなじみF−2や・・・(個人的に、この機体と塗装が全ての戦闘機の中で最も好き)。
鮮やかなカラーリングが特徴の、T−4特別塗装機。
こちらは海上自衛隊のYS−11。まだまだ現役!!
この那覇基地は軍民共用のため、このように民間機と軍用機の出会いも見られます。
F−15戦闘機(・・・ですよね?)6機による飛行展示。
・・・と、地上に目を転じると琉球エアコミューターのDHC-8-103(・・・ですよね?)が離陸準備。那覇空港を拠点に離島路線を結ぶJALグループの一社で、独自の塗装を採用しているのが特徴(今後は、JALタイプにどんどん変わるようですけど)。
おっと、今度はスカイマークの機体が離陸していく・・・。
すると、UH−60Jが発進! ・・・とまあ、軍用機に民間機にと忙しい、忙しい・・・。
地上展示ではペトリオット・システムも展示されていました。沖縄を守る、頼もしい存在です。
全日空のポケモンジェットも離陸!
日本航空のコブクロ塗装機もいます。
こちらは飛行展示に向けて出発準備をする、ブルーインパルス。
あくまで民間機の離着陸の合間を縫って飛行展示が行われるエアー・フェスタ2009。正直、入間基地の演技と比べると、いずれも少ない演目だったのが残念ではありますが、管制塔の見事な交通整理(?)は本当にお疲れ様と言うばかり。那覇空港でこれだけの軍用機のショーをやってしまう、というのには頭が下がりました。
さて、カジボーさんが借りたレンタカーに乗り込み、ある場所へ向かいます。と、そこで「自衛隊限定緑茶 整列休め」をご紹介いただきました。なんとまあ、気合の入った緑茶でございましょ。製造は宮崎県農業果汁株式会社 サンA。
公式ホームページも自動販売機風、コインの投入も操作できる面白いものなので、ご紹介しておきます。
http://www.kajyu.co.jp/
そして那覇から北へ、世界遺産の中城(なかぐすく)城跡、国指定重要文化財の中村家住宅の見学にギリギリ間に合うか・・・いえ、間に合いませんでした、ということで場所だけ確認する結果に。続いて、民主党のおかげで問題が振り出しに戻るという(福島さん、喜んでいる場合じゃないよ)普天間基地を、嘉数(かかず)高台公園から見学。
デートスポットにもなっているそうで、たしかに若いカップル1組もいらっしゃいました。
基地を見てロマンティックなムード・・・になるんかいなあ。まあ、人それぞれですね。
そして那覇に戻り、私と鉄の鳥さんはオリオンビールで乾杯。沖縄県名護市に唯一の工場を持ち、沖縄県では最大のシェアを誇るビールだとか。苦味の少ないスッキリとして味わいで、本土のビール党の皆様の口には合わないかもしれませんが、私と鉄の鳥さんは大満足。もしかすると、ビールの苦手な人にはオススメかもしれません。
続いて登場した料理は、そうめんチャンプルー。アメリカ由来の食材であるコンビーフも特徴で、非常に美味しい料理でした。すっかりハマってしまい、自宅でも先ほど作ってみたところです。
月曜日。この日はカジボーさん、鉄の鳥さん、そして岩国でご一緒したstorchさんと合流し、早朝から再び普天間基地を見下ろす嘉数高台公園へ。今年11月16日に、岡田外務大臣もこの場所から普天間基地の現状について、伊波洋一宜野湾市長より説明を受けた場所に立っております。
昨日は夜で全貌が良く解りませんでしたが、こうやって見ると、凄い場所に建設されたものです。
ちなみにこの場所、1945年4月8日から16日にわたって、日本軍とアメリカ軍が激戦を繰り広げた「嘉数(かかず)の戦い」の嘉数陣地の跡地で、今も小銃弾のみで破壊された日本軍のトーチカ跡が残り、戦いの激しさを物語っています。この戦いでは、日本軍がアメリカ軍の戦車を撃退するほど、徹底した抵抗を行ったそうです。
続いて世界遺産の中城城跡を見学。標高167mの高台上に連郭式に造られたグスクで、石垣は見事に現存。ペリー提督らが沖縄を訪問した際にも、その石造りの見事さを絶賛しています。ホント、息を呑むほど美しい城でした。これについては、別途た〜っぷりと御紹介しましょう。
ちなみに、こちらはカジボーさんによるパノラマ写真。う〜ん、こういう写真も全容が良く解って面白いですね。そして、この湾曲した石垣の造りがなんともいえません!!
カジボーさんによるパノラマ写真パート2。
それから、国の重要文化財に指定されている中村家住宅を、私のワガママで見学。こういう伝統的な家屋、もっと沢山あるのかと思ったのですが、戦争で数多くが破壊され、さらに戦後は台風に強い鉄筋コンクリート製の、瓦屋根の無い建物に次々と建て変わっていったため、案外残っていないものです。
さらに嘉手納基地を、「道の駅かでな」より見学。とにかく広い!
米軍機が次々と離着陸を繰り返していきます。
さらに嘉手納基地にも近い砂辺馬場公園へ。砂辺と言うだけあって、美しい海岸を堪能できます。
そこを米軍機は次々と嘉手納基地へ向けて飛んでいく・・・と。軍用機撮影には、オススメのスポットで、同業者が5〜6人いらっしゃいました。
ところで、来る途中にクマヤー洞穴遺跡という文字を見つけたので、歩いていってみました。現在はこのように、クマヤーガマという拝所になって、神聖な場所になっています。
内部はこんな感じ。特に説明も無かったため、具体的にどんな遺跡かは解りませんが・・・。
それでは再び砂辺馬場公園の美しい風景を紹介し・・・。
カジボーさんの素晴らしい撮影の腕を、見事に浪費させた私のバカポーズにて、お別れと行きましょう。では、お読みいただき有難うございました〜。
*ちなみに意外といろいろな意味で評判のバカポーズ。
これまでの旅行において未掲載分もあるので、ネタの無い時にでもご紹介します。
というわけで香港・マカオ編スタート。
香港と言っても、大陸側にある九龍半島と、その南対岸にある香港島など、色々な島から成り立っていますが、我々が宿泊したのは香港島の東部。まずはマカオに船で向かうことにしたため、香港島西部にある上環(ションワン)地区へ。で・・・所要時間がかかることを承知で、敢えて路面電車に乗車。
・・・何系統かありますが、唯一、上環(ションワン)地区に行かない系統に乗ってしまったようで、途中からあらぬ方向へ。「降りたほうがいいんじゃないか」という味野氏の一声で、とりあえず降りたのでした。
で、必死に現在地の確認と地下鉄の駅を発見し、何だかんだ朝から香港を歩きまくって、地下鉄上環駅に直結するフェリーターミナルへ。ここで、ターボジェットという会社の高速船に乗り、約1時間でマカオフェリーターミナルに到着します。
とにかく見所の多いマカオ。詳細については「世界の旅」コーナーで紹介しますので、ここでは主だったものから。
まずは色鮮やかな洋風建築の多い、聖ラザロ地区。
こちらは世界遺産のモンテの砦。
マカオの中でも特に有名な世界遺産、聖ポール天主堂跡。1582年から1602年に、イエズス会士によって建築されたもので、1835年に焼失して、現在のように前面のみが残る姿に。
こちらはマカオ中心部とも言えるセナド広場(世界遺産)。本当はもっと手前から撮影したかったのですが、この日は色々な建物が修復中の上、さらにクリスマスに伴う大規模な飾り付け作業が進行中。観光ガイドに出てくるような写真は撮影できませんでした。
今も数多くの壮麗な教会が残るマカオ。これは世界遺産の聖オーガスティン教会。
もちろんヨーロッパ的な風景だけではありません。メインロードを離れれば、当然、こんな雑然とした風景も出てきます。ともあれ、清掃はかなり行き届いているようで、寂れた道も沢山歩きましたが「げ、何だこりゃ」という光景はありません。さすがは、観光地・・・。
その一方、再開発が次々と進行するマカオ。島の東部を中心に奇抜な形の高層ビルも次々と建設されています。大連に行った時も感じましたが、ビルの形については中国のほうが色々なデザインを仕掛けてきますね。日本は意外と、ストレートに墓石みたいなビルが出来るばかり。まあ・・・、全体を見た時にどちらが良いか悪いかは、一概には言えませんけど。
マカオで撮影した写真は大量にありますが、それは後ほど公開するとして、夕方に香港に戻ります。香港島で少々夜景を見て・・・。
地下鉄で九龍半島側に渡ります。道路に思いっきりせり出した看板が特徴です。
ここで、九龍半島から香港島の高層ビル群を見る、という夜景の定番を見ようとしたのですが、この日は東アジア大会の開催日と重なり、その記念イベントが開催。普段から人出は多いそうなのですが、この日は特に人だらけ。挙句に、警察による入場規制がそこら中で行われ、この程度の風景が撮影出来ただけでも、御の字でした。
本当は、写真で言えば右手方向で撮影したかったのですが・・・。
気を取り直して九龍半島の夜景を撮影。こちらはザ・ペニンシュラ香港。もちろん、香港の中でも最上級のランクに位置するホテルで、我々のような一般庶民とは縁のない場所です。
ちなみに写真の低層部(本館)は1928年に建てられた歴史ある建築です。
さて、翌日は早朝から行動し、ピークトラムで大平山山頂、通称「ヴィクトリア・ピーク」へ。
香港島の高層ビル群と、九龍半島のビル群を一気に・・・見られる場所ですが、大気汚染も凄く、そうそう絵葉書のような風景が見られるわけではありません。ともあれ、かなり満足。
坂の多い香港の足として地道に活躍する、ヒルサイド・エスカレーター。約800mあるそうですが、朝は下りの一方通行とのこと。え〜・・・上って行くのは結構きつい・・・。
あとは2階建てバスを撮影したり・・・。
路面電車を撮影したり・・・。
高層ビル群を撮影したり・・・と、香港島をブラブラ散歩しながら写真を撮影。忙しい旅行でしたが、これにて日本に戻ったのでありました。さて・・・これを書いているのは9日(水)の朝ですが、旅行後に休みなしで残業つきで仕事していることもあり、疲れが全く取れません。う〜・・・キツイ。
そして、今度の土日は沖縄・・・。か、体はもつのか・・・。
怒涛の旅行ラッシュ! 今回は東京都府中市、京王電鉄の東府中駅を訪問します。
・・・スミマセン、香港・マカオに飛び立つ前にこんなイベントを突っ込んでました。というわけで、京王電鉄の競馬場線で旧塗装の6000系が運用されていることが多い、という情報があり出撃。そこにいたのは、なんと京王電鉄の事業用車両でした。デワ600形+クヤ900形でした。
クヤ900形総合高速検測車。なんという偶然!滅多に走行シーンをお目にかかれるものではありません。
続いてやってきた6000系は、現行塗装。これはこれで今や貴重になってしまいましたが、旧塗装を撮影しに、また出撃をせねばなりますまい。
そしてJR中央線の武蔵境駅に移動。上り線が高架線に切り替わる直前の姿を撮影。
く、車だって線路の上を走れるんだからね!?
地上の上り線ホーム。高架化工事は私の旅行中に無事終了したようで、もうここを列車が走る風景は見られません。
そして友人の味野源次氏と合流して、成田空港へ。
出発までに時間があったので、第2ターミナルビルとサテライトを結ぶ、第2ターミナルサテライト連絡シャトルで無駄に往復。
そして午後6時20分のキャセイパシフィック航空にて、香港へ旅立っていくのでした・・・。もちろん、この日は移動だけで終了。怒涛の観光は翌日からスタートです。
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